レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

夏の終わりに

2008-08-31 20:12:34 | 雑記
 立原道造の詩のようなタイトルだ。
 「ギラギラ暑いときはなんでもできる気がしてて まだそれをなんにもやっていないのに勝手に夏は終わろうとしている」は桑田乃梨子『だめっこどうぶつ』より。これは別のコミックスのあとがきマンガで書かれていたことなので、作者の実感なのだろう。

 私の通った女子高は、夏休みが9月7日までだった。そこで、8月31日=夏休み最後の日、という感覚が私から欠けた。そして大学生になると9月の下旬にやっと休み明け。そういうわけで、私にとってはまだいささか続く・・・とはいえ、なんらかの焦りはやはりあるのだ。
 
 新聞等によると、いまどきの小学校では、1週間早く2学期を始めているところもあるという。それぞれの都合で決めることは悪くないし、「みんなちがってみんないい」の精神に私は賛成するものであるけど、季節感というものはあまり合理性と両立するとは限らない。「衣替え」だって、世間や暦がどうあろうとも、寒ければ暖かく、暑いならば涼しく着るのは個人の自由である、けれど、風情という点ではナンだな。
 心がけの悪い生徒が「8月31日」に宿題に苦しむ、そういう「お約束」の光景が、「ゆとり教育」の埋め合わせなどで崩されてしまうのは、単なるヤジウマのお節介だけど、なんだかヤだ。
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ドラマ『ローマ』感想追加

2008-08-31 06:38:55 | ローマ
いろいろと思いつくままに。

「ROME ローマ WOWOW ONELINE」


 WOWOWのHPのキャラクター紹介欄(これは、HBOのページから訳しているようだ)に疑問、いや不満がある。
 人物関係で「愛人」と「恋人」の区別がある。
 「愛人」と書かれているのは、カエサルxセルウィーリア、これはわかる。しかし、アグリッパxオクタヴィアにこの言葉はどうも似合わん。それなのに、アントニウスxアティアが「恋人」って?どうやら、「不倫」(少なくとも片方が既婚であるという意味での)を「愛人」と書いているようだ。このドラマでは、アティアの再婚の夫マルキウス・フィリップスが出てこないし、アントニウスのフルヴィア等の妻は無視されているので、この二人はフリーの身のように見えてしまっている。しかしな、この二人に「恋人」なんてカワイイ言葉はまるっきり似合わん!
(「愛人」に不純なニュアンスが加わったのは戦後のことだと知ってはいるけど)
 あ、カエサルxクレオパトラの間に「愛人」線が引かれてないぞ。単に、図として書きにくかっただけなのか、または常識なので端折ったか?
 けしからんのは、この関係図の中にリウィアが出てないこと、そして、アグリッパとマエケナスに詳細説明がついていないこと。
 驚いたのは、アントニウスの説明の「非常に勇敢、 ハンサムで魅力的。 男にも女にも愛される」 --え、あれはハンサム設定だったのか!? 別に反対はしないが、セリフの上では言及してなかったな。
 ヴォレヌスの妻ニオベは、何度も美人と言われていたけど、たいしてキレイとも思わなかった。

 現代ものでもそうだけど、外国ものを見ていると、どうしていちいち挨拶に抱き合うんだ暑苦しい、と思う。このドラマでもしきりにやっている。多くはごついおっさん同士で。
 ならば、アグ・オクで ぎゅむっ とやってもらいたかった、せっかくあんなにイメージぴったりの二人なのに、もったいない。
 「土方役者」栗塚旭さんが、『血風録』『燃えよ剣』ののちにも、脇役として土方でまた出た例があるように、例えば、ユダヤのヘロデが主人公のドラマなんてつくられたらアグリッパの出番があるなぁ。そういえば、ヘロデが登場するなんてことも結構珍しかったのではなかろうか。『ローマ』ではアントニウスにワイロつかっていたけど、のちに変わり身早くオクタと誼を通じるんだよな~。

