レーヌスのさざめき

レーヌスとはライン河のラテン名。ドイツ文化とローマ史の好きな筆者が、マンガや歴史や読書などシュミ語りします。

夏だけでない怪談の季節

2012-10-31 09:27:43 | 
 ちくま文庫の『小泉八雲コレクション』の『妖怪・妖精譚』。
 ハロウィンということで、いま幽霊話を読むのも季節に合っているはずだーーというわけで、図書館で借りた。うちに持っている新潮文庫の『小泉八雲集』とかなりダブリはある。
 『鮫人の恩返し』、まえに読んだときには気がつかなかったけど、男に設定してある「鮫人」が涙を流して、それが宝石に変わるというのはけっこう珍しい気がする。それが、恩人である青年が長者の娘に結婚を申し込むために役立つというのも、なんだか倒錯しているのではと、『人魚姫』など念頭にあると思う。アンデルセンのほかの作品でももっと残酷な結末の話があったので、八雲のこれはずいぶんめでたく見える。
 人間の男が、人外の、あるいは亡霊の美女と恋をして、逃れるまたはとり殺されるという話は多い。それに比べると、性別逆の話ってあまりない?『さまよえるオランダ人』などはその例か。
 キリスト教によって悪魔扱いされてしまった存在に対して愛着を覚えるという点で、ハイネと共通点を感じる。(ハイネも日本に来ていたらいろいろと面白い物語を発見できたろうか)
 『怪談』といえば、『むじな』が有名。ヤマザキマリさんのエッセイマンガによると、イタリア人にとっては、のっぺらぼうなんて笑いの対象になってしまうらしいが、ほかの国の人々はどうなのだろう。ハーンの場合は、個人的な幼児体験に根ざした恐怖のようだけど。
 女子高の修学旅行で松江に行き、そのための予習として英語・現国・古文の時間を使って『吉備津の釜』や『菊花の約』を読んだので、ハーンに対してはそれなりの義理と愛着を感じている。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

油性ペンに注意

2012-10-25 05:25:10 | 雑記
 このごろ、ビデオカセットの録画をDVDに移すという作業をしている、正確には父にさせている。盤(と呼ぶのだろうか?)にタイトルを書くには油性ペンでなければならない。うちにないことはないが、やや太い。そこでもっと細いサインペンを近所の文具店で買った。ところが、買ったばかりの品が枯れている、2本買って2本とも。まだ外出できる格好のままであったし、即座にまた行って交換してもらった。油性はキャップをしていても枯れやすいそうだ。次からは必ず試し書きしてからにしよう(たいていはするのだけど)。 きちんとしていても枯れるならば、あまり前もって買っておくのは危険なのだろうか。そういえば、蛍光ペンで枯れかけをまだ使っているせいでまだおろしていない品が2本はある・・・。 黒サインペンも、赤のも、ほんの少しずつなら書ける(少々書いてかすれてくる、立てておく、次にまた少し以下同文)ぶんがある。夏休みに入るのを機に捨てようと思っててそれができず、夏休みが終わったらお払い箱にしようと予定してまた捨て損ねていまに至る。次の機会は・・・?
 ボールペンや赤ペンのように、うちにはたっぷりあるものが、たまたま出先で手元になくて買うはめになるのは実に悔しいものだ。
 びんせんの使用を大いに楽しんでいたころにあれこれと買ったカラーのサインペンも、出番が日頃ない品がたっぷりとある。あるものから使って整理したいものだ。
 色鉛筆も、相当長いこと買ってはいないけど、ばらばらと余分なものがある。色鉛筆だの絵の具だの、セットで買えば減り方が少なくて浮いてしまう色が必ずあるだろう。日本全国で、世界中で、そういう無駄になっているものは、たいへんな量になっているに違いない。
 鉛筆は、3,4本を電動鉛筆削りで削って机上におき、集中的に使う。優先して使うぶんをなんとなく決めておき、それが電動にはいらないくらい短くなったら、手でまわして使う小さい道具でとがらせる。いまそういうのが1本ある。それを近いうちに使い切ることが多少楽しみ。なにしろ、未使用鉛筆が2ダースくらいある。ネーム入りで汚れつき(ひとにあげられない)を優先使用。  筆記用具ではやはり鉛筆の書き心地が私はいちばん好きである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

