レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

喜劇、暴君、聖地ツアー

2009-07-31 14:27:45 | ローマ
 3題ばなしのようなタイトルだ。
 これもまた「ローマで小ネタ3題」だけど、そんな題だと内容がわからないのでやめておく。

 先日、新聞のテレビ欄で、ローマものの映画が解説されていた。史劇ではなくてフィクションのコメディ。タイトル忘れたが、「売春をしている美しい女性に良家の息子が恋し、奴隷が協力して奔走する」とかなんとか。
 「売春をしている美しい女性」って、なーんともまどろっこしい言い方。「美しい娼婦」で済むだろ? それに、「売春をしている女性」は普通「売春婦」というのではないか?(もちろん、これではあまりにもミもフタもなくて散文的すぎるので、文脈に応じて言葉を選んでもらいたい)それを避けるのは、メッサリーナや「昼顔」のように、職業ではなくて趣味やパートでしているとでもいうのか? たぶん違うだろうな。 私が読んだ限りでは、ローマ喜劇のヒロインはたいてい遊女だ。ボンボンが恋をして、知恵のまわる奴隷がたちまわる、というのがパターン。上記映画もその伝統をふまえているのだろう。

 レディコミ誌『ほんとうは怖い童話』(略称「ほん怖」)は、「残酷童話系」と言われる類に属する。10年ほどまえのグリムの流行のころからか、メルヘンをアダルトにアレンジしたマンガがよく描かれるようになり、そのうちメルヘンだけでなく、神話伝承、古典、歴史も素材になった。私はそのテの雑誌はたいてい手にして、なにが扱われているのか注目する。
 で、きのう手にした「ほんこわ」の表紙に『カリギュラ』の文字。コンビニで読めた。作者は安武わたる。絵は悪くないが、ティベリウスがヘンタイ扱いなのは困りもの。表紙では『カリギュラ』だけど、中身では「カリグラ」になっているのは、「カリギュラ」表記のほうがあの映画を連想させて有利(?)だからだろうか?
 これまでこの手の雑誌でローマものは、アグリッピナがあり(三木内麻耶)、メッサリーナがあり(もろおか紀美子)、モロオカはカリグラも描いたことがある。・・・やはり、暴君や悪女に偏るなぁ。

 『密偵ファルコ』新刊、『最後の神託』。ファルコの愛妻ヘレナの弟がギリシアに留学したはずなのに殺人事件に首つっこんでしまったので、代わりに捜査してほしいとヘレナの母に依頼されて、ファルコの一行はギリシアへ。ギリシアのツアーなんてものは実際に当時存在したらしいし、古代人に親しみを感じる設定である。一行の護衛として同行する、体育場の主の息子グラウコスは、偉丈夫で美男で、でもそれに無自覚で、という中々楽しいキャラだ、また出てほしいものだ。
 たびたび講釈されるペロプスの神話があとで生きてくる。
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ヨシノリンにつきあって読書

2009-07-29 15:59:13 | 
 ここしばらく、『ガリヴァ旅行記』と『嵐が丘』と『細雪』を平行して読んでいる。清水義範『独断流「読書」必勝法』(講談社文庫)で挙げてある本をなるべく読んでみようと思ったので。あらかた読んだことあるけど、だいぶ経って忘れているものも多い。ヨシノリンはガリバーとロビンソンのコラボを書いている。そして『若草物語』を『細雪』の文体で書いたダブルパロもやっている。モト本を読んだらいっそう笑えるだろうという楽しみもある。『細雪』だけは今回がまったく初めてだ。戦前の上方の旧家の4姉妹の贅沢な日々で、上記ガイド本では、腹が立ってくるのではなかろうかと評している。まぁそういう点もあるが私はむしろ苦労話よりも気楽だ。贅沢といえば、同じ本でも取り上げられている『魔の山』だって相当なものだ。サナトリウムの患者たちははっきり言って食っちゃ寝生活で、哲学的なやたら難しげな議論にいそしんでいる。おかげで決闘までやらかす。病気になっても医者にかかる金もない人々なら怒るぞ。主人公じたい、7年も療養していたあげく、出たら戦争で、たぶんそれで死ぬことになっている。
 
