レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

読売新聞「気流」の桜&犬のカットがかわいい

2009-03-30 11:11:50 | 雑記
 読売新聞(たぶん首都圏のぶん)の投稿欄「気流」、おととしに読者投稿のカットで、桜を見ている日本犬2匹(なんとなく「2頭」よりもこのほうが似合う)の可愛い図が載った。「きれいだね」の言葉つき。そして去年、同じ描き手による絵が掲載、「今年もsきれいに咲いたね!」 作者の年齢がきちんと増えていくあたりもなんとなく微笑ましい。 そして今日、掲載されたのが「桜大好き!」ーー待ってました。
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本にとって装丁はだいじだ

2009-03-29 07:01:02 | 
 きのう、文庫新刊等のコーナーで買った本、
『文鳥・夢十夜・永日小品』
『黒猫・アッシャー家の崩壊』
『怪盗紳士リュパン』
 『文鳥~』は、角川の今月のフェア本(つまりポイントつき)なので。エッセイふうのもののほうが、再読するに一層気乗りする。
 『黒猫~』、これまた読んだことあるけど、「新訳」でまえにはなかった作品もはいっているようなので。
 『リュパン』、創元推理文庫が「文庫創刊50周年 既刊限定イラストカバー」という企画で、これは西炯子。特にファンというわけでもないのだけどかっこいいので。『ホームズ』は読破したからルパンも少しは手を出してもよかろうと思うし。
 
 「限定イラストカバー」はほかにもいくつか出ているけど、買いたくなるのはない。ホームズに坂田靖子!なんて人選ならばまた買いたくもなるけど。

 ついでに、本のイラストの話。

 三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』は、単行本と文庫で装丁が、よく見ると違うけど、ぼーっと見てるとわからない程度で、似たような感じにしてある。同じ担当者。単行本のときにあった、各章トビラの絵がなくなっているのはもったいない。例えて言えば、西炯子ふうの絵だった。(なお、マンガ化ーーまだ読んでないけどーーは山田ユギ)

 雑誌から単行本とか、文庫化とか、あるいは出版社移動で復刊とか、その場合イラストは、①同じものが載る ②同じ人が新たに描く ③別の人に替わる
ーー③の場合、旧担当者に連絡はいくのだろうか? 知らない間に別の人の絵で出てるのを見たらイヤだろう。でも、出直すけど別の人が描くから、とわざわざ知らせられるのもそれはそれでイヤかもな、と思うし。
 吉原理恵子『間の楔』は、徳間から文庫で新たに出始めて、イラストが替わった。まぁ悪くはない。これまでの道原かつみが人気あって定着していたから抵抗もかうのではないだろうか。私は、道原さんの絵は、少なくとも連載当時の絵はあまり好きではなかった。作品世界の雰囲気に合ってはいるけど。こんどのが決定版扱いになって、これまでの絵がうずもれてしまうのはもったいない。
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今日もコロッケ明日もコロッケ

2009-03-28 05:41:28 | 雑記
 コロッケを一度にいくつ食べるものか。私は2、3個。キャベツの千切りと一緒に食べるぶん、ご飯のおかずとしてのぶん。もっとも、一回の食事で食べるのがそれだけであっても、つくるのはそれで終わらない。うちでは大量につくるので、翌々日くらいまではある。だいたい、揚げ物は手間がかかるので(私は単独でしたことはない)どうせならばまとめてでないと面倒ではないのか。
 かつて、学年誌に再録されていた赤塚不二夫の『ななくせ一家』という短編で、おじさんがブツブツぼんやりしながら帰宅し、まっすぐに食卓に向かい、皿の上のものを食べる、「今日もコロッケ、明日もコロッケ、いいかげんにせいっ」--「よけいなおせわだ」  家を間違えてよそにあがりこんでいたのだ、という場面があった。この、「きょうもコロッケあすもコロッケ」という言葉がなんとなくおかしくて覚えていたのだが、大正半ばの流行歌だとあとで知った、「ワイフもらって嬉しかったが 出てくるおかずがコロッケコロッケ」。 
 うちの場合、「今日も」「明日も」なのはあたりまえなのだ。ましてや新婚さんの二人きりの暮らしならば、一回ぶんだけしかつくらないなんてめんどくさいに違いない。

