レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

日記。

2011-07-31 19:42:55 | 雑記
 6時起床。でもそのまえに、4時ごろ地震で起こされた。
 PCをいじってから少し勉強して、洗濯機を稼働させる。
 7時半ごろ朝食。そのあと、具合よくいつもの犬の散歩が来たのでビスケットをやって撫でる。今日は親犬たちのほうなので静かだ。
 洗濯物を干す。小雨なので乾きはあまり期待できないけどいちおう外に出しておく。
 11時、昼食。
 12時半、外出。今日は「毘沙門天管弦楽団」のコンサート、調布で行きやすい。これのほかに、外出したい理由が二つあって、注文していた本が届いたこと、図書館で予約していた本が来たこと。
 コンサートは例によって、7,8割席が埋まっているように見えた。高齢者が多いかな。 メインはブルックナー、でも実はアンコール曲の『惑星』の『ジュピター』中間曲がいちばん印象に残った。隣の席の老人が話していたけど、震災のあと、コンサートのアンコール曲は『G線上のアリア』が多いそうだ。なんとなくわからんでもないけど、なにかはっきりした理由があるのだろうか。
 
 今日で7月が終わり、でもまだまだ夏は続く。 心がけよく過ごしたいと毎年思う。 だいたい、冬よりは夏のほうが元気ではあるが。
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『大聖堂』 『白薔薇の女王』

2011-07-29 05:12:55 | 
『大聖堂 果てしなき世界』 ケン・フォレット
  いま読んでいるところ。上中下の中巻半ばまできた。
   前編(という言い方にはどうも抵抗があるけど、この場合「正編」も不適切だし仕方ない)『大聖堂』を読んだのはもうかなりまえのこと。あれはヘンリー2世がトマス・ベケットと対立してベケットが暗殺される事件がクライマックスにきていた。細かいことは忘れたけど、ヒロイン(という言葉もキライだけど便宜上)にふられて逆恨みして嫌がらせし続ける悪役のしぶとさが強烈だった。
 で、『果てしなき~』は、前編の主要キャラたちの関係者たちも登場しているけど、話は別なので、忘れていても差しさわりない。時代は、エドワード2世が急死して(不穏な噂が流れていたりする)3世の時代になっている。このへんにはたいへん過激な王家の愛憎劇(ギリシア悲劇そのもの)があるので、この先どうからんでくるのか楽しみ。
落ちぶれた騎士を父に持つ建築職人のマーティン、裕福な商人の娘カリス、貧しいならず者を父に持つグウェンダ、三人三様に根性があり、読んでいて応援したくなる。

『白薔薇の女王』 フィリッパ・グレゴリー
 集英社文庫から出ている『ブーリン家の姉妹』シリーズの作家の別作品の邦訳が「メディアファクトリー」から文庫で出ていると知った。
 これはエドワード4世の妻エリザベス・ウッドヴィルが主人公。ケルトの伝承を受け継ぎ、ある種の魔術遣いとして描かれている。
 原題はThe white queen で、どうせならば「女王」ではなくて「王妃」にとどめておいてもらいたかった。
 この話では、エリザベスは夫の弟のリチャードを信用はしていないけど、息子たちを殺害したのは彼ではないと思っている。まだボズワースの戦いの前でこの巻は終わっているので、そのあとは同じシリーズの、ヘンリー7世の母マーガレット・ボーフォートを主人公としたThe Red Queen で描かれるのだろう。 このタイトルはどんな邦題になるんだろう? 「赤い薔薇の女王」だと、ヘンリー6世妃マーガレット・オブ・アーンジュになってしまうからやめてほしいが。ほか、エリザベスの母が主人公の巻、長女が主役のthe white princess(白薔薇の姫君?)で薔薇戦争シリーズとなるそうだ。
 そのまえにチューダー王朝シリーズが7冊書かれたということだけど、これまで邦訳では、アン・ブーリンとその妹、メアリ・チューダーとエリザベス、エリザベスとダドリー、3巻出ている。あとは、対メアリ・スチュアート、対エセックスなどで4冊あるのか。
 いいなぁ、売れてるんだろうな。
 --ローマものだって需要はあるだろうに!
 この本にアンケートハガキがついてるのでこれでローマものリクエスト主張もしてやるっ!!

