レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

『秘身譚』その他

2010-11-28 07:12:24 | ローマ
 『秘身譚 1』by伊藤真美 講談社 サイズはB6。
 先日、「古代ローマ」の掲示板で知ったマンガ。
 カラカラが暗殺されたところから始まり、新帝マクリヌスが立つ。東で栄える都市アンティオキアで、裏稼業をしきって私腹を肥やしているあやしげな士官ポリオ、その密偵をつとめる両性具有の美少年エラ。カラカラの親族の女たちは野心を抱いてポリオと手を組もうとしている。
 さかもと未明さんの『ローマ帝国の歴史』で監修だった小堀さんがここでも協力。文献明記あり。
 
 見覚えのある絵だと思ったら、『ピルグリム・イェーガー』の人か。(何巻か読んだけどいまひとつなじめなかった。あれにも実在人物がけっこう出ていた) ワイルド兼耽美で、バイオレンス&デカダンなこの時代には合っている。
 ローマ史上屈指の「愚帝」もいずれ大きく関わって来るはずで、でもいまのところはまだマトモなキャラで描かれている。

 季刊の「ジャンプSQ19」で連載中の『アグリッパ』、2回目を読んだ際に、副主人公のタラニスが美少年ぽさアップしているという印象を受けた。先日、その日発売の号(3回目)を立ち読みしようと思ったらビニール貼りになっていた、ちっ。
 そのかわり(?)、ヤマザキマリさんとそのダンナが表紙に描かれた「月刊Office YOU」が目に入ったので手にする。エッセイマンガが載っていた。マジメなイタリア人夫は「子供のころから歴史が大好きな変わり者だった」というコマで、ベッピーノ少年が「かっこいいな~」と貼っているポスターはカエサルだった。(その夫がイスラムオタクになって~という話が今回の主題)
 ところで、『アグリッパ』というタイトルはいまだに謎であり、タラニスがもしかしてのちにあのアグリッパに?という予想も出てきている。私もそれは頭をかすめるのであるけど、容貌が「猫っぽい」という点がそれに反対する。--アグリッパは断然犬じゃないと!!

 それにしても、ローマものといっても、カエサルやクレオパトラの出てくるあたり、あるいはネロくらいだと、比較的知名度も高いのだけど、カラカラ~エラガバルスだのウェルキンゲトリクスだのマイナーなところが舞台になった、長丁場予定と見えるマンガが出てきていることは中々興味深い。しっかりやってくれ、単行本は買うよ。
 そういえば『セスタス』はどうなったんだろう。小説だけど『密偵ファルコ』がしばらく出ていないな。
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長ったらしい名前

2010-11-25 06:31:25 | 歴史
 これは、「歴史」と「ことばや名前」のどちらに入れたものか悩むところである。

 図書館で借りた中央公論社の「世界の文学セレクション36」、収録は、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、ラクロ『危険な関係』。

 私はかねがね、ひとを姓だけで呼んだときにそれが男だと決めつけられてしまう傾向を悪いことだと思っており、女の場合には「○○夫人」だの「○○嬢」だのとついてしまうことを問題だと思っている。だから、たとえば「キュリー夫人」は「マリー・キュリー」と言うことに賛成する。
 とはいうものの、名前・姓とすっきりとまとまらない場合はある。
(「姓」と「苗字」は厳密には同じでないそうだけど、ここではそこまでこだわらないことにする)
 上記の二人について言えば、
 前者は、「マリー=マドレーヌ・ビオシュ・ド・ラヴェルニュ」が後に「ラファイエット伯爵フランソワ・モティエ」と結婚した。年譜には、「父マルク・ピオシュ」と書いてあるので、「名前」は「マリー=マドレーヌ」で、それ以下が姓にあたると思っていいのだろうか。
 後者は、ピエール=アンブロワーズ=フランソワ・コデルロス・ド・ラクロ、「正式にいえばコデルロス・ド・ラクロが姓で、ピエール=アンブロワーズ=フランソワが名である」。でもたいていは「ラクロ」ですますし、少し長くても「コデルロス・ド・ラクロ」なので、「コデルロス」が名前であるかのように思ってしまう。
 「ラ・マルセイエーズ」の作者は、クロード=ジョゼフ・ルジェ・ド・リール、「クロード=ジョゼフ」が名前、あとが姓。私の読んだ『ラ・マルセイエーズ物語』では、略するときには「ルジェ」と書かれていた。
 『紅はこべ』の作者は、「バロネス・オルツィ」と言われるけど、これはなんと、
 バロネス・エムスカ・バルストウ・オルツィ (ハンガリー生まれロンドン没、1865ー1947)、
略しないと「エムスカ・マグダレーナ・ロザーリア・マリア・ヨゼファ・バルバーラ・オルツィ・バーストウ」、
夫がモンタギュ・バーストウ男爵(これ、名前ははしょってるのだろうな、「モンタギュ」は「名前」じゃないだろうし)。
 本来ハンガリー人は姓・名の順だとされているけど、これは「エムスカ」が名前なのだろう。
 略して「エムスカ・オルツィ」がバーストウ男爵夫人になったということなのだろう。だとすると、「バロネス・オルツィ」という呼称はヘンな感じがするけど、これでいいのかなぁ? 
(ついでに言えば、「マルキ・ド・サド」というのもおかしな書き方ではないのか、「マルキ」は普通名詞「侯爵」なのに、カタカナ書きするとまるでこれが名前みたいだ)
 このように、どこが名前、姓、あるいは肩書なのかわかりにくいとか、あまりに長ったらしいとかで、すっきりとフルネームで言えないケースがある。
 その点では、『アンクル・トム』の作者「ストウ夫人」などは、「ハリエット・ビーチャー」が「カルヴィン・ストウ」と結婚して「ハリエット・ビーチャー・ストウ」になったので、はるかにすっきりしている。私が目にした某伝記では「ハリエット・B・ストウ」と表記していた(同じレーベルの中には「マリー・キュリー」もあったので、主義主張をもってこれらの呼称を使っているのだろう)。

 フランス文学の重要人物で、ドイツ・ロマン派の紹介者である「スタール夫人」(『ベルばら』を隅々まで読んて覚えているファンならば知った名前のはず。フェルゼンの花嫁候補の一人だった)は、「アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール」、正式な名前は、スタール=ホルシュタイン男爵夫人アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケール。藤本ひとみさんの本では、名前は「ジェルメーヌ」で書いてあるので、これが主要な名前なのだろう。
 その友達であり、皇帝ナポレオンも袖にした美女「レカミエ夫人」は、短く言えば「ジュリエット・レカミエ」、フルネームだと「ジャンヌ=フランソワーズ・ジュリー・アデライード・ベルナール・レカミエ」。「ベルナール」は旧姓。
 「~~夫人」を使わずに言えば、前者は「ジェルメーヌ・ド・スタール」、後者は「ジュリエット・レカミエ」が妥当なところか。
 こうして見ると、結婚しても旧姓が姓名の一部に引き継がれているケースがけっこうあるものだ。むしろ、身分の高い人々のほうが実家の名をひきずり続けるように見える。