図書館の活用 940番台

2012-10-21 06:23:43 | 
 「利用」よりも「活用」のほうが好ましい響きがある。ま、対象がヒトでない場合はどちらでも差し障りはあるまい。

 図書館で、ほかに予約者がたくさんいる本を予約したら、PCでその順番待ちの状況を確認する。その人数が動いて、2週間以上そのままだと、いまのヤツが延滞しとるな早くせんかい!と思う。目下、某書は次に私の番なのに、かれこれひと月動きがない。人気作家でほかにも多勢待っているだろうに。
 人気シリーズで、発売まもなく「予約」を入れて(ここの図書館では、購入前でも、発売されていれば予約ができる)私がトップで、きのう借りて今日返却した。
 これは自慢で言うのだけど、なにかポイントでもつく制度があってもらいたいとしばしば思う。例えば、次に予約のある本を、1週間以内に借りて返したら5ポイント、寄贈した本が蔵書に加えられたら5ポイント、それが人気本なら10ポイント、延滞でマイナス5ポイント、なんて感じに。
 ベストセラーは数百人の予約がつくけど、ああいうのは一部有料化してもかまわないのではと思う。ひと月以内に借りる人は定価の1割、2月めにはその半分。買えば2千円する本を200円で借りてもバチはあたるまい。
 単に素人考えで、法律上のこととか面倒さとかいろいろあるのだろうけど。

 新潮文庫や角川文庫のように、買ってマークを集めて景品がもらえるものは、図書館での購入ぶんも使って品をもらい、それをバザーで売って本の購入代金にあてればいいのに、とは常々思っている。禁じる法律でもあるのだろうか?

 話が違うけど図書館利用の際のことなので:
 「新着図書」で、日本の小説以外で、図書番号が940番台があると注目する。910が日本、920が中国など東洋、930が英文学、940はドイツ。でも「SF」はパス。ファンタジーはあまり気乗りしない。すると残りはたいていミステリーになってくるけど。「949」は、ドイツ以外のゲルマン系。その点に気付かず、アフリカンス語(オランダ語由来で南アフリカで使われる)が原典である本に手を出してしまったこともある。
 岩波文庫の新刊の『牛乳屋テヴィエ』、ドイツ語由来でユダヤ人の使う「イディッシュ語」の作品。うーん、こんなマイナーな(と言ってはナンだけど)言語だと、分類に苦慮することだろう。『屋根の上のバイオリン弾き』の原作で、だいぶまえにハヤカワからこれと同じ題で出ているのを読んだことがある。映画も見た。
 実直な敬虔な牛乳屋のテヴィエには、妻とたくさんの娘がいる。長女は貧乏だけど心がけのよい仕立て屋の青年と結婚する。次女は革命家と結婚して、シベリア送りにまでついていく。三女はキリスト教徒と結婚して勘当される。
 貧乏なことはけっこう簡単に許せる、反政府活動家もまあ許す、しかし異教徒は・・・。正直こういう点は理解できない。
 ところで、この本も「949」に分類してあるのだ、言語系統とは複雑なものであることだ。

 三浦しをんさんの本エッセイで読みたくなった本の一つ、岩波新書『平家の群像』は、地元にあり、「開架」のはずなのに、岩波新書の該当の棚を見ても発見できず。めんどうなので、PCで予約(という言葉は適切でないと思う)したので次回借りる。

 予約といえばフにおちないこと。
 検索して、「予約 X人」となっていて、でも「利用可」の館もあってその予約人数よりも多いことがある。ではその空いているぶんを予約者へまわすものではないのか。予約が入る時とその手配をする時との間の短い期間をたまたま見てしまうとこういう疑問になってしまうというだけのことだろうか?

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンガのカレンダーの話題再び

2012-10-17 05:29:37 | マンガ
 カレンダーの話題、このブログを見直すとほんと毎年書いてて自分で笑ってしまう。でもまた書く。
 最初の年のぶんからまるごとコピー。

マンガのカレンダー
2006-11-13 15:53:26 | マンガ
 マンガのカレンダーなんて、長いこと買ってない。
 そんなものが出るほどメジャーな作品をもはや読んでいないのだ。
 だから過去の話である。
 これまでに私が買った品といえば、
青池数回、ひかわきょうこ、『動物のお医者さん』、『ッポイ!』・・・といったところだろうか。そしてそれらを、本当にカレンダーとして使用、つまり部屋に該当月の絵をさらしておいたかといえば、・・・青池絵はそうしてない。インパクト強すぎて私は飾っておく気にならないのだ。ましてやある年の夏なんて、ドン・ペドロのすっぽんぽん(てきとーに脚くんで隠してはいたが)、少佐の上半身さらし、・・・あんなもん出しておけるかっ!(表紙のまま下げて、たまにめくって鑑賞するという状態だった)
 カレンダーにはもっとノンキなほうがいい。日常性があって、色彩がソフト。ドラマチック系よりも日常系の作家・作品のほうが向いていると思う。なるべくならば現代日本もの。季節の感覚が合っていることも重要なので。
 かっこよすぎ・キレイすぎは、概して日用品には合わないと私は思っている。その点チョビなんて最適。