コメント (2)
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女神の嫉妬と不公平

2011-07-26 14:39:30 | 雑記
 某掲示板で、女人禁制が話題になっていた。時々あるのが、どこそこを守護するのは女神なので、女が近付くと嫉妬するーーというもの。  不公平というものではないのか? それを言うならば、例えば、戦を司るのはたいてい男神とされるだろう、だからといって男を排除しようとする話などきいたことがない。女だけが同性に嫉妬するということにしておきたいのだろうか。
 女好きの男神もいるし、女嫌いの男神がいてもいいし、「男というけがらわしいけだもの」(※)など近づくでない!可憐な乙女に奉仕されたいという女神だっているはずだろうに。 男にだけ囲まれていたい女神など私は願い下げである。
 そういう点で、ギリシア神話のアテナは女に優しくない女神なので私は反感がある。だいたい、手前勝手な理由で母メティスを父ゼウスがのみこんでしまってゼウスの頭から生まれたという出自なのに、父への抵抗はないのか?

 ※ 青池保子『修道士ファルコ』で、ゆえあって尼僧院にヤローどもが踏み込んでしまったときに院長様が若いシスターたちに「近寄ってはなりません!それは男というけがらわしいけだものです!!」と焦りまくって叫んでいた、ちょっと笑える場面があった。
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久々に古城街道の紀行を見た

2011-07-24 05:59:30 | ドイツ
 ドイツ語の授業で、期末にはなんとか時間を余らせて、まるまるビデオ観賞の機会を設けることにしている。歴史、音楽、美術、紀行、食、世界遺産、どういうジャンルがいいか尋ねたところ、紀行と食が多かったのでそのセンで。とは言っても、食べ物に関しては二つしか録画を持っていない。料理番組での、ソーセージどんぶり特集(ドイツ人の奥さんを持つレスラーの蝶野がゲスト)と、「味わいパスポート」の、これまたソーセージがテーマ。今回は後者にしておいた。しまいには、ベルリン名物のカリーヴルスト。太いソーセージのブツ切りにケチャップとカレーパウダーをかけたもの。これのおいしい屋台判定をしていた。
 紀行はいろいろ持っているけど、『世界ふしぎ発見』の「南ドイツの誘惑 古城街道」にした。(二つ組み合わせて90分におさまるようにという問題もある)
 古城街道は、マンハイムから東へ、ハイデルベルク、ローテンブルク、ニュルンベルクなど通ってチェコのプラハまでを結ぶ道。(ローテンブルクはロマンチック街道のハイライトでもあることは言うまでもない。) 町の知名度はこれらよりも落ちるけど、古城ホテルとして、ヒルシュホルン城(これのために、ネッカー渓谷では指折りの観光地だそうだ)が出てきた。私も町には行ったことがある。丘の上の城は下から見ただけだけど。ひどく暑い日だった記憶。「エーベルバッハ」も近い位置なのだ。エーベルバッハから観光資料を取り寄せた際、こことヒルシュホルンとネッカーシュタイナハ、ネッカーゲミュントという町4つがひとまとまりにされていた。 
 番組では3つのクイズが出され、これでは、
・ビールに関連して、ドイツで発明された、店の宣伝にも使われるようになった品物は?
・ドイツで発明された、創造性を育てることに有益なおもちゃは?
・中世の職人が、教養を示すために身に付けたことは?
 正解は、
コースター 
積み木
作詞作曲。
 三つめは、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を知っていればすぐにわかるな。あれはすでに中世ではないけど。
 ニュルンベルクではやはり名物のソーセージが出てきた、あ~食べたくなる~~~。
 ドイツのうまいものはソーセージだけではないぞと主張したい人もいるだろうけど、ソーセージが美味いのもまぎれもない事実なのだ、思いっきり言わせてもらう。きかされるだけだと面白くもなんともあるまいが。
 いま、久々に本棚から『ドイツ古城街道物語』という本を取り出してきている。上記のような比較的ポピュラーな町以外でも、絵のような風景は山ほどある。図書館でもこういう本はあるはずなので、目の保養をしたいならばお勧めする。

(日本のソーセージではシャウエッセンが美味いと思う)

「 ドイツ観光局」
久々にこのHPを見たら、いつのまにか「~~街道」が激増していた! 「レクリエーション」→「観光街道」→please selectの順でクリックするとずらっと名前が出てきます。
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『杖と翼』番外編と『暁のブレーメン』