 ヨシノリンと関係はないが、塩野さんの『海の都の物語』文庫化で読んだら、たびたび引用されている『イタリア紀行』がまた読みたくなった。これは夏向きの読書といえるだろうか。
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「喜劇形式の戯曲」?違うだろ

2009-07-28 17:53:40 | 
 先日行った期末試験の小問は、「~~について説明しなさい」が5問あり、あらかじめ伝えてあった。だから、手分けして解答を考えておくことは当然あり、講義できいたことでなくウィキペディアなどから文章を拾ってくることは構わないし、同じ文章が何度も出てきたところで、それが合っているならば問題ない。
 しかし、『夏の夜の夢』を、「喜劇形式の戯曲」とする答案がたくさんあったことは気になった。どこかでそういう説明がされているのだろうかと思って検索すると、案の定、ウィキペディアだ。
 まず、文学の話をしている文脈でならば、「喜劇」といえばそれは演劇の一分野ときまっており、「戯曲」とわざわざ書くのは重複だ、ここは単に「喜劇」でよいのだ。
 そして、喜劇の「形式」とは? 時代にもよるが、悲劇の5幕に対して喜劇は3幕、悲劇は詩文、喜劇は散文。(むしろ内容か?)悲劇の主人公は高貴な身分、喜劇は庶民、そんなところだろうか。そして『夏の夜の夢』は(いや、それだけではないが。こういう形式無視な点も、シェイクスピアがフランスで長いこと認められなかった由縁。)それらをまるで満たしていない。
 たぶん、シェイクスピアの劇は「悲劇」「喜劇」「史劇」に分類されるがそのうち「喜劇」にはいる、ということを言いたかったのではないかとは思う。
 -----こういうことを当該学生たちにもう伝える機会のないことが残念だ。
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わし、おれ、ぼく

2009-07-26 13:03:03 |   ことばや名前
 今日、読売日曜版の『我が家のあたしンち』(家庭でのおかしなできごとを投稿する)にあった、ーーうちでは絶対にオレオレ詐欺にはあわない、なぜなら息子は子供のころから「わし、わし」って言うからーー。
 (なお、私の弟もしばしば「わし」と称する)
 そういえば、「わしわし詐欺」ってないな。単に、「わし」なんて言う年寄りが現実にはそういないからなのか、それとも、老いた親が泣きついてきてもそれでおろおろして金を出してしまう子(大人)がいないと見ているのか?

 小学校時代の雑誌の国語の教材に、助詞の説明をしている文脈で、ちょんまげに着物でまさかりかついだ若者が「ぼく、きこり。毎日山行って、木切るのが仕事」および「ぼくはきこりです。毎日山へ行って木を切るのが仕事です」と言っていた。
 『風雲児たち』によると、「僕」という一人称は、幕末に教養人が使い始めた言葉だそうだ。佐久間象山や高杉晋作の例がある。では、そういう時代考証からいって、マゲ姿で「ぼく木こり」はありえない。
 「ぼく、」というとどうしてもそのあと「ドラえもーん」とつながってしまう。
 そういえば、かつてアニメの『パタリロ!』が途中で放映曜日が変更されるのと一緒にタイトルが『ぼくパタリロ!』になったので、「ドラえもんかい!」とツッコミを浴びていたものだ。そのあとでまた曜日が変わることになったとき、今度は『さすらいのパタリロ』になるらしいとウワサが流れ、これはデマだった。

 「ぼく」でもう一つ。
 三好徹『六月は真紅の薔薇 小説沖田総司』で、沖田の一人称語りが「僕」だった。あとがきで、「僕」はありえないとの意見があったけど、高杉晋作が手紙で使ってる例があるのでおかしくはない、と説明していた。
 まぁ、ありえないとまではいえないけど、あまりありそうではないなぁと私は思う。
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猛犬にっこり