 コピー終わり。
 いまメジャーで私の好きなマンガで言えば、まず、『ヘタリア』はたっぷりと出ている。『聖おにいさん』は出ても似合いそう。『テルマエ・ロマエ』もまあまあか、「平たい顔族」の年中行事に参加するルシウスの図。マニアック狙うならば当時のローマの行事でもいいんだけど。
 それら以外で向くのは、桑田乃梨子作品、駒倉葛尾作品がまず浮かぶ。くわたんは学園モノ多いし、『だめっこどうぶつ』も季節ネタは定番。こまさんは、『教師諸君!』が学園ものに加えて、『趣味じゃない園芸』は植物園が舞台、これはもう季節感ありまくり。
 話だけでなく絵も好きな私のひいき作家ということで言えば、あずみ椋さん、TONOさん希望。日常系ではない作風なのでその点あまりカレンダーの柄ではないのだけど。だからこの場合は特定作品に拘泥しないで想像する。
 川崎苑子さんは条件にぴったり。もうどのくらいご無沙汰だろうか。せめて再録でもないだろうかと、「さくら」系列のソフトレディス誌はいちおう点検しているのだけど。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぱんつとズボン

2012-10-14 05:39:10 |   ことばや名前
 先日、ファッション雑誌の広告で(うろ覚え)「女には、かっこいいスカート、女々しいパンツの日がある」というコピーがあった。
 女々しいパンツってなんだよ、生理用ショーツか?
 言いたいことはわかる、女物衣類であるスカートでも男っぽさを、、従来は男のものであった「パンツ」でも女らしさを演出することができるということなのだろう。

 しかし。「ランニングパンツ」、「水泳パンツ」のようになにか組み合わせた言い方ではなく、単に「パンツ」といえばそれは下着であるという世代である私にとって、下着でないはきものを「パンツ」ということにはどうにも抵抗がある。パンツと呼ぶことがあたりまえの人々にとって、「ズボン」はもはや死語なのか?

 佐藤愛子さんのエッセイで、筆者よりも若い友達は「女はパンティ、男がパンツ」で、愛子さんは「女はパンツ、男はサルマタ」、「パンティ」などという言葉はどうもイヤラシイという感覚で書かれていた、もう30年以上はまえのことだろうか。ま、「パンティ」も既に死語だと思う。いまは「ショーツ」くらいが無難だろうか。

 ところで、ドイツ語でスカートはRock (ロック)、男性名詞、 ズボン(と敢えて言う)はHose(ホーゼ)、女性名詞である。そして Hosenrock(ホーゼンロック)、直訳すれば「ズボンスカート」は「袴」を意味している。でも袴は、股に分かれ目があるのだから、どちらかと言えばズボンに分類できるのではないかと思う。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この季節はカレンダーの話題

2012-10-10 13:20:29 | 雑記
 10月、書店には来年のカレンダーが並び始める。毎年この話題は変わり映えもなく出てくるけど、誰が迷惑するものでもなし、かまわず書く。
 ざっと見たところ、柴犬ものは大小8つ!小さいのを一つ買おう。
 どうせ、美容院やヤクルトからのもらいものもあって、部屋数よりも多くなるのだろうから、一般の品は一つ買えば充分。でももしもっと買うとすれば、ルドゥーテの薔薇の絵にも気乗りする。安野光雅や東山魁夷の風景画もわりに好きだ、
 やはり、動物、花、風景がいい。
 現在私の部屋にあるカレンダーは、郁文堂からもらう実用オンリーの品、『ヘタリア』の日めくりスクールカレンダー、同じく『ヘタリア』のアニメ絵の壁掛け、ドイツの風景写真日めくり。
 マンガとカレンダーの関連話題は、日を改めて。これもたびたび言ってるけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深い疵 濡れた魚 そこに僕らは

2012-10-07 05:30:03 | 
 ドイツ産のエンターテインメントが紹介されているとたいてい目をとめる。SFはパス。ファンタジーもあまり読みたくない。すると残るのはたいていミステリーになる。

ネレ・ノイハウス『深い疵』  創元推理文庫
 アメリカのユダヤ人社会で重きをなし、ドイツに帰国していた老人が殺害される。遺体を調べると、武装親衛隊員であったことを示す刺青の跡が発見される。そして似たような殺人が繰り返される。
 ナチスの罪だけでなく、戦争で追われた東方のドイツ人の境遇も絡んでくることが興味深い。