 現代日本人の名前は、歴史的に見ても、欧米と比べても、いたってシンプルだと思う。

 「歴史」カテゴリーに入れたのでつけたし。
 『クレーヴの奥方』は、ヴァロア王朝末期を舞台にしている。(作者は、ルイ14世の母アンヌ・ドートリッシュの侍女となり、のちに王弟妃アンリエット・ダングルテールに仕えた) 主人公(個人名が出てこないクレーヴ公夫人)は王太子妃(メアリ・スチュアート)と親しいという設定で、その王太子妃は、王女エリザベトがスペインに嫁ぐことに関して、本来は王子ドン・カルロスが相手だったのにその父フェリペになってしまったことをよく思わない。「イスパニア王のような年配の、しかもあんな気性のひとと結婚するのはうれしいはずがありませんもの」 年配っていってもまだ32なんだが。14と32では離れているとはいえるけど、政略結婚としては許せる範囲だろう。「ドン・カルロス王太子には、お会いするまえから好感を持って、お輿入れを楽しみにしていらしたのですから」--それは絶対に失望していた! 不出来な王太子より、マトモな大人であるフェリペのほうが絶対にいいに決まってる!  シラーの『ドン・カルロス』が描かれるのはもっと先のことだけど、17世紀のフランス宮廷でもこのようなイメージはすでにできていたのだろうか。この作品の出たのは1678年、 フランスがスペイン・ハプスブルクの断絶を待望してスペイン王位を狙っていたころだ(スペイン・ハプスブルクの最後の王カルロス2世は1665-1700)。自国から嫁いで若死にした王女の相手、敵国の王には勝手に暗いイメージ作っていたのだろうか。当時の王妃の実家でもあるのだが。
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名前と性別

2010-11-23 07:05:41 |   ことばや名前
 ひとの名前についてどうこう言うことは、歴史上の人物くらい距離があればけっこう平気でするのだが、新しい人だと多少の抵抗がある。
 しかし、それでもなにか言いたくなることはある。

 ネット上の某掲示板で、いまどきの親が子につけるヘンな名前を俎上にのせていた。そこに、ノーベル章受賞者の江崎玲於奈氏が挙がっていた。
 「海外では女性名だと思われるのでLeo Esakiです」だと加えてあった。
 検索して出てきた「科学系ノーベル章日本人受賞者7人の偉業」というページには、

名付けられたレオナの「レオ」とはラテン語で「獅子(しし)」という意味をもっています。そこには、父親の「世界に通用するような男らしい男になってほしい」という願いがこめられていました。欧米には、レオナルドやレオニードといった「レオ」から始まる名前がたくさんあります。

とある。--男らしさを望むならば、日本人の感覚でも西洋人の目にも女名前になってしまう「レオナ」になぜしたんだ~~!? 「レオ」ならばなにも問題なかったろうに。
 これも「某掲示板」で未確認だけど、レオナさんの弟は「ジュリアス・シーザー」からとって「融悧亜」ゆりあだと・・・。さぞかしからかわれたことだろう。それでも出世しているようで偉いものである。
 遠藤淑子『退引町(のっぴきちょう)』シリーズに、「渚ちゃん」というオカマキャラがいて、その硬派なお父さんは、女名前をつけると丈夫に育つというからそうしたと語っていたが、そういう迷信は実在するのだろうか。女の子の格好させて魔除けにするということは実際あったときくけど。
 私の知っているのはもう10年以上まえの話だが、ドイツの場合、男女がはっきりとわかる名前でないといけなくて、親が外国人だったりしてそちらの名前をつける場合にはもう一つドイツ名がいるときいた。その点、日本は無法地帯のようだなぁ。
 本名でなくてペンネームの場合はいっそう、性別のわかりにくい、または逆の名前をつけることが珍しくないけど、そういうのはよその国にもあるのだろうか。
 
 榎本武揚の幼名が「釜次郎」、兄が「鍋太郎」、これはギャグではなくて事実である。
 明らかに男名であるという点では上記の例とはだいぶ違う。
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ちくまの不完全な文庫化?