2011-07-22 14:22:59 | マンガ
木原敏江『赤い石』  
 プリンセスコミックス。フランス革命を背景とした長編『杖と翼』(小学館文庫4巻)の番外編2巻目でこれで終わり。名残惜しいけどこのくらいで終わるのがいいのだろう。
 革命フランスから(主として)貴族の亡命を請け負うコンビの活躍と、出会う人々のロマンス。この巻の3作品、村娘のミュゲ、占い師のジア、バレリーナのチュチュ、それぞれに強くて魅力的な女たちである。「すずらん乙女」ミュゲがだまされた恋人を救うだめに体当たりで嘆願するカタブツの老人や、逆恨みでチュチュの妨害をしていた元同僚やらもいい味のキャラクター。
 縦ロールの髪型なんて描いてさまになるのは、華麗で上手な絵でなければならないのだなと改めて感じる。

山下友美『暁のブレーメン』  サイズはB6.
 ぶんか社のホラー誌『トカゲ』に第一話が載ったけど、そのあと休刊、ウェブに続きが載ることになったときいており、気になってはいた。めでたく単行本の1巻目が出た。
 ナチス政権下のドイツ、旅の楽団を装いながら「逃がし屋」を務める「暁のブレーメン」。メンバーが「カッツェ(猫)」、「フント(犬)」、「イーゼル(ロバ)」「ハーン(雄鶏)」と名乗っている。元傭兵集団で、「カッツェ」は実はワーグナー一族の出だという過去があり、ヒトラーにも目をつけられているらしい。
 ずいぶん重くなりそうな背景にアクションとヒューマニズムを交えた意欲作。(その点、ねもと章子『レートルシリーズ』を思い出すな)
 カッツェがやけに色っぽいと思ったら実は・・・まだ書かずにおこう。
 ところで、第2話の冒頭で「193x年 第二次世界大戦下 ドイツ郊外」となっているけど、ミュンヘンでの「退廃芸術展」は1937年で、ならばまだ大戦は始まっていない。 でも、「193x年 ドイツに台頭したヒトラー率いるナチス政権は」としてあるんだよね、わざと史実とはずしてあるのか? (でも第1話では「1933年」と記している)
 (ところで、「退廃芸術」と烙印を押された近代作品、私も実のところあまり好みでないことが多い。その反面、称揚されていたツィーグラー等が作品として味気ないということも感じる。)
 きちんと続いてくれよ、ドイツの知人にも送るために3冊買ってるぞ。

  杖つば、暁ブレ、偶然、「逃がし屋」の話が重なった。 前者は、革命政府もたいていは外国までは追ってこないから国外に出たらもう安心だけど、後者は、英国やアメリカまで行かない限り、戦時下にはまた危なくなるんだよなぁ・・・。いや、英国だって空襲はあるし。
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100冊フェアの不公平

2011-07-20 11:46:19 | 
 夏なので、多少なりと規模のある書店ならば3社の文庫フェアにのってずらっと並べている。しかしスペースのせいなのか、どこでも100種類が並んでいるわけでもないようだ。
 景品はどれももらう気にならないが、読みたい本は角川にいくらかある。しかし、三浦綾子『氷点』など、私のある程度行きつけの書店5軒のうち1軒しか置いてない。ふつうの書棚にはあるにしても、一緒に並んでいないとフェアとしての効果がないではないか。司馬遼太郎の『日本史探訪』など、5軒のうちフェア棚にまったくなく、一般棚にはある、しかしオビがないのでこれを買うのはなんだかシャクにさわる。義経がテーマの章は対談相手が吉屋信子さんだったりするので読むことに大いに気乗りはするのに。私のように、景品は欲しくないヤツでもこういうふうに思うのだから、本じたいにさほど気乗りしないけどなにか無理やり買おうなんて人にとってはもっとマイナスに違いない。 『青春とは心の若さである』にも興味があるけど、ふつうの書棚でさえ見ていない。フェアに入れたならばもう少し考慮しろよ。

 『ブーリン家の姉妹』(集英社文庫)のフィリッパ・グレゴリーの、『白薔薇の女王』がMF文庫ダ・ヴィンチから出ていたことを知ったので購入。こちらは薔薇戦争シリーズだそうだ。 既刊が売れてるからこそ邦訳も出るのだろう、うらやましいことである。
 --ローマものだって需要がないわけでもなかろう。マッシーでもマクロウでも、--求む、「たのみこむ」への投票!! 当ブログの「ブックマーク」をご覧ください。
 そもそも、このブログを始めた動機の一つだってこれら作品の紹介・プッシュなのであった。