 父母の不和の場合、よほど母に問題があるのでない限り、子供は母の味方になることが多い、とだいたい言えるだろうか。この話のヴォレヌスの場合、8年ぶりに帰ってきて妻とギクシャクし、娘たちにもなんとなく怖がられてしまう。確かにコワく見える男だけど、女ごころ乙女ごころをわからないヤツではあるけれど、極めて真摯な愛妻家なのに。死んだときいていた夫が生還したのは予定外でニオベは不運だとも言えるけど、自分の不義の子を娘ヴォレーナの子だとしてしまうのって結構ひどくないか?未婚の母の濡れ衣を着せられてしまうことをよく承知したな。不当にヴォレヌスの怒りをかった相手の少年も気の毒だ。ヴォレヌスの家庭崩壊に同情していたので、最後、少しでも子供たちが歩みよってくれてよかったと思った。

 まえに『ローマン・エンパイア』のどこかのHPで、史実ではこれこれだ、と説明がついているのを見た。『ローマ』にもそれが欲しいぞ。
 そういえば、カエサル暗殺のとき、クレオパトラがローマにいたことは出てこなくて、本当はアポロニアにいたオクタヴィウス少年が自宅ですぐに遺言状を知ることも大きな違い。 遺産をアントニウスがネコババしたまま返さないので、遺言(市民たちへの遺贈など)実行のためにした借金が「300万セステルティウス」ときいて、身売り10回ぶんね、と思ったのは私だけだろうか。

 クレオパトラの顔はけっこう肖像に近いのではなかろうか。美女というほどではないレベルで、小柄で。カエサリオンの出生に偽りがあることはほかのフィクションでも前例があるが(#)、『アレキサンドリア物語』での、カエサルが侍女に産ませたという設定よりは、クレオパトラがほかの男とつくった、というほうが許容できる。女王の子でないものをそうと偽るのは、あまりに王家の血を侮辱している。それよりは、カエサルの子でないものをそういうことにしてしまうほうが、物語として理解できる。相手になることを命令されたヴォレヌスが憤然と拒否するのは痛快で、代わりによこされたプッロが、盛んに・・・・・・のあと、あー楽しかった、と言わんばかりの様子で戻ってきたのは笑えた。

 こちらのブログのHBO’s ROMEカテゴリーに、HPよりも詳しい内容紹介が載ってます。
「逃避シェルタ」

前半はこちらのHBO’s ROMEカテゴリー。
「逃避シェルタ Ruin」
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『ハプスブルク家 12の物語』その他

2008-08-29 05:47:33 | 
 『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』by中野京子 光文社新書
 新刊。タイトル通り、絵画を紹介しながらハプスブルク家の歴史・エピソードをたどる本。前史をざっと紹介したあと、15世紀のマクシミリアン1世で始まり、カール5世、フェリペ2世など、間には仇敵のフリードリヒ2世もはさみながら、アントワネットやシシィといったメジャーどころももちろん登場、時代として最後のものは「メキシコ皇帝」マクシミリアンの最期。このマネによる『マクシミリアンの処刑』は、絵としての価値は劣るそうだが、なんとも奇妙な異様な感じはそれなりのインパクトがある。
 複数の画家も伝えているハプスブルクの特徴たる受け口は、カルロス2世やフェリペ4世でとりわけブキミだ。マリア・テレジアにこれが出ていなくてよかった。
 筆者がフェリペ2世にけっこう肩入れしていることが滲んでいるのはなんだか楽しい。

『モーツァルトの息子』by池内紀 
 最新刊というわけでもないけど、再読したのでこの際。
「史実に埋もれた愛すべき人々」という副題がついている。連続殺人犯までいるので、この題でくくってしまうのはいささか大ざっぱであろうが。
 笑えるのは「キュゼラーク来たる」、19世紀のウィーンの小役人が、いたるところに己の足跡を残すことに執念を燃やし、遺跡でも新建造物でも、皇帝陛下よりも一番のりして上記の落書きをするという、意味不明の行動をとり続けたという。
「屋根裏のひとり者」、19世紀のミュンヘンの画家カール・シュピッツヴェークは、時代の変転どこ吹く風で、自分も独り者のまま、飄々たる独り者の絵を描き続けた。いいな、こんな人生。