フォルカー・クッチャー『濡れた魚』  創元推理文庫
 舞台は1929年ベルリン。共産党のデモも、それを抑える警察も共に過激になっている不穏な時期。主人公は、ケルンで通行人に銃を乱射する凶悪犯を射殺して、その父親が有力新聞の発行者だったので新聞で叩かれたのでケルンにいられなくなったという身の上の刑事。風紀課でポルノの取締などとつまらないことをやらされつつ、殺人課への復帰を狙う。
 出てくるポルノが、フリードリヒ大王だのヴィルヘルム2世だののそっくりさんがエロいことしている図なんてあたりがちと笑える。日本だったら・・・考えてもたのしくない。
 全8冊で1936年までが舞台の構想だそうだ。ヴァイマル時代からナチス時代へ、「腐敗と自由と暴力の真っ只中」(『北斗の拳2』OPのフレーズから)。 2巻目は映画界が舞台らしく、では「黄金の20年代」と呼ばれる時代の面影もあるのかな。

 エンターテインメントのジャンルではないけど、ドイツものもう一つ

グードルン・パウゼヴァング『そこに僕らは居合わせた』  みすず書房
 副題『語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶』。
 戦後世代である少年少女が当時を知る人々から話を聞こうとし、きちんと話してくれる人もあり、ごまかしてしまう人もあり。 
 あるいは、自分自身があの時代を体験しての回想。
 いろいろな形での証言。
 もちろん重いテーマだけど、陰陰滅滅には陥らず、救いのある話も含まれている。

 思い出すのは、映画『ナスティ・ガール』。原題はDas schreckliche Maedchen。直訳すれば「恐ろしい少女」。学校の宿題で、ナチス時代の私の町というテーマが出て、調べていくうちに暗い過去がほじくりだされてくるという重い状況。(主演のレーナ・シュトルツは『白バラ』でゾフィー・ショルだった)  それなのにビデオのパッケージには、「笑った笑った!」とまるでコメディのように宣伝してあるのが理解できなかった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十月祭のビデオが行方不明だ

2012-10-03 14:26:24 | ドイツ
今日は10月3日、ドイツ統一記念日でかの国は祝日。98年のその日はマンハイムで寒い日を過ごし、ホテルで午後はセーラームーンの劇場版3本立てを見たなあという話は前にも書いた。
 ミュンヘンではオクトーバーフェストの真っ最中。98年、初日にレーゲンスブルクからミュンヘンに向かう列車は混んでいたという話もまえに書いた。
 今年は10月の第1日曜日までの16日間という原則どおりだろう。
 ドイツ語の授業でこの行事の話は毎度している。由来はルートヴィヒ1世(のちの)の結婚祝いで、ノイシュヴァンシュタイン城で有名な孫の2世は美青年好き、1世は美女好き、彼の選んだ美女たちの絵を集めた部屋は観光名所で等々。
 『名曲アルバム』で『ビヤ樽ポルカ』はこの祭りが写っているので今年もそれを使おうと思っていたのに、なぜかそのビデオカセットが行方不明、残念でたまらん。6月に『ローレライ』を見せたことは確かなのに。よく使うビデオだからわかりやすい場所に入れてあるはずなのに。家の中に異次元ポケットでもあるのかと思うことは多くの人にあるのではなかろうか。そういえばピンクの柄のハサミも消えたまま。

 『感動の世界遺産』というDVDは、アマゾンでは扱っていないようだ。
 去年、本屋でこれの『ドイツ』の「1」「3」を買った、1本500円で1時間弱。その「1」が、4つのパートのうち「3」が出てこなかった。それがわかったときに既に買ってから数ヶ月も経っていてレシートもなかったので諦めた。しかし今年の夏に同じ品が同じ店にまた出ていたので、「2」と一緒にまた買ったーーするとまた同じように欠陥品。今回はすぐに電話して事情を話し、まえのぶんも一緒に持っていった。書店では製造元に問い合わせて、今度はまともな品を提供してくれた。まえのぶんは返金してくれてラッキーな結果、ありがとう福○書店。
 まえに見られなかったパートというのは「シュパイヤー」。「カノッサの屈辱」で有名なハインリヒ4世などの墓のある大聖堂。
 1パートが15分弱で短いので、授業でちょこちょこと使うに便利なのだ。世界遺産は興味のある人多いし。

付記。
ビデオは散々探して見つからず、ブックオフへ行ったら中古が安く買えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする