図書館の新着図書で、講談社現代新書『愛と欲望の三国志』by箱崎みどり という本を読んだ。簡単に言えば、三国志の受容の歴史である。私自身は特別に三国志ファンというわけではなくメジャーどころしか知らないが、著者の思い入れには大いに共感できるものがある。
ところで、著者の箱崎さんは86年生まれで、小学生の時に再放送されていた『人形劇三国志』がきっかけだったという。高校時代に「女子高生が『三国志演義』を好きになるのはどうすればよいか」というテーマでレポートを書き、紙人形劇まで作ったという。
86年生まれの人が高校生のころならば、2000年代の初頭。そのころそんなに「三国志」は女の子にとって遠いものだったのだろうか?
白井恵理子の「さんごくしよんこままんが」と副題のついた『STOP!劉備君』が小説JUNEに掲載されていたのはもっと早かったのでは?と気になり検索すると、白井さんも82~84年の人形劇でハマり、同人誌を出し、そこから87年に小説Juneでの掲載が始まっている。
光栄の「爆笑シリーズ」で「三国志」は90年代に出ている(私はミラージュのせいで『信長の野望』は読んだ、ゲームは知らんけど)。
「三国志 女性ファン」で検索すると、次の論文が出てきた。
『三国志』 −古代から現代へ ・・・イメージの変遷
トで生じた、女性の『三国志』に対する無関心な点、また、『三国志』の魅力などについて イ. ンタビューした結果をもとに、『三国志』ファン(管理者およびユーザー)の思考や イメージ. を現代的視点から考察していきたい。 それでは、質問とそれに対する応答を 要約して ...
これは2000年のものである。本文中には、「三国志」ユーザーには女性も少なくないことは指摘されている。
そしてもっと新しいところでは
「歴女」の新しい広がり…『三国志』に夢中になる女性たち /2013年9月
という類の記事が珍しくなくなる。
私がこのブログで『中世英国ブンガク』を話題にした際、「三国志オタクに女性がほとんどいないのもうなずける」という部分におおいに反対したが、あの本は99年に出ている。では、当時はやはり少数派であったのか、少なくとも、世間の目につくほどではなかったということなのか。
私はコミケにも行っていたし、とはいえ2004年夏以来ご無沙汰であるが、90年代でもすでに、歴史系で三国志サークルは充分にメジャーであったように記憶している。私の知人が『五丈原会』とかいうサークルで長池とも子さんと知り合って文通していたというけどそれは90年代のことだろう。長池さんがプリンセスGOLDで三国志ものを描くようになるのは2000年代になってからだけど。
コバルトで朝香祥さんが周瑜もの――「かぜ江(こう)」と作者は呼んだ――を出し始めたのは97年から。私は少なくとも白井版を知っていたので、孔明がメジャーで呉が中心は珍しい?と思ったことを覚えている。
つまり、女が三国志好きなんて、ちっとも珍しいことだとは感じていなかったのである。新選組の例を思えばなんの違和感も私は抱いていなかった。
私のこのような尺度は一般的なものではなかったということだろうか。
歴史ものときいて、あとずさりするか、身を乗り出すかの違いだろうか。
(そりゃ私だって東洋史となると管轄外だけど、機会があればやぶさかではない)
ところで、著者の箱崎さんは86年生まれで、小学生の時に再放送されていた『人形劇三国志』がきっかけだったという。高校時代に「女子高生が『三国志演義』を好きになるのはどうすればよいか」というテーマでレポートを書き、紙人形劇まで作ったという。
86年生まれの人が高校生のころならば、2000年代の初頭。そのころそんなに「三国志」は女の子にとって遠いものだったのだろうか?
白井恵理子の「さんごくしよんこままんが」と副題のついた『STOP!劉備君』が小説JUNEに掲載されていたのはもっと早かったのでは?と気になり検索すると、白井さんも82~84年の人形劇でハマり、同人誌を出し、そこから87年に小説Juneでの掲載が始まっている。
光栄の「爆笑シリーズ」で「三国志」は90年代に出ている(私はミラージュのせいで『信長の野望』は読んだ、ゲームは知らんけど)。
「三国志 女性ファン」で検索すると、次の論文が出てきた。
『三国志』 −古代から現代へ ・・・イメージの変遷
トで生じた、女性の『三国志』に対する無関心な点、また、『三国志』の魅力などについて イ. ンタビューした結果をもとに、『三国志』ファン(管理者およびユーザー)の思考や イメージ. を現代的視点から考察していきたい。 それでは、質問とそれに対する応答を 要約して ...
これは2000年のものである。本文中には、「三国志」ユーザーには女性も少なくないことは指摘されている。
そしてもっと新しいところでは
「歴女」の新しい広がり…『三国志』に夢中になる女性たち /2013年9月
という類の記事が珍しくなくなる。
私がこのブログで『中世英国ブンガク』を話題にした際、「三国志オタクに女性がほとんどいないのもうなずける」という部分におおいに反対したが、あの本は99年に出ている。では、当時はやはり少数派であったのか、少なくとも、世間の目につくほどではなかったということなのか。
私はコミケにも行っていたし、とはいえ2004年夏以来ご無沙汰であるが、90年代でもすでに、歴史系で三国志サークルは充分にメジャーであったように記憶している。私の知人が『五丈原会』とかいうサークルで長池とも子さんと知り合って文通していたというけどそれは90年代のことだろう。長池さんがプリンセスGOLDで三国志ものを描くようになるのは2000年代になってからだけど。
コバルトで朝香祥さんが周瑜もの――「かぜ江(こう)」と作者は呼んだ――を出し始めたのは97年から。私は少なくとも白井版を知っていたので、孔明がメジャーで呉が中心は珍しい?と思ったことを覚えている。
つまり、女が三国志好きなんて、ちっとも珍しいことだとは感じていなかったのである。新選組の例を思えばなんの違和感も私は抱いていなかった。
私のこのような尺度は一般的なものではなかったということだろうか。
歴史ものときいて、あとずさりするか、身を乗り出すかの違いだろうか。
(そりゃ私だって東洋史となると管轄外だけど、機会があればやぶさかではない)