レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ただいまのツン読本

2006-05-31 19:49:34 | 
・『ホームズ』を読む気になって、新潮文庫版を新品・中古で数冊買ってある。
・三浦しをんの文庫小説2冊
・『ダ・ヴィンチ・コード』 手を出す気なかったけど、デュッセルドルフの知人がドイツ語で読んでいる最中だというので、文庫も出たことだし進呈しようと思う。せっかくだから読もう。
・『戦場のアリア』ノベライズ
・『バルトの楽園』ノベライズ
・西村佑子『魔女の薬草箱』

「読んでから見るか、見てから読むか」という言葉がある。私は基本的に、原作があるならそれから読む。その点、「ノベライズ」の場合は事情が違っているはずだ。しかし私は顔・名前を覚えることが苦手で、映画を見るときにもこれを恐れる。だからノベライズを先に読んでしまうということを往々にしてする。(『グラディエーター』『スターリングラード』『グッバイ、レーニン!』のときにした) 邪道かもしれん。もっとも、だからといって映画を見ての楽しみが損なわれるとも限らない。映画を見るよりも本を読むほうが私にとっては手軽だ。
 『バルトの楽園』は、地元の映画館でも上映予定なのでたぶん行く。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪の夜の語らい

2006-05-31 19:47:07 | Caesar und Calpurnia
第7章② 
雪の音で目を覚ましたカルプルニアとカエサルの語らい。抄訳します。


廊下の果てで二本の柱の間に見える夜の庭は、黄色味を帯びたバラ色に輝いていた。それはカルプルニアが一度も見たことのない眺めだった。そもそもその夜はいつもよりはるかに明るく見えていた。彼女は、庭を囲む柱廊にはいり、空を見上げた。雲ひとつなかった。月は珍しいほど冷たく澄んで、銀の光を下界へ恵んでいた。いまや彼女は、列柱廊に囲まれた庭全体を見渡すことができた。すべてが、庭を夜でも明るく照らしている穏やかな赤味がかった灯りに包まれていた。ふだんは闇の中で灯りが気前よく光を投げて人目をひいているのであるが、今日は、あたかも地面そのものが反射して、独特のこの世ならぬ光をもって夜に挑戦しているかのようだった。
 カルプルニアが二度目に見渡したとき、この変化がなにから来たのか気づいた。庭中が、ひざの上まで積もった厚い白い層に覆われていた。ほのかにきらめく白は目の前に横たわっていた。それは、かたまった海、柔らかな動きのない波と渦のように見えた。ベンチも藪も小像もその下に消えていた。だたそこここで小さい木と彫刻が突き出て、たっぷりした白い被り物の下でほとんど見えなくなっていた。カルプルニアは柱の間に出てかがみ、その白いものを少し手に取った。するとそれは指に押されて小さな輝く水晶の欠片に砕け、ついには溶けて、冷たい濡れた染みをして残った:雪であった。
 彼女は、雪を見たことはあった。冬にアペニン山を横断したときに何度か、遠くの山頂にかかっていた。雪片も知っていた。時折落ちてきて、重くて湿っていて、すぐに雨に変わり、ぬかるみをあとに残すものだった。(略)
 そしてもちろん氷を知っていた。北のアルプスから運ばれてきて、料理や飲み物を冷やすために倉の奥深くしまわれているものだった。しかし、これほどみごとなものは記憶になかった。この厚い柔らかな輝く白の中に飛びこんで身を沈め、それまで知らなかった白さの中に浮かんで泳いでみたいくらいだった。そのとき中庭の反対側で音がした。雪のひとかたまりが屋根からすべり、砕け、半ばは塊として、半ばは粉々になって地に落ちた、少しの残りだけが貯水池にかかっていた。
 するとカルプルニアは中庭の反対側の柱の間に彼の姿を認めた。(略)
「眠れなかったのかね?」
「きしむ音で目が覚めましたの。あなたもそのようですわね」
「私はもうそうたくさんは眠らないのだ。この歳になると、夜とあらためて親しくなる」
「あなたはいつでもどこでも眠れるとまえにきいたことがあります」
「昔のことだ」
 彼は柱にもたれ、腕を頭の後ろにやり、右足を曲げて石を持ち上げた。カルプルニアは顔を庭に向けた。
「雪は美しいこと」
「私は降るのを見たことがある。二時間以上立って、落ちてくるのを見ていた。あれは私の覚えている一番深い雪だった。たくさんの雪を顔に受けたこともある、ガリアで、アルプスで、ほかの地で」
「そんな眺めは羨ましいですわ」
「ほかにも羨ましがりそうなものを見たぞ」
「きっと、決して私が羨ましがらないものはもっとたくさんあるのでしょうね」
「たとえばガリアやゲルマニアの濃い森だ。果てしなく深い緑、君が目にしたなによりも暗いのだ」
「そんなもの、決して私は見ることはないでしょう」
「私がもどってきたら、新しい属州をまわる旅ができる。君も一緒に来るといい。私の征服地を全部見せよう、ローマの新しい民が敬意をこめて迎えてくれるだろう。(略)ガリアとゲルマニアの森はそうたやすく人間に刈取られはしない。私が戻ったら君も見られる」
「では決してないということですわね。ガリアを征服するのにほとんど10年かかりました。いまやあなたはパルティアへ進軍し、たぶんインダスまで、かつてアレクサンドロスでさえも引き返さざるをえなかったところへ。それから、パルティアを負かしたら黒海まで。終わりのない遠征ですわね」
「パルティアはローマの最後の大敵だ。彼らは我々の東方の平和の秩序を脅かす」