 というわけで、今日コロッケをまるめたので、明日もコロッケである。

 28日夜に付記。
 今朝、訂正をした際に間違って「現在日時をセット」にしてしまったけど、この記事を最初に書いた=コロッケをまるめたのは27日。
 そこから見ての「明日」である今日、予定どおりまたコロッケを食べた。

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雑談:噴水、学習マンガ、改題

2009-03-25 05:42:57 | 歴史
 『世界遺産 ローマ帝国1』のDVDを見た。この70分は、通常の5分番組x8本+『とっておき世界遺産』(15分)x2本の構成。『とっておき~』は、なにかテーマに沿っての3本立てという、『名曲アルバム』に対しての『名曲アルバム選』みたいなものなのだな。
 『とっておき』で、「王たちの噴水」というテーマでヴェルサイユが出てくる。すべてに君臨する「太陽王」は、自然までもとことん支配すべく、水をあやつる噴水に凝った。映画『王は踊る』では、文字通り、全身金ピカに塗って踊る姿が描かれていた。
 水の芸術は目に涼しいものであるけど、そういうふうにあくなき権威の誇示と結びつけられるというのは面白い発見だった。

 集英社文庫で出直している『世界の歴史』、今月は、モト本の9&10→5巻、11&13→6巻。ルネサンスや市民革命、わりに華やかな部分である。5巻の前半はルネサンスの巨頭たち、エリザベス女王、コロンブスなど。後半は、フェリペ2世、ルイ14世、マリア・テレジア、ピョートル大帝、絵は長谷川幸恵さん(検索してもそれらしい人が見つからない)、少女マンガ絵だけど、実在の人々は中々肖像に合っている。
 このシリーズ、モト本のときには、プレゼントつきの1,2巻を別にするとフランス革命の巻が売れたそうだ。今回の文庫版ではどうなるだろう。6巻は描き手が 笈川かおる&あずみ椋 、いちばんキレイなことは間違いない。

 歴史よりも「本」カテゴリー向きかもしれないけどこの際。
 藤本ひとみの本は、文庫化や他社からの復刊でタイトルの変更がよくあるが、それが著作リストに明記されていないことは怪しからん。
 『逆光のメディチ』が『ダ・ヴィンチの愛人』になっていたのは最悪だと前に書いた。今回、『マリー・アントワネットの恋人』と広告されていたのもまた復刊だろうと思ったらやはり、『ウィーンの密使  フランス革命秘話』だった。これまた、安っぽい題にしている。このぶんでは、『ハプスブルクの宝剣』を『マリア・テレジアの恋人』にもしかねない。
 (『ジャンヌ・ダルク暗殺』が『聖女ジャンヌと娼婦ジャンヌ』になっていたのは悪くないと思う。このほうが内容がわかりやすい。)

ついでに。
 講談社プラスアルファ文庫の新刊で、『抄訳三国志』とかいう本が出ている。挿絵がきれい。水上有理さん、光栄の「爆笑」シリーズでよく描いていた人か。
 パラ読みしただけだけど、孫作&シュウユは、「浅黒く精悍」と「色白で優美」なんて描いてある、--なんだその少女マンガっぷりは! おまえ(シュウユ)が女なら妻にしていた、と戯れに言っていた、って・・・。 「訳者」は、『演戯』がベースで、『正史』や伝承も取り入れてあると書いてるが、そんなのが素人二次創作以外で伝わっているのか~~?
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イースターのタマゴ型チョコ

2009-03-22 06:08:42 | ドイツ
 日本とドイツ、全体として食べ物のおいしさではやはり日本が上だと思うけど、チョコレートは負けてる、たぶん。
 デュッセルドルフの知人からの小包に、リッターのチョコと共に、玉子型のチョコが入っていた。イースターの季節となると、いろいろな形で玉子が活躍する。生玉子で中身を抜いて殻を彩色したものとか、ゆで玉子の殻に絵を描いたものとか。チョコも、中に小さなオモチャが入っているものもある。今回頂いたのは、外がふつうのチョコで中身がホワイト。美味。・・・でもカロリーは当然高そう。 ドイツの食べ物はごつくて無彩色のイメージが強いけど、お菓子はわりに可愛くて季節の遊びがあると思う。
 まえの便に入っていたインスタント食品で、BuchstabenSuppeというものがあった。訳すなら、ABCスープ。小さなパスタで、アルファベットの形をしている。ビスケットのABCは見たことあるけど、パスタは初めて、しかも、小さいのにちゃんとアルファベットの形になっている!

