レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

大晦日のライン渡河

2006-12-31 11:55:13 | ドイツ
『その時歴史が動いた』という番組は、主に日本を扱っているが、たまに外国ものもある。(広い意味で)ドイツが出てきたのは、私の知っている限りでは、ヒトラー関連が4回、『第九』誕生、第一次大戦の引き金になったサラエボ事件、シーボルト事件、えーと、ほかには? ベルリンオリンピックで日本がスウェーデン相手に勝ったことも強いていえば入るかも。
 やはりドイツものはマイナーではなかろうか。
 私が取り上げて欲しいのは、
・フランク王カール、ローマ皇帝に戴冠
・ルター、95か条のテーゼ
・ブリューヒャー元帥指揮のプロイセン軍、ライン渡河
・ビスマルクの陰謀(?)、エムス電報事件
ライン渡河には説明が要るだろう。ナポレオンへの反撃の瞬間と言える。岩波新書『ライン河』加藤雅彦 に載っていた絵、「大晦日のライン渡河 (ベルリン・ナショナルギャラリー所蔵)」。1813年の大晦日の夜中に、ライン右岸の町カウプに、ブリューヒャー元帥率いるプロイセン軍が終結、「12時を告げる教会の鐘の音が、雪に閉ざされたラインに鳴り響く中を、プロイセン軍は続々と対岸に渡っていった。ライン左岸はこうして20年ぶりにドイツに戻った」 絵では、河の中洲の有名なプファルツ城が見えている。鐘、雪、城、劇的効果満点。ぜひ、大画面で見たい絵だ。
 大晦日というこじつけで今日投下。

 Alles Gute zum neuen Jahr!
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平常心の年末

2006-12-30 13:44:31 | マンガ
 といってピンとくるのは『動物のお医者さん』ファン。ハムテルのところでは、大掃除も挨拶まわりもしないので「まったくの平常心」で、いつものようにチョビとミケが走り回っている。「お節料理くらいはつくりましょうか」「そうねえ、絹代と祥平さんが帰ってくるし」どっこいしょ。
 私は特に大掃除もしないし、さほど変わったこともしないのが常であるけど、お節の手伝いくらいはする。昨日は昆布巻き、今日はサトイモを剥いた。この時期には思う、お節って、大晦日になってどっこいしょ、と始めるようなものじゃないよねぇ。
 その点、しばわんこのところはマメなもので、お節で訪問者を迎えて「まあいいお味」と誉められる。ハムテルたち一行をこのうちに行かせてみるのは楽しい想像。
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NHK

2006-12-30 13:42:18 |   ことばや名前
 言語学の講義できいた話。
 ラジオの放送が始まったころ、NHKの番組の終わりに、「エヌ、エィチ、ケー」とアナウンスしていたら、「いつも放送のあとで「犬あっち行け」というのはなんなんだ」と投書が来たそうだ。

 「日本放送協会」の頭文字であることはたぶん日本人の常識。
しかしな。nihon hoso kyokai (ニッポンかもしれないし、伸ばす記号を出し方知らんので不正確なスペル)の頭文字をとることに疑問を感じる。日本は固有名詞だからいいとして、「放送」「協会」なんて、ただの普通名詞。
 国文学の「児童文学」の講義で出てきた佐藤紅緑の小説の引用を思い出す。街を歩いていると、Sentakuyaという看板が目にはいり、「なんという馬鹿だろう」と思う場面。つまり、(当時)大方の日本人にはローマ字など読めないし、ガイジンがローマ字を読めてもセンタクヤという日本語の意味を知るまい、両方にとって意味不明の看板だ、ということ。--まぁ当時に比べれば、ローマ字を多くの日本人がわかるし、ホウソウキョウカイまできたらあとは理解できる異人はいるだろうけど。 それにしてもやはり、固有名詞でもない日本語をそのままローマ字化して外国語もどきの略称にすることはセンスに欠けると思う。英語ならばたとえばJBC、純・日本語なら日放協、にっぽうきょうーーこれもかっこ悪いけどね。もう定着した名称を変えろなんて言うつもりはないが。
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コルネイユ『シンナ』

2006-12-30 13:38:40 | ローマ
 白水社『コルネイユ名作集』所収。(1975年の本なので、図書館を頼りましょう)

 モンテーニュの『エセー』に、アウグストゥスの晩年、キンナの陰謀に対して、リウィアの勧めに従って寛大な処置をとって感謝されたことが出てきており、それが題材になっている。「悲劇」と肩書きがついているけどハッピーエンド(文体ゆえだろうか?)。
 権力者の孤独や苦悩という点で、シラー『ドン・カルロス』のフェリペあたりを連想。