『ホモセクシャルの世界史』
 文春文庫の新刊。まだ読了していない。一口に、キリスト教ではタブー、と言っても、実際の差別・迫害ぶりには時代・地域でかなりの差があったことがいまさらながらわかる。
 ローマからは、やはり、カエサル、ハドリアヌスが登場。
 新聞の広告では「カエサル、ランボーも!?世界史の闇に隠されたホモ・コネクションの姿」という説明だった。 なにが「!?」だ、そんなん常識じゃいボケ、と私は正直思うけど、・・・それは偏り過ぎだと理性ではわかっている。(「暴君ネロは「歌って踊れる皇帝だった!」に感じたのと同様)
 「男らしさ」を過剰に賞賛して女を排除して男だけで固まると、そこにホモエロティックな要素が生じてしまうというパラドックス。しかし、ホモセクシャルが「男らしさ」に反する、「女々しい」ものだという前提もそれはそれで間違っているのではないか?

『色で読む中世ヨーロッパ』
 最新刊というわけではない。去年あたりか?
大学で、よその授業で配布した余りが教室に残っており、面白そうなのでコピーを持ってきた。従って、全部読んだのではない。「青」はラテン語では特定の言葉がない、存在の薄い色だった(「蛮族の目の色」として)、しかし15世紀あたりには聖母の衣の色として定着したとか、面白い歴史が載っている。
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ついに見たぞ『ROME』

2008-08-28 05:14:39 | ローマ
「ROME ローマ WOWOW ONELINE」


 すでにあちこちで結構話題になっている、英・米のドラマ『ローマ』、共和制末期から帝政へという劇的な、それゆえに一部のマニアにとってはわりあいお馴染みの時代が扱われている。「R15指定」で、濡れ場や流血シーンが多いとか、設定がところどころ大胆すぎるという評判をきいていたので、関心はありつつも尻込みしていたのだけど、どうせなら夏休みのうちに、と思って地元ツタヤで借りてついに見た! 見始めたら引き込まれた。
 
 主人公に架空キャラの男二人。カエサルの軍団の百人隊長ヴォレヌスと兵士プッロ。マジメカタブツのヴォレヌスと、陽気な無頼漢プッロ、こういう組み合わせだと(どちらか死ぬなら)マジメなほうが死ぬ、というセオリーにのっとっているーーなんて、のっけからバラしていいのかいと思うが、ある程度粗筋を知ってから見ても充分に面白いし、仰天ものなので、ネタバレ配慮なしでこの項続く。
 ヴォレヌスの俳優、戦争映画ならばドイツ軍がハマりそうな感じ。髪明色だし目は青いし、むしろあまりローマ人っぽくない? プッロのキャラで誰か思い出すと思ったら、大河ドラマ『新選組!』の原田左之助だ。
 この対照的なヤロー二人が、たまにどつきあったり怒鳴りあったりしながら途切れぬ友情を持って戦っていく、いや~お約束だ。
 彼らは庶民なので、下町の物騒な猥雑な様子も存分に描かれる。権力者たちの抗争だけでなく、市井での縄張り争いも、ふつうの幸せを求める人々も。大きなものから小さなものまで(このフレーズが通じる人も少ないだろうな)、まさしくタイトルの通り、「ローマ」の物語だ。

