グレアム・グリーン『キホーテ神父』
かの有名なドン・キホーテの子孫(直径ではなかろう)である善良な神父と元町長サンチョが旅に出る。神父の愛車ロシナンテを駆りながら、敬虔な神父とコミュニズム信奉者の元町長が和気あいあいと議論している。
『処女の祈り』というタイトルにだまされて見た映画がポルノで、でも絡みシーンの意味が理解できない神父とツッコミ入れるサンチョはたいへん面白い。
シュテフェン・ヤコブセン『氷雪のマンハント』
急死した大富豪の金庫に入っていたDVDは、残虐な人間狩りが撮影されていた。発見した娘はその首謀者が父だと確信し、ほかの参加者と被害者の身元調査を探偵に依頼する。一方、結婚したての元兵士が謎の自殺を遂げる。それにあたった女性警視は残された妻の行動に不審な点を感じる。
・・・異常な犯人たちにぜひ天誅を加えてくれ!という気持ちでぐいぐい読めた。
フワン・ラモン・サラゴサ『煙草 カリフォルニアウイルス』
国際ニュースのロンドン支局のミチェルは、煙草の原料が被害にある新種のウイルスのことを耳に挟む。そして世界各地でそのウイルスが暴れ始める。
正攻法のわりにちょっと奇妙な後味の物語。
ところで、この主人公の名前は、英国人であるならばマイケルの表記のほうが妥当ではないだろうか。ほかの登場人物もほとんど英語の名前だし。
作者が何人か、何語で書かれているか、登場人物、舞台等が一致していないことは珍しくない。スペインの作品だけどスペイン以外が舞台である例がたいへんよく目につく気がするのは気のせいだろうか。4月にハヤカワ文庫で出た『トレモア海岸最後の夜』byミケル・サンティアゴも、舞台はアイルランドで登場するのはイギリス人だったし。
ドイツ産の『悪徳小説家』、イタリア産の『六人目の少女』等、どこの話だと特定しにくい作品はある。逆に、はっきりとどこが舞台かを表に出したものは・・・たぶんそのほうが多い。特にそれを強調する意図がないにしても。私はどちらかといえば後者のほうが好きだが。
『心理療法士ベリマンの孤独』カミラ・グレーベ&オーサ&トレフ
ハヤカワ文庫で今年出たスウェーデン産。
夫を亡くした痛手をまだひきずっているシリ・ベリマンは友人とともに診療所を設けている。患者の若い女はつきあい始めた年長の男のことで不信感を漏らしていたが、謎の死を遂げる。シリの周囲でも、飼い猫が行方不明になり、彼女を中傷する手紙が患者に送られるなどの不気味な事件があいつぐ。
犯人の動機に伏線不足な気はするが面白く読めた。夏至祭とかザリガニパーティとか、外国物を読む際に私はこういう描写を期待するほうである。
以下は、去年書いてまだ投下していなかったぶん。
ハヴェル・コホウト『プラハの深い夜』
1945年。プラハでドイツ人男爵夫人が惨殺される事件が起きる。抗独活動とのつながりも疑われ、ドイツ人検事ブーバックが派遣され、チェコ人刑事モラヴァと協力することになる。45年といえばもう戦争も末期、ドイツの敗戦も目前という状態であることは読者もわかっている。占領下での殺人という状況は『将軍たちの夜』(ハンス・キルスト)を思い出させるし、本来敵対する二人というのは『ゲルマニア』もある。
同じ作家の『愛と死の踊り』は1944年に始まり、チェコ・モラヴィアの保護区(占領下ということだな)での軍司令官の娘が寄宿舎から両親の元へ呼び寄せられ、冷ややかな美貌の士官に恋する。 これも戦時下しかも末期が舞台である、しかしミステリー色はほぼない。滅び、倒錯の要素が濃厚で、残グリ向きかもしれない。
まったく毛色は違うが同じチェコ作品ということで『カールシュタイン城夜話』(フランティシェク・クプカ 風濤社)。14世紀、プラハに都を構えるカレル4世が静養のために腹心たちと共に田舎に行き、各自が物語を聞かせ合うという枠物語。様々な女たちのありようが語られる。私にとってはやはり、ただ美しいというだけでそれがよからぬ欲望をひきおこしてしまった不幸の話が、怒りをかきたてるという意味で印象に残る。彼女が静かに、尊敬されて余生をおくったという点が救いではあるけど。(たまには、男どもにだけ罰が下る話はないのかい!)
