レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

帰りの車内で

2007-12-31 14:39:04 | 
 28日、玉名からの帰途の8時間近く、一人で列車に乗っている間に文庫本を2冊半読めた。
 玉名の駅のキオスクで見つけた『天正12年のクローディアス』、井沢元彦の歴史短編集。
 博多駅の書店で買ったのは、鯨統一郎『すべての美人は名探偵である』、山崎洋子『歴史を騒がせた<悪女>たち』、これらは元々、そのうち買おうと思っていた新刊。
 『天正~』には、信長が探偵役になる『修道士の首』が入っている。私は信長のファンというわけではないのだが、発想の柔軟な合理主義者は謎解き役にハマっていると思う。
 『すべての~』、美人歴史学者の早乙女静香が調査の際に巻きこまれて容疑までかかってしまった殺人事件、行方不明の古文書の謎はいかに。
 『邪馬台国は~』は既に読んでいるのだが、関連作品もこの際だから読みたくなった。 「早乙女静香」なんて名前にふさわしくない美女は、性格はむしろ、・・・漆原教授をさえ連想させると言ったらあんまりだろうか。
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美形俳優投票

2007-12-29 15:29:19 | 雑記
 お気に入り行きつけサイトの一つ「ゆめうつつ館」のユメリアさんが、「センタク・みんなの投票所」の「映画」カテゴリーで美形俳優の人気投票を設置なさいました。

「映画史上で最も美しい女優・外国編」
「映画史上で最も美しい男優・外国編」

「日本の映画史上で最も美しい俳優は?」

 私もすでに何人か推薦しました。最も、私がその俳優たちの特別ファンだというほどではないのですが、美しい!と思ったので。--「栗塚旭」さんはもちろん違いますよ、これはファンですとも。でも、日本編ではいまどきの人がほとんどですね。
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読む本の予定

2007-12-25 05:07:46 | 
 いま少しずつ読んでいるのは『近代文化史』『西行花伝』
ポプラ社のPR誌(というよりも既に小説誌といえる)『asta』の本ガイドで、歴史ミステリーの紹介が載っていて、中世英国ものであるポール・ドハティーのシリーズ、柳広司の『はじまりの島』等、歴史上の人物の絡んでくる作品郡を知ったので、それらを買いこんである。
 辻邦生の『西行花伝』がよさそうなので、それに『背教者ユリアヌス』の例もあるので、この際だからと信長を描いた『安土往還記』も買った。そういえばこの作家、ロレンツォ・ディ・メディチを扱った作品もあるというので、それはぜひ読みたいものだ。
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おじさん

2007-12-23 06:19:42 |   ことばや名前
 光文社の冊子『本が好き!』に、byひこ・田中『子どもの物語はどこへ行くのか』という連載がある。様々なジャンルの子ども向け作品を論じている。1・2回目はディズニーアニメのヒロインを痛烈に批判していて大いに気分が良かった。(考えて行動している女はなにもしない女に常に負けている、男の責任・男同士の争いは功名に回避されている云々) しばらくゲームの話題で私には関心のあるものでなかったが、今回は、テレビヒーローで少しまた知ってる分野に近づいてきた。『月光仮面』--もちろん私が元祖(#)を知るはずない、念のためーー、『七色仮面』のテーマソングで、「月光仮面のおじさんは」「ななつの顔のおじさんの」と、ヒーローを「おじさん」よばわりしていることについて、「大人がまだまだ十分、憧れの対象であった時代の匂いがします」と解釈している。そういえば、鞍馬天狗も「おいちゃん」であった。
(少佐は『魔弾の射手』で「おいちゃん」よばわりにクサっていたな。『ハレルヤ・エクスプレス』で教会で「エーベルバッハのおじさん」との呼び方には無反応だったけど)
 20年以上前に塾の先生が余談で、「初めて「おじさん」と呼ばれたときはショックだった」と言っていたが、それに悪意があったかはわからない。30年以上まえ、当時小学生の弟が、知らない高校生に遊んでもらったときに彼らをあとで「おじさん」と言っていたが、ここで明らかに悪意はなかった。
 「おじさん」に蔑視のニュアンスがなかった時代もあった、というより、ばかにする感覚のほうが新しいのだろう。「オジン」は長続きせず、「オヤジ」という語にとって代わられた。「おっさん」は健在なのだろうか。また少佐だけど、自分よりも上に見えるボーナム君に「NATOのおっさん」と言われて気を悪くしていたな。ああいうのは英訳でどうなっているのだろう。『燃えよ剣』で、裏通り先生が伝蔵を「おっさん」と呼ぶ。これはとぼけて暖かい感じだ。

 宮部みゆきの短編で、30の女が20の女に「オバン」よばわりされたことから死人の出る事件になった話がある。男の話だと少々考えにくい。

#私が小学生のときに確かリメイク版が放送されたのでそれだけ知ってる。
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フィンランド