 史実を念頭におけば、もちろんツッコミどころはある。
 三頭政治初期の粛正で、オクタヴィアヌスが後見人のトラニウスを追放したことは『皇帝伝』77章に出てくるが、この娘エミリー(架空)が父の敵としてアウグトゥスを恨み続け、相愛のシンナに「暴君」暗殺を要求しているという状況なのだがーーユリアの追放も過去のことということは、エミリーの父の死からは40年くらい経っているはず。そんな年まで未婚のはずはない。しかし、シンナとエミリーは若い男女のように出てくる。・・・まぁたいした問題ではあるまい。(※)
 リウィアの「私が愛しているのはあなたのご人格、あなたのご身分ではありません」のセリフをプッシュしておきましょう。

※ それより、セリフに出てくる「メセナ」の注が、マエケナスでなくメッサラにされていることのほうが問題だ。
コメント (12)
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犬年の終わりに

2006-12-29 14:43:49 | 雑記
 カラリオのCMに好みの犬がまた出ているのをネットでは見たけど、テレビでは目撃していない。地下鉄で見た、ハスキーのような犬の出ている広告もあのあと見ない。
・ かつてNHKで、番組の間の少しの時間に動物を映していたものだが、その中で、雪の中でたわむれる小犬も定番だった。
・電車のつり革広告で、水道局の宣伝だったのだろう、皿の水を小犬たちが舐めている。「ふえてきた。ふえてゆく。ふやしたい。ふやすには。」というフレーズ。もらっていきたいポスターだった。
・上記のと違って、私の好みの犬ではないのだが、東芝の空気清浄機「大清快」のCM。台所に一家がそろっている、犬もいっしょに椅子に座っている。そこでリモコンでスイッチを入れると空気がよくなって、みんないっしょに目を閉じて口を開けてウットリ、犬も含んで。これの姉妹編では、幼稚園児たちが「お部屋のなかは、ピッカピカ」と踊っている教室に犬が座っていて、最後に子供たちがそろって首を傾けるときに犬も同じポーズをとる。さりげなく笑える場面だった。

ドラマ編、ただし内容ではないもの。
・数年前の『お義母さんといっしょ』というドラマのエンディング、話とはたぶん無関係に、柴(たぶん)の小犬が出ていた。小犬がてくてくと歩いていく、横断歩道を渡って、踏み切りも渡って、夕日のさす土手をまだまだ歩いていく。少しよろけた足どり、ぴるぴる揺れるシッポ、何度見ても顔がゆるんでしまう愛らしさ。
・『動物のお医者さん』放映当時だったろか、宮沢りえ主演の『東京エレベーターガール』のエンディングはけっこう評判だったと思う。3匹の小犬が出ていて、その大中小のうちの中サイズがチョビのこども時代のようだった。(大きい犬の寝てる顔の上を、小さい犬がふんづけていく様が笑いを誘った)
 これらのドラマの再放送があれば、このエンディングをまた録画するんだけどなー。

 来年、まさかイノシシが多用されるなんてことはなかろうと思うけど、ウリ坊くらいはあってもよさそう。
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『城下の少年』

2006-12-29 14:40:37 | 新選組
南條範夫『城下の少年』

Bookoffで見つけた本。城下というのは長州、萩。主人公は高杉晋作。早熟で生意気で傲岸不遜な晋作が、塾の同輩である久坂秀三郎、気立ての良い人気者の美少年に密かに夢中である。そういう想いに懊悩したり、上への忠誠心に疑問を抱いたり、師匠との出会いがあったり、熱血した青春物語。思わず縞りんごの絵(木原敏江)で想像したくなってしまうけど、史実の馬ヅラがジャマをする・・・。
 久坂の写真(?)は見たことある。きりっとした感じは受けたけど、美貌かどうかは記憶にない。大河ドラマ『花神』では志垣太郎だった。当時はまだ熱血タイプでかっこよかったので似合っていた。(対比の高杉は中村雅俊) 
 上記小説で、貧乏な塾仲間が、汚れた肌着を恥ずかしがっていることに気づいた晋作が、自分の古いのを見せ付けて、オレもオレもと汚さ自慢にしてしまう場面は微笑ましかった。
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DVDの予約

2006-12-27 17:15:27 | 雑記
来年発売のDVDを2種類予約した。一つは、「古代ローマ」の掲示板に情報が載っていた「EMPIRE DVD-BOX」。アマゾンに載ってた紹介は「ローマ帝国初代皇帝となったオクタビアヌスの青春と戦いの日々を描いたスペクタクルアドベンチャーのBOX。ジュリアス・シーザーから後継者の指名を受けた18歳のオクタビアヌスは、元老院のカッシウスから逃れローマを脱出、苦難の旅へ出ることとなる。」だそうだ。値段はそう高くないのでこの際だからと買うことにした。(レンタルに出ると悔しい思いをしそうだけどね) 主演者の名前がいかにもラテンなのが不安だ。くどい顔のオクタは気乗りしないぞ。・・・その場合、物語がよくできていればいいことにしよう。
 もう1つは、これはもう充分知ってる、『しばわんこの和のこころ』。