      ・ ・ ・ ・ ・

このあと部屋にはいった夫妻の睦みあいの場面がなんとあります!翌朝「愛の一夜のあとで」のメッセージつきで本が贈られる、しかしそれが『アンチカトー』で、その辛辣な内容に動揺するのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髪結いカエサル

2006-05-31 19:42:03 | Caesar und Calpurnia
第6章
カルプルニアの侍女のアスパシアは、何者か(クレオパトラの手下のフィロストラトス)に、主について報告させられている。特に夫婦間の様子を知りたがっている。あるとき、アスパシアがカルプルニアの髪を結っていて、いつもの簡単な型でないものをつくろうとしている、でもすぐに疲れたと言って横になってしまう。そこにカエサルが来て、自分 で妻の髪を「本職のように上手に」つくってしまう。しばらくして奥様は両手で旦那様の手を握って、その手の甲をご自分の唇に導いて、そしてもう一度頬にあてました、その間旦那様は後ろからかがんで、もう一度髪の分け 目に接吻なさいました」
「それで?」「それから鼻を分け目にそって動かして、髪の香りを かいで…」一一なんてところでアスパシアは、カーテンの向こうに人がいるのを感じます。その人物が一度だけ「そのあと彼は?」と口をはさみます。 仕上がった髪をカルプルニアはほどなくまたもとの簡単な髪にもどしてしまうのですが、「その日は無口だった」というから、やはり感じるところがあったのでしょう。髪いじりと一緒のささやかな愛撫の様子に、クレオパトラが嫉妬して出てきて(声だけ)しまったという場面なんですな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「そうじ」と「そうし」

2006-05-30 05:38:04 | 新選組
 5月30日が命日なので沖田話題を。
 「沖田総司」はなんとよむか、結論から言えば「総司」は「そうじ」とされる。ではなぜしばしば「そうし」にされているのかは、結束信二さんの創作による。
 名作『新選組血風録』が作られる際、沖田役の島田順司さんが自己紹介で「僕の名前は「じゅんし」です、よく「じゅんじ」と言われるけど「じゅんし」ですから」と念を押した。脚本家の結束さんは「じゅんしのほうが響きが濁らなくていい」と思った。そこで、「沖田の名前も「そうし」のほうが純粋な感じがする」と思い、結束作品では「そうし」となり、それが世間に浸透した。そういう次第である。 和田慎二『あさぎ色の伝説』でもルビは「そうし」だった。
 2004年の大河便乗でたくさん出た本の中に、みなもと太郎のエッセイマンガがあり、これではなぜか、木原としえの『天まであがれ!』が原因だと書かれていた。マチガイである。木原さんははっきりと「そうじ」と書いてある。栗塚ファンであり、当然結束作品についても詳しいであろうみなもとさんともあろうお人がなぜこんなミスをしたのか不思議だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クレオパトラの宴

