レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

マンガ週刊誌といえばのつぶやき

2023-04-27 11:24:45 | マンガ
「マンガ」カテでしばらく投下していなかったので。
 
まえに書いた記憶があるけど。
 
 『ヘタリア』アニメでは、エンディングは「イタリア」が主人公になっていて、限定版のディスクの特典CDはその各国バージョンである。それらはあとからまとめたCDが出ている。EDの第1弾は『まるかいて地球』という題なのだが、そのまとめCDは『まるかいてベスト』。「ベスト」とは、最上のを選んだ時に使う言葉じゃないのか?もちろん、全部もれなく入れてくれることを望むけどさ、これで「ベスト」はおかしいだろ、「まるかいてオール」とか「まるかいて集合」とか、もっと適切なタイトルがあるだろ!?
 
 上記のことを思い出す記事がmixiに載った。主旨は、週刊誌連載は描き手に負担が大きすぎる!ということ。その前置きから引用:
 
 現在、刊行されている週刊少年漫画雑誌は「週刊少年ジャンプ」「週刊少年マガジン」「週刊少年サンデー」「週刊少年チャンピオン」の4誌である。これらを総称して“4大漫画雑誌”“4大週刊少年誌”などと呼ぶことがある。
 
 引用終わり。
 あのさ、〇大XXというのは、たくさんあるXXのうちでベストのを〇コ(嫌いな言い方だけどここでは仕方ない)選んで呼ぶものだよね? 「3大美女」はたくさんの美女たちのうちからトップの3人だし、美女が3人しかいないわけじゃないよね?
 週刊少年マンガ誌が4つしかないならば「4大」はおかしいだろ!
 
 それにしても、週刊の少女誌はかつて3つあった(%)ものが1988年に「マーガレット」が月2回になって以来、ゼロ。復活することはあるまい。
 上記の記事に書かれている、作家の負担が大きいということに対して、私の素人考えでは、連載を毎号でなくするのはどうかと思うのだけど、読者の立場からすると、特に気合をいれて読んでいるのではない連載では、間が空くと前のを忘れて、話に入っていきづらくなる。1話完結ならともかく、続いた話はなるべく一気に読みたいというのが本音である。
 まぁ、買う側にとって毎週というのは出費の面でもけっこう大きいものだけど。私自身は、中学1年のころ、1年少しくらいの間「週刊マーガレット」を買っていただけである。その後、月刊の「ララ」をかなり長く購読したし、月2回の「花とゆめ」も『動物のお医者さん』開始から6年+しばらく買っていたけど。
 
% その3つは「マーガレット」「少女コミック」「少女フレンド」。
「少女フレンド」はたいてい「フレンド」と端折るが、「少女コミック」は「少コミ」となる。思えば、「少女コミック」という誌名はけっこうヘンじゃないか?固有名詞らしくないだろ。
 
 現在購読しているのは秋田書店の月刊の「ミステリーボニータ」。亀さんの連載がきっかけ。 アンケート出して図書カードが当たった。この時はかなりギリギリに出したんだけどな。年齢も正直に書いているけどな。
 
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柴犬柄のエコバッグはどこいった?

2023-04-22 15:00:57 | 雑記
失せ物とはたいていの場合不可解なものだろう。
 
 私が自転車で近所に出かける時、背中にリュック、手回り品を入れる手提げ、その中にさらに買い物袋、というのが基本である。
 リュックは大学へ行くのとは別のもっと安い品、手提げはベルリン柄のエコバッグ、買い物袋は柴犬柄のエコバッグーーだった。
 柴犬柄の品が行方不明になってしまった。
 前々回はそれを持っていった。
 前回、ベルリン柄の袋の中にそれを入れていると思ったのに、使おうとした時にはなかった。
 思いつくところは探したが、ない。前々回のレシートを見て、あれやアレを買った、それならばエコバッグに入れる品だし、品は冷蔵庫にはいっている、忘れてきたということはない。では家にあるはずなんだが?
 買い物に使う袋・カバン類は、少しごついのも、畳める品も、布製のも、余るくらいあるので、一つ失くしたからといって困るわけではないのだが。柴犬柄がかわいいのでそれは惜しい。畳んだのを入れる小さな袋部分だけは残っていることがいまはありがたい。
 今日新しくおろした品もやはり犬柄である。
 
 (私の持っているTシャツ、トレーナーもたいていドイツか犬である)
 
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なぞの夢、しらす、中で動く図書館

2023-04-09 15:14:25 | 雑記
 うちと駅の間に国道があり、それに面してコンビニがある。もう10年以上まえに見た夢で、そのコンビニの場所に、体育館のような建物があってそこで選挙をしていた。夢には願望が現れるとよく言われるが、私は体育なんか大嫌いだし、その場所に体育館があればいいなどと思ったことはまったくない、郵便局の出店でもできたほうがずっと嬉しいだろう、なぜよりにもよって体育館? そして、選挙に情熱があるわけでもない。なぜあんな夢を見たのかまったく不可解である。
 今日は選挙で役所に行かなければいけないので、そのついでに同方向への買い物2件。選挙は朝7時からだが、店の開く時間を考慮して出かける。方向は違うがまず図書館の返却ポストへ。そのあとぐるっとまわって役所、すぐに終わって、ちょうどいい時間に電気屋へ行けた。その後ロピアへ。ゆうべの『めんつゆひとり飯』に刺激されてしらすを買って、昼はしらす丼を食べた。(出てきた料理とは違うけど)
 昼過ぎに図書館のHPを見ると、返却したぶんが処理されていた、休館中でも内部でしっかり働いている。
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休館中。