2009-07-22 15:27:07 | マンガ
 ちくま書房の冊子「ちくま」に、歌人の穂村弘氏のエッセイ『絶叫委員会』が載っている。そこに、近所で見たヘンなものとして、「猛犬にっこり」があった。ある家の門にそう書いてあり、よく見ると、「猛犬に注意」だったものが「注意」の字が薄くなり、イタズラでその上に「っこり」と書かれてしまったものと筆者は推測していた。それで私は『動物のお医者さん』を連想した。ハムテルのところのチョビと、学友(なんて言うと高級そうだ)清原の犬・平九郎(ヘイ苦労と変換された)が、試供品のドッグフードをもらって「ウマイ」と微笑む場面。「なにを食べさせてもウマイという モニターとしてはイマイチの二頭であった」(かわいいな)。それに、大学卒業後に東京の下宿に移った清原が、下宿の年寄り夫婦を説得して「防犯のために猛犬を飼ってもいい」という許しを得たと言うが、ハムテルたちは、ぼ~っとした平九郎を「猛犬」扱いすることに対して「サギだ!犯罪だ!」と言うのだった。
 だから、「猛犬にっこり」に、上記「ウマイ」の場面はぴったりなのだ。

 ところで、読売新聞に「本のソムリエ」というコーナーがある。数年前、「失恋した私にお勧めのマンガを」という注文があった。それに対して回答者は、恋愛なんかしなくても生きていけると思えるマンガと、また恋をしたくなるマンガとを挙げていて、前者の例が『動物のお医者さん』だった(後者は西村しのぶだった)。その記事の切り抜きを久々に目にしたら、そのときの回答者は穂村弘さんだった。ということは、あの「猛犬にっこり」に対してこのひとも平九郎を思い出していたかもしれないな。そう思うと親しみがわく。
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7月20日の連想

2009-07-20 15:39:03 | 歴史
 「海の日」?なんだそれは? 
 この日で連想するのは1944年の、高級将校たちによるヒトラー暗殺未遂事件である。最近映画にもなった(見てはいないが)。それとは別にドイツ映画にもなっているはずだ。どうせならドイツ語のきこえてくる作品を見たいものだけど、ドイツ語圏の話でありながらドイツ作品のほうがマイナーだという例はありがちだなぁ、ルートヴィヒとかトラップ一家とか。これらについてはまえにも書いた。

 歴史上の重要な暗殺事件は数多いし、冷静に見ればそれほど「重要」といえなくとも注目される件も多い。私の頭に浮かぶところでは、本能寺、龍馬、蘇我入鹿、吉良邸、田沼意次の息子、2.26、5.15、その他。よその話ではなんといってもBC44.3.15だろうし。
 ところで、『恐怖と愛の映画102』by中野京子(文春文庫の新刊)に『アレキサンダー』がとりあげられていて、現代視点で「侵略」を悪と見做すから遠征が情けない理由づけをされてしまっていることを批判している。「映画はかくも巧妙に歴史を歪曲する。油断も隙もありません」  映画だけではないけれど。でも最も効果(だから罪も)が大きいのも確かに映画だろう。
 この流れで思った、アレクサンドロスの父フィリッポスの突然の暗殺、あれがなければアレクサンドロスが若くして歴史の表舞台にひき出されることはなかったはずで、もしかすると父子の争いなんてゴタゴタがいつか生じていたかもしれず、そうなると、家庭争議にひきずられてしまって気の早い東方遠征に出かけていくという展開にはならなかった・・・かもしれない。フィリッポスの死はかなり、「歴史を変えた」度合いが高いのではないだろうか。 
 青池保子が、いまはチェーザレよりもその父アレッサンドロのほうに惹かれる、と書いていたことがあるけど、アレクサンドロスに関しても、父上の重要性は捨てたものではないだろう。--少女マンガでヒーローにはなるまいが。
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ザワークラウト好き

2009-07-19 06:57:40 | ドイツ
 先日、ライプチヒの友人から小包が届いた。少女マンガ独訳(知ってるのがまるでない・・・)、ジャム、レバーペーストなど。レバーペーストは、日本でも売ってるだろうけどわざわざ買いまではしない。たまにこうして使う機会があると楽しい。
 今回いちばん嬉しいのはザワークラウトだ。発酵キャベツ、ドイツ料理の代表的つけあわせ。ウマイのかと尋ねられて太鼓判おすのは気がひけるけど私は好きだ(つけものキライなんだけどね)。マッシュポテトや肉ものと組み合わせるのがやはり良かろう。彩りの点ではなはだ地味だけど。