 今回、Animaniaと DAISUKIの最新号も頼んであった。「アニメニア」は、マンガ・アニメの情報誌、「ダイスキ」は、主として「花とゆめ」作品を載せている少女マンガ誌。でも、日本文化の紹介も兼ねていて、言葉の解説とか行事の説明もある。「インスタントラーメン」を日本カルチャーとして扱っていて、「みそラーメンの作り方」なんて書いてある。「たいていの材料は大きなスーパーで手に入ります、味噌だけはアジアショップに行かなければならないでしょう」、なんとなく笑いが浮かぶ。そういえば、ドイツ語講座でも、日本で修行してベルリンでラーメンの屋台をしている人が出てきてたなぁ。10数年まえのガイド本で、ドイツの中華店で汁そばはなぜかないと書いてあり、実際私が(98-99)行ったときにも確かに見なかった。いまはどうなんだろう。上記の日本ラーメンはもちろんスープつきなんだが。そのうち、ドイツで独自に進化したラーメンも出てくるのだろうか。
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「パクリ」や「ネタバレ」に関して

2009-03-19 05:45:46 | 
 まとまらないので、ぼつぼつと。


「パクリ」、「ネタバレ」に、近年やたらとうるさくなっているような気がする。
 思うに、「盗作」という言葉はかなり重いので、根拠や確信がないと使えないが、その点「パクリ」は言葉としても軽いので簡単に言ってしまうという面があるのではなかろうか。
 「ネタバレ」ということについて思い出すのは、講談社の冊子『本』の連載エッセイ『落語の向こうのニッポン』。「左利きのサムライなんていない」、「サムライに「個性」なんてない」、個性個性とふりかざしているけどそんなものは幻想だ、少なくとも、新しく出てきたものだ、という見解が筆者の主張の根底にあるようだ。(注1)そういう流れで、(落語が主題だけど)同じ話を焼き直ししたり、ひとの作った話をうまく盗んだり、そういうことを非難するのはおかしい、「誰もきいたことのない話をきかせろ」という要求が肥大している、「ネタバレ」に目くじらたてるのはビョーキだ、と言っていた。
 私はなんとなく、「パクリ」と「ネタバレ」に対するうるささは通底するものがあるのではないかと思っていたが、ああそうか、前者は、新しくないものを持ってくることで、後者は、新しいはずのものを新しくないものにしてしまうこと。全く新しい話を見せろ、という要求は共通しているわけか、と納得した。
 
 注1 『「パクリ」・盗作スキャンダル事件史』という本が去年出た。その本は全体として、いまどきの風潮は神経質すぎる、という考えで書かれている。筆者は、2ch等でしきりに「パクリ」を叩いている若い世代は、「個性」がだいじだという教育を受けていて、しかし教育した側でも「個性」とはなんだかわかっておらず、教えられた側では理念だけが肥大してしまったのではないだろうか、と解釈している。
 
 投稿作のショートショートに、売れっ子ミステリー作家の新作が出て、それを読もうとしている人間をあっちこっち導いて、その果てで犯人をばらしてしまう、という話があった。(私の書いたこれはモロにネタバレである、ごめん) その結果、被害者たちは本を読まずに手放していくのだったーーって、それはあんまりじゃないかい!? 犯人あてるだけじゃないだろ、ミステリーだってほかに楽しみはあるだろう!?
 TONOさんがコミックエッセイで書いていたけど、この人はそういうことはなくて、むしろ展開がわかっていたほうがじっくり楽しめるのだそうだ。ちなみに私は、映画を見るまえに(もしくは、いずれは見たいと思う映画)ノベライスを読んでおくということをよくする。顔を覚えることが黒田勝久(注2)なみに苦手なので、人間関係をすぐにのみこめるかどうかが怪しく、見てもわからないのでは困るだろうということで。邪道もいいとこかもしれない。