 さて、たいへん面白いのだけど、史実の予備知識のない人が初めてこれを見て本気にしてしまったらちょっと困るなぁ(?)という点はある。
 人物造形・人間関係でのぶっとび設定、筆頭はアティア。カエサルの姪、オクタヴィア&オクタヴィアヌス姉弟の母。史実ではさほど出番もないけど、このドラマでは兇悪さで群を抜いている。ユリアの死後、ポンペイウスにまた身内から後添いを世話してほしいというカエサルからの希望を受けて、オクタヴィアを愛する夫と別れさせ、見合いをさせる。せめて喪が明けてからというポンペイウスに、即座にキセイジジツをつくらせてしまう! もちろん破談。
 ここまで見て私は思った、娘の貞操まで差し出す母なら、息子が権力者の伯父の「愛人」になってもかえって喜ぶのでは?と。すると案の定だ。発作を起こしたカエサルを人目を避けて世話していたオクタヴィウスを、「誘惑した」と誤解し、むしろそれを推奨していた。気乗りしない息子を脅して娼館へ行かせるし、なんつー母だ。それに、一貫してカエサルおじさまを後押しするならばまだ筋も通るけど、戦況が不利になって自分の立場が危うくなると、おじさまを呪う言葉を吐くし。とにかく、節操なしのエゴイストなのである。
 上記のように、息子がカエサルの「愛人」と思っていたならば、のちにアントニウス陣営からの中傷は、アントニウスと愛人関係に設定されたアティアが言い出したことになり得るな。息子よりも男をとっているし。「なによ、おじさまを誘惑して相続人になったくせにっ!」とヒスおこす場面なんて出てきても違和感はなかったろう。出てこなかったけど。そういう中傷があったことは、「特典映像」で紹介されていた。
 セルウィーリアがオクタヴィアに、「(オクタヴィウスは)とても美男子になりましたね」と言っていたが、・・・そうかなぁ?と思った。14話までとそれ以降で俳優が交代しており、このセリフはまだ前半。おとなしいけど頭の切れる末恐ろしい坊やという人物造形は良いのだけど、美少年度は不足気味。「中の人」が交代していきなり美青年になる。こちらから遡って少年期を想像すれば、「誘惑」も充分可能だと思わせるのだけど。端正で涼やか、白くほっそりした感じで、しかし腹は黒くて策士、ナイスだ。すました顔が堂にいってるのに、たいへん激しい濡れ場がそれはそれで違和感ないのは不思議な気がする。
 アグリッパ、あちこちのサイトの感想で好評だ、私もこれまで見た中で最高だと思う。肖像のごつい顔を、若く初々しくして、若干可愛さを足せばこんなだろうという感じ。 オクタヴィアに一目ぼれし、のちに密会。あれだとアントニアの父はアグの可能性が高い。私はこの設定(アグxオクタヴィア)を採らないが(アグが恋するのはーー自主規制)、そんなにムチャとは言えないかも。マエケナスにいかがわしい遊興場に連れてこられて居心地悪そうで、一人で帰るのがキャライメージに合っててよい(一人称「俺」なのも)。悪い友達に連れられていたオクタヴィアを見つけて、軽々とお姫様抱きで家に送り届けてしまうのがかっこいいなぁ。
 マエケナス、『ローマン・エンパイア』と違ってオカマではないけど、やはりハデで遊び人ふう。権力者オクタに対して態度がでかく、それ相応に役立ってる。

 史実から削除した部分が多々あるので、もしもあの設定のままで後日談を考えると相当に違ったものになるな。
・オクタヴィアの前夫との子供がいない→マルケルスもマルケラもいない
・オクタヴィアの産んだのは「アントニア」一人
・オクタの結婚がリウィアだけ→ユリアがいない
・リウィアは二人目がお腹にいたことは削除→ドルススはいない
・アントニウスのフルウィアまでの結婚歴が出てこない→ユルスはいない
   アグリッパの結婚相手はアッティカだけになってしまう。ウィプサニアとティベリウスが結婚という展開は可能。
  アウグストゥスに姪一人だけだと、自分の血統を跡継ぎにという執着はそんなに出てこないかもしれない。リウィアが産まなければ、ティベリウスが候補になることまでの距離が短くなるか?ティベリウスとアントニアで縁組もありうるか。
 実は生きてたカエサリオン(カエサルの子じゃないんだけど)が復讐を図ったり、アティアが懲りずに悪巧みしたり、はたまた家族の死のいきさつを知ったイオカステがなにかしなければ(どうせするならアティアにしてね、オクタも共犯といえなくもないけど)、案外こちらのほうがトラブルがなさそうな気がする・・・。