 『ドイツ料理万歳!』by川口マーン恵美(平凡社新書の新刊)を買った。ざっと目を通したところ、ザワークラウトの記述は少ない。
 まえがきに、
「今でもドイツ人というのは、「食」に対する情熱のかなり欠如した人々のようだ」 「ドイツ人の台所は、インテリアブックのグラビアのように整然と美しいが、そこで熱心に調理がなされているわけではないのだ」
 あははは。
 私自身はドイツ人の一般家庭に招かれたことはないのだが、「ピカピカにみがきあげた台所を自慢するけど、そこから出てくる料理はたいして美味くない」とは実体験としてきいたことがある。
 『ヘタリア』の「ドイツ」キャラソンで、「台所が汚れるくらいなら別に料理をしなきゃいい」と言ってるのはたぶんあたっている。
 ・・・やっぱりね、グルメ度は日本のほうがだいぶ上だと思うね。いや、オシャレでグルメなゲルマン人なんてイヤだという勝手な感傷もあるし、上記のような偏見(?)に決して悪意は含まれていないけど。
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「美剣士」のウソ

2009-07-16 05:47:55 | 新選組
『なぜ偉人たちは教科書から消えたのか [肖像画]が語る通説破りの日本史』by河合敦

 数年前に出ていた単行本が「光文社知恵の森文庫」から出たので買った。タイトルの「消えた」は、出てこなくなったという意味ではなく、かつて頼朝、尊氏などだとされていた絵が実は信憑性がゆらいできて載らなくなってきているということ。ほかにも、一般イメージとだいぶ違っている人とか、評価が変わってきている人とか。
 いま話題にするのは「沖田総司」。もちろんこれは「偉人」の枠ではなく、教科書にも載っているわけではない。「美剣士」は虚構であること、池田屋喀血は今日の研究では否定されていることがメイン。これらについては、私がいまさら言うこともない。
 ただし、マンガに縁のある身としては言わせてもらおう。引用。

 もちろん、総司のイメージをつくりあげたのは何も映画やテレビドラマだけではない。むしろ今の若い総司ファンは、マンガやコミックから入っていく人のほうが多いのではないだろうか。新選組のマンガは極めて多い。あのマンガの巨匠手塚治虫や水木しげるも新選組を題材とした作品を残している。ことさら総司を美剣士として仕上げたのが、里中満智子の『浅葱色の風』(講談社)だ。その後、この路線が定着し、小島剛夕の『沖田総司』(双葉社)、和田慎二の『あさぎ色の伝説』(白泉社)、島崎譲作の『風の如く火の如く』、影山光の『新選組 沖田総司外伝 壬生の夢』(双葉社)などは、基本的に総司と女性との悲恋を中心に話が進み、最後は総司が結核で逝くという同様のコンセプトをとっている。現在、渡辺多恵子の『風光る』(小学館)が総司を準主役として描いており、若い女性に大人気である。