 今日は外出しないので買うのがあさってだけど、集英社文庫で買いたい新刊は数冊ある、中野京子さんや田辺聖子さん。藤本ひとみ『皇后ジョゼフィーヌの恋』って、『皇后ジョゼフィーヌのおいしい人生』の改題なんだろうな、ならば不要。角川文庫から『怖い絵』も出るし。

 来月は新潮文庫から『ローマ人の物語』。
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また、まずい国の話題

2011-07-17 05:53:40 | 地理
 プリンセスGOLDに載っているエッセイマンガ『アスカのアラスカワンダホー!』by世鳥アスカ、作者が家庭の事情でアラスカに住んでいたことのことが描かれている。むこうへ行って現地の女の子の誕生パーティーに呼ばれて、そこで出てきたケーキがチョコ時々蛍光ピンク!?」 「ケーキなのに口の中がザラザラする!?」 しかしほかの人々には「デリシャス」・・・。アラスカといえばアメリカ の一部、『ヘタリア』で有名なヘンな色のケーキに関しての報告はこれで2度目である。まずいケーキについては某米文学者も言っていたし。

 食べ物の話なんて、ウマイとただきかされるだけだと面白くもなんともないもので(だから、レポーターがご馳走食べる様子なんて見ても私は全然楽しくないのであるけど、ああいう番組が常にあるところを見ると、需要はあるのだろうな)、むしろ、よその食べ物については、マズイ!という話のほうが面白いことが多いと私は思う。もっとも、そういうのが笑いですむのは、それが明らかに重きをおかれている国、食べ物のほかに自慢できることがあることが条件に違いない。あちこちで非難されてはいてもアメリカが大国であることは疑いないし。英国は誇る伝統もあるし、フィンランドといえば学力の高さが話題になるし。
 ヘッセがイギリスの食べ物マズイと書いた部分の書き抜きをこのまえ見つけたので(そんなのをわざわざメモしている私)この際なので写す。
 「オランダ領インド風の米の食卓は必ずしも常にすばらしいというわけではないが、どんなにひどくても、イギリス人が彼らの植民地の高級ホテルで口にする食事と比べると夢のようである。文化的な民族にとって基本的であり、ほとんど無しでは済まされない二つの才能、すなわり料理と音楽へのセンスが欠けていなければ、イギリス人はこの地上で断然一番の民族であったろうと思うと残念である」
 あいにく、全集のどの部分か忘れた。1912年のものである。
 近い国のほうが夢を持ちにくく美化もしにくいという傾向が確かにあり、フィンランドはそもそもあまり知られていることがなさそうだし、有名なものはムーミンにサンタクロース、サウナ、スキー、わりにいいイメージではなかろうか。

 三浦しをんの新刊『ふむふむ』は、様々な職業の女性たちへのインタビュー。靴職人の方の発言、
 「靴のタイプは、ごくおおまかに分類すると三つになるんです。イギリスの靴のようなドラッド重視か、イタリアのようなフェロモン系か、ドイツのように機能重視かの三つ」ーーいかにものイメージでなんとなく愉快だ。私は機能重視がいい~~! 

 すでに過ぎたけど7月4日、アメリカの独立記念日にはホットドッグの早食い競争が恒例イベントである。公式とは別に企画された大会では、またいつもの日本人青年が優勝したそうである。 
 でも、アメリカのホットドッグだから美味しくなさそう。参加者にドイツ人はいるんだろうか。もともとホットドッグはドイツ系の発案なんだけど。

 幸か不幸か、私自身は、外国での強烈なマズイもの体験はない。閉口したミルヒライスくらいか。

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「金のわらじを履いてでも探せ」?

