レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

ローマのゆがんだイメージ

2006-04-16 20:19:10 | ローマ
2chの「少女漫画板」に、「マンガで覚えた間違った知識」というスレッドがかつてあった。そこで私が思い出したことは、30年くらいまえの『落葉だらけのロマンス』(木原敏江、当時は「としえ」)の、「そのかみのローマでは、男色をたしなむことこそ貴族のしるし、風流のきわみとされていたのに」というセリフ。当時の少女マンガでは、まだ同性愛はきもちわるいものとしての扱いであり、主人公(男)の取り巻きたちがその姉たちに「男ばかりでハレムつくって」「変態の集団のくせに」と迫害されていることを嘆いてこう言っていた。ううむ、全くのマチガイとも言い切れない気がするが、偏ってはいるだろう。同じく木原さんの『摩利と新吾』(こちらでは、既に男色はグロいものとしては描かれていない)では、傍若無人だがそれでもまだ不満を持っている青年が、「ああなぜわたくしは全能のローマ皇帝に生まれなかったのでしょうね 想像図」と、古代ふう衣装に身を包んで美少年たちを侍らせたひとコマになっていた。こんなのが刷り込みされていれば、「ローマ」像は当然ヘンテコなものになるだろうな。
 なお、私が「カリギュラ」の名を初めて目にしたのは『エロイカより愛をこめて』の中の、本筋とは関係のないこんな会話ーー「『カリギュラ』だ」「それなら映画の試写で見ました」「で、どうだったかね、え?」「元気にやりまくってましたよ」。現国でカミュの『異邦人』を読んだ際に、新潮文庫の巻末で同じ作家の本の題で『カリギュラ』を見たのとどちらが先だったろうか。ひどくインパクトのある名前と思ったことは確かだ。
 カリグラにせよ、ネロにせよ、スキャンダラスなほうが人目をひいてしまうことは仕方がない。私自身、早い時期に(高校生くらい?)に『歴史をさわがせた女たち』を読んで、「暴君」ネロの母「アグリッピナ」の名前はいち早く覚えた。のちにその祖父と彼の友のコンビに熱をあげるとは露思わず。
 しかし、たまには地味なマジメな皇帝の時代をとりあげてくれてもいいんじゃないか、有名な割には「五賢帝」なんてドラマではマイナーではないか?強いて言えばハドリアヌスとマルクス・アウレリウスくらいだけど、前者はほとんどアンティノウス、後者はバカ息子のコモドゥスとの関わりばかり目だっているような気がする。
 求む、マジメに仕事する皇帝の図。
そういうわけで、ケチなオヤジのウェスパシアヌスを上司(?)に持つ『密偵ファルコ』なぞがドラマ化されたらいいのに、と思うのだった。
 新刊読んだらコメントします。
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明日から新学期

2006-04-13 13:46:07 | 雑記
明日から授業が始まる。曜日と時限は毎年変わるので当初は慌しさもあるけど、新しい生活のリズムを作っていくことはそれなりに楽しい。
 それにしても、大学の授業期間ってほんとに短い。せめてその間くらい授業に出て来たまえ学生諸君。
 きのう電車で隣の女子高校生たちが、外国語をするならなにがいいかという話をしていた。「イタリア語やスペイン語もいいよね」「イタリア語の番組面白いよ、○○が出てるの」「ドイツ語、難しそうだけど話せたらかっこよさそう」なんてね。 第二外国語を選択するような時期って嬉しいよなぁ、と羨ましい。

 前前夜見た夢。古本屋かあるいは普通の本屋かで、『セーラームーン原画集』を発見している。
 ドイツにいたころ(98~99年)、当地でも出ていて、それとは別に「廉価版」があって、私はこれを買っていた。ハードカバーの代わりに薄い表紙にして、巻末コメントを各ページの隅っこに移すなどでページを減らしているーーだけならいいのだけど、綴じ込みポスターなどカットもあるのでやはり普通のが欲しくて、ブックオフで注意している。5巻のうち3冊は入手したのであと2冊。
 正夢になるといいけどね。
 『セーラームーン』についてはいずれ「マンガ」項目で。
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元「首村」ボン

2006-04-13 13:43:39 | ドイツ
 先日の新聞に、ワールドカップの日本チームのキャンプ地であるボン市で日本人サポーターのために様々な催しが企画されているという記事が載った。結構なことだ。

 ライン河畔のボン。かつてここが「西ドイツ」の首都であったことを知らない世代も出てきている。戦後、東西ドイツに分割されたころに、「仮首都」のつもりで、大都市のフランクフルトをおしのけてこの人口約30万の小さな町が選ばれた。Bonnという名前は、Bundeshauptdorf ohne nennenswertes Nachtleben(ナイトライフと呼べるもののな
い連邦首村)の頭文字だという揶揄があったそうだ。(なお、正しくはラテン語の「ボーヌス(よきところ)」が語源)首都Hauptstadtではなくて「首村」もポイント。ヤボな田舎と言ってるのだろうが、私はこーゆーのはむしろ愛を感じる。
 私は1990年の11月と、1999年2月の二度訪ねている。90年の時にはまだ統一間もない時期だった。「首都はボンに残そう!」という小さな訴えビラを見た。この時に買った絵葉書と同じ写真の絵葉書が、99年にもあった。前者ではBundeshauptstadt
Bonnと書いてある部分に,後者ではただの Bonnと記されていて苦笑を誘う。
 名物はベートーヴェンの生家と大学。・・・それだけあれば立派なものだろう。本当にひっそりと、ベートーヴェンハウスは立っている。知らずにいれば通り過ぎてしまう。ピアノ、楽譜、補聴器など展示品はたぶん同じだろうが、90年のときよりも99年のほうが商売熱心になっていると見えて、けっこうグッズを売っていた。全種類のTシャツを私は買った。
 ミュージアムマイルと呼ばれる通りにはいくつもの博物館があり、「歴史の家Haus
der Geschichte」は盛り沢山。ここで、戦時中に英国で出ていたアンチナチスパロディの絵本(の復刻解説書)を買った。西ドイツにも、戦後のある時期マンガ弾圧があったことも説明されていた。
 (90年しか行ってないけど)駅をはさんで反対側には宮殿、そして市立博物館があり、ここで『我らの祖先ゲルマン人』という絵本を買った。しかしこの絵本はフランス製である。タイトルだけドイツでつけたのか?
 日本でのドイツ観光パックツアーといえば、ライン河クルーズ、ハイデルベルク、ローテンブルク、ノイシュヴァンシュタイン城が4大定番だ。どうせならもすこし足を伸ばして、ボンのベートーヴェンハウスを入れてもいいだろうに。実際日本人はたくさん来るというし。
 99年に一泊したのはユースホステルだった。名前はVenusberg(ヴェーヌスベルク)、つまり「ヴィーナスの山」。ユースのくせに、ボンのくせに、こんな色っぽい名前!もちろんごくカタギの、清潔なところである。そのへんがそういう地名なのだ。タンホイザー伝説と関係あるのだろうか?
 私がボンに対してある種の肩入れがあるのは、「鉄のクラウス」の地元だからである。「鉄のクラウス」って誰?という人には、往年の名作『エロイカより愛をこめて』のヒーローである、とだけいまは説明しておこう。

 愛すべき元首村ボンに光を!
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気になる言葉 「パロディ」

2006-04-13 13:39:54 |   ことばや名前
広辞苑によると「文学作品の一形式。有名な文学作品の文体や韻律を模し全く反する内容を読み込んで滑稽化・風刺化した文学」である。
 かつて、『アニパロコミックス』という雑誌があった。この雑誌が作った言葉かどうかは知らないが、既成のアニメの設定やキャラクターを借りて、描き手が自分の話で動かして描くものを「アニメパロディ」「アニパロ」と呼んでいた。初期のころには、原典がアニメでなくても「アニパロ」と言っていたらしい。やがて、素人マンガ描きの間にこういう「パロディ」が浸透していく。
 上記のように、本来の「パロディ」は、原典に対しての風刺とされており、「批判」が言いすぎならば少なくとも距離を置いたものであろう。しかし、マンガ同人の世界を席巻した「パロディ」には、ほとんどそういう批判精神はない。むしろ原典への激しい思いいれから描かれることが主流であった。
 私は、広辞苑のような本来の意味に固執するつもりはない。しかし、その名で呼ぶのは、せめて原作の特定場面や特定セリフを扱った(たいていはお笑いのタネにした)ものに限定しないか?と思っていた。設定や人物を借りて読者がまったく自分の話で動かしたものをひっくるめて「パロディ」と呼ぶことには抵抗があった。ほかの名称、例えば「レンタル」なんてどうだろう?(「オマージュ」を提唱する人もいた。)
 ーーこのように思っていた。すると、いつのまにか「パロディ」の語は見なくなり、「二次創作」と現在は言っているようだ。このほうが私は落ち着く。
 もっとも、「借り物のくせに「創作」なんて図々しい」と思う人もいるだろう。設定を考えるという楽しいはずのところを放棄するなんてもったいない、という考えもある。それも一理あるとは思う。かつて『編集王』という泥臭い熱血な青年誌マンガがあった(けなして言ってるのではない)。青年マンガ編集者見習いである主人公がコミケを取材するエピソードがあり、「俺だって『あしたのジョー』は好きだけど、原作と違うストーリーなんて読みたくないぜ」と思う。そう、そういう人もいるだろう。原作者の描いたものしか意味ないと思う人々も。しかし、読みたい人もまた少なくないのだ。出てこない部分を想像してみる。前日談や後日談。こんな事件だってありうるかも。あるいは、長い連載の間に変貌してしまった作品世界やキャラに対して、いちばん好きだったころの像で描いてみる。納得いかない結末を描き直して溜飲を下げる。等々。少なくとも私は、そういう世界を偽者として否定する気はない。なにゆえにこのキャラたちを使っているのか?と時々考えてほしいとは思うが。あまりにも別物になっていると首をかしげてしまう。

 なお、私が「注意書き」で書いた「同人パロディのノリ」という言葉は、原作マンガに対して、歴史上の人物に対して、(愛のこもった)想像力を駆使して遊ぶ、お笑いのタネにしてもそれを不謹慎だ低レベルだと見下したりしない、という意味である。
 「同人的」「女性向け」という表記を「ホモセクシャル要素あり」の意味で使うことに私は反対である。「女性向け」の注意書きを見て、「オレ少女マンガもレディコミもOKだから」と 入ってみて気持ち悪くなった
・・・なんて事例はないのだろうか?「女性=ホモ好き」でもないのに。

 「パロディ」って、要するに「もじり」なんだろうけど、この「もじり」という言葉自体あまり使われないだろうか。
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世代ギャップ

2006-04-12 17:07:26 | マンガ
3月の新刊で、1冊もれてました。

戸川視友『海の綺士団③』
元々は同人誌から発した「冬水社」刊。「いちラキ」連載。
この前には、ルネサンスを舞台に、絵の才能のある少女と、メディチの再興を目指す青年実業家との恋を軸とした『白のフィオレンティーナ』を描いていた作家です。ある時期からコスプレものを描き続けているので私は注目しています。
 16世紀、マルタ騎士団に、なぜか女の身で入隊を許された美貌のフランス人剣士アシェル。男主人公はドイツ人の変人医師のルーカス、ほか各国からユニークなメンバーが集まっている。3巻では、騎士団に潜入していたトルコのスパイをアシェルがあぶり出し、そして救済する顛末。宿敵のトルコ側も魅力的に描きたいという作者の姿勢が良いです。
 『白フィ』その他では、ある意味「たたかう女」でも、画家とか尼僧院長とか、剣はふるっても男装はしていないとか、つまり「女」のままであったけど(フィオレンティーナは修行の初期に男装してたけど)、この作品で初めて、ある意味古風な「男装」ヒロインの登場である。「心は男」といまのところ自称している。女が自分の性別とどう向き合うか、受け入れていくかという過程は、少女マンガにとって普遍的なテーマであるので、アシェルの場合どうなるのか。(少なくとも彼女は「クインビー」※ ではないと思う)ほかに彼女に惚れてる男はいるが、お約束としてはやはりルーカスが本命に見える。金髪女と黒髪男という組み合わせでもあるし。
 なお、『白フィ』のころには、登場人物が全体としてうっすらとキレイというくらいに見えていた(つまり、美形がいまひとつひきたたないという少女マンガとしてはありがちな状態)が、『うみきし』では、アシェルが一際目立つという設定が絵で充分伝わっている。 