2006-05-30 05:33:49 | Caesar und Calpurnia
第3章

ローマとエジプト宮廷の重要人物たちが招かれています。だいたいがフルヴィア視点です。サンダルに小石がはいって気持ち患いけど、紐を編むのに手間がかかっていて、やり直してると遅劾してしまうので仕方なくそのまま出てきた。会場までの間が迷路につくってあり、苦労して到達する。いちばん肝心の客であるカエサルがまだ来ていない。ヒルティウスは、迷路の中で発作おこしてるのじゃないかと心配する。その発作をカエサルは人前で起こしたことはないけど、フルヴィァはいちど見てみたいと思っている。この病気を神々の恵みの印だと噂する人々もいるが、彼女は馬鹿げていると思う。キケロが「客たち全体は三つに分かれている、~」と、「ガリア戦記」の冒頭を茶化したことを言い出したのでヒルティウスがむっとする、しかし怒りを表すまえに''独裁官の声が上から響いた:『私がどこまで諸君の忍耐カを濫用するのかと問うのか、キケロよ?さあ、答はここだ』 皆が驚いて木の上を見上げている聞、カエサルはよく繁った木から下りてきた。客たちは笑い、拍手した、カエサルの登場が完壁だっただけではなく、彼がキケロのカティリー ナ事件での言葉をみごとに茶化したからである。" 一座の話題が『名声』というテーマになったとき、キケロが、敗北者のそれが勝利者をかき消すこともある、と言い出して、暗にカトーのことをほのめかすので、ポルキアは刺激される。パトラは「でも勝利のほうが私には好ましいですわ。敗北の中の偉大さは誰の役に毛たちません、でも勝利者には、良きことをなす可能性が残されています、例えば、敵に慈悲をかけるとか、たとえ彼らが愚かで犯罪的であっても。他者に慈悲深くあるほうが、己に厳しくあるよりいいことです、それは誰の役にもたちませんもの。他者の役にたつ者だけが、真の名声に値するのです」と語る。話の間、カエサルは『カトー』への反論を書くことを考える。 カルプルニアが発言する、「そのとおりですわ、女王。大切なのは、人々の役にたつことだけです。でも私たちはそもそも名声が必要でしょうか?役に立つことをなす」とで充分ではないでしょうか?その価値はすぐに証明されて、未来の世代で証明されるまで待つ必要もありません。善の効果は数世紀も評判が続くかどうかに関わらずに発揮されます。そして名声は、己以外に役にたたない人々までもたぴたぴ手にいれてしまいます」''カエサルは、賢い教師が、熱心な、しかしいささか未熟な生徒に対してのように妻に答えた:「ほかの国の同性よりも、自ら名声を得る機会の乏しいローマの婦人にとっての特権とは」、ここでカエサルはクレオパトラにお辞儀した、「人々の幸福のみを求めて己の不滅を求めないという無私の美徳だ。君は我々を恐縮させるな、カルプルニア」「どうして女の美徳はいつも無私でなければいけませんの?いずれにせよ、私は自分にそれを求める気はありません。でも私たちがいつも名声ばかりを見るならぱ、あまりにもたやすく、そのための犠牲を見過ごして、誰もそれを語ろうとはしません。もし 名声が重荷のように分け与えられているなら
ば、私ももう少しなじむことができるでしょう。でも名声はごくわずかな人にしか関わらず、そしてそのために多くの人が血を流さなければならないのです…」これの前の場面で、クレオパトラがピンダロスの詩を引用したときに、カルプルニアがそれをそっと訂正するひとこまがあります。つまり、クレオパトラに劣らぬ文学通で、無欲で慎ましく、かつ自我も備えている聡明な婦人であることを、これらの場面が存分に伝えているというわけです。この章のラストは、帰りの小船の中で、やっとサンダルを脱いで小石から解放されたフルヴィア、隣でアントが高いぴき、大の字になってるので妻は窮屈、という場面です。実にバカです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書家のカルプルニア

2006-05-29 07:28:57 | Caesar und Calpurnia
ところどころの場面を紹介していきます。

第2章②
カルプルニアが読書してます。(「本に囲まれて過ごすのが一番楽しい」カルプルニア様、好感度大!) そこへカエサルがスペインへ発つまえに別れを告げに来る。「女王にはもう挨拶なさいましたの?」「ああ」 ”カエサルは咳払いした。カルプルニアがエジプト女王との関係に触れるといつも、独裁官は、まるで苦しいような、ほとんど妻に負い目があるかのように見える。たいていは、小さな咳払いをしたり、目をふせたり、あるいは天井にちらと目をやったり。しかし今回は違っていた。彼は当惑したままだった。「行くまえに話がある」「女王に関係したことですの?」「そうだ」 「離婚」という言葉が浮かぶカルプルニア。しかし話はカエサリオン認知の件。「君が気を悪くしたならすまないが」「そうかもしれません。でも、だからといって貴方が決心を変えはなさらないでしょう」「ああ。しかし心配することはない、これは特に影響はないだろう。クレオパトラの心証を良くするだけのことだーーのちには息子も、理解できるだけ大きくなったらな。しかしそれ以外は形式上のことだ。政治的にも法的にも意味はない。オクタヴィウスだけが私の跡継ぎであることにかわりはない」「私は気を悪くしてはいませんわ」「そして彼女はためらった。カエサルの跡継ぎがカエサリオンかオクタヴィウスかでそもそも違いがあるだろうか?しかし彼女は続けた:「その反対です:貴方が子供に対する責任を果たすのは正当なことだと思いますーー母親に対しても」「わかってくれて感謝する」「それにはおよびません。私は女王に嫉妬してはおりません」「君の寛大さには感心する。嫉妬することを知らないのか」「そうは申しません。私は、女王に嫉妬していないと言ったのです」「私たちに子供がないことを残念に思うかね?」「カルプルニアは、両手を、握りしめてしまわないように腿の上に平手で置いた。どうしてこんなことをきくのだろう?しかし冷静に答えた:「ええ」「私の子が欲しかったか?」「子供が欲しかったわ」「父親が私であることは重要でなかったのかね?」「重要です。私は貴方の子が欲しかった。私は貴方と結婚した。それでほかの誰と子供を持ちますの?」「いまでも子供がいれば嬉しいかね?」「ええ」、とカルプルニアはため息をついた、「でもしょせん無駄な問いです。私が身篭ることはありそうにないでしょう」「確かに。結婚以来そうならなかった、ではもうそういう幸運はないだろう。私たちはもう長い間・・・」カルプルニアはゆっくりうなずいて腕を胸の前で組んだ:「「私たち」と言ってくれて感謝します。「こういうことではたいてい非難は妻の側に来ます、特に、夫側で既に子供を得ていた場合には」「私は真剣に言っているのだが・・・」「わかっています、だからこそ嬉しいのです」「医者はわかっている、こういうことは、言われているよりも難しいのだと。私はポンペイアとも子がなかった。ポンペイアはクロディウスと結婚するとすぐ身篭った、一度ならず。  もちろんまだ遅くはない。試してみるのは大事だ。結局君はまだ数年・・・もう長く・・・しかし・・・」 カルプルニアはそっぽを向き、首をふって黙った。カエサルは視線を机にやった”「もう貴方は安心して戦争に行けますわね。いつスペインからお帰りか誰にわかりましょう。数ヵ月後?数年後?」「今回は短いだろう」「ガリア征服を決心したとき、貴方は、プロコンスル職5回で充分だとおっしゃいました。でもさらに5年かかりました」「君は私の戦術をあまり信用していないようだな」「戦争を信じていないのです」 カエサルは、カルプルニアの読んでいた本を手にする(「君は町の図書館の人々の間で賞賛されているよ、知っていたかね?」)、内容を読んで「こんなことを書くのは一人しかいない:キケロだな」  その本は「カトー」でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また名前イメージの話

2006-05-29 07:24:33 |   ことばや名前
 まえの名前の話はドイツメインだったので「ドイツ」カテゴリーだったけどこれは雑多なので「ことば」に入れる。
 TONOさんのコミックエッセイで、ガイジンだったらどんな名前だろう、と友だちと話していて、アリスやローズマリーと言われた人は嬉しそうで、キャシーやジェシーはイヤそうで、ハンナやマーサと言われた人は激怒した、と書いてあった。「「イライザ」はもろに悪役の名前」だとも。これはよくわかる。Elizaでも、「エリザ」ならばぜんぜん別の名前のように見える。ハンナやマーサはなんだかばあやのようだと私は感じる。ハンナ、ヨハンナだと地味だ、ジャンヌ、ジョアンナとくるとだいぶ違う。「マーサ」も、「マルタ」とよめば連想が別で、新約聖書のマルタとマリア姉妹。そういえば『マーサの幸せレシピ』というドイツ映画があった。生真面目すぎて敬遠されるシェフのマーサが、姪との暮らしやイタリア男の同僚(もろにイタリアン顔~!)との付き合いで心のゆとりをえていく展開。マジメなわりに報われていない点が聖書のキャラと重なっていたのだろうか。ドイツ語作品なのになんで「マルタ」でなく「マーサ」なんだよ、と不満だ。
 キャサリンといえば、『嵐が丘』、『武器よさらば』。某朝のドラマで、なんてことのないジジババが、後者の小説から名をとって互いを「キャサリン」「フレッド」と呼び合うことが喜劇的に描かれていた。ステキな男女にしか似合わないはずの名前だという前提なのだろう。でもありふれた名前なので、まるでぱっとしないキャサリンもフレッドもたくさんいるはずなのだ。そういえば、独文のある先生が、「エリーザベトという名前はまず『みずうみ』だと思っていたので、下宿のばあさんがエリーザベトだったことにちょっとショックだった」と語っていらしたな。 日本人の名前も、外国人から見て美化イメージの浸透したものがあるのだろうか。
ローズマリーといえば、ホラーな連想がある(読んでないけど)。アリスならばまずワンダーランド。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説の全体像

