レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

クリスマス・キャロル ちびさんデイト テルマエ・ロマエ

2009-11-29 08:07:56 | マンガ
『クリスマス・キャロル』 坂田靖子  
 光文社から「古典新訳コミック」というレーベルができたとみえて、ハードカバーでなかなか立派な装丁だ。 いまこの時期に出るのは、明らかにディズニー映画への便乗。私が買った店では、マンガではなくて児童書の棚で、ほかの『クリスマス・キャロル』と並べてあった。
 坂田さんはまえにもこれのパロを短編で描いている(『バスカビルの魔物』ハヤカワコミック文庫 所収)ので、この人選はわかりやすい。物語の持つユーモアと暖かさによくハマっている。

『ちびさんデイト』1巻 日丸屋秀和
 『ヘタリア』の作者。
 日本人少年セージが、彼の絵を気に入った篤志家によって英国留学するがそこで壁にぶつかり、骨休めにアメリカの田舎へ。変人の日本人陶芸家の家の屋根裏に住みながら、絵で悩んだり、バイオリニスト志望の漁師少年や可愛い姉妹や謎の幼女にかまわれる日々。
 ゆったりとした世界が可愛い絵で描かれる。
 これ、私は発売日に買ったけど、3日後には行った書店5軒のうち4軒で売り切れていた。

『テルマエ・ロマエ』1巻   ヤマザキマリ   エンターブレイン
 本屋のコミックス新刊棚で発見。古代彫刻ふうのスッポンポン男が手ぬぐいを肩にひっかけ手に洗面器(木製)を持っているという、内容を存分に伝えるカバー絵。
 2世紀のローマの風呂場職人が現代日本の風呂場にタイムスリップしてさまざまなアイディアを仕入れてヒットを生み出すという、なんとも笑える話。ハドリアヌスは似てる、ぷぷぷ。
 今月最大のインパクトはこれに決まり。
コメント (8)
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『新アラビア夜話』その他

2009-11-27 06:06:16 | 
 ここ最近の新潮文庫の「おとなの時間」で買ったのは、松本清張『歪んだ複社』、芥川『シュジュの言葉・西方の人』、 『眠狂四郎無頼控(1)』、『シャネルの真実』、ドストエフスキー『虐げられた人々』  だった。
 
 ・ファッションに対して関心は希薄であるけど、シャネルには女性史の点でわりに敬意をはらっている。時代背景も波瀾万丈だし。市川ジュンの絵で似合いそうだと思うのは、「別マ」時代の『白い炎』の例があるからでもある。クルティザーヌ(高級娼婦)を母に持ち、世紀末のパリでデザイナーを目指す娘の物語。
 
 ・かつて新選組同人誌で愛読していた「群情」の山内まりこさんの本に「眠狂四郎」が断片的に描かれていたことがあったので、あのクールでかっこいい絵を頭に浮かべて読んだ。

 ・ドストエフスキーの登場人物は濃い。『虐げ~』の場合、作家の青年とその幼馴染の娘がいて、彼女の父親が上司である横暴な貴族と悶着になり、しかしその坊ちゃんと娘は恋仲になる。そのボンボンが無邪気かつ迷惑な奴で、縁談の相手とも意気投合し、それをあけすけに両方の女に報告しまくり。--読んでいて、やめろよこんな男、と思いながら最後まで読者もひきずられてしまう。主人公がなりゆきで面倒みるはめになった哀れな少女は、解説によるとディケンズ作品の影響だそうだけど、私はゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』のミニョンを連想した。しまいにはささやかなハッピーエンドに向かうことをほのめかしてあるけど、諸悪の根源である能天気ボンボンとその暴君オヤジになんのバツも下っていないことにはなにかすっきりしない。


『新アラビア夜話』スティーヴンソン
 光文社古典新訳文庫の1冊。
 19世紀ロンドン、ボヘミアのフロリゼル王子とお付きのジェラルディン大佐があやしい事件に首をつっこんでまわる洒落た冒険譚。ボヘミアというと、ホームスにも『ボヘミアの醜聞』ってあるなと思ったが、解説によると、このネーミングはシェイクスピア『冬物語』からきていて、ロンドンからほどよく距離のある異国で、物語の貴人の設定には手ごろだったのだろうとして、やはりホームズの例を挙げている。(『冬物語』では、ボヘミア王子と結婚するシシリア王女が嵐にあって「ボヘミアの海岸」に流れ着くというメチャクチャな展開)
 ところでこの話、どこかマイナーな雑誌でマンガのタネにしてなかったか? 秋乃茉莉か伊藤結花里あたりの絵のイメージで頭に残っている。
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「個人的」

2009-11-25 05:53:13 |   ことばや名前
 手元の小さい辞書で「個人的」を引くと、「個人を主とするようす。個人としてするようす。(←→社会的)」と書いてある。ま、ふつう対になるのは「公的」「社会的」だろう。
 「私的」を引くと「個人に関係があるようす。おおやけでないようす。プライベート。(←→公的)」である。
 先日読んだ翻訳小説に、孤独死した老人の葬儀について地域の管理人が、なるべく「個人的な」ものにしたいと言っていた。ドイツ語のテキストでも誕生日のプレゼントに「(花みたいな万人向けの無難なものではなくて)もっと個人的なものを贈りたい」というセリフがあった。ここでの原語はpersoenlich(ペルゼーンリヒ)、英語でのパーソナルにあたる形容詞。これらの場合、そのひとの個性が反映されているという意味合いで使っているのだろう。
 私が抵抗を感じる「個人的」もある。
 某匿名掲示板で、ジャンルによっては女だと居心地が悪いので「私は」でなく「僕」「俺」で書くことだってあるという発言に対して、「個人的には」とかでいいだろうという返答があった。そもそも私は「~的」の乱用が嫌いだ、「~」であるのかないのかあいまいでうさんくささを感じるから。「私個人は」ですむところに「的」を使うのは目さわりに思う。(上述の場合の解決策にはなっていないが) 
 「個人的」が、「立ち入った」の意味になることもある。ドイツ語会話のマナーとして、「ペルゼーンリヒなことはきいちゃいけない」というけど、これを「個人的」とストレートにとるとたいへん不自然だ。たとえば、休暇にどこへ行くかなんてことは好まれる話題とされているが、これはどう見たって「公的」「社会的」なことではあるまい。それに、なにが「立ち入ったこと」なのかは文化・習慣で違う。結婚する人たちに、日本だと、あれこれきいてあげるのが礼儀という感じだけど、ドイツ人の場合きいていい範囲がずっと狭いらしい。「どこで知り合ったか」はOK、「どこに惹かれたの?」はダメだそうだ。
 (どっちみち私はそーゆー話題キライだ)
 
 年齢をきくのがダメで誕生日はいいというのもヘンな話だ。
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クリスマスカードの用意

2009-11-22 07:10:39 | 雑記
 年賀状の一部をクリスマスカードにまわすことにしている。もっと極端な場合、暑中見舞いにすることもある、恐縮するような間柄ではないならば。
 カードを封書に入れるといろいろ高くつくので、ハガキ状になったものがよい。必ずしもクリスマスものでなくていい、冬らしく、クリスマス用として通せるならば。先日、丸善に行ってみた。さすが、手ごろな品が見つかった。シールも充分、あとは切手だな。
 郵便局よ、年賀に限らず、冬風情の切手をたくさん出してくれ~。

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クジランと藤本さんの新刊

2009-11-19 05:45:31 | 
 このごろ本屋で見た新刊で、歴史絡みであり読みたくはなった本。

 鯨統一郎『空海 七つの奇蹟』『タイムスリップ忠臣蔵』
 新書ノベルスの棚で。クジランは歴史上の人物に絡んだミステリーをよく書いていて、「タイムスリップ」シリーズはもう6冊目。現代人が過去へ行くときと、逆に先方が現代へ来る場合とある。
 手にしたところ、『忠臣蔵』は、吉良が討たれずに「生類憐みの令」が続いてしまっているという状態を変えるために奔走するという設定であるらしい。--もっとも私は、あの事件に関してはむしろ吉良サイドに同情的である。

 藤本ひとみ『アンジェリク』

 このタイトルを見たときに思ったのはーー藤本さんは『三銃士』のアレンジをやったこともあるけど、『アンジェリク』もか?版権が切れるほど昔の作品でもないはずだが?  結局、勘違いであったが。オビにはこう書いてある(アマゾンからのコピー):
 1789年7月。アルプスに近い国境、城砦司令官の娘アンジェリクは、パリの寄宿学校に通う従弟から革命の話を聞く。密かに憧れていた美貌の貴族青年との結婚が間近に迫っている時だった。その夜突然、城砦を民衆が襲う。炎の中ですべてを失ったアンジェリクは、凶悪犯として投獄されていた少年と共にパリを目指した。家も、仕事もないままに犯罪者の仲間に身を落とし、婚約者の行方を探すが…。革命の渦中を生きる人々の愛憎と成長を精緻な筆致で描き出す筆者渾身の書き下ろし傑作長編ロマン。

 なんだかいろいろとほうふつさせるなぁ。いまどきは、ゲーム『アンジェリーク』のほうが知られているだろうけど、17世紀フランス(のちにはアメリカ)を舞台にしたS&A・ゴロンによる現代フランスの大河小説『アンジェリク』(木原敏江によるマンガ、それに基づいた宝塚上演もあった)も中々ファンがいるし、そちらを思い出す読者が少なくないことは作者にも予想のつくことだと思う。私は、既成作品に似ていること・真似していることをすぐにパクリとあげつらうことには反対の立場をとっているけど、--いや~度胸あるなぁ、とつい思う。面白くてオリジナリティがあることがまずだいじだけど。
 
 これらの小説、図書館に入ったら読もう。
 
 それにしても、藤本さんの本の巻末に載ってる著作リスト、相変わらず、改題したものをそれと明記していないことには怒りを感じる。
 『ウィーンの密使』を『マリー・アントワネットの恋人』なんて俗な題にした先例があるけど、『ハプスブルクの宝剣』は来年宝塚で上演するのでこれは復刊しても変えないだろう。
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お天道様ばんざい

2009-11-15 07:04:37 | 雑記
 このところ雨が続き、今日は久々に晴れの予報なので、こころおきなく外に洗濯物を干そう。
(外でなければ風呂場)
 お天道様のもとで洗濯物や布団を乾かすという日本のこの風習を私は愛する。大切にすべき文化だと思う。
 (もっとも、景観優先で外に干さない文化ができている地域ではそれでいてほしいとも思うが。)
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「古代ローマ帝国の遺産」

2009-11-12 05:49:58 | ローマ
 ーーという展覧会を現在上野で開催中。私は諸般の事情により行けないので、せめてカタログなりとと思い、通販で購入した。申し込んでから4日で届いた。

 ユメリアさんのところのブログで話題になっていて、アウグストゥスの孫のガイウスかルキウスとされる肖像が祖父似で可愛い、と書かれていたのでそれが関心のメインだった。
 10才のガイウスとされる肖像も、なるほど同じ遺伝子を感じさせる顔である。
 そして上述の像は、これまで本で見たことはあるものだった。
 最初には、「ビジュアル古代史」の「カエサル」に、若いカエサルとして載っていたので、激しい抵抗を感じた。そして、たぶん『図説世界の歴史<3>古代ローマとキリスト教』(本村さん監修)。この本では、同じ作品、少なくともコピーとしか思えないものが2か所に掲載されているのだ、ひとつはカエサルとして、もう一つは「カノーヴァによるオクタヴィアヌス」として。(私はカノーヴァに関して図書館とPCで調べたけど、この名とオクタと並べて検索しても該当する作品なんて出てこなかったものだ)
画像を貼れないのがもどかしい。
 で、上述のカタログ43ページには、かつては偽作だとかカノーヴァによるナポレオンだとかいう説まであったと書いてある。「若きオクタヴィアヌスとする説もあったが、最近の研究では」「ガイウス・カエサル、あるいはルキウス・カエサルの肖像とされている。おそらく15歳くらいと思しき少年の顔貌は、アウグストゥスの肖像によく似ている」ーーうん、確かに。ほぉ、そういう路線になったのか。
 しかし、カエサルだとしている本には、「ローマ文明博物館所蔵」とあり、これとはまた違うものなのだろうか? 「カエサル」と名につく人は多いし、それで間違えられたということはないのだろうか。
 ガイウス・カエサルは、大人になってからは父アグリッパに似ているという像もあるらしい。
 
 読み物としても充実した図録なので、行けない人も購入の価値がある。
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手帳とカレンダー

2009-11-08 06:57:50 | 雑記
 毎年なんだか話題にしている気がする。この季節になると本屋または文具売り場に出回る。
手帳は、10年度は「しばわんこ」が出ないようだ、ここ数年は交互で09年度なかったので意外。それで文句なく『ヘタリア』のグッズを購入、11月始まりなのでもう持ち歩いている。もうひとつくらい、簡単なものをカバンに入れておきたい気もする、ダイソーに行こうかな。
 カレンダーは、例によっての「しばわんこ」、そして卓上の柴犬は今年は「山と渓谷社」の「子柴」にした。あちこちから日本犬ものは出ているし、「山~」からは変わった品も出ている。「ふくろう」--知恵の象徴だからそれなりにわかる、「ブタ」は幸運や豊穣のシンボルという意味もあるからまあわかる、しかし、「カエル」?佐々木繁子さん(佐々木倫子さんの妹)やハムテル家族ならば買うのだろうか。
 『ヘタリア』のカレンダー、4月始まりで原作絵の品が2月に出るのはまだ先だとして、10月発売予定であったアニメ絵の品は11月下旬に延びてしまった。
 カレンダーは常にさらしておくものなので、刺激が強くなくて飽きのこないものがいい。やはり犬や花や風景がいちばんだ。
 もういらないんだけど目がいってしまう日本犬の各種商品・・・。いちどくらい、花も買ってみたい気がする。(ドイツでバラのを買ったことがあるな) 安野光雅の風景画はよく使われていて私も見てみるけど、「ドイツの風景」ならば使いたい。
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ハプスブルクの遺伝子

2009-11-05 05:52:57 | 歴史
 いま開催中の「THEハプスブルク」、行きたいのはやまやまであるが、諸般の事情でその余裕がない。
 2006年の「プラド美術館」展に、行ってはいないけどカタログを買ってきてもらってある。そこにもハプスブルクの人々の姿がいくつも描かれている。

・ベラスケス『ハンガリー王妃マリア・デ・アウストリア』(3世の娘、4世の  妹) 17世紀前半
・同    『フェリペ4世』 
・マルティネス・デル・マーソ『皇妃マルガリータ・デ・アウストリア』(4世の 娘) 17世紀後半
・ティツィアーノ『皇帝カール5世と猟犬』 16世紀
・同     『フェリペ2世』
・ジョルダーノ『カルロス2世騎馬像』 17世紀末
・ティール『フェリペ3世の教育の寓意』 16世紀末
・メングス『大公女マリア・テレサ・デ・アウストリア』18世紀
 のちのレオポルト2世(アントワネットの兄)の娘

 これらのほとんどが、笑ってしまうほど、共通の遺伝子をまさに感じさせる顔をしているのだ、時代も画家も様々であるのに、あの有名な「受け口」に長い顔。
 最後の「マリア・テレサ」は、まだ幼いせいなのか、さほどでもないけど。
 あちこちに政略結婚でばらまかれたことは周知のことだけど、さほど美形の血筋というわけではないな。

・ジャン・ラン『フェリペ5世の家族』 18世紀
 ブルボン家最初のスペイン王
ーー同じスペイン王とは言いながら、この絵だと、明らかに違った系統の顔ぶれだ。
 いまの王室はブルボンの系統。国王もいまはいい年だけど、20年くらいまえに来日したときには気品あふれる美男美女夫妻であったことを覚えている。
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オーストリア年やドイツ年の切手

2009-11-03 05:58:31 | ドイツ
 このまえ郵便局で、「日本オーストリア交流年2009」の切手を売っていたので1シート買った。

「日本オーストリア交流年2009郵便切手」

 かつてのドイツ年の品よりもずいぶん華やかだなぁ。ドイツの、マイセン磁器が多すぎるよ、10のうち8も占めてることはないだろう、しかも4種x2なんて。風景でも建築でも素敵なところは限りなくあっただろうに。ううむ、作曲家ではそれぞれ、ベートーヴェンとモーツァルトが出ているのはもっともであるとして、ベートーヴェンのほうがだいぶ絵として地味であるな。・・・華やかなベートーヴェンなんてそれはそれでイヤだが。オーストリア版のシシィに相当する美女を出すとすれば誰になるのやら。(シシィだって出身はバイエルンなんだけど) 美形を出すならルートヴィヒⅡ世かな。

「日本におけるドイツ年」

 検索していて楽しそうなサイトを見つけたのでこれも貼っておく。
「ドイツの切手」
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