2007-12-20 14:33:53 | 歴史
 大学で、なぜかフィンランドについての写真展があった。様々な年中行事や社会についての説明パネル。「・」はその展示から知ったこと。

 ・フィンランド語での名称「スオミ」は「湖の国」の意味だとよく言われるけどこれは誤りとされていて、「土地」の意味説、「ホモ・サピエンス」の「ホモ」と同源だという説がある。
(・・・でも、それらよりもやはり「湖の国」のほうが風情があるなぁ)
・フランスの大統領(?)が、フィンランドの料理はイギリスの次にまずいとかあるいはその逆か、とにかくそういう発言があったらしいけど、国民のカロリー摂取量は日本よりも多くてアメリカよりも少ない。
・工業生産の2割が電子。携帯電話やコンピューターの普及率は高い。
・「付加価値税率」22%、公務員・政治家の腐敗度は低い、「環境持続可能性指数」は先進国で1位
・143万の夫婦のうち正式な「婚姻」は95万
・平均寿命は日本より少し短い程度
・「父の日」は11月の第2日曜
・コーヒーの消費が世界一
・ポピュラーなお菓子は真っ黒なグミのような姿をしていて、外国人の多くは二度と食べたくないと言うシロモノ
・スウェーデン語系住民が6%(#)。『ムーミン』のトーベ・ヤンソンもその一人。

#ここで思い出すのは、90年にボッパルトのゲーテ・インスティトゥートでのこと。クラスにはいろいろな国の人がいたが、ノルウェー人とフィンランド人はてんでに、ノルウェー語とスウェーデン語で会話していた。それで通じていた。彼女ら曰く「方言みたいなもの」。

・12世紀にスウェーデン王国の一部となり、1809年にロシアの下で大公国、1917年に独立、記念日は12月6日。


 私がフィンランドといって頭に浮かぶのは「ソ・フィン戦争」。1939、11,3、ソ連がフィンランドに侵攻した。世界の目がナチスドイツの侵略に向いている隙の攻撃で、いかにもあの陰険な国のやりそうなことではないか。あんな小さな国が相手なのですぐにカタがつくと思われたが、フィンランドは果敢にねばった。
 のちにはドイツがソ連へ攻め込むのであるが、上記の戦いは、ドイツがソ連の力を過小評価する一因になった。ドイツ視点では案外罪作りなフィンランドの勇敢さだったかもしれない。
 ジャック・ヒギンズのハリー・パタースン名義の『ヴァルハラ最終指令』の主人公は武装親衛隊の戦車隊長であるが、臨時の部下としてフィンランド人傭兵のスキー部隊が、中々ヒロイックな役どころで登場していた。

 フィンランド、北欧5カ国では毛色の変わった感じがあるが、清潔で堅実なイメージがある。興味のある国の一つ。
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鉛筆キャップ

2007-12-18 20:36:26 | 雑記
 このごろ凝っているのは鉛筆キャップ。
 いま使っている鉛筆が、一部を除くと同じ種類が延々ととうぶん続く(1ダース半手付かずがある)ので飽きそうだ。だからせめて、キャップで変化をつけたいと思って、文房具屋で見ているけど、案外種類がない。それに、鉛筆やキャップは微妙に太さが違ってゆるゆるのこともある。  鉛筆じたい、なんだか種類が減ってきてないか?PCの普及で紙の必要が減退していることと関係あるのだろうか。私はやはり、堅い下敷きの上に置いた紙に、尖らせた鉛筆を走らせて磨り減っていく感覚が気持ちいい。

 ダイソーに行ってみた。ふつうの文具売場よりもかえって種類が多いのではないか? しかし、キャップはともかく、鉛筆は、長~いつきあいになる品なので、書き味の信用がないと買う気になれない。そうでなくてもとうぶん鉛筆はいらない。チビたのでもう捨てようと思ってたけど、小さい削り具を使えばまだイケると判明したぶんが1ダース以上ある。だから「補助軸」を買ってきた。それなりに楽しい。
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12月16日

2007-12-16 07:32:29 | ドイツ
 大学1年のときとっていたドイツ語会話の授業でのこと。「アドヴェントカレンダー」を見ながら先生が、重要な日について説明した。12月6日は「聖ニコラウスの日」、「16日は、ニコラウスほどではないけど大事な日」--ベートーヴェン誕生日だった。
 『エロイカより愛をこめて』の姉妹作(だな、簡単に言えば)『魔弾の射手』のクライマックスで、(特にベートーヴェンが好きだと言っていたのは)「ドイツ人である君へのお世辞だよ」というセリフがあったことを上記授業で思い出し、国民的な誇りなのか、ではリアリティがあると納得したものである。(『魔弾の射手』はC.M.ヴェーバーである、念のため。これもまた、初のドイツらしい歌劇として熱狂的に受け入れられた作品だというが、私は見たことない。『狩人の合唱』はたいへん好きだ。歌詞に「ディアナ」が入っていることも嬉しい)
 元首都のボンではベートーヴェン生家がほぼ唯一の観光名所みたいなものかもしれない。いや、博物館もけっこうあるけど。

 読売新聞についてきたカレンダーでは、17日になっている。洗礼を受けたのが17日で、だいたい洗礼は生まれた次の日にするので16日と推定されている、とどこかで読んだ。
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老婦人?