 私の好きな番組で、DVD出てほしいのは『ヨーロッパ城物語』。授業で使用する場合は、長い番組だと一部だけ見せるということが多いのでそれはビデオのほうが都合がいい。その点これらは使うならまるごとなので、部分部分で分けてあってかまわない。
 それにしても『城物語』、26本のうちあと2本で全部録画がそろうのに、ここ2,3年放映していない。「フレデリクスボー」と、あとなんだったか、見たことはあるんだけど。 『その時歴史が動いた』のコミック版があるのだから、『城』のマンガ版だって充分できるはずだ。
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カゲの薄い祝日

2006-12-25 15:21:59 | 歴史
 おととい父がカレンダーを見て、「今日はなんで休日なの」ときいた。終戦まえに学校にあがり、「御真影」を拝んだことの多少はある世代だというのに「天皇誕生日」を知らなかった。80超えた華道の先生も数年前、12月23日の休みの意味を忘れていらしたそうだ。平成も18年になっていてなおこれなのだ、15年しかなかった大正なんて、ぴんとこないうちに昭和を迎えていた国民が密かにいただろう。

 西洋史のうえで連想するのは、20世紀初頭の英国、エドワード7世。母ヴィクトリア女王が長生きしまくったのでイイ年していつまでも皇太子だった(そして遊びまくっていた)。1901年に即位して、10年には死去。即位の年に初演されて王に賞賛された『威風堂々』のエドワード・エルガーは、たぶんエドワード7世よりもはるかに有名であろうな。

 オーストリア帝国のフランツ・ヨーゼフ1世は、1848年に18才で即位してから1916年に86歳で死ぬまで皇帝の地位にあった。そのあと、甥の息子がカール1世として即位、しかし18年、帝政は終わる。どうせ戦争中なので皇帝誕生日といってもハデなことはしなかったに違いないけれど、これも国民感情としては慣れないままだったろうな。

 英国のエドワード8世なんて、1年とたたないでアメリカ人ウォリス・シンプソンとの結婚のためにやめてしまったのでこの1936年も慌しい年。これはこれで注目された事件なので、短いからといってカゲが薄いわけではない。

 「天皇誕生日」を休みにすることはいつまで重ねられるのだろう?
天皇が366人になったらどうする、とティベリウスのマネして呟きたくなる。

 ところで、古いオーストリア映画『シシィ』3部作(ロミー・シュナイダー主演)は、ドイツではクリスマスによくテレビ放映されるらしい。私がいた98年にはなるほど確かに、24,25,26日にやっていた。シシィが12月24日生まれであることは関係あるのだろうか。唐突ながら、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは12月25日生まれである。
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間の抜けた話

2006-12-25 15:16:20 | 
 地元の図書館には、たまに「リサイクル棚」が出る。図書館の除却本を置いてあることが基本だけど、寄贈されたけど要らないものが出ることもある。この棚が置かれていなくても、カウンターで申し出れば引き取ってもらえるのだか、どうもそれは煩わしい。それで、棚の出ているのを見つけると不要本を置いてくる。それで先日いくらか処分できた。
 似たような人はいたと見えて、本としては新しそうな『カンタベリー物語』の文庫があったのでもらってきた。おかしなことに、3巻本である岩波文庫の「上」と、2巻本らしいちくま文庫の「下巻」。当然、間が抜けている。訳も違う。
 ここで思い出すこと。
 新潮社の全集だったと思う、ドストエフスキーの巻に載っていたエッセイ。筆者がどうやってドストエフスキーと出会ったかという話。病気で寝ているときに、当時評判だった坂口安吾の『白痴』を読みたくて母親に買い物を頼んだら、ドストエフスキーのほうを買ってきた、しかも下巻を。しかたなくそれを読み、次に上巻を頼んだら、今度は、まえのとは違う訳者しかも巻の切り方も違うので抜けた部分のある本だったーーという話。
(私は両方とも『白痴』は読んでいない。)
 いま知ったけど、「はくち」で変換されるのは白雉だけで、「白痴」はない。サベツ用語扱いなのかね。
 『カンタベリー物語』は短編集なので、間が抜けていてもたいして困ることはあるまい。
 これに影響を与えた『デカメロン』は、3巻本の上巻だけ読んだことがある。しかし一つの話しか覚えていない。それはなぜかといえばーーこれはいずれ、「太っ腹な男」というテーマで触れよう。ここで賞賛するのはほかに『国盗り物語』の斉藤道三、罵るのは『アラビアンナイト』の王その他。
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クリスマスの詩

2006-12-24 08:17:53 | ドイツ
フライブルクで、近所のスーパーの広告などでこの詩を引用してあるのを2回見ました。

クリスマス

   ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ

市場も通りも人気がなく、
どの家も静かに輝いている。
物思いつつ私は小路をゆく、
すべてが祝いにふさわしい。

窓辺を女たちは信心こめて
とりどりの玩具で飾りつけた。
たくさんの子供たちは立って見ている、
ふしぎなほど静かに幸せに。

そして私は市壁から出て
広々とした野までさまよい歩く、
けだかい輝き、聖なるおののき!
なんと世界ははるかで静かなことか!

高みで星々は環を描く;
雪の静けさから
ふしぎなうたのように上る:
おお 恵みに満ちた時よ!
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