 引用終わり。
 
「ことさら総司を美剣士として仕上げたのが、里中満智子の『浅葱色の風』(講談社)だ。その後、この路線が定着し」--ここが問題。
 2003年に出た『土方歳三 副長「トシさん」かく描かれき』を資料として各作品の年代を見ると、里中さんのはS59。『あさぎ伝』はS54(ほんとうの第1作はもっと早い、たぶんS50)。小島剛夕『沖田総司』は載ってないけど『試衛館の鬼』がS55でたぶんそれよりあと。島崎、影山作品は私は読んでいないが平8、平14。『風光る』はH9~。
 確か昭和の50年ごろに沖田ブームがあり、そこに注目するならば里中版はむしろ後続のほうだ。詳しいことは覚えていないけど、里中さんのいつものヒーロー少年顔で描かれているだけで、ことさらに「美剣士」と強調していたわけではなかった・・・と思う。(絵としてキレイに見えることと、設定上「美形」かどうかが一致するとは限らない、特に少女マンガにおいては!) 小島版も、「美剣士」の記憶はない。『あさぎ伝』、これははっきり言える、「ヒラメ顔」よばわりしていた。(ただし絵はいつものヒーロー顔である。これは『風光る』と同じ条件) 「美剣士」路線が明らかだったのは、木原としえ『天まであがれ!』だろう、これはS50。
 なお、望月三起也『俺の新選組』でも、岩崎陽子『無頼』でも、総司を設定上「美男」として扱っていない。あ、斎藤岬『ひなたの狼』でもだ。強いて思い出すなら『疾風迅雷』byもりやまつる くらいか?
 う~ん、世間で思ってるほど、沖田総司=美剣士 として描いたマンガは多くないんでないか? (クレオパトラ=美女 とした小説が案外少ないことを思い出す)
 マンガは絵がまず目にはいるから、設定で強調しなくても、絵でかっこよければそれで充分だからだ、とも言えるけど。
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夏の読書

2009-07-12 06:19:51 | 
 もうじき期末テストである。「文学」のテストの一部には、講義で扱った作品を読んで感想を書く(400字)という問題がある。手軽に入手できてとっつきやすいという点で、たぶん『若きウェルテルの悩み』や『真夏の夜の夢』を選択する学生が多いだろう。このまえ、事実上最後の講義で、「買わなきゃいけないんですか~」ときいてきた学生がおった。「・・・買うのがいやなら図書館へ行きなさい」と言っておいたが。何千円もする本を強制しているわけではないぞ、500円玉でおつりのくる本がいくらもあるだろうが。大学生が本を買うのはあたりまえだっつーに。「短編はなにがありますか」という質問もあった。(アイヒェンドルフ『大理石像』は短くて簡単に読めるけど、入手が難しい。図書館を探さなければならない。)とりあえず、モームの『雨』を指示しておいたが。短編ならば簡単だというわけでもない。感想をつづりやすいかということと、長短とも関係しない。私なら、いくつか読んでみて、感想を言葉にしやすい本を選ぶようにするだろうな。そ ん っ な に 読むことに気乗りしないか。
 感想文を書くことがイヤだというのは理解できるけどね。
 私自身、夏休みの恒例の読書感想文の宿題なんて大嫌いだったもんね。それが書かせる側に立ってるんだからな、はははは。
 
 いまの「課題図書」はどんなんだろうと検索したらこれが出た。
「夏の読書感想文 課題図書特集 」

 私の小中学生時代には、(『八月がくるたびに』とか『ガラスのうさぎ』とか)戦争反対テーマのものが必ず入っていたものだけど、いまは違っているのだろうか。ああいうの、期待される感想がわかりきってるからな、と面白くない気持ちがあるけど、それでも、必要なものだと思う。親や教師も戦争を知らない時代には、ますます、強制的にでも、「戦争の悲惨さ」を子供のうちに叩き込んでおく必要があるのではないか。
 
 ところで私は中2のときに『燃えよ剣』で入選した。対象範囲が、課題図書以外は「教科書に載っている作家」で、運良く司馬遼太郎『無名の人』が掲載されていたのだ。(その限定を無視して、当時ブームの『人間の証明』で書いてきた生徒がけっこういたらしいが)
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七夕もとうに過ぎて

2009-07-09 05:43:10 | 雑記
 小学生のときまでは七夕飾りを作っていたけど、中学ではもう期末テストの勉強の時期でしなくなったのだったな。昨日で私にとってはもう事実上春学期は終わったようなもので、来週は中テスト。10日後に期末テスト。
 蒸し蒸し、ザーザー、まさに日本の夏の序盤。蚊のうなる音もするようになったし。入浴もシャワーだけでいい気分だし、ドライヤーを使わなくても髪がかわくし。
 そのうちすぐに、暑中見舞いの季節になる。ドイツのハガキでそれらしいのはまだあったかな。文房具売場には涼しそうなハガキがいろいろ並んでいて目に楽しい。
 「四季の移りの香り豊かな 私はこの国が好きです」--『ヘタリア』の「日本」のキャラソンより。
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