2007-12-15 05:45:33 |   ことばや名前
新聞のテレビ欄で、このまえの大河ドラマの筋説明に「不思議な老婦人おふくに、川中島は翌日濃い霧だときいた勘助は~」とあるので驚いた。「老婦人」では、たいてい上品な感じがしないか? ここで出てきたのはむしろ、『ゲゲゲの鬼太郎』にでも出てきそうなブキミなばあさんだったぞ、あの妖怪おばばに「老婦人」・・・どうしても似合わん。「老婆」が適切だ。もうちっと言葉のイメージというものを考えて選んでくれ。
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『チェーザレ』4巻

2007-12-13 05:44:45 | マンガ
元は少女誌の惣領冬実(こちらは読んだことない)が青年誌でやってる『チェーザレ』。世間でもけっこう注目されているらしく、私があらかじめチェックしてなくても本屋で目立つように置いてある。
 チェーザレが、工事現場を視察に行くついでに祭を見物していくくだりが楽しかった。芝居で十字軍兵士と女の別れを演じていて、「残虐非道なサラディン」というセリフに「サラディンは残虐非道などではないぞ!」と異議申し立てと講釈をたれてしまうあたり、・・・そういう気持ちはすごーくわかる、サラディンについてでなくても。
 ささいなイタズラで見知らぬおっさんに追いかけられて、踊り子たちの更衣室に飛び込んでしまってチカンと思われてしまうのは、--懐かしの『エロイカ』、ローマが舞台の『来た、見た、勝った!』を思い出す。少佐が伯爵の手引きでヴァチカンに侵入するはずだったのが、ミスで、ただの一般人の家、しかも女の浴室に出てきてしまい、チカンと間違われる。この女の名前が「ルクレチア」。もし、上記の『チェーザレ』の場面が『エロイカ』を意識したものだったら、ある意味先祖がえり(?)で愉快である。 そういえば、4巻でようやくルクレチア登場。可憐。

 同じチェーザレでも、氷栗優『カンタレラ』は中断したままだ。面白いかと言われて肯定することに抵抗はあるけど、一部で叩かれるほど悪いとは思えないし、絵はキレイだ。きちんと再開させてもらいたいものだ。
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『美女とは何か』

2007-12-12 05:48:45 | 
「美人論」もいろいろある。20年くらいまえに出た、井上章一『美人論』、いま朝日出版社の冊子「一冊の本」連載の小谷野敦『美人好きは罪悪か?』等々。
 数ヶ月まえに角川文庫で出た『美女とは何か 日中美人の文化史』。日本に長く住んでいる中国人の学者が著者。ここで興味深く思った点。
・「美貌が好まれていることに対し、美貌を偽造することを通して対抗するーーこれが化粧の隠された側面である。」「化粧行為は男尊女卑のヒエラルキーを容認することを装って、性差による文化支配に対する報復を実行している。」
 ・・・・・・これは新しい視点だなぁ。「媚」ではなくて「報復」とは。
・「歴史における西洋の美人像と東洋の美人像の変遷を比べると、ひとつの注目すべきことが浮かびあがってくる。西洋ではヴィーナス像、アフロディーテ像など、古代ギリシア彫刻やローマ時代の石像にあらわれた美女は現代の基準でも美しい。それに対し、東洋では理想的な美人像は大きく変わった。」
  そうだな。この本には日中の昔の美人の絵がいろいろと載っているけど、まるで『まる子』の「前田さん」「みどりちゃん」みたいな顔もある。『源氏物語絵巻』や浮世絵の顔を私は決して美形と思えない。
 しかし、体型については事情がまた違っているのだろう。西洋画で裸体はたくさん描かれているけど、現代からするとダイエットの必要ありの美女像は少なくない。一方上記の本によると、中国では概して細身が好まれたそうだ。唐代などは例外として。(楊貴妃は現代人から見て羨ましい容姿ではあるまい)
 ついでに言えば、西洋の「妖婦」の例として挙がっている名前は、アグリッピナ、メッサリーナ、バートリ、モンテスパン、ポンパドゥール。
 こういうテーマでヨーロッパの作家・学者が考察したらどうなるか。『美女の歴史』という本はあるけど、美容・化粧がメインで、私にとってあまり興味をひくものではなかった。
コメント (2)
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