2010-11-18 05:22:44 | 
 「ちくま文学の森」が文庫化されつつあるとこのまえ書いたけど、図書館で見ると、文庫は10巻なのに元々は15巻であることに気がついた。なぜだ? 今回漏れた5冊ぶんは、次の機会にまわすのか? 「新・ちくま文学の森」もまた同じくらいの量があるぞ。こちらとの区別をどうするんだろう。まぎらわしい題の付け方にはならないでもらいたいものだ。
 いまは、文庫で出た「おかしい話」を再読中。
 ほか、『危険な関係』も借りてある。これを原作とする、さいとうちほ『子爵ヴァルモン』のため。1巻を買ってあってまだ読んでいないけど。もう少し巻がたまってからにしたいし、その前にまた原作を読んでおこう。でもこのマンガの掲載誌「凛花(りんか)」はペースが遅いし、現在、小学館のHPにも載っていないので、休刊したのかもしれない。--中断するなよ。
 付記、今日(19日)本屋で見つけた。季刊(?)だから載ってないのだろうか。
 
 今月下旬の角川文庫で、池上永一『テンペスト』が4巻で完結する。2年前に単行本の上下巻で出たときに読んだけど、文庫で再読。幕末の琉球、美貌と才知に恵まれた少女が男装して宮廷に仕え、国を憂い、恋をし、何度も投獄されながら返り咲いて活躍していく。そのジェットコースターぶりはまるでアンジェリク並みの激しさだ。女装のときに意中の男と出会ってつかのまのデート・・・tって、サファイヤやオスカル以来の伝統~~! これ、舞台にはなってるけど、マンガ化の企画はないのだろうか。向くのは少女マンガだと思う。
 
 
 宮部みゆき&黒鉄ヒロシ『ぱんぷくりん』
 文庫としての新刊。絵本に分類できる内容。いくつかの話が収められている。
 招き猫たちが、腕をあげっぱなしなので肩がこって、みんなで温泉に休養に行って~~という話で、最後にタクシーに乗ってる閻魔大王がなんともおかしくて微笑ましい。

 この際なので、これも貼っておく。集英社文庫のページの連載で、先に「恋する世界文学」を見つけていたが、清水義範のイタリア紀行もあることをあとで知った。本になるのが楽しみである。
「web集英社文庫 連載」
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『フランケンシュタイン』

2010-11-07 06:51:41 | 
『フランケンシュタイン』
 まえに、創元推理文庫のフェアをしていた際に、この本と『フィデルマ』を買ったのに店のどこかに忘れてとうとう見つからなかったとここでも書いた。光文社新訳文庫で出たのでそれで買って再読。
 ときどき話のタネになるけど、人造生命である怪物の名前がフランケンシュタインなのではなくて、これは作者の名前、怪物には名前は与えられていないのである。ま、製作者や発見者の名で呼ばれることはよくあるので、その単純な意味でも必然かもしれない。
 スイス・ジュネーヴの裕福な家庭の長男として生まれたヴィクター・フランケンシュタインは、自然科学にのめりこみ、人造生命創りにいそしむ。
 できてしまったもののあまりの醜さに驚愕して飛び出して、戻ってみたらその怪物の姿はなくなっていた・・・・・・、おい、そこで安心するなよ、必死こいて探せよっ! とツッコまずにはいられなかった。
 そもそも邪悪なわけではない怪物、言葉を習得していくだけの知能も、よき人々の有様や自然美に心をうたれるだけの感性もある。しかしその姿のせいで迫害され誤解され、殺人者になってしまう。
 (『ちびまる子ちゃん』でまる子が、優等生の永山くんにこれを勧められたときにはフクザツな気分だったけど、読んでみたら、かわいそうだと大泣きしていたな。)
 おい製作者ヴィクター、最初におまえがきちんと対応しなかったことが諸悪の根源だぞ。後世、フランケンシュタインという名前が創造者のものであることを忘れられて、被造物の名にされて、それによってある意味同一視されてしまった、さらに言うなら作者が怪物にのみこまれてしまったこともその報いだろう。
 ギリシア神話で、ヘラが、一人で生んだヘパイストスが醜いので捨ててしまったのもかなりヒドイと思ったが、ヘパは多少の仕返しだけですんでマシだった。その後の役どころもけっこう散々なものだけど平和ではある。
 不幸のあとのヴィクターが、アルプスの山の美しさに心を慰められる場面は、『ファウスト』第2部の冒頭を思わせる。(『フランケン』は1818年で、『ファウストⅡ』は1832で遅いけど) 18世紀に始まった山岳美の発見の定着を感じる。 ライン河の景観の賛美も、バイロンが詩にうたい、ターナーが絵に描いた時期であることを思えば、まさに時代の鏡だ。
 ほかにも、イングランドやスコットランド、いろいろな土地が描写されている。こういう要素も生かして映像化するならばけっこうロケがたいへんな話だろう。 しまいには北極圏だし。