注2 黒田勝久:佐々木倫子『忘却シリーズ』の主人公

 「ネタバレ」といえば、私が不思議に思うのは、テレビガイドや新聞の該当欄で、NHKの朝のドラマや大河のあらすじを、前もって最後まで書いてしまっていることだ。あれをネタバレだと非難する人々はいないのだろうか? いや、私自身は不都合は感じないが。 朝ドラや昼メロなんて、途中を見逃す人もいそうだからそういう視聴者のためであるとも考えられる。それに、筋だけきいたらバカみたいでも、演出や演技の力で、見たら面白い(あるいはその逆)ということもあり、展開そのものよりも描き方が見所である類の作品もある。
 だから、私だって納得はしているのだ。

 ついでに言えば、同人サイトで要求される「注意書き」。「18禁」とか、「グロ」とか、読み手を選ぶものに関してならば理解できる。しかし、「死にネタ」は? 原作があって、それを無視してキャラを死なせてしまうというならばまだわかる、しかし、オリジナルな世界の場合、それを言うのは「ネタバレ」というものではないのか~? 

 どうも、「ネタバレ」に神経とがらせることと、やたらと「注意書き」を要求することと、どういう折り合いなのか不可解に感じるのだ。
 「注意書き」については、せっかちな風潮とも言える。本来、読む楽しみには多くのムダがつきものであり、玉石混交な中から玉を見つけ出すというのが醍醐味、しかしそのムダを省きたいという要求から、せめてジャンル・傾向くらいはあらかじめわかるようにしてほしい、それで、「ほのぼの」だの「シリアス」だの、「やおいアリ」、「健全」、「カップリング」表記、そういうことが書かれるのだろう、初めから好みのものを探しやすいように。

 古い話をふりかえってみると。
 文学の講義での聞きかじりで言えば、かつて、独創性というものは価値を置かれてはいなかった。
 例えば、古代ローマの演劇において、ギリシアの作品をネタにすることが良しとされた。
 ドイツ中世の物語でも、たとえ作者が創作したものであっても、古典からの紹介であるかのように装うことがあり、それは謙遜ではなくてハクつけだった。学のあるワタシが学のないおまえたちのために、古典からドイツ語にしてきかせてやろう、という感じで。
 周知のように、シェイクスピアだってほとんどの作品は原典やタネ本があるし、そのシェイクスピア作品も、ドイツでも好き勝手に変更までされて上演された。
 古来、悲劇のタイトルは主人公の名前を使っていて、それは「偉大な個性をテーマとしているから」と解釈されるが、ほかに、それらはおおむね神話や歴史の有名人の話なので、タイトルをきいたら内容がわかるからでもあったろう。つまり、タイトルがすなわち「ネタバレ」だったといえる。
 ギリシア劇の「コロス(コーラス)」は、いまでいうナレーターとして状況説明をしたり、この先を暗示したり。観客は筋ならばあらかじめ知っているものだろう。
 日本でも、歌舞伎やら浄瑠璃やら、どういう話かは先刻承知のうえで楽しんでいたろう、いや、それはいまでも変わるまい。

 話が混乱してきた。
 「盗作」かそうでないかの線引きはもちろん微妙なものだ。激しく似ている、真似している場合、それを許容するかどうかの基準としては、マエ作とアト作(私の造語。意図して真似た場合には、「モト作」「マネ作」という言葉もある)の知名度の関係とか、マエ作に対しての敬意の有無とか、模倣を明らかにしているかどうか、などが挙げられ、最も大事なのは、類似の度合い及び独自性との兼ね合いだと思うが、これが最も主観的で判断に困るだろう。作者は許容範囲だと思っても読者が納得しないこともあるし、読者によって違うし。(それに、なにがその作家・作品の勝負どころなのかという問題もある。)

 似てること、真似することが悪いというのではなく、ささいなことでパクリパクリとたたくことに私は反対の立場をとっている。
 私が抵抗を感じるのは人の手柄を自分のものにしてしまうこと、ごく単純に言えばそういう考えだ。
 だから、たとえ後出し言い訳じみていても、○○のマネです、と断り書きは、ないよりあるほうがずっとマシだと思う。読者が不当に感心してしまうことの防止にはなるだろうから。
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ロマxプリ休刊その他

2009-03-16 06:31:14 | マンガ
 先日出た『ふたごの妖精りるるとるりり』1 桑田乃梨子
堅実な男子中学生、雨宮夜(あまみや・なはと)の前に現われた妖精、りるる&るりりは、「妖精中野学校」の卒業試験で、彼の望みをかなえなければならないと言う。しかしナハトには、努力してかなえる程度の望みしかさしあたりないので、ふたごは長々といつくことになる。
 こういう、天使だの魔法使いだのがお手伝いとか恩返しとか言って居座るという状況は定石なので、あとは作者の腕と読者の好み次第で良作にも愚作にもなる。
 かわいい絵ととぼけたキャラたちで楽しく読める。マイペースなナハト母が稲妻大好きな点で、なんとなく、ハムテル祖母のカエル好きを連想した(なんでだ)。
 ところで、「ナハト」という名前は、ミュージカル『エリザベート』でセリフでききとれた「ナハト」からつけたという。「夜」と書いてナハト、(兄が)「五月」で「マイ」って、そんな無法な名前、現実に役所で許されるのだろうか? だいたい「マイ」は女名前だし。(ドイツでは、性別のわからん名前や性別逆の名前はタブーである)
 「妖精中野学校」もすごい名前だ。
(その昔、安永航一郎『陸軍中野予備校』ってあったな、読んだことないけど)


 「ロマxプリ」、先月出た4号で、ついに休刊。やはりという気もする。何冊か単行本は出ることになっていて、それの売れ行きに復活如何かかかっているとかなんとか。
 4号に、真崎春望『ばらの騎士』が載った。「原作 フーゴ・フォン・ホフマンスタール 作曲 リヒャルト・シュトラウス」、いや、この際オペラは関係ないんだけどね。原作だれそれと明記してあることが、なんだか新鮮に見えてしまった。
 同じこの4号に、水野英子の大昔の作品『ローマの休日』が載っている。O.ヘップバーンのあの話、しかし、なにも説明がない。当時は著作権に関しておおざっぱで、ヒット映画をマンガ化したり焼き直しして描いたりはあたりまえのようにしていたらしい。
 ケチをつける気は毛頭ないけど、法的にどうなのか興味はある。いま、話題の映画をマンガにするならば当然許可がいるだろうけど。

 ドイツで、主に「ジャンプ」作品から数本掲載した雑誌「BANZAI」が出ていて、少女誌は「DAISUKI」、これは「花ゆめ」作品から。先日、いまの最新号をドイツの知人から頂いた。表紙を見て、「え、私が頼んだのはダイスキのはず、これバンザイじゃない?」と思った、でも間違いなく「DAISUKI」だ。日本の作品に混じって、Christina
Plakaという「ドイツ初の漫画家」の作品も載っていて、その絵が今号の表紙なのだ。・・・ヘタとは言わないけど、美しくはない。少なくとも、少女マンガの絵ではない。
 「花ゆめ」からの掲載作品は、『フルバ』、『学園アリス』など。これらの絵、私の好みからすると、キレイ・上手いとは思わない。(話については読んでないからなにも言えない) 同じくもらった「Animania(アニメニア)」で紹介されているマンガの引用など見ても、「これこそ少女マンガだ、どうだ、美しいだろう!」と胸をはりたくなるようなものがあまりない。種村有菜くらいのデカ目ではあんまりだと思うし。さいとうちほ作品は売れてるのだろうか、『ベルばら』があるならば『オル窓』は? オールド少女マンガ愛好者としては、ちょっとぶーたれたい気持ちがわいてくる。

 まぁそういう点で、「ロマxプリ」の場合、わりに顔ぶれが古いので、私にとって抵抗のない絵が多いのだな、と改めて思った次第。

 日本のマンガやアニメがたくさん出ている、といっても、それらが必ずしも喜べる作品群であるというわけではないのだ、個人の好みの問題が大きいとわかってはいるが。
 
 数年前、月刊のジャンプ(もうない)で連載していた『エトワール』(『三銃士』が原作で、これはまさにジャンプ風味。絵もなかなかきれいだった)がドイツで出ていることを知って驚いた。ま、『アニメ三銃士』放映してたくらいだから不思議でもないのか。木原さんの『アンジェリク』はどうかな~。あれも、少女マンガとしてのスグレモノなんだが。

 これこそ少女マンガだ!と  私が  胸をはれる名作がもっと紹介されてくれ!!

 と心から叫びたい。まとまりなくつらつらと書いたけど、それが主題である。
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なんの日?