2006-05-28 20:12:59 | Caesar und Calpurnia
Andrew Johnston の『Caesar und Calpurnia』は、ドイツの権威ある出版社 Fischer Verlagから出ています。英語の著者名ですが、スコットランド人の父とドイツ人の母を持ち、ベルリンで学んだドイツ語作家です。英訳が出ているかどうか不明です。かつてあるサイトに載っていた私の紹介を、編集を加えてここに再掲載します。

まずは、小説の全体像から。もちろんこれらは正確とは言いかねる訳です、わからなけれぱとぱしたりごまかしたりしていますのでお含みおきください。

序 オウィディウスの前書き
流刑地で、かつてアウグストゥスに、カルプルニアのことを書いてほしいと言われていたことを思い出してそれを実行するという前書き。
第1章
①”カルプルニアはいつも早く起きた、起こされることはなかった。これは実家で覚えたことで、いまなおそうしていた。これを夫は気にいっていた。彼がそう言ったことはなかったが。そしてそう言ったとしても彼女にとってさほど重要でもなかった。彼は妻にあらゆる自由を認めており、けして非難しなかった、しかしほめることもめったになかった。じきに15年になる結婚生活の中でカルプルニアは、それを無関心とは見做さないことを学んでいた、いずれにせよ夫婦間の普通の無関心ではなかった;明らかに、彼はどうでもよさそうな個々のことにまでよく気がついており、それらを、カルプルニアがかつて「大きなモザイク」と呼んだものの中へと組み入れていた、かつて、彼女がまだ夫のことを常に考えていた結婚当初。彼の思考は大きなモザイクだった。様々な石が、ほかのたくさんの石と共に一つの巨大な関連の中に並んでいる。しかし、個々の石しか見えていない限りその関連はわからない。カルプルニアは、結婚して以来、自分が、稲妻のはしるときだけ光のさす豪華な暗い広間にいるような気持ちになっていた。稲妻がさせば一瞬モザイクの床の一片が見える、しかし無数の石が何を描いているのかまではわからないのだ。すべての人々が彼女の夫がなにを考えなにを計画しているのか、冗談を言っているのか本気なのか、決してわからないと驚くとき、カルプルニアはただ同意するしかできなかった。” 
このようなイントロのあと、クレオパトラがローマに来るという知らせがカルプルニアのもとへ。フルヴィア、ヒルティウス、カエサルの順番でやってくる。「今日にも着くでしょう」とヒルが言ってるところへ「彼はもう来ている」と本人の声。三人称で言ってるのは『ガリア戦記』をふまえているのですな。
②パトラ、悪天候のため予定よりも苦労して上陸。カエサルの訪問。離婚を迫るパトラに「私はかつてスッラに刃をつきつけられて離婚を迫られた時に拒否した。いま違うことをすると思うかね?」ときっぱり却下。
第2章
①カエサルとカルプルニアの会話、(後述)
②ムンダ
③キケロとブルートゥスの会話
第3章パトラの館での宴童要な場面で長めの章、後述
第4章
①パトラとおかかえ哲学者フィロストラトスの会話。カエサリオンの認知だけでは不満なパトラ。彼女に対する何者かの襲撃事件。パトラも陰謀を考える、カエサルと元老院との間を決定的に裂いて、自分のほうへと結びつけようという。
②ブルと母セルウィーリアの会話。自分の父がカエサルなのか問い詰めるブルに、否定する母。
③カル、幼少時の夢。カエサルの発作を目撃。
第5章
①カエサルとヒルティウスの会話。パトラに対する襲撃の一件、しかし彼女はそれをカエサルにも報せていない。
②フルヴィアはドラベラとの密会現場に赴くが、そこにはフィロストラトスがいる。襲撃の犯人かと疑っていたけど疑いは晴れたと言う。
③キケロをカエサルが突然訪問。入浴しながら会話。キケロの娘トゥッリアのお悔やみに来たと言う。キケロ「何年もの間、娘は一番の友だった」「よくわかる。ユリアも成長が早かった。ポンペイウスに嫁がせたときはまだほとんど子供たったが、なにをなすべきかよくわかっていた。ポンペイウスはユリアとあって幸せだったーーユリアもまた。ユリアは私の知る最も優しく賢い人間だった」「トゥッリアは結婚で幸せではなかった。結婚について私はいい手本ではなかったが」なんて話をしていて、そしてキケロが若い妻と離婚しようとしている話になる。「あなたのほうが若い女たちとはうまくやっているようだ」「私の妻は確かに私よりだいぶ若いが、しかしもう全く若いとは・・・」「私が言っているのはもちろん女王のことだ・・・」
 このあとキケロの話はカエサルへの嫌味になっていく、いつのまにかカエサルは眠っているように見える。そしてカエサルは、新しい著作を進呈して帰る。
それが『アンチカトー』。(思いっきり意訳)「あのヤロー、これを渡しに来たのか!お悔やみと思ったのがバカだった!」
 ”トゥッリアを思い出さずにはられなかった。いつも父の「子供じみたかんしゃく」を笑っていた。彼はため息をついた。カエサルを理解するのは不可能だ。''