 カエサルの秘書で奴隷であったポスカが、アントニウスのところから墓穴掘りの遺言状を盗んできたというのは、史実と架空キャラをうまく混ぜたと思う。
 アントニウスを護民官にするときいたとき、護民官は威厳と品位が必要だ、とポスカが不賛成の意を表すのは、最初に笑った場面。続く場面では、白昼、公衆の面前でワイセツ行為に及んでいるアントニウス、実にわかりやすい。 キケロの眼前でインテリアの鉢植えの中に立ちションするし。とことん、お行儀の悪いヤツとして描いてあったもんだ。

 感想はまだあるけど、とりあえず。
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「たのみこむ」仕切り直し

2008-08-26 05:32:36 | たのみこむ・復刊ドットコム
先日、久々に自分の立てた要望、ローマ史小説の邦訳リクエストのページを覗いたところ、「終了しています」にされていた。問い合わせたところ、詳細は省くが、とにかく私の見落としによってこういうことになってしまった。続行するならば新たに立てるということなので、名前はbreisgau0808と変更したけど内容はほぼそのままで、新たな発案としてまた登録した。
 

--まえに「賛同」下さってた方、もちろん新しい方も、お手数をかけますけど、読みたい!とお思いならばご協力をお願いします。
 「ブックマーク」は新しいほうを貼り直しました。
これらの小説内容については、当ブログに「カテゴリー」を設けてあります。
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~~だけは

2008-08-24 06:09:30 | 雑記
私の出入りする某女子トイレに「お願い! トイレットペーパーで手をふくのだけはやめましょう! 貴女のふいた紙のクズが床に散らばってますよ」という張り紙がある。
 かつて、羽田首相の時代に「省エネルック」なるものが存在したが、ウケずに消えた。(いま検索してみたら、「提唱者」は大平首相だと知った。) 「あれだけはやめてほしい」という声があったときいている。この時にも、「あれだけは」って(単に言葉のあやだろうけど)、政治家としてしてはならないことはほかにいくらでもあるだろう、たかがカッコ悪い半袖スーツ程度を「あれだけは」ってヘンじゃないか!と私は思ったものである。
 上記の張り紙、「~拭くのはやめましょう」で充分だろう、マナー違反はたくさんある。紙のカスが床に落ちてるよりも、髪の毛が洗面台に散ってるほうが私はずっと不愉快だ。
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自己満足

2008-08-22 05:29:57 | 
 文庫サイズブックカバーをあれこれそろえているので、新しい本を読むときはつけるのが楽しみである。しおりひもの有無で分けてあり、新潮文庫(ひも付きが売り物の一つだろう)にはヒモなし、それ以外の本にはヒモつきのカバーをかけようと思うことは、まぁ意味があるだろう。しかしこのほかの基準として、装丁の色と近いものを選ぶことは、ジコマン以外のなんでもないな、つけてしまえば装丁なんて見えやせんのだ! 大昔読んだ「学習漫画日本の歴史」の「化政文化」のあたりか、着物の裏地に凝るなんて贅沢が出てきたが、それよりもっとセコくて無意味だな。
 やめないけど。
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雑誌の感想

2008-08-19 05:30:19 | マンガ
 秋田書店の「プリンセスGOLD」は、3ヶ月出て一月休み、年に9号出るという変わった雑誌である。2004年の「新選組イヤー」をきっかけに買い始めてもう4年過ぎている。
 今号、氷栗絵・和田原作の『CROWN』がようやく終わった。過去が明かされるほどに悪役のほうに同情が集まっていったのは、作品にとってよかったのか悪かったのか?和田原作のアクションものはたくさん読んだけど(浜田翔子、葉月暘子、いずれも絵は私の好みだ)悪役が容赦なく醜いことには驚く・・・。 『カンタレラ』、しっかりやってね。
 『薬師アルジャン』、クライマックスも近そう。
 なんだか、あれこれ終わる連載が相次いでいて、休刊?という不安も浮かぶけど、『エロイカ』がこちらに引っ越してくるという情報もあるからただの杞憂なのだろう。(それならばコミックスは買わずにすませられる) 確かに、「プリンセス」よりこちらのほうが違和感なさそうだ。あるいは「メロディ」。
 「Flowers」に本編の載った『杖と翼』の番外編をPGでするのはなぜなんだ。
 河村恵利さんがこのごろまた歴史もので嬉しい。新連載はの主人公はなんと、上杉景勝の妻菊姫!来年の大河が直江兼継だということも関わっていそうだな。史実を念頭におけば、景勝はもすこしゴツくないといかんのでは~とは思う。オトコマエに描こうとしていないことは理解できるけど(秀吉、家康のとき然り)。
 
 
 「メロディ」(隔月刊)の8月号は、出てからもう2ヶ月たっており、来週はもう10月号が出るくらいなので、私が今月買ったものを最新号と呼ぶことにも抵抗がある。買ったのは、思いつき+『っポイ!』のクリアファイルがきっかけ。ならば前号も、ひかわさんの目当てで買えばよかった、と少々後悔している。
 『大奥』は毎号掲載ではないが、これには載っている。えーと、3巻のラストで「家光」が男装をやめて、4月号(2月末発売、これは買った)で4代め「家綱」に代替わり、今号はこの続きなのだろう。
 幕閣が男女同数で、てきぱきと政務を進めているのがいい感じ。
 由比正雪の事件のあとの「大体ひとところに男どもがうじゃうじゃと集まって密談をしてる図なぞ考えただけでもああおぞましや」「あのなあ忠清、そちの生まれる前は男も女と同じくらいうじゃうじゃといたのじゃ!」が笑える。この気持ちはわかる、私も女子高になれた時期、校外で「わーやだ男がいる・・・」と思ったものだ。
 千代姫=家綱、母に似てはいるけど母ほど美女ではないのがリアル(・・・というよりエライな作者、私の煩悩全開妄想ワールドならば、美形キャラに子孫を設定すればクローンのように美形量産になるのに。)
 歴史上も4代目はカゲがうすいせいなのか、もう次は5代目に移る。さあ、「犬将軍」はどう描かれるか?
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夏草や

2008-08-17 06:32:44 | 雑記
 この句を田原坂で教えられたせいで、私は長いことこれは西南の役にちなんでつくられたものだと錯覚していた。

 「雑草のような」は逞しさの比喩であるが、この季節、道路わきの隙間や空き地に、雑草が生い茂っている。通行の邪魔にさえ見える。暑苦しい。ちょっと焼き払ってみたい気になる・・・。
 うちの庭(1階の特権でささやかながらある)にほんの数日ぶりに注目したら、土が見えないような状態になっていた。本来緑は心地よいものであるけど。少しばかり引っこ抜いた。どうせ数日でもとに戻るだろう、これだけ日光があり、おまけに雨も加われば。
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トートバッグ、エコバッグ

2008-08-16 05:34:10 |   ことばや名前
「トートバッグ」の「トート」ってなんだろう?と思い、この際だから検索したところ「ウィキペディア」にも記載があり、英語で「運ぶ」の俗語toteであるということだ。
 何箇所も定義は載っており、マチが広い、上部が開いている、もち手が2本、などが共通条件であるようだ。私は袋・カバンの類が好きで、展覧会の記念やキャラグッズとしてトートバッグを欲しがる。「ベルリン博物館島」展で買った品は大学へ行くとき愛用品になっている。
 「エコバッグ」は、買い物の際にレジ袋や包装を不要にするために各自持参する「マイバッグ」とほぼ同じ意味の使い方と見ていいだろう。では、素材や形は問わないことになる。新潮文庫の今年の夏フェアは「エコバッグ」。私がドイツのあちこちで買いまくった買い物袋(観光土産店では定番だった。日本でもあるのだろうか)が似たようなものだ、さほど厚手ではない、アイボリー色で約30センチ四方の布製。文庫2冊でもらう品としては妥当なセンと思う。

 昨日、台所で大きい引き出しの中身を整理してみたら、・・・うんざりするほどのレジ袋の山。こりゃとうぶん、ゴミ出しには困らない、もらわずにいよう。
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