平均よりも歴史に関心を持っているつもりの人間としては、歴史ものに接した際に、それを鵜呑みにしないように心がけているつもりではある。しかし、何度も何度も、(違う作品でも)同じエピソードを見せられていると、それは事実であるように思ってしまうものだ。
ヘレン・ケラーの「ウォーター!」は、『奇跡の人』の創作であるということをごく最近「ちびまる子ちゃんのキュリー夫人」について検索している際ほかの本のレビューで知った。
坂本龍馬が寺田屋で捕り方に包囲されていることをお龍がすばやく知らせる場面は有名だけど、それが風呂から裸で飛び出してきたというのは『竜馬がゆく』のフィクションだからね~!という主張を先日某掲示板で見た(龍馬の手紙では、おりょうは台所から来たと書いてあるという)。これについて確認はしていない。だとすれば、これも、創作がヒットしたせいで定着して、他作家が描いてももはや盗作扱いもされないレベルに達している。
ついでに言えば、『たあへるあなとみあ』→『解体新書』の苦労話として「フルヘッヘンド」を「うず高く」と推測するくだりが『蘭学事始』(本来は『蘭東事始』)で有名であるけど、『風雲児たち』によると、『たあへるあなとみあ』には「フルヘッヘンド」という言葉は載ってないのでこのエピソードはフィクション、でもこの話が翻訳の苦労をうまく伝えている、真実を語ることは現実をそのまま伝えることとは限らない、と説明していた。
でもまぁ、「ウォーター!」が有名になっても誰も名誉を傷つけられるものではないし、おりょうを事実でなくハダカにしても、それで悪意を抱く人はあまりいないと思う。
困る(?)のは、不当に貶められた虚構が世間に出まわってしまう場合。もちろん、美化しすぎも困りものだけど(そういうのはアンチも生むから、ファンだってかえっていたたまれないのだ)。
フィクションでの悪名が浸透しているといって挙げるべき筆頭は吉良上之介だろうか。
そういえば、19世紀フランスのフロベールの小説『サランボー』は、カルタゴの王女への恋情から破滅する男の物語であるが、カルタゴの「野蛮な」習俗があまりに上手に描かれているのでそれがたいへん強烈な印象を与えてしまったらしい。もちろん作者はおおいに調べたし、悪意を持って描いたわけではなかろうけど。 もっとも、私自身この小説を読んでいないし、私がこのことを読んだ「週刊
古代文明ビジュアルファイル」のレベルは必ずしも高くないし(マリー・アントワネットを「中世のファッションリーダー」なんて書いた)私の記憶もあやしいので、あまり詳しいことは断言できない。
しかし。フィクションでのイメージでも、それすらも知らないよりはまだましかとも思う。なんとなくでも知っている、フィクションでの常識を知っている人相手に訂正するほうが、一から説明するよりも楽ではないかという気がする。 たくさん出回っている雑学本だって、ふつうこう言われている人だけど、実は~~だったんだぞ! という前提だろう、まるで知らないとかえって驚きかせがいがないから。
ヘレン・ケラーの「ウォーター!」は、『奇跡の人』の創作であるということをごく最近「ちびまる子ちゃんのキュリー夫人」について検索している際ほかの本のレビューで知った。
坂本龍馬が寺田屋で捕り方に包囲されていることをお龍がすばやく知らせる場面は有名だけど、それが風呂から裸で飛び出してきたというのは『竜馬がゆく』のフィクションだからね~!という主張を先日某掲示板で見た(龍馬の手紙では、おりょうは台所から来たと書いてあるという)。これについて確認はしていない。だとすれば、これも、創作がヒットしたせいで定着して、他作家が描いてももはや盗作扱いもされないレベルに達している。
ついでに言えば、『たあへるあなとみあ』→『解体新書』の苦労話として「フルヘッヘンド」を「うず高く」と推測するくだりが『蘭学事始』(本来は『蘭東事始』)で有名であるけど、『風雲児たち』によると、『たあへるあなとみあ』には「フルヘッヘンド」という言葉は載ってないのでこのエピソードはフィクション、でもこの話が翻訳の苦労をうまく伝えている、真実を語ることは現実をそのまま伝えることとは限らない、と説明していた。
でもまぁ、「ウォーター!」が有名になっても誰も名誉を傷つけられるものではないし、おりょうを事実でなくハダカにしても、それで悪意を抱く人はあまりいないと思う。
困る(?)のは、不当に貶められた虚構が世間に出まわってしまう場合。もちろん、美化しすぎも困りものだけど(そういうのはアンチも生むから、ファンだってかえっていたたまれないのだ)。
フィクションでの悪名が浸透しているといって挙げるべき筆頭は吉良上之介だろうか。
そういえば、19世紀フランスのフロベールの小説『サランボー』は、カルタゴの王女への恋情から破滅する男の物語であるが、カルタゴの「野蛮な」習俗があまりに上手に描かれているのでそれがたいへん強烈な印象を与えてしまったらしい。もちろん作者はおおいに調べたし、悪意を持って描いたわけではなかろうけど。 もっとも、私自身この小説を読んでいないし、私がこのことを読んだ「週刊
古代文明ビジュアルファイル」のレベルは必ずしも高くないし(マリー・アントワネットを「中世のファッションリーダー」なんて書いた)私の記憶もあやしいので、あまり詳しいことは断言できない。
しかし。フィクションでのイメージでも、それすらも知らないよりはまだましかとも思う。なんとなくでも知っている、フィクションでの常識を知っている人相手に訂正するほうが、一から説明するよりも楽ではないかという気がする。 たくさん出回っている雑学本だって、ふつうこう言われている人だけど、実は~~だったんだぞ! という前提だろう、まるで知らないとかえって驚きかせがいがないから。