2011-07-15 04:42:22 | 雑記
 お友達ブログで、42歳の娘が27歳の男と結婚したいと言っていることに反対する母親が新聞の身の上相談に出ていたという一件から始まる話題が出た。

 「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」(これに、○○上の、と限定がつくこともある)ということわざ(?)も存在するし、いま検索した限りでは、年上は気がきくからという意味だと書いてある。--それがウソだとは言わないが、勘ぐってみれば、年上なのに嫁にもらってくれたという気兼ねからよく尽くすという意味が根底にないだろうか?
 子供ができないとたいてい妻側の責任にされたように、なぜ「姉さん女房」の場合、それで引け目を感じることにされているのが女の側だけなのだ? やっぱり年下の男なんて頼りなくてダメ!と、年上男にのりかえられないように頑張らないと、という男からの発想はないのか?
 ミヤザキ事件のとき、某週刊誌の見出しの「狂気のロリコンから娘を守る法」を見て、「狂気のロリコンに息子を陥らせない法」が先だろう、とツッコんだものである。

 久しぶりに思い出したのは、川崎苑子『麦子さんの時間割』、80年代の週刊マーガレットの作品。女子高生の麦子が、同級生と中学生の弟がつきあうことに猛反対する話があった。「世の中には「偏見」というものがある」と、麦子さんが小学生の時の出来事が語られる。テレビで、5つ(記憶で書いているので不確か。本棚の上方にあるけど取り出すのがめんどくさい)年下の男と婚約したという女優のニュースを見ているときに、近所の5つ下の男の子が来ていた、そのハナタレの小汚いガキを見て、年下なんか絶対イヤ~!と思ったーーことがその偏見の始まり。もちろん、麦子さんがイヤだからといって人(他人ではないが)に反対するのは余計なお世話なのであるが。  これ、弟の側に立っての小姑根性で年上女に反対するというよりは、自分の女としての感性から年下男なんてダメ!と主張しているのは、考えようによっては愉快であるな。

 男が若い女を求めることには生物としての本能がはたらいているという要素があるのだろうが、--笑い物にされることも少なくないはずだ。そのくらいはあってもいいだろうよ。 モリエールで、いいトシして若い娘をヨメにするつもりで箱入りにしている男が、まんまと若い男にかっさらわれる喜劇があった。
 若い嫁さんもらうことが悪いとは言わないが、古女房を軽んじることは断固糾弾されるがいい。
 柴門ふみのエッセイで、トシの妻を捨てて若い女にはしると世間は許さない、その点でチャールズ皇太子の件はマシなのだ、という意味のことが書かれていた。そこで思わずにはいられない、--のちのアウグストゥスである人の三度目の結婚なんて、双方うんと年上の配偶者と離婚してうら若い美男美女で再婚するなんて最も恨まれそうなケースである、そういう略奪婚で沿い遂げたあの二人はタフでもあったな~。

 タイトル忘れたけどモームの短篇で、ダサいと義妹には思われていた若くない寡婦が、金持ちの青年に熱烈に求婚されて再婚、その後、青年と別れて年長の壮年の男と再婚、捨てられた青年は恨んではいないけど未練たっぷり、義妹は納得いかない~~という話があって面白かった。

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アデリア、マキャベリ、テレーゼ

2011-07-13 05:19:50 | 
『エルサレムから来た悪魔』
『ロザムンドの死の迷宮』
 アリアナ・フランクリン 創元推理文庫。
 12世紀のイングランド、当時珍しく女性も学ぶことのできたサレルノの大学で医学を修めたアデリアは、ヴェスヴィオで捨て子だったのをユダヤ人の養父とキリスト教徒の養母に育てられたという身の上で、本人は宗教に懐疑的。去勢されたサラセン人従者(イスラム教徒)を連れているというたいへん国際的な環境にいる。
 2作目を新刊棚で目にして、ヘンリー2世の時代で王や王妃も出てくることを知ってがぜん興味がわき、1作目は図書館で。
 洒落っけや愛想には乏しそうだけど情はちゃんとあって、思いがけず恋もして、2作目ではシングルマザーになっているアデリア、その父親の求婚を自分から断ったからこそ彼は司教に就任したのだけど、それを恨む理不尽な気持ちもあったりする。第一印象が悪くて、でもいざというときに頼りになる男、--けっこう少女マンガかも。
 残念ながら作者がもう亡くなってしまったので、このシリーズは4作で終わらざるをえなく、幸い邦訳は出てくれるそうだ。
 お騒がせ女のアリエノールは再登場するのだろうか。

『昔も今も』  モーム  ちくま文庫
 フィレンツェ共和国の下級外交官としてチェーザレ・ボルジアとの交渉に赴いたマキャベリ。したたか者同士で腹の探り合いをしながら、うら若い美貌の人妻を籠絡しようとナンパな画策もせっせと勧める。--美男ではないことは自覚しながらも、女たらしの腕に関してはやけに自信満々なあたりはかえって笑えてしまう。