2023-04-06 13:52:40 | 
 きのうから図書館は蔵書点検のため1週間休館。4月の恒例。年末年始とは違って内部では動いているので、新着図書もはいるし、ポストに返却すれば処理される。
 「マイライブラリー」では現在借りている本・予約本の状況が確認できるのだが、予約していて次が私の番になっていた『鷗外『舞姫』徹底解読』が「回送中」である。取りに行けない状態で「取り置き済」になるのはいやだなあ。休館する前日に市外からの取り寄せ依頼した本が「回送中」になっているのは驚いた。これまでの例では、市外の本の場合、「回送中」という段階なしでいきなり「取り置き済み」になるのが常だったのに?#
 ところでその市外からの本は、そもそもは市内にあった本なのである。予約者がいなくなるのを待っていたのだが、なくなっていた。こういうことはたまにある。市内でまた購入ということもあるのだが。点検して発見されたりすれば嬉しいけど。#
 そういえば(?)『グリム兄弟とアンデルセン』と言う本、文庫版が地元図書館にあって、返却されたら借りようと思っていた、しかしいつまでも戻らない。しびれをきらして単行本のほうを借りて済ませた。ダメな借り手がいるのだろうか。
 
 ふだんよりも貸し出し期間が延びる機会には、持ち歩きに向かない全集本なんて借りるのにいい機会である。
 一般的な世界文学の古典名作集がここの館には5種類ある、中央公論、集英社、河出、筑摩その他。同じようなラインナップでもどれを選ぶか。装丁もポイントの一つ。登場人物紹介や人物相関図があるというのもけっこうありがたい。
 そういえば、清水義範が『主な登場人物』でネタにしていたけど、「主な登場人物」、ミステリー、広くはエンタメには当たりまえのようにあるけど、古典・純文学ではそうでもない、なぜなんだろうか。
 
#13日に付記。
 その本は探したら発見されたそうだ、それはよかった。
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アイスランド人の名前、洋画の邦題

2023-04-01 09:46:03 | 
 どちらかといえば「ことばや名前」かもしれないが、本カテで投下。月始めにはなにか投下しないとおちつかない。前から書いておいたものをこの際すませる。
 
アイスランドのアーナルデュル・インドリダソンの『印(サイン)』から二か所引用。
 
「何という名前でした?」「マリアは姓は言わず、名前だけ言いました、マグダレーナと」
 
「カロリーナ・フランクリンのことを少し調べてみた。家族名はフランクリンスドッティルというのだが、彼女は父親の名前のフランクリンを名字にしていた」
 
 引用終わり。
 え?アイスランド人には現代でもファミリーネームはなく、名前のあとの○○ソン、○○ドーティルは「父称」で〇〇の息子、娘の意味(ロシア人の〇〇ヴィッチ)。
 この作家も、図書館で「イ」で並べられているのがひっかかってしかたない。あまり馴染みのない文化圏の人の名前について正確に扱うことは難しいものだ。
 しかし上記の文章はなんなんだ?
 翻訳者はスウェーデン語の人で、邦訳は重訳である。これまでは疑問に思ったことはないのだが、重訳ゆえの不自然さなのだろうか。いま図書館のHPでこの作家を検索したら英訳本もあって、その表紙には「インドリダソン」のほうが大きい文字で書かれている。デンマークのミステリーでも、チョイ役のアイスランド人の女を○○ドッティルと書いていたことがある。アイスランドのミステリー『魔女遊戯』でも、ドイツから来た刑事が主人公を「フラウ・〇〇ドッティル」と呼んで彼女はそれを訂正もしなかった。姓がないことは外国で知られておらず、あきらめているということだろうか?
 
 
もう一つ、日暮雅通『シャーロック・ホームズ・バイブル』から。私がくいつく内容なのでメモしておいた。
 
ただし、題名はー-特に書籍の題名はー-いわば商品名なのだから、「正しい意味」だけにこだわると、魅力を失うことも確かである。そこは洋画の邦題を考えれば、よくわかるだろう。昨今は原題をそのままカタカナにしてしまうやり方が横行しているが、英語が日常生活に溶け込んできたとはいえ、手抜きのそしりを免れないものも多いのではないだろうか。無理に訳してもニュアンスが通じないから英語のままのほうが通じるだろう・・・・・・というのは、努力不足のような気がしてならない。
 原題名から離れても、その映画の内容や雰囲気をうまく伝えていれば、意訳と同じで許されるはずだ。昔はそういうみごとな”原題からの逸脱”があった。
 
引用終わり。清水義範が何度もネタにしていること。私もたびたび怒りを感じていること。
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