第6章
①アントニウスをパトラが訪問、先日の事件を語り、カエサル暗殺をほのめかす(?)。
②カルブルニアの侍女のアスパシアは、案はフィロストラトスに抱きこまれていて、夫妻の様子を報告させられている。後述。
③おばを訪問したカルプルニアと、近所にいるポルキアとの会話。
第7章
①アントニウスとヒルティウス、パトラの件で話す。
②雪の音に目が覚めたカルプルニア、カエサルとの語らい。(後述)
③アントニウスを篭絡しているパトラ。カエサルに、抵抗できないような贈リ物をして、反対派を煽る事態を招く提案。
④カルプルニアとオクタの会話。後述。
第8章
①ブルの秘書アンティパーター(父はニコメデス王の侍医だったが宮廷の陰謀で処刑された過去を持つギリシア人)にフィロが接触、陰謀に巻きこもうとする。
②アスパシアの報告。気分のすぐれないカルプルニアに、カエサルは珍しいガリアのケーブを持ってくるがカルの気は晴れない。
③剣闘士養成所にブルが来て、短刀の使い方を習う。出入りしているアントと稽古
(?)。
④ルペルカリアの祭。カエサルに王冠を授けるパフォーマンスの事件。(これで、7③でのパトラの提案した「贈り物」が王冠であったことがわかります)
第9章
①カルとおぱの会話、変わってた婚礼の目の思い出。
②ブルに暗殺を催促する匿名の手紙
③ブルと母の会話
④カルプルニアにポルキアが、暗殺の陰謀を知らせる。しかし報せても無駄だと彼女自身思っている、たとえ失敗しても、独裁に抵抗する証だけでも充分だと語る。「私は夫のそばで死ぬ覚悟はできている。彼が祖国のために命を捧げるならぱ、私は引き返さない。言いなさい、あなたが聞いたことを、あなたの手も気高い人々の血がしみつくように。あなたのご主人に告げなさい、終わりが近づいていると」ポルキアはそれまで父カトーを賞賛する気はないと言っていたけれど、「いまこそあなたがカトーの娘になったのが見えるわ」とカルプルニアは言う。
⑤フィロはアンティパーターを待っているが、見知らぬ男たちに消される。
第10章
①C&C,『アンチカトー』をめぐっての会話。新しい本を書いて、『アンチカトー』でのことを謝罪してほしいと庸うが拒絶。「私のカトーについての本は君には関わりない。私たちとは関わりない。問題なのは政治であり、私の名誉だ…」
②パトラ、アントに暗殺決行時の行動を指示
③キケロと暗殺者たちの会話
第11章
①ヒルティウスは不眠症、アンティパーターが陰謀を密告。
②カエサル、パトラを訪聞。カエサルば既に暗殺の陰謀を知っている。行かないようにパトラは警告する。
第12章(①②③後述)
①C&C
②パトラがカルプルニアを訪問、カエサルを議場に行かせないように告げる。
③暗殺決行の日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「女」を嫌がる女心