 4月の新刊で買うのは、
山下友美『薬師アルジャン③』『代書代佐永③』、
みなもと太郎『風雲児たち 幕末編⑨』、
『とってもひじかた君②』『はるか遠き国の物語⑦』
だからといって、全部ここでコメントするわけではありませんけどね。


 出身校の独文科で「マンガと軍歌と新選組に詳しい人」と呼ばれてきた私であるけど、年々、マンガの流行とのギャップを感じている。
 情報誌「ぱふ」では、毎年年末にその年の人気投票があって、翌年三月に発表されるけど、どんどん、知ってる作品が減る。今年つまり2005年度なんて、長編の上位100のうちで、全部読んでるのが3本だけ。ベストテンなんて噂にしかきいてないし。「このマンガがすごい!女編』でも、上位作品で読んでるのは『大奥』くらいなものか。「このイケメンキャラがすごい!」で取り上げられていたキャラたちも、読んではいないけど、絵としてだけ見るならばたいして好みではない。私の考える「典型的少女マンガの絵」はもはや多数派でもなく、古臭いと思われている節さえある。 同じ「ベストテン」でも、古めの作品から選んだものならばもっと読んでるのだけど。
 「外国文学」という講義で好き勝手なこと講釈している。配布物にはたびたびマンガの引用をするけど、学生たちはほとんど知らない。「山・森」がテーマの時に、『ファウスト』が劇中劇で出てくる『シメール』(森川久美)のカットを使った。それを読んでみた学生がアンケートに、「昔の少女マンガには文学的要素がたくさんあったのだろうか」と書いてきた。「『ファウスト』の筋は『舞姫』とよく似ている、鴎外はやはりドイツ文学の影響を強く受けていたのか」とも。うーん、エリートの男が純真な娘を犠牲にするという点ではそうだが。関心もってくれたのは嬉しいよ。

 マンガの(読者対象による)区分もかなり明確でなくなってきている。昔ほどには、表紙を見て男女別がすぐわかるというわけでもないし、たとえば「コミックブレイド」なんて、「女性作家による、女性読者のための少年誌」に分類されてるし、でも「少女誌」を自称しているようだ。桑田乃梨子とか佐々木倫子のように、かつて少女誌で描いていてもいまは専ら青年誌という作家もいる。『白井三国志』なんて、「小説JUNE」→「コミックトム」(青年誌)→「三国志マガジン」と、掲載雑誌がころころと替わっている。私が3月新刊で買った12冊のうち、明らかに少女マンガ!なものは半分だ。(そして、新刊といっても復刊が半分近い) 少女マンガの定義も揺れている。

※「クインビー(女王蜂)」:男社会の中で「例外的に」「特権的に」成功して、「普通の女」を見下す女。ある意味「名誉男性」?でもこれは噛み砕き過ぎた表現かもしれない。
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先月買った新選組マンガ2種

2006-04-11 13:34:41 | 新選組
鈴宮和由『とってもひじかた君』
20年くらいまえに「サンデー」に載ってた作品が、ソノラマ文庫から復活。作者は女の人で、いくらか少女マンガ的な絵。新選組のメンバーをモデルにした、学園ラブコメへのトレース。ケンカっぱやい転校生の土方歳三、彼になぜか初対面から懐いている、物怖じしない坊や沖田総司、ごつい顔の近藤先生、エトセトラ、つまり、もろに実名で出てくる。だから、女キャラは名前が出ただけで誰の相手かわかってしまうんですな(幕末の知識があれば)。
 トシの家が薬局で、姉はもちろん「のぶ」だけど、兄が「良循(よしゆき)」で医学部生という設定が細かい。史実のトシの兄の一人で医者の家に養子に行った「良循」がいるので。
 トシのキャラづけが、「どすけべ!」になってるあたりは少年マンガならではなんでしょうかね、もっとも、本命の「雪緒」さんが絶対ではあるけど。もちろん司馬『燃えよ剣』の「お雪」からきてます。だいたいは司馬調のノリ。

斎藤岬『ひなたの狼』
 現行の新選組マンガでこれがいちばんのお気に入り。画風はそれほど好みでないけと、「美少女顔」のトシのキャラデザインは好きです。髪形についてはまるっきり時代を無視していて、だ~れも髷をゆってない。でも面白いから私が許す!
 沖田を美形にせず(かといって見苦しいわけではないが)、ひょろりとノッポ(※)のひょうひょうとした剣術バカ青年にしてるあたりも好感度高し。原田や藤堂のほうが美形に見えるのは史実に沿ってる。
 勘定のとりたてに来た呉服屋の妾のお梅が、無頼漢の初代筆頭局長芹沢鴨に手籠めにされて、なぜかその後愛人になってしまい、という展開はたぶん史実で、ここにも出てくる。初めて人を斬って動揺気味の土方が、狼藉にあった帰りのお梅とすれ違う場面では、この二人の雰囲気がオーバーラップするように描かれていてなんともアヤシイ。おまけに、この件で芹沢に抗議した土方は「破瓜をむかえた娘のような顔をしているぞ」な~んて言われてしまうんですからな。これ、青年誌だよね、いいのか?
 先月の4巻では、「美男五人衆」の佐々木愛次郎&町娘あぐりの悲劇、大阪で悶着のあった力士たちとの和解イベント、芹沢の大砲ぶち込み、「蛤御門の変」といった事件が出てきた。商家経験もある土方が相撲大会でお茶や酒を売らせるけど、斎藤&永倉が売りながら飲んでしまうので、「うわばみどもに酒売らせたのが間違いだった 酒飲めないやつに代わってもらう 誰かいないか?」--で一斉に指差されて、自分がそうなってしまうのが可愛かった。
 次の5巻で一区切りーーということは、やはり芹沢一派の粛清までなんでしょうな。『俺の新選組』と同じパターンだな。
※ 隊士募集の場面で、大男の島田魁を見て沖田が「うわ でかい人!」と遠慮なく叫び、トシが「おまえもだ」と小さくツッコんでいてそこはかとなくおかしい。
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桂文珍『落語的笑いのすすめ』

2006-04-11 13:30:26 | 
 新潮文庫の先月の新刊。
 かつて「クイズ 日本人の質問」という番組があり、そこに文珍さんが出演しており、時々見ていた私は面白いと思っていました。そのうち、ある雑誌(歴史もの?)で、この人が新選組について言及していて、そこで栗塚歳三をヨイショしてくださったので、私の中でこの落語家への好感度はさらにぐっと上がったのでした(いいのかそんな価値基準で)。
 この本は、2000年に慶応義塾大学で行われた講義録です。「関西のここがわからん」「慶応の~」その他、学生たちへのアンケートから話を始め、笑いの効用やら落語の歴史やら、文学的な伝統にも絡めて語られています。頭の体操のような問題もあり。落語そのものを演じて下さってる部分もあるし、読んでこんなにオカシイのだから、ライブではどんなに大ウケだったろうかとしのばれます。
 慶応では、公式の場(式典など)では教職員も学生も「君」づけで呼ぶ習慣なので、ーー
「私も「桂君」と呼ばれました(笑)。「桂君」だなんて、私は別に勤王の志士でもなんでもないんですけれども(爆笑)」 この「爆笑」は、聴衆つまり学生のほうなんでしょうね。 
 多くの人にお勧めできる1冊です。 
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花見の話

2006-04-11 13:25:52 | 雑記
ほんの聞きかじりで不正確な表記だけど:
「明日ありと思ふ心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と親鸞が7歳で詠んだという。・・・なんて、悟りきったかわいくないガキなんだろう。心がけよすぎて鬱陶しいぞ。

 うちの近所の「幼児園」(なぜか「幼稚園」ではない)には変わった桜があり、同じ木に色の違う花が咲いている。今日は夜に大雨だと予報なので、朝方せっかくだからその幼児園に足を運んだ。うん、薄いピンクの中に、色の濃いピンクの花をつける枝が混じっている。謎だ。
 その隣の家にも、2種類の桜の木がある。祭りの装飾のような枝の細い感じのと、色の薄いぽてっとした感じのものと。
 今月初め、立川の「昭和記念公園」にもっと一般的な(?)花見に足を伸ばした。梅や水仙も鮮やか。日本各地の桜の写真展や、桜各種の紹介もあった。「楊貴妃」という桜は、たっぷりとして重みのある印象。豊満タイプを象徴しているのに違いない。「クレオパトラ」というバラはありそうだな、思いっきりゴージャス系で。(私は彼女を美女と設定はしていない)
 絵葉書といい切手といい、春にふさわしい品はたくさんある。この季節は楽しい。
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注意書きというものについて思うこと

2006-04-10 15:01:57 | 注意書きと「準・ブックマーク」等
このブログは3つの話題に分かれているーー元ネタわかります?