『プリンセスの系譜』『ハプスブルクは婚礼の鐘をならす』 桜木はな
 講談社X文庫ホワイトハート。(歴史もの特に西洋史となると、ライトノベルでもハーレクインでも手を出す私)
 後者がいまの新刊の棚で目についた。マリア・テレジアとフランツ・シュテファンの話。この二人が高貴な人に珍しい恋愛結婚であったことは史実であるけど、それにさらに少女マンガ的要素をふりかけてアレンジ。のちの「大王」フリードリヒまで美形化されてるのは苦笑するけど、友カッテの非業の死が影を落としているあたりはおいしい。
 作者の前作『プリンセスの系譜』は、フランス革命期、急死した王女マリー・テレーズの替え玉とされた貧乏貴族令嬢アテネーは、革命政府の取引でウィーンへ送られる。これまた少女マンガのお約束てんこもり。『アンジェリク』の影響は明らか(非難しているのではない)。 アテネーのおてんばなキャラは好感が持てる。でもルイ16世の隠し子という設定はちょっと抵抗ある。15世の庶出の孫あたりならばいいんだけど。 
 (かつてホワイトハートでは、榛名しおりという作家が西洋史ものを書いていたけど、このところ見ない。実在したお姫様ドレスの世界は一定枠存在していてほしい。)
 『ハプスブルクは~』のあとがきで「史実っておもしろいですよね。今では「王道」と呼ばれているような、あらゆる物語の原型がいたるところにあって」--だからどんどんやって!
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名前+夫人

2011-07-10 05:16:05 |   ことばや名前
 「ミシェル夫人」、「ヒラリー夫人」(いまではこの人のほうが「クリントン」だけど)のように、名前(日本人なら「下の名前」、多くの欧米人ならファーストネーム)に「夫人」とつけることが耳障りだ。でもこういう言い方が正しいのか間違ってるのかはわからない。
 歴史的には、ある程度身分のある人の妻を指すものだったり、中国では君主の妻の位の一つだったり、私の知識もあやふやであるのであまり断言はしないでおこう。
 思い出すのは、かつて初めて『ベルばら』を読んだ小学校時代、典拠であるツヴァイクの本の子供用『悲しみの王妃』を読んだとき、アントワネットが初めてポリニャック伯夫人を知ったときにノワイユ夫人に名前を尋ねて、「ジュール・ド・ポリニャック伯爵夫人でございます」という答があった。それで私は、え、ジュールは夫の名前なのに?とヘンに思った。しかし、○○夫人とは○○の妻を指すのならば、その○○が夫の名であるのは正しい。いま私の頭に思い浮かぶのは、19世紀英国のディケンズや、もっとあとのカナダのL.M.モンゴメリの作品ではもっぱら、夫の氏名+夫人で出てくる。 しかし、当時の私のようにヘンに感じるのは珍しくないのだろう、『ベルばら』での該当場面では、「ジュール・ド・ポリニャック伯爵 の 夫人」となっている。
 先日読んだモームの『昔も今も』では、16世紀初頭のイタリアの話で「カテリーナ夫人」という書き方がある。原文でどう言っているのかはわからない。
 19世紀初頭のジェーン・オースティンの本の解説では、家に未婚の娘が数人いる場合、長女を「ミス+姓」、次女以下は「ミス+名前」が原則だと書いてあった。「サー」は、「サー+名前」または「サー+名前・姓」であり決して「サー+姓」ではない、しかしその妻は「レディー+姓」であり「レディー+名前」ではない、とか。いろいろややこしい決まりがあるようだ。
 こういう語と、日本語での夫人といっしょくたにすることも問題があるけど。
 たとえ、名前+夫人が誤りでないにしても、私がそれを好かないということには変わりない。マスコミで○○夫人と言うのは、「○○さん」ではなれなれしいと感じるという単純な理由かもしれない。

 ああそれにしても、某イチハシに殺害された英国人女性を「リンゼイさん」と報道において呼ぶことは不快だ。気楽な番組で外国人が登場するときに名前呼びする傾向はあり、そういうのはあるいは、本人が「○○と呼んで下さい」なんて言うこともありうるけど、殺人の被害者でそれはない。ホーカーさんと言えよ馴れ馴れしい!と私はいつも思う。「ルーシー・ブラックマン」さんのときもそうだったな。
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