2006-05-26 06:47:24 | マンガ
 かわみなみ『ダイヤモンド・ガイ』は、男っぽい題材が多く収録されているが、『はあどぼいるどカフェ』のみは女の子がメイン。
 親の経済的事情で、継続私立高への進学を断念して近くの女子高に入った由貴(ゆうき)、女子高にそまりたくなくて、群れることを拒否していたけど、学園祭の仕事で自分の失敗をクラスの団結で乗り越えたことから心を開くという話。
 最初の場面で「女子高は男の来るところじゃない」とあるので、「女装してるのか?」と思うかもしれない。「心は男だ」で、「性同一障害?」。しかしそういうわけでもない。
 女子高のノリや、「女臭さ」、少女趣味を嫌がるという女ごころは確かに存在するので、それは別にヘンじゃない。しかしこの話の場合、由貴の事情との結びつきにどうも不自然さを感じる。自立したい、強くなりたい、それはわかるけど、「男になったつもりでがんばるから」? 父の友人が借金を押し付けて逃げ、そのせいで親が困ったことと、性別とは関係ないはずで、弱い女・強い男の見本が近くにいるわけでもない。
 かわみさんの、やはり女子高もの『鈴がなるまで』にも、「男らしさ」嗜好の女の子が出てきたが、それには不自然さは感じなかった。また、同じころ(?)のララに、名前も忘れた誰かの投稿作にも、横暴な父にグチグチした母ゆえに、男と同じに強くなろうと力む主人公が出てきた。・・・強い女になればいいんじゃないのか?男の横暴さを憎むほうがスジじゃないのか?という抵抗は感じたが、「女」を嫌がる理由としてすこーしは理解できる設定だ。また、(これは現在連載中の作品)戸川視友『海の綺士団』のアシェルの場合の自称「心は男」は、私の推測だが、彼女はとにかく「騎士」になることが至上の目的で、その騎士団が男しかはいれないものなので「男」であろろうとしているのだろう。時代ものなのでこういうのはへんではない。『神の槍』イントロのマチルドの「女なんてつまんない」も。
 由貴の場合、経済的事情という動機を出したことはかえって不自然になってしまっていると思う。特に理由もない女性性忌避の心理としたほうがわかりやすかったのではないだろうか。本誌で読んだときにどう思ったか覚えていないが、再読して上記のような疑問を持った。強くなること=男になることではないはずだ。

 女が自分が女であることを嫌がる気持ちや、そのこととの和解というテーマは少女マンガでは時折見られる。こういうの、男ものマンガではどうなんだろうか。いい家の息子が、跡継ぎになんかなりたくない!と反発するという状況はありそうだが、「男」であることがイヤだというのはかなり特殊な扱いになってしまいそうだ。さもなくばオカマのコメディー。

 かわみさんの女の子ものでは『乙女心をゆさぶって』がいちばん面白かった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説『十月の馬』 2