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海賊姫 コーラル カル物 王のいばら チェーザレ

2010-11-05 05:16:26 | マンガ
山下友美『海賊姫』1巻
 地図売りの祖父から、実はお姫様だとホラふかれて子供時代を持つ娘ローズ、しかし事実は、伝説の海賊「ファントム」が父親だった。おまけに後継ぎにされていると知って、そんなの断るつもりで迎えの青年たちと海賊船に乗り込む。
 海賊の後継ぎなんてなる気ないのに、いざとなったら気風よく啖呵きるローズのキャラは爽快。相手役候補の男キャラは、ワイルド系。クール系、貴公子系とお約束にそろっている。
 掲載誌休刊の『暁のブレーメン』とは違ってこちらは順調に進んでいる。・・・・・・プリGO(プリンセスGOLDを私はこう略したい)は当分存続してくれよな~~。

TONO『コーラル』2巻
 母が男と出て行ってしまったという身の上の美少女 珊瑚と、彼女が創作している人魚たちの物語がパラレルに語られる構成を持つ。
 珊瑚が中学生になって、兄と似てない容姿を不審がる連中に、「母の浮気でできた子なんで」と「ぶちかまし」て黙らせる場面は痛快でもあるが、事故のあとで意図してか無意識にか女の子らしさをそぎ落としているかのような有様は痛々しい。珊瑚の祖母が、出て行った嫁に対して敵意よりも哀しさを感じているらしいこと、血縁がない可能性もある珊瑚に心から愛をそそいていることは、ところごどころ容赦のないこの話(TONO作品には淡々としたシビアさがたいていあるが)の中で救いになっている。
 (TONO作品には、一般的基準の「賢母」ではないけど愛は確かにある母が、強烈な印象で描かれることがしばしばあると思う。強烈さで群を抜いているのは『砂の下の夢』の「赤い鳥」のエピソードだ。)

『カルバニア物語』13
 13巻だからではないだろうが、幽霊の出る「ココア・タワー」久々に登場。たいていの人間は怖くないのに幽霊は怖いエキュー、そのエキューにぞっこんの赤毛の美女アナベルがエキューに甘えられてしまうし、妙なことで見込まれて素行ナンありのナジャルの愛人(?)に。ねえやの幽霊の話は、笑っていいのか怖がるべきなのか。
 華やかというタイプの絵ではないのに、美形と設定してあればそれを素直に受け入れて読むことができるのはそれも力量なのか。
 タキオの娘の「キャス」って、今回初登場? 小さいうちからメンクイなんだな。
 
戸川視友『王のいばら』1巻
 『白のフィオレンティーナ』や『海の綺士団』とちがって、舞台は架空のヨーロッパ、地図を見ればだいたいどこがどこをモデルにしているか見当はつく。
 不吉とされる金の瞳を持つ少女エピヌは、母の死後一人で森の奥で暮らしていたが、ある日、盗賊と称する3人組がやってくる。それはロレート王国の若い王ジェムソードとその腹心たちだった。美貌と知性に恵まれたエピヌは、王のもとでその才覚を発揮していく。
 盲目の宰相の視点での「なんというおだやかな・・・・・・」という王の描写には、ちょっとアウさんを連想して喜んでみる。キャラじたいは別物であるけど。

『チェーザレ』8巻
 
 ほんと、1492年というのはヨーロッパの歴史において怒涛の年。海の向こうでは「いよ~国が見えた」、スペインではレコンキスタ完成、フィレンツェでは豪華公の死、ヴァチカンではボルジア枢機卿が教皇アレクサンデル6世に。 大陸「発見」は常識に属するけど、レコンキスタについてフィクションで大きく取り上げられたのを見るのはこれが初めてだった。  ロレンツォを肖像に似せて描いたキャラデザインもこのマンガが初めてだったけど、サヴォナローラもイメージだ(こいつキライだけど。『春の戴冠』読んでてつくづく憎々しく思った)。
 アンジェロが悪友どものおごりで脱童○。・・・既遂になるのが青年誌ならではだろうか、少女誌だとなにか邪魔が入る確率が高いような気がする。マヌエラもいい感じのキャラであるけど。
 「第一市民」という言葉に、ページをくるより早く連想すべき正解が私の頭に浮かんだことは言うまでもない。

 11月のコミックスリストをチェックすると、購入予定は
桑田乃梨子『ねこしつじ』1
『風光る』29
『チャンネルはそのまま!』3 佐々木倫子
『っポイ!』29,30(完)
『萌えの死角』2 今市子
『先生と僕ーー夏目漱石を囲む人々ーー』1 香日ゆら
 ↑これは、『乙女の日本史 文学編』で引用してあったので買いに行ったら、まだ出ていないのだった。アニメイトのリストでは、これの上下に『マイデイアーー正岡子規と秋山真之ーー 上』 『ダンス・マカブルーー西洋暗黒小史ーー』1 なんてタイトルがあってこちらも気になる。
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日独150年

2010-11-03 09:55:44 | ドイツ
 先日、新聞に、来年は日独交流150年だと載っていた。
「1860 オイレンブルク伯爵率いるプロイセンの東方アジサ遠征団が江戸沖に来航」 「1861 日本とプロイセンが修好通商条約を結ぶ。その後、ドイツ北部連邦諸国との間にも同様の条約が結ばれた」
 当時まだドイツの統一は実現されてなかったのだなぁ、日本の「維新」よりも遅かったのだなぁという感慨もある。
 来年1月にはその記念切手が出る。いまのところまだデザインはHPに載ってはいない。  「ドイツ年」のはいま一つだった! 今回はもっとぱっとしたものにしてほしいものだ。プロイセンがいち早く来たのなら、ベルリンは欠かせまい。
 ところで、オイレンブルク伯爵というのは、日本で初めてクリスマスツリーを飾った人ではなかったろうか。『クリスマス どうやって日本に定着したか』によると。この本文庫化すればいいのに。私が留学中に出て、帰ってから買おうとしたときにはもうなかったぞ、出てから1年しか経ってなかったのに。検討してくれ角川!

 ところで、かつてドイツで泊まったホテルが健在なのかがふと気になって、各都市のHPで見たところ、いくつかの名前がもう見当たらない。エーベルバッハのKettenbootなどは特に気に入ってたのに、これから行く予定がないとはいえ残念だ。

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ルシウス「インタビュー」

2010-11-01 10:01:14 | ローマ
「古代ローマ」
 ここはコインがメインであるが、掲示板の話題は幅広く、さまざまな情報満載。
 少しまえに、「毎日jp」の記事
「テルマエ・ロマエ:「温泉で人生を謳歌!」主人公ルシウスに“インタビュー” 毎日ウィークリー」が紹介されているので、これはぜひお知らせしておきたい。30日発売される毎日新聞の週刊英語学習紙「毎日ウィークリー」において、「世界に羽ばたく漫画」と題した特集の中で、ルシウスが作者を介したという形であるそうだ。機会・興味のある方はどうぞ。

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