「話題」というのもあまり適切じゃないですが。
その1 これまで散々書いてきたけど、どうしてもまた書いておきたいこと。
その2 過去のネタだけど書く機会がなかったこと。5年前にドイツ語で書いた少女マンガ論の内容とか、ドイツの思い出など。
その3 新しいこと。読んだ本とか、普通の意味での日記。

サイトには「注意書き」というものがあります。掲示板にも、管理人が訪問者に守ってもらいたいルールが書かれているのが常です。この注意書き、長いことはたいてい好まれません。禁止事項が多いとうるさく見られます。しかしですね、一般常識からして不穏当ではなく、サイトのテーマからして出てきてもおかしくはない、でも管理人の個人的趣味によって避けてほしい話題というものがあるならば、それは明記しておいたほうがよいのではないでしょうか。
 例えば、オペラのサイトだけど宝塚は見ないから話ふられてもわからんとか、ギリシア中心の神話サイト、でも旧約聖書はキライ、とか。訪問者がそれを知らずに書いてきた場合、耐え抜くならばそれはそれでいいのです。しかし、「すみません、○○は苦手なので・・・」というふうに返信したとして、それでその相手は納得してそれから遠慮するようになるでしょう。一時はそれで済みます。でも、掲示板の書きこみは流れていくので、時間が経ってからまた別の新規さんで同じ事態が起きるかもしれません。そのたびにお断りするのはお互いに気まずく煩わしいです。ならば最初から禁止事項となっているほうがすっきりしそうです。話題はこれこれの範囲で、と明確に示してあればむしろラク。「なんでもいい」と言いながら、キライの後出しのほうが困ります。管理人は、訪問者がなんの話題をふってくるか予期できないように、訪問者は、なにが管理人にとっての地雷かわかりません。「注意書きを多くして、気難しい、ワガママと思われたくない」という心理もあるでしょうけど、悪気はないのに無用のストレスをためてお互いの精神衛生上悪いことになるよりも、イヤなことはイヤだと早めに断っておくほうが賢明だと考えます。
 それまで出てきたことないので想定していなかったという場合には、注意書きが増えることになるのも仕方ないですけどね。
 まだ訪問者としての感覚のほうが強い新米管理人の意見でした。
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ドイツの休日

2006-04-10 14:58:10 | ドイツ
 私の机の上には、ドイツの知人から頂いた週替わりのポストカードカレンダーが置いてあり、各地の様々な風景が映し出されている。当然、あちらの休日が書かれているので、上に下げてある日本製(こちらは、教科書出版社から毎年送られてくる、ごく地味な品)を忘れずに見なければならない。今週の日曜と次の月曜はイースター(復活祭)か。これが近づくと、イースターエッグが目につくようになる。ゆで玉子に彩色したものとか、生卵の中身を抜いて色つけしたとか、あるいはタマゴ型のチョコもある。
 イースターは、移動祝祭日で日は毎年変わるとはいえ、全国共通である。しかし、ドイツの休日はたいていが宗教がらみであり、カトリックとプロテスタントが半々のこの国では、地域によって休みか否かが違う日があるので、それをこのカレンダーで改めて発見したのは面白かった。わかりやすいのは、10月31日と11月1日だ。宗教改革記念日である10月31日は、北東部の州、つまりプロテスタントの強い圏で休み。「万聖節(諸聖人の日)」の11月1日は、南西部、カトリック圏が休み。 ふらっと出かけた異教徒異邦人は困るだろう。もっとも、こういった行事の意味をすべてのドイツ人が必ずしもわかっているわけではないらしいが。
 日本の場合、地域で違う休日なんて、県民の日くらいなものだろうか。
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