この本の装丁がずいぶんヘンテコな絵である。まっとうな内容なのになぜこんなグロテスクな絵を使ったのか不満である。
『フラテイの暗号』 ヴィクトル・アルナル・インゴウルフソン 創元推理文庫
西の離れ小島で、デンマーク人学者の死体が発見されたことから始まる。
ところで、アイスランドといえば小さい国!という先入観があるもので、その中で西部とか東部とか言ってるとなんだか奇妙な感じがするのだけど、「九州と四国と合わせたくらい」の大きさなのだから、当然その中でも地域差があり、都市も田舎もあるはずなのだ、とあたりまえのことに驚いてしまった。
中世の書物『フラテイの書』をめぐる会話があちこちに挟まれる。オーラヴ・トリュグヴァソンやハラルド美髪王も出てくるので、あずみ椋読者には親しめる要素が多い。(しかしこの方面に関して訳者の知識はいまひとつのようである。
かの有名なドン・キホーテの子孫(直径ではなかろう)である善良な神父と元町長サンチョが旅に出る。神父の愛車ロシナンテを駆りながら、敬虔な神父とコミュニズム信奉者の元町長が和気あいあいと議論している。
『処女の祈り』というタイトルにだまされて見た映画がポルノで、でも絡みシーンの意味が理解できない神父とツッコミ入れるサンチョはたいへん面白い。
シュテフェン・ヤコブセン『氷雪のマンハント』
急死した大富豪の金庫に入っていたDVDは、残虐な人間狩りが撮影されていた。発見した娘はその首謀者が父だと確信し、ほかの参加者と被害者の身元調査を探偵に依頼する。一方、結婚したての元兵士が謎の自殺を遂げる。それにあたった女性警視は残された妻の行動に不審な点を感じる。
・・・異常な犯人たちにぜひ天誅を加えてくれ!という気持ちでぐいぐい読めた。
フワン・ラモン・サラゴサ『煙草 カリフォルニアウイルス』
国際ニュースのロンドン支局のミチェルは、煙草の原料が被害にある新種のウイルスのことを耳に挟む。そして世界各地でそのウイルスが暴れ始める。
正攻法のわりにちょっと奇妙な後味の物語。
ところで、この主人公の名前は、英国人であるならばマイケルの表記のほうが妥当ではないだろうか。ほかの登場人物もほとんど英語の名前だし。
作者が何人か、何語で書かれているか、登場人物、舞台等が一致していないことは珍しくない。スペインの作品だけどスペイン以外が舞台である例がたいへんよく目につく気がするのは気のせいだろうか。4月にハヤカワ文庫で出た『トレモア海岸最後の夜』byミケル・サンティアゴも、舞台はアイルランドで登場するのはイギリス人だったし。
ドイツ産の『悪徳小説家』、イタリア産の『六人目の少女』等、どこの話だと特定しにくい作品はある。逆に、はっきりとどこが舞台かを表に出したものは・・・たぶんそのほうが多い。特にそれを強調する意図がないにしても。私はどちらかといえば後者のほうが好きだが。
『心理療法士ベリマンの孤独』カミラ・グレーベ&オーサ&トレフ
ハヤカワ文庫で今年出たスウェーデン産。
夫を亡くした痛手をまだひきずっているシリ・ベリマンは友人とともに診療所を設けている。患者の若い女はつきあい始めた年長の男のことで不信感を漏らしていたが、謎の死を遂げる。シリの周囲でも、飼い猫が行方不明になり、彼女を中傷する手紙が患者に送られるなどの不気味な事件があいつぐ。
犯人の動機に伏線不足な気はするが面白く読めた。夏至祭とかザリガニパーティとか、外国物を読む際に私はこういう描写を期待するほうである。
以下は、去年書いてまだ投下していなかったぶん。
ハヴェル・コホウト『プラハの深い夜』
1945年。プラハでドイツ人男爵夫人が惨殺される事件が起きる。抗独活動とのつながりも疑われ、ドイツ人検事ブーバックが派遣され、チェコ人刑事モラヴァと協力することになる。45年といえばもう戦争も末期、ドイツの敗戦も目前という状態であることは読者もわかっている。占領下での殺人という状況は『将軍たちの夜』(ハンス・キルスト)を思い出させるし、本来敵対する二人というのは『ゲルマニア』もある。
同じ作家の『愛と死の踊り』は1944年に始まり、チェコ・モラヴィアの保護区(占領下ということだな)での軍司令官の娘が寄宿舎から両親の元へ呼び寄せられ、冷ややかな美貌の士官に恋する。 これも戦時下しかも末期が舞台である、しかしミステリー色はほぼない。滅び、倒錯の要素が濃厚で、残グリ向きかもしれない。
まったく毛色は違うが同じチェコ作品ということで『カールシュタイン城夜話』(フランティシェク・クプカ 風濤社)。14世紀、プラハに都を構えるカレル4世が静養のために腹心たちと共に田舎に行き、各自が物語を聞かせ合うという枠物語。様々な女たちのありようが語られる。私にとってはやはり、ただ美しいというだけでそれがよからぬ欲望をひきおこしてしまった不幸の話が、怒りをかきたてるという意味で印象に残る。彼女が静かに、尊敬されて余生をおくったという点が救いではあるけど。(たまには、男どもにだけ罰が下る話はないのかい!)
この本の装丁がずいぶんヘンテコな絵である。まっとうな内容なのになぜこんなグロテスクな絵を使ったのか不満である。
『フラテイの暗号』 ヴィクトル・アルナル・インゴウルフソン 創元推理文庫
西の離れ小島で、デンマーク人学者の死体が発見されたことから始まる。
ところで、アイスランドといえば小さい国!という先入観があるもので、その中で西部とか東部とか言ってるとなんだか奇妙な感じがするのだけど、「九州と四国と合わせたくらい」の大きさなのだから、当然その中でも地域差があり、都市も田舎もあるはずなのだ、とあたりまえのことに驚いてしまった。
中世の書物『フラテイの書』をめぐる会話があちこちに挟まれる。オーラヴ・トリュグヴァソンやハラルド美髪王も出てくるので、あずみ椋読者には親しめる要素が多い。(しかしこの方面に関して訳者の知識はいまひとつのようである。