弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

鈴木宗男氏と大西健丞氏

2007-11-22 22:58:52 | 歴史・社会
鈴木宗男著「闇権力の執行人」(講談社+α文庫)
大西 健丞著「NGO、常在戦場」(徳間書店)
闇権力の執行人 (講談社プラスアルファ文庫)
鈴木 宗男
講談社

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NGO、常在戦場
大西 健丞
スタジオジブリ

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鈴木宗男著「闇権力の執行人」を読みました。
「闇権力の執行人」とは、霞ヶ関や永田町を動かす官僚たちであり、特にこの本では外務省の高級官僚を指しています。彼らが日本の国益のためではなく、自らの栄達と蓄財のために政治を動かす様を明らかにしようという意図の本です。
鈴木氏が外務省に深く入り込んで知り得た情報(外務省高級官僚の恥ずかしき行状)について、官僚の実名入りで、詳細に述べています。

鈴木宗男バッシングが巻き起こる発端は、アフガンNGO会議への大西健丞氏の参加を妨害したといわれる事件だったのですね。「闇権力の執行人」においては、この事件が、鈴木氏を陥れるための外務省の罠であったとのスタンスで書かれています。
この事件については、一方の当事者である大西健丞氏が書いた「NGO、常在戦場」で詳細に述べられています。こちらについては2006年5月27日に記事にしました。

そこで今回は、事件の両当事者が執筆した2冊の本を比較し、事件の真実を解き明かしたいと思います。

《概略の推移》
2001年12月11~13日ジャパン・プラットフォーム(JP)主催のアフガン復興NGO東京会議を大西氏らが企画します。
各国のNGO招聘費用1600万円について、外務省が負担を引き受け、ODAの「草の根無償資金」で賄う予定でしたが、直前でもめることになります。

2002年1月18日朝日新聞朝刊の「人」欄に、大西氏が発言した形で「お上の言うことはあまり信用しない」というフレーズが引用されます。

2002年1月20~22日政府主催のアフガニスタン復興支援国際会議に参加予定だっら大西氏らジャパン・プラットフォーム(JPF)とピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)は、突如政府から参加を拒否されます。
この拒否が鈴木議員の圧力によると報道され、鈴木宗男バッシングの発端となりました。

《大西健丞氏の記述》
2001年12月11~13日JPF主催のアフガン復興NGO東京会議に際し、アフガンから多数のNGOを招く費用の工面について、外務省が負担を引き受けてくれました。外務省はODAの「草の根無償資金」で賄いたいとNGOに伝えてきます。財務省のODA担当主計官も太鼓判を押します。
会議を5日後に控えた12月6日午後、自民党本部で開かれた外交関係合同部会で、鈴木議員が「NGOがアフガン復興を引っ張っていくのは本末転倒。順序が逆だ」「善意の寄付でやるのがNGOの趣旨だ。国民の税金を使って当たり前という認識でやられたら、たまらない」とクレームをつけます。
12月13日、「鈴木宗男の秘書です」と名乗る男から電話があり、続けて鈴木議員本人が「あれはなんだ。あの新聞記事はどういうことだ。」と怒鳴り声を上げます。鈴木議員のクレームを受けて外務省がNGO会議への費用負担を撤回した、というニュースを新聞が報じたのに対し、NGO側が情報をリークしたと誤解したらしいのです。
「すぐ説明に来い」ということで議員会館の鈴木議員の部屋へ、外務省の小原雅博・無償資金協力課長と出向きます。鈴木議員は早口でまくし立て、机を叩いたり大西氏を指さしたりして恫喝しました。
12月18日には、鈴木氏を訪問したピース・ウィンズ・ジャパンの2人の職員が、同じように恫喝されます。「国民の税金を集めいてるのは俺なんだ」というセリフはこのとき出ます。

2002年1月8日、主要官庁の課長A氏から誘われ、外務省の小原氏と一緒に議員会館の鈴木氏を訪ねます。鈴木氏はまたも大西氏に対して早口で怒鳴りつけました。

2002年1月19日夕方、外務省中東アフリカ局長重家俊範氏から「鈴木さんが『朝日新聞』の『ひと』欄の記事に怒って、あなたを会議に出席させるなと言っている。」と電話を受けます。外務省の「出席自粛要請」は、夜に入ると「出席拒否」に変わります。

朝日新聞「ひと」の記事については、記者から「なぜ国連や政府機関で働かないのか」と聞かれ、「出身地の大阪の風土はお上をあまり信用しないところがあるので、自然とNGOを選んだ」と答えた文脈から抜き取られたものだとのことです。
朝日新聞掲載当日、鈴木議員は中央アジアからロシア外遊中でしたが、外務省の高官がわざわざ記事のコピーをモスクワから取り寄せ、鈴木氏に見せた、と外務省のさる課長が言っていたそうです。

1月20日未明、外務省から復興支援会議への「出席拒否」を通告されます。大西氏は戦うことを決意します。
20日正午から、記者会見に臨みます。19日夕方に外務省高官からかかった電話を紹介し、今回の「出席拒否」に鈴木氏の関与があったことを指摘しました。

大西氏には、外務省幹部とのやり取りを通じて、出席拒否の決定が外相(田中真紀子)のあずかり知らないところでなされた、という確信がありました。そこで大西氏は、PWJに所属するアフガン人スタッフのアクバル氏に、レセプション会場で田中外相に「大西氏に電話するよう」伝言を頼みます。伝言はうまく伝わり、1月21日早朝、田中外相から大西氏に電話が入ります。外相はその日のうちに、野上義二事務次官に電話で、「閉め出したNGOには22日の閉会レセプションに必ず出席してもらうように」と指示しますが、官僚はこれを無視します。
しかし事態はすでに政治問題化しており、夜になって外務省重家中東アフリカ局長から、2団体とも会議への出席を認めるという電話が入りました。翌22日、会議最終日の朝に、IDカードが発行されました。

大西氏は「最後までとことん戦う」と腹をくくり、1月26日、「サンデープロジェクト」への出演申し込みの電話をテレビ朝日に入れます。そして田原氏からの質問に答える形で、会議出席拒否の顛末を語ります。

1月29日深夜、「田中真紀子外相更迭」のニュースが流れます。対鈴木&外務省確執の後ろ盾を失いましたが、逆にこちらから打って出ようと、1月30日に記者会見します。そこで、昨年12月から4回にわたった鈴木氏との面会のやり取りを一気に公開します。これまで公表を控えてきた「恫喝」が、その夜のうちにメディアに流れました。

3月4日、大西氏は参議院の参考人招致で証言に立ちました。


《鈴木宗男氏の記述》
2001年12月のアフガン復興支援NGO国際会議の前、自民党外交部会に出席したとき、外務省からの説明で草の根無償資金の予算が充てられると聞き、本来の趣旨から外れるので認められないのではないか、とただします。鈴木氏の指摘は筋が通っているので、外務省も認めざるを得ません。
外務省は説明に窮し、「鈴木に止められてカネを出せなくなった」と事実と異なる説明をします。

大西代表と会った件について。年末に財務省の中尾武彦主計官がやってきて、「大西さんが挨拶したいと言っているので会って欲しい」というので会いました。ファーストコンタクトと言っています。

鈴木氏が大西氏と会ったのは2回。初めて会ったのは2001年12月14日、2回目は2002年1月18日、いずれも議員会館です。

1月、鈴木氏は中央アジアを経て、17日にモスクワに入り、プーチンと会見予定の森元総理と合流します。以下「闇権力の執行人」の中で、佐藤優著「国家の罠」を引用して描写しています。現地時間の午後10時前に外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局審議官がホテルの部屋を訪れ、「もうタイムリミットですので」と前置きした上で、「PWJ、JPFはかつて問題を起こした団体で、特にカネの使途で問題があったので、今回は外します」と鈴木氏に伝えます。鈴木氏は「それでいいよ」と答え、それだけのことでした。

東京に戻る飛行機の中で、鈴木氏は佐藤氏に18日付け朝日新聞「ひと」欄に載ったインタビューを示します。成田で積み込まれた18日付け朝刊を鈴木氏が読んだのは日本時間で19日のことで、その前に外務省は2つのNGOを招待しないと鈴木氏に伝えているのです。


《両記述の対比》
鈴木氏と大西氏が12月14日と1月18日に会った、という点で両者は一致しています。
ただし鈴木氏は、財務省中尾主計官といっしょの会合しか記述していません。ファーストコンタクトと称し、あたかも12月の会合を指しているようです。
一方大西氏の記述に従えば、中尾主計官というのは1月に一緒に行った主要官庁のA氏と思われます。12月は突然鈴木氏から呼び出されて会った、というのが大西氏の記述です。
ここは鈴木氏が、自分が呼び出した12月の会合について意図的に隠している、と考えたくなります。

鈴木氏によると、外務省がアフガン復興支援会議へのPWJとJPFの不参加を通告したのは19日より前であり、鈴木氏が朝日新聞を読む前だと主張しています。しかし大西氏によると、外務省から最初のコンタクトを受けたのは19日夕方ですから、この点で両者の主張は異なります。外務省はこの時点で初めて「鈴木さんが『朝日新聞』の『ひと』欄の記事に怒って、あなたを会議に出席させるなと言っている。」と電話で伝えたわけです。19日夕方なら、鈴木氏が朝日新聞を読んでからでも指示できたでしょう。
また、19日夕方に初めて外務省から大西氏に連絡したとすると、モスクワ時間17日に佐々江審議官が鈴木氏の了解を得てからずいぶん時間が経過しています。この点も両者は食い違ったままです。

大西氏の記述の中に、別のNGO「難民を助ける会」(AAR)が、鈴木議員の圧力により、出席を自粛するよう外務省から言い渡されていた、という話があります。大西らに対する出席拒否の数日前です。AARの現地会計の不正が弱みになっていたそうです。時間経過、拒否の原因からすると、モスクワで佐々江審議官が鈴木氏の了解を得た件が、AARの件であったとすると辻褄が合います。佐藤優氏の記憶違いがあり、鈴木氏がそれを利用したのでしょうか。

鈴木氏はこの事件全体について、「外務省の罠に嵌められた」というスタンスで記述していますが、上記の対比結果で見る限り、鈴木氏の主張をそのまま受け取ることはできないようです。

そうとすると、「闇権力の執行人」において、大西氏との確執を描いた以外の部分についても、信憑性が疑われることになります。
コメント (7)
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