レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

三浦しをんさん

2006-04-20 14:24:37 | 
作家に対する好き嫌いは一筋縄ではいかない。作品が面白くないからといって作者を嫌いになるとは限らないし、逆も然り。そして、作品以外の点で好感を持つこともある。これは本人にとっていいのか悪いのかわからないが、作品以前の点で好意を感じている作家の一人が、三浦しをんである。

 作家の名前が呼び捨てたったり「さん」づけだったりすることに特に意味はありません。

 最初に知ったのは、マンガ誌「ウィングス」のエッセイ『シュミじゃないんだ』だと思う。このタイトルは、自分にとって本・マンガを読むことはシュミの域をこえた生きがいなのだ、という意味だそうだ。内容はといえば、ボーイズラブ作品のお勧め作品紹介。
 エッセイ集『妄想炸裂』がその新書館の文庫で出たので買って読んだ。古本屋でアルバイトしていて、同僚との会話で好きな俳優の話になり、長谷川一夫だの三船敏郎だの、あげく笠智衆に森繁なんて渋すぎる名前がぞろぞろ出てくる展開がやたらとおかしかった。よその古本屋に、出張という名目で出かけて過去の名作を漁って喜んでいる様は、マンガへの心からの愛に満ちていて好ましい。別のエッセイで、清水玲子の『秘密』を白泉社自身が「少女マンガの枠を超えた」とかなんとかアオリをつけていることに対して批判していた。ステレオタイプのキラキラ世界ではなくて骨太の作品だと言いたいことはわかるが、「少女まんがの白泉社」がそういう少女マンガをなめたようなことを言っていいのか、という言い分。そーだ、よく言ってくれた。
 「百合姫」という、ユリまんが雑誌があり、そこでしをんさんは、ユリ作品のお勧め紹介を書いている。ホモものは好きなくせに、「レズ」--ホモもレズも差別用語と見られることがあるので要注意ーーは気持ち悪がる女に私は腹が立つが、この点でも頼もしい。おまけに、前号では『セーラームーン』をよいしょしていた。「あたしにはもう、命を捧げたたった一人の人がいるわ」「そう、だからあたしたち男なんかお呼びじゃないのよ」。某2chで、「原作ではうさぎマンセー、あれではほかのセーラー戦士は一生独身でいなきゃいけない」とマンガ版への批判を読んだことがあるだけに、上記のセリフを賞賛してくれたことが嬉しかったのだ。
 その嬉しさの勢いで、そのころ新潮文庫から出た出世作『格闘する者に○』を買った。いい家の娘だが家を継ぐ気など皆無で、マンガ好きなのでそういう出版社に勤めることを希望して就職活動中の大学生が主人公。やはり作者のマンガ愛が感じられた。
 そのほかに読んだのは、小説『ロマンス小説の7日間』と、エッセイ集『人生激情』。前者は、ロマンス小説の翻訳をしている主人公が、つきあってる男へのイライラをその作品にぶつけてしまい、訳ではなくてどんどん自分のシュミで書き変えていってしまい・・・というもの。ハーレクインヒストリカルな世界へのツッコミに満ちていて楽しかった。
 後者の本で印象に残ったのは、毒入りカレー事件の犯人はなぜ「真須美被告」と呼ばれるのだ、夫のほうが従犯らしいならこちらを下の名前で呼べばいいだろう、私的な性格の強い下の名前を使うということは、女には公の生活がないと言ってるのか、という部分。これは私も常々感じていることだ。
 このように、三浦しをんという作家を、まとまった本はあわせて4冊しか読んでいないのだが、少女マンガ好き、やおい好きかつユリも尊重、そしてフェミニストの意識もある、ーー私が親しみを感じる理由はたっぷりある。応援したい。
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