2009-03-15 06:19:56 | 雑記
 3月15日といえばBC44の暗殺とか確定申告、3月10日ならば東京大空襲、3月14日は・・・えーと、なんかの日だよ、なんだったっけ?と長いこと思い出せなかった、「ホワイトデー」なんて無縁だからな~。「おまえもか!」暗殺は関心事のうちだし、空襲はそれが題材の映画も舞台も見たことあるし(両方とも左右田一平さんが出演だった)、その点ホワイトデーはまったく関係ない、そもそも2月14日が他人事だから。

 「ダイヤ改正」の季節だ。「改正」はヘンだろう、それまで間違っていたわけじゃないんだから。単に「変更」でよかろうに。--と、3年前に書いたものだ。
 天気予報では桜の開花予想も出る季節。日が長くなっていることも感じる。春休みも終わりに近づくなぁ。
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広い意味での歴史もの小説3つ

2009-03-14 05:45:59 | 
『ルイザの不穏な休暇』 アンナ・マクリーン 創元推理文庫

「名探偵オルコット」シリーズの第2弾。
のちの『若草物語』のジョーとなるキャラを心にあたためつつあるルイザ、家族とともに、伯父の招きで田舎町で夏を過ごす。そこでは、労働者たちの間でオランダ移民とアイルランド系の対立が生じていた。あるオランダ青年が不審な死を遂げ、あやしげな女がルイザの一家の周囲をうろつく。
 ルイザの友シルヴィアがけっこう変人で面白い。いまは孔子に凝っていてたびたび引用するのだけど、これらが正しいのかどうか私は知らない。(唐突ながら、『笑う大天使』のことわざ好きの若月俊介を思い出した) 


『黒のトイフェル』 フランク・シェッツィング ハヤカワ文庫

 同じ作者の『深海のYyr(イール)』が先に、ドイツで『ダ・ヴィンチコード』を凌いだベストセラー!として訳されていたのは知っていたけど、いまひとつ気乗りしなくて未読。しかし、こちらは中世ドイツが舞台ということで断然読む気になる。
 13世紀、大聖堂建設中のケルンで、こそ泥の青年ヤコプは、建設の監督の殺害現場を目撃してしまう。犯人に追われる身になったヤコプは、まえに助けてもらった娘のもとで、その叔父である司祭の協力を得る。 裏には、町の貴族たちと司教の対立があった。
 泥棒とはいえマトモな良心を持つ素朴なヤコプ、インテリで俗っ気豊かで醒めた司祭、そして殺し屋も案外いい味を出している。マンガならばかなりかっこよくキャラデザインされてしまいそうな感じ。
 ライ病患者の存在をちらりと出していること、背景に十字軍が絡んでいることも、時代設定が生かされていて効果的である。


『タイムスリップ戦国時代』 鯨統一郎

 数ヶ月まえに出たノベルス、買おうかとも思ったけど買っておらず、先日図書館で借りた。元気な女子高生麓うららが、タイムスリップする話と、逆に過去の人から現代に来る話とあり、これはうららのほうで行くほう。
 過去の歴史を捻じ曲げている組織があり、それを修正するために未来人が経験者のうららに協力を求めて、彼らは戦国時代へ。
 実を言うと私はけっこうナナメ読みだったけど、家康が2chにハマったり、今川義元の集めたお笑い集団の名前がーーー(察しはつくよね)だとか、ギャグはやはり笑えた。
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カレーと玉子

2009-03-11 16:18:31 | 雑記
 『天ぷらにソースをかけますか?』という本が、数ヶ月まえに新潮文庫で出た。各地の食習慣の違いを、ネットを使った調査に基づいて報告・考察している。
 私自身は、食べ物談義に対してそれほどむきになるほうではない、食べること自体はたいへん好きだけど。
 「肉」といえば、関東は豚主流、関西は牛メインだそうだ。
 私は、生まれは九州、でも関東在住のほうがはるかに長い。でも「豚まん」ではなく「肉まん」と言う。うどんとそばではどちらかといえばうどんになじみがあり、つゆは澄んだほうが好き。東と南の感覚が混ざっている。
 上記の本に、大坂では、カレーライスに生玉子をかけてソースをかけて混ぜる食べ方があると書いてあった。私はゆで玉子が常であるが。大阪人がするならばたぶんそれも美味しいのだろう。--で、やってみた。なるほど美味い。ゆで玉子の用意がないときはこれが簡単だ。
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