2006-05-26 06:35:06 | Colleen McCullough
 ここでのオクタは女性関係には潔癖で理想が高いというように描いてあります。
 市民のまえで演説するまえの場面で、ルキウス・アントニウスが「三本目の脚」がどーこーとワイセツなことを言うのに対して、「知りません、私はunberuehrtですから」とそっけなく答えるので、ルキアントがぎょぎょっとします。この形容詞は、「触れられていない」「純潔の、処女の」です。(原書ではvirginだそうです) 「それは、三本目の脚を試したいということなのか?ならば喜んでいいところを教えてやるが」「結構です。私は好みがうるさいと言いたかったのです」   あとで義理の姉フルヴィアと話したとき、「どうして彼はそんなことを言ったのかしら。たいていの若者は、そんなこと知られるよりはだほうがましでしょうに」「男色の気がないと言いたかったのだろう。あれだけ美しいなら、どんな男もそう思うだろうから」 ここで、「思う」内容があいまひとつ具体的でありません。
 オクタがヴァティア・イサルウリクス に、娘が成長したら結婚できるだろうかと持ちかけてます。「それまでにはまだ数年ある、その間に状況は変わるだろう」 「ではセルヴィーリア・ヴァティアと結婚するつもりはないのですか」「僕は、愛に捕らえられるまで誰とも結婚する気はない、マエケナス」--というやりとりがあります。ところで、このヴァティアの妻がセルウィーリアの長女だと書いてあるので、ということは、やはりここで出てきている娘とはあのセルウィーリアの孫なのでしょうか。史実ではもっと早い時期に婚約してるんですよね。 彼女は暗殺犯とも身内なので、解消が当然の成り行きだろうと思っていたのですが、この小説でこういう展開が出てくるということは、身内でも一枚岩ではないということなのでしょうか。
 三頭政治の粛正なのでかなり重苦しい章の終わりごろで、最初の妻クラウディアが出ていますが、史実と違って18歳の設定なので、事実上の婚姻は不可能ではない。クラウディアはきれいで、オクタの好みでないこともないのですが(「初めて会ったときは、愛せるかもしれないと思った」)、フルヴィアのキケロに対するあまりに残忍な仕打ちに嫌悪を感じて、その血をひく子などつくりたくなくて、同じ屋敷の中で離れて暮らしてます。クラウディアは、家に戻りたいと母に訴えるけどとりあってくれない。「若さとはたくましいものだ」、クラウディアは、自分のまわりにつけられたゲルマン女のごつい奴隷たちと友好を結び、夫にほっとかれながらもそれなりに楽しく暮らすようになります。
 その間オクタは独り寝していたのではなくて、マエケナスが「そろそろ頃合だと思って」よこした女を気に入って愛人にしてます。キリキア人の美しく気立てのよい女奴隷サッポー、20歳、3歳の男児あり。「サッポーがいなければ、三頭政治の初期はかなり淋しいものになっていただろう」
(なお、マッシー版でもマエケナスはオクタに女の世話をしています。こちらでは、アントニウスとの対立の初期、カエサルの愛人説やヒルティウスへの身売り説の噂をまかれるので、男色説を打ち消すためということで。)
 あとでスクリボニアが出てくるならばこのサッポーはひまを出さざるをえませんね。出番はここだけですがその後がちょっと気になる存在です。こちらでも庶子ができていたりして・・・(きれいな子だろうな)
 たくましく男らしいアグリッパに対してオクタがアコガレ眼を向けていることにカエサルが危惧して、男色の噂は不利だから距離をおくようにと忠告します。 「早く結婚して、誠実な夫という評判をとることだ。退屈な男と思う者もいるだろうがそれは役に立つ。一番悪いのは、冒険心がないとか、妻に仕切られてるとか思われることだ。家庭の平和を共にできる妻を求めなさい。そして、妻が家の女主人だと思わせること」 ここで簡単に「冒険心」とした語はAbenteuerlust で、Abenteuerは「アドベンチャー」「アバンチュール」です。情事の意味も多分に含みます。外での遊びはしても 妻との和平は重んじなさいということ?カエサルが言うと説得力があるようなないような。
 これらの場面を頭におくと、この先のリウィアとの経緯が描かれるならばどうなるのでしょうね。リウィアの前夫は無能な役でちらっと出てます、もし、カエサルへの悪感情を、その後継者に対してもひきずるとすると、三角関係がもつれそうです。
 ところで『十月の馬』では実際カエサルは、カルプルニアに対して横着してるのではなさそうです。マティウスへの手紙で「理想的な妻」と言ってるし、カルプルニアは「(女王が来てからでも)私への態度は変わってない」ということだし。 この小説ではパトラはぜんぜん美人じゃないので、(比べてるわけじゃないけど)カルプルニアのほうがずっときれいなくらいです。オクタは言うにおよばず。ここでも、オクタヴィア&オクタヴィアヌスはそっくりの美貌設定です。

 マクロウは、塩野さんとは違ったキャラながらカエサルへの思いいれはかなり強いと見えます。作中でのモテまくりぶりもたぶんその反映。セルウィーリア、カルプルニア、クレオパトラ、オクタヴィアヌス、とファンクラブメンバーは多数。イトコのルキウス(バカなマルクス・アントニウスのおじ。アントの気丈な母ユリアの度胸で助かった人)は結構仲の良い友達として出ていて、この人が暗殺のあと遺体の引き取りに行ってます。ここでのカエサルはほかの作家に比べて喜怒哀楽が普通に表現されています。
 マクロウは、登場人物への好き嫌いがはっきりと出るタイプのようです、そして、好きな男キャラは美男に描いてしまうタチかもしれません。アグリッパもやたらハンサムということは、アグも気に入っているのでしょう。
 
 なお、マクロウのほかの作品は、トロイア戦争を扱った『トロイアの歌』と、初期の『ただ、「あなた」だけで美しい』『ソーン・バーズ』(後者2作は「コリーン・マッカラ」と表記)が邦訳で出ています。『ただ~』は、原題は単に男主人公の名前である『ティム』、子孤独な中年女性と、知恵遅れの青年の変わった恋愛。『ソーン・バーズ』は、オーストラリアの農場の娘と、だいぶ年長の神父の秘めた恋。――どちらも、男主人公の美男ぶりをこれでもかとばかりに強調してます、カエサルはあれでも控えめだったんだ・・・。

マクロウ紹介はこれで 一応 終わりにしておきます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする