レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

フィクションからの印象と史実

2010-10-31 06:37:06 | 歴史
平均よりも歴史に関心を持っているつもりの人間としては、歴史ものに接した際に、それを鵜呑みにしないように心がけているつもりではある。しかし、何度も何度も、(違う作品でも)同じエピソードを見せられていると、それは事実であるように思ってしまうものだ。
 ヘレン・ケラーの「ウォーター!」は、『奇跡の人』の創作であるということをごく最近「ちびまる子ちゃんのキュリー夫人」について検索している際ほかの本のレビューで知った。
 坂本龍馬が寺田屋で捕り方に包囲されていることをお龍がすばやく知らせる場面は有名だけど、それが風呂から裸で飛び出してきたというのは『竜馬がゆく』のフィクションだからね~!という主張を先日某掲示板で見た(龍馬の手紙では、おりょうは台所から来たと書いてあるという)。これについて確認はしていない。だとすれば、これも、創作がヒットしたせいで定着して、他作家が描いてももはや盗作扱いもされないレベルに達している。
 ついでに言えば、『たあへるあなとみあ』→『解体新書』の苦労話として「フルヘッヘンド」を「うず高く」と推測するくだりが『蘭学事始』(本来は『蘭東事始』)で有名であるけど、『風雲児たち』によると、『たあへるあなとみあ』には「フルヘッヘンド」という言葉は載ってないのでこのエピソードはフィクション、でもこの話が翻訳の苦労をうまく伝えている、真実を語ることは現実をそのまま伝えることとは限らない、と説明していた。

 でもまぁ、「ウォーター!」が有名になっても誰も名誉を傷つけられるものではないし、おりょうを事実でなくハダカにしても、それで悪意を抱く人はあまりいないと思う。
 困る(?)のは、不当に貶められた虚構が世間に出まわってしまう場合。もちろん、美化しすぎも困りものだけど(そういうのはアンチも生むから、ファンだってかえっていたたまれないのだ)。
 フィクションでの悪名が浸透しているといって挙げるべき筆頭は吉良上之介だろうか。

 そういえば、19世紀フランスのフロベールの小説『サランボー』は、カルタゴの王女への恋情から破滅する男の物語であるが、カルタゴの「野蛮な」習俗があまりに上手に描かれているのでそれがたいへん強烈な印象を与えてしまったらしい。もちろん作者はおおいに調べたし、悪意を持って描いたわけではなかろうけど。 もっとも、私自身この小説を読んでいないし、私がこのことを読んだ「週刊  
 古代文明ビジュアルファイル」のレベルは必ずしも高くないし(マリー・アントワネットを「中世のファッションリーダー」なんて書いた)私の記憶もあやしいので、あまり詳しいことは断言できない。

 しかし。フィクションでのイメージでも、それすらも知らないよりはまだましかとも思う。なんとなくでも知っている、フィクションでの常識を知っている人相手に訂正するほうが、一から説明するよりも楽ではないかという気がする。 たくさん出回っている雑学本だって、ふつうこう言われている人だけど、実は~~だったんだぞ! という前提だろう、まるで知らないとかえって驚きかせがいがないから。
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○○の子だくさん

2010-10-28 12:49:19 |   ことばや名前
 純真な子どものころ、「貧乏人の子だくさん」とは、子供が多いと金がかかるから貧乏になるという意味だとばかり思っていた。逆の意味を知ったのは、・・・佐藤愛子さんの本だったか? 実際のところ、どちらが原因・結果なのかということは決まっているのだろうか、念のため辞書をと思ったら、いまうちにある広辞苑にはこの言葉は載ってない。「律儀者の~」ならばあるけど。こちらは原因→結果であることは間違いあるまい。この語で私の頭に浮かぶ好例は福沢諭吉だな。ドルススxアントニア夫妻もそうなんだろう、二男一女しか残らなかったけど(そしてみんな平穏に幸せとは言えなかったけど)。 あ、マリア・テレジアもかな? しかしこの言葉、女にも使うのか?バッハも挙げておくべきだな。
 「英雄色を好む」がどういう出典・文脈なのか知りたいのだけど、検索してもいまだに答がわからん。『源氏物語の作者たち』でこの語に少し触れていたけど、それはいまはおいとく。
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腕時計

2010-10-26 15:49:50 | 雑記
 ふと、腕時計が止まっていることに気がついたので、手近なデパートで電池を交換した。
 思えばこの腕時計、本体はかれこれ30年も使っている。その間にベルト部分は何度も交換した。その都度、やはり前のと似たようなものを選ぶので、最初のときとたいして見かけは変わっていないに違いない。
 どうでもいいが、父が使っているのは、私が新潮文庫のYONDA?でもらった品だ。読書家でもないくせに生意気に文豪ウォッチ(夏目漱石)。3千円相当のわりにはちゃんともっているようだ(マーク30枚、でもあれはだいたいBOの100円コーナーで集めたから)。
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ちくま文学の森 文庫化

2010-10-24 15:37:50 | 
 「文庫版 ちくま文学の森」
 88年から出ていた筑摩書房のアンソロジー「文学の森」(「新」もある)。私は図書館で読んでいたが、文庫化されたので買って再読する。いま3巻まで出ている。心根のよい元曲芸師の真心にマリア像が応える『聖母の曲芸師』はやはりほのぼのするし、『人間椅子』は何度読んでも気味悪い・・・そして考えようによっては笑える。
 「心洗われる話」に井上靖がないのは不満だ。
 
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ちょっと、黒川あづさの話題

2010-10-23 11:38:32 | マンガ
去年あたりだったか、中公文庫で黒川あづさ『バングラデシュで玉の輿。』(『アジ玉。』改題)が出ていたので買った。作者の実録。姉のダンナがバングラの人で、その同国人の友達を紹介されて結婚した。ただのデバラのおっさんと思っていたが、彼の実家に行ってみたら大金持ちだった。(なんだかけっこう少女マンガのような展開。)
 こういう、国際結婚(どうもこの言葉は好かんなぁ)や外国暮らしをタネにすることは諸刃の剣かもしれない。ねたみ混じりで、題材に寄りかかっていると非難されることもありうる。珍しい体験をしたからといってそれを面白く描けるとは限らないのだけど。
(体験ということとは違うけど、題材ですべて決まるわけではないという例として、ジャンヌ・ダルクの退屈な映画もクレオパトラのつまらない小説もある!と大声で言っておきたい)
 このマンガで私が笑った点: クリリン(ダンナの通称)のお父さん(元一等書記官)が亡くなって、町中の男たち2000人が法事に来る、それをテキパキとさばいていく様子を見て作者の感想、「コミケスタッフ並みの誘導!」  
 コミケといえば、作者がサークル参加するときにクリリンに手伝わせて、そのあと彼はコスプレを見に行ったけど、人が多すぎて見えなかった、でも友達の間でコスプレ見たって自慢したら羨ましがられたという。   私は2004年の夏以来行ってないけど、コスプレにそんなに注目したことはなかったな。

 ところで、黒川さんは10数年前JUNEでの『ふたりの夏物語』がうけていた。庭師を本業とする青年平井さん、仕事がないので仕方なくホモポルノに出演したら相手役の男の子に惚れられてしまい、押しかけ女房(?)される。教職を生かして高校教師になったら、ちょっと不良の男子生徒に惚れられる。 家でも学校でも受難の日々ーーというコメディである。私もこれ好きだった。 どうも、ホモじゃないのにホモにつきまとわれるというシチュエーションが好みなのだろうか。少佐もそうだし。
 ほかに、『黒い羊』という作品もわりにヒットしていたかな。私はちょっとしか読んだことないが。NYが舞台で、金髪美形でけっこう過激な性格の神父と、つきあわされてトラブルに陥る日本人青年の話だったと思う。
 上記『バン玉。』(と勝手に略称)のあとでハーレクインコミックスが出たのでなんとなく買ってみた。 画風は、濃い薄いで言うと・・・どちらかといえば濃いほうか? 端正で大人っぽさがあるので、HQにはそれなりに合っている。
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カレーの話

2010-10-20 10:45:09 | 雑記
 大槻ケンヂは「『人類インド化計画』なんて歌つくってカレー賛美するくらいのカレー好き」だそうである。
 
 清水義範の『ザ・対決』または『ザ・勝負』(姉妹編でどちらがどちらかいつも混乱する)によると、お節に飽きたときにはラーメンかカレーライスを食べたくなるのが正しい日本人だそうである。
 
 いまや日本人にとって立派に国民食であるカレー。
 もっとも、私は、特別にカレー好きというわけではない。
 うちでカレーをつくるとか、よそでごちそうになるという場合には文句はない。
 また、カレーの専門店とかインド料理の店に行ったというならばやぶさかではない。
 しかし、たとえば学食、特においしいという期待はできなくて、カレーとラーメンとハンバーグとチャーハンなんていう選択肢がある場合にカレーを選ぶということはしないだろう。 そば屋・うどん屋でメンだけで物足りないときにミニカツ丼を加えることはあったがカレーにしはしなかった。 

 私は基本的に辛いものは好かない。たらこ好きだけど辛さは控えめであってほしい。辛しレンコンはなるべく中の辛子をつつきだして食べるという、通から見るとけしからん食べ方をする。ペペロンチーノも好きだけど、ものによっては閉口する。
 だから私がカレーをつくると甘口である。(いつのまにか、ハヤシライスやハッシュドビーフのルーを大量に混ぜるという邪道な方法が常になっている)
 もう10年くらいまえのことだろうか。そのとき、両親は2泊3日で留守の予定だった。2日目の午後に私はカレーを作った。めいっぱい甘口のカレーを私がその日の夕飯と翌日の昼と2回くらい食べたところで親が帰って来るだろうから、それから母が自分の好みで辛口ルーを加えればいいと思っていた。そして私は入浴していたーーら、予定変更で帰ってきてしまった。そして即座に、カレーは辛くされてしまった、私が入浴している間に。
 --だいたいな、働き者すぎるだろうが、帰って来るなり台所に立たなくたっていいだろうっ! おかげで私はせっかくの甘口カレーを全く食べないままだったのである。 つまらぬことながら思いだすたびにむっとする過去なのである。

 なお、一度に大量につくり、半分は冷凍にして、残りは3回は食べる。うち1度はカレーうどんにしないと気が済まない。

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山本周五郎とシュティフター

2010-10-17 06:02:10 | 
 数か月まえに出た文庫『おじさんはなぜ時代小説が好きか』関川夏央 から引用。
 

 山本周五郎は、慶長五年の大坂城でどういうことがあったかを書くのではなく、そのとき大坂の道修町で、丁稚がどういう悲しい思いをしたのか、そしてなにをしようとしたのかを書くのが文学の仕事だ、といったと前章で述べました。この一見してとてもかっこいい言葉は、実は吉川英治を意識して語られたのです。というのは、この慶長五年は関ヶ原の戦いの年ですけれども、吉川英治が美作宮本村の武蔵と本位田又八のふたりの青年を戦場に登場させて長編『宮本武蔵』を発端させた年だったからです。そこには山本周五郎の吉川英治に対する激しいライバル意識が感じられます。

 引用終わり。

 ここで私が連想するのは、シュティフターとヘッベル。19世紀、オーストリアの小説家アーダルベルト・シュティフターと、ドイツの劇作家・小説家フリードリヒ・ヘッベルの対立関係はドイツ文学史上有名なことである。
 シュティフターの代表作、短編集『石さまざま』の序文から引用。(主として岩波文庫の訳から、ただし孫引き)

「わたしはかつて、わたしが作家として小さなものばかりを材料にし、わたしの描く人物がいつもありふれた人物だ、という非難を受けたことがある」
 「― 風の吹くこと、水の流れ、穀物の成長、海の波だち、春の大地の芽ばえ、空の光、星のかがやき、これらをわたしは偉大だと考える。(中略)
 外的な自然においてそうであるように、内的な自然、すなわち人間のこころについても事情はおなじである。ある人の全生涯が、公正、質素、克己、分別、おのが職分における活動、美への嘆賞にみちており、明るい落ちついた生き死にと結びついているとき、わたしはそれを偉大だと思う。心情の激動、すさまじい怒り、復讐欲、行動をもとめ、くつがえし、変革し、破壊し、熱狂のあまり時としておのが生命を投げだす火のような精神を、わたしはより偉大だとは思わない。むしろ、より小さいものと思う。なぜなら、それらは、嵐や、火山や、地震などとおなじく、それぞれの一面的な力の所産にすぎないからである。われわれは人類のみちびきとなるおだやかな法則をみつけることにつとめたい。

  「穏やかな法則」という有名なキーワードを宣言するこの序文は、激烈なものや異常なものを好んで題材にするヘッベルの作風に対するあてつけでもある。一方ヘッベルの側では、シュティフターの長編『晩夏』を、「これを読みとおした者にはポーランドの王冠を進呈しよう」と酷評した。私はといえば、『晩夏』は、・・・・・・閉口した。また落ち着いて再読したい気持ちはあるが。読んであれこれと話題にしたい、つっこみや非難もこめて感情をかきたてられるのはヘッベルのほうである、本人の性格は悪そうだが。

 歴史上の大きな事件の陰には、名もない庶民の哀歓があったーーというのが結束信二ドラマの世界である。
 どちらの世界にも意義はある。
 私が物語において求めて手にするのは、どちらかといえば、デカデカとした世界のほうが多いけど。力量がなくてコケると悲惨なものでもある。

 昨今の少女マンガの「半径50メートル」と呼ばれる傾向は気に入らず、非日常のスリルやゴージャス感、大スケール、波乱万丈といった要素はしっかり生き残っていてもらいたいものだと切に願う。

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一人の午後

2010-10-16 16:35:14 | 雑記
 今日は両親が親戚の結婚式に行って、午後は私一人。
 りんごジャムと、邪道なくらいの甘口カレーをつくり、久々に自転車を使って本屋へ。「プリンセスGOLD」と「まんがタイムファミリー」(これは通常17日発売)と『海賊姫1』を買ってくる。
 空腹になってきたのでそろそろカレーを食べようか。私にとって5時は充分に夕食時なのである。
 
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ドイツの旅のメモから 後編

2010-10-13 05:23:37 | ドイツ
 まえのぶんに説明追加。「ヴァルハラへ遊覧船で」の「ヴァルハラ」は、バイエルン王ルートヴィヒ1世(美女好きなほうが1世、美青年好きが2世、念のため)がドイツの偉人たちを記念するために建てた神殿もどきの建造物で、ドナウ河沿いの丘の上にある。北欧ゲルマン神話の名前なのにパルテノン神殿の真似である(大のギリシア好きでもあったからな)。

9.19-22 リンダウ泊
 初日は、朝レーゲンスブルクを発ち、ミュンヘンへ向かう。この日から「オクトーバーフェスト」なので列車は混んでいた。ドイツの鉄道の旅で席がなかったのはこの時だけだった。会場もまた人の波。ビールは飲んでないけど、名物の白ソーセージは食べた。ほか、屋台で食べた「ラックスゼンメル」がたいへん美味かった。小ぶりのフランスパン(といっていいのか、外がパリパリで中が白くてふわっとタイプのパン)にサーモンとタマネギがはさんであるもの。

 夕方、リンダウへ着く。ミュンヘンから4時間。ガイドブックに載っていたうちでいちばん安い宿。小さいけど繁盛していた。(Pension Laedine しかし「歩き方」のいまの版には載っていないーーが、リンダウのHPを見ればちゃんとある)にぎやかなおばさん。昼が軽かったので、夕食は近所のレストランで魚料理を食べる。せっかく湖の中の町なので。
 2日目、フリードリヒスハーフェンとマイナウ島。
 9月21日(月)
 メーアスブルクへ。当時の20マルク紙幣の顔、19世紀の作家アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフの城がある。狩猟の獲物の鹿の角や頭部、銃、剣、武具が多い。暗そうな作品イメージに合っていた。  ここ以外は、ごくかわいらしい湖畔の街並み。
 22日(火)
 午前はリンダウの市立博物館。1848年の革命についての特別展をやっていた。
 午後はヴァンゲンへ。ここの市立博物館の一部がアイヒェンドルフ博物館になっている。
 駅は実に田舎。線路は数本あるけど、発着列車の一覧を見ると、どの列車の発着も「2番線」のみ。
 駅を出てもなにもない。駅前の通りをしばらく歩いて市壁の門らしきものをくぐると市の中心部になるようだ。この町の名物はどうやらあちこちにあるユニークな銅像つきの泉であるらしい。例えば、家畜の守護聖人聖アントニウス+ブタ。ご利益がありそうなのでブタをなでてきた。
 市立博物館は、市壁のある一角に立っている木組みの家で、水車がまわっている。向かい合って立つもう一軒の前に、バイオリンしょった「のらくら者」の像がある。アイヒェンドルフ博物館は2つの部屋で、家族・友人たち(アルニム、ブレンターノ、ゲレスなど)の肖像、手紙、作品が展示されている。「ここに、10年ほどまえに日本アイヒェンドルフ協会の会長が訪れた」と係のおじさんが話していた。
 この日、宿の隣のドネルケバブの店で初めてケバブを食べた。店のおじいさん(トルコ人には見えない)が「どこから来たの」ときいたのでJAPANと言ったら、「ああ、NAKATA」と言った。

9月23日
 コンスタンツへ。この日だけは、宿の予約を日本からしていなかった。ユースに泊まろうと思っていたけど荷物が重くなっていたのでバスに乗って行く気がしなくなり、駅前の観光案内所で世話してもらったWiesentaeler Hof。たいへん小さい部屋、でも清潔なので構わない。1泊70マルクと安かった(現在、コンスタンツのHPには載っていない)。近くのトルコ料理の店「ネッシー」でピラフを食べる。
 ここの市立博物館でも、1848年の革命についての特別展。人形劇もどきもあり、Die Gedanken sind frei(思想は自由だ)がテーマソングのように使われていた。(この歌を初めて知ったのは、アメリカ製戦争映画『空中大脱走』だった) ここで、革命歌のCD2種類、バーデン地方での1848年の革命を扱ったマンガ(絵はマンガ調ではないけど)を売っていた。重くなる・・・と思ったけど、旅は次の日でひとまず終わるからと思いきって購入。
 コンスタンツは、宗教改革の先駆者であるヤン・フスが処刑された地であるので、「フス博物館」がある。しかし、迷って行けなかった。

 以下、断片的なこと。

 大きい犬が引き綱なしで連れられているのをよく見かける。行儀はいい。

 蜂が多い。パンやケーキのガラスケースの中で飛び回っていて、パンにも群がっていることは珍しくなく、しかもそれを誰も気にする様子がない。

 日本ではたいてい、日本語は日本人しかわからないものという思い込みがあって、明らかに外国人である人に道を尋ねることはそうないけど、よその国では違うときいてはいた。実際、私自身何度か尋ねられた。

 気にいったテレビCM.
 雪の中、犬ぞりが走っている。「weiter!(進め!)」、しかし犬は疲れて動けなくなる。そこで人間が「Bi-Fi」(というサラミ)をかじると、目の中が(『巨人の星』のように)パワフルに燃え上がり、怪力が湧いて、犬ごとソリを引っ張っていく。気持ち良さそうに載ってる犬たち。

 駅のホームに上がる階段にはしばしば細いベルトコンベアのようなものが端っこについている。ふだんは止まっているけど、会談の上で荷物を乗せると下降して、下で乗せると上っていく。こういうものが使えなくても、ゆきずりの人が持ってくれることもある。地図を手に迷った様子でいると、通行人が声をかけてくることは多い。博物館に入って、やけに早く出口まで来ると、「全部見ましたか?無向こうにもありますよ」と受付の人に言われて、それで気がつかなかった展示がわかったということもある。
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ローマ帝国が征服した?

2010-10-10 07:05:57 | ローマ
アマゾンから来たローマ本の案内をいちおう並べてみる。

Kleine Schriften Zur Epigraphik Und Militargeschichte Der Germanischen Provinzen
Rainer Wiegels


Die Romischen Kaiser: Herrschaft Und Alltag
Michael Sommer


Rom - Nabel der Welt
Jochen Johrendt


Caesar im Senat niedergestochen!
Martin Held

Geolino: Altes Rom
Michael Kohlhammer

この際どうでもいいことであるが、著者の名前がライナー、ミヒャエル、ヨッヘン、マルティン、ミヒャエル、ほんとドイツ人の名前も種類が乏しいと思う。ローマ人には負けるが。
 あ、岩波文庫のリウィウスの『ローマ史』は上巻しか出てないのであの続きなんとかしろ。

 『テルマエ・ロマエ』の2巻には、このマンガのヒットはイタリアの新聞で「ローマ帝国ついに日本の漫画界を征服」と書かれたと書いてあった。私は自分のシュミに関して料簡が狭いというか臆病というか、あまりにメジャーになってしまうと粗製乱造になるとか反動も大きいだろうとかマイナス面を心配してしまうのである。とはいうものの、題材として人気がないと名作だって世に出る機会を逃すので、やはり知名度はあがらないと困るとわかってはいる。
 そういえば、『セスタス』の続きはどうなっているのだろう。白泉社の新刊情報ではまだ出ていない。
 2005年夏に「コミックブレイド増刊ZEBEL vol2」に載った読み切り『Idus Martiae』(原作・朝香祥 まんが・あやめぐむ)がどこかにまた載る機会はないのだろうか。(あやめぐむさんの単行本はゲーム原作の2種類が出たきりあとは知らない)
 『テルロマ』ヒットに便乗してローマ本がどんどん邦訳されてくれたらたいへん嬉しい。
 『ローマン・エンパイア』のDVDの完全版とか、ヘストン主演(オクタがジョン・キャッスル)の『アントニーとクレオパトラ』のDVD化も歓迎するぞ。
 そういえば『密偵ファルコ』も続きがしばらく出ていないな。(ウェスパシアヌスなんかも、ヤマザキマリさんが描いて似合いそうだ)
 ハドリアヌスの出てくる作品といえば、ユルスナール以外に知られたものはあったろうか。
 テルロマと縁は薄いけど、『ウェルギリウスの死』も復刊してくれ。
 あれを出せこれも出せ、という希望は山ほどある。
 あ、手塚監修の学習マンガの『大いなる理想』も!(世界史学習マンガでは、あのシリーズと、ムロタニツネ象さんのを文庫化してもらいたい。)
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