弁理士の日々

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高橋洋一氏と小泉構造改革

2007-11-27 20:57:43 | 歴史・社会
月刊誌「諸君!」12月号に、「構造改革6年半の舞台裏をすべて語ろう」という記事が載っています。内閣参事官の高橋洋一氏にインタビューした記事です。

小泉内閣が成し遂げた構造改革は、小泉首相と竹中平蔵氏の二人三脚で推進したようですが、ブレーンとして高橋洋一氏が大きな役割を果たしたのだそうです。
高橋洋一氏とは、東大理学部数学科、経済学部卒業後、80年に大蔵省に入省し、金融検査部、理財局などを経て、竹中平蔵大臣の補佐官、内閣参事官(官邸)となった人です。

小泉政権が誕生する直前、高橋氏は大蔵省から派遣されてプリンストン大学に学んでいました。2001年の2月に竹中氏とニューヨークで会っており、その後同年7月から「構造改革」に関わるようになります。
今から25年以上前、竹中氏が31歳で旧日本開発銀行から大蔵省の財政金融研究所に出向し、26歳の高橋氏の上司となったのが、両氏の付き合いの始まりです。大蔵省は東大法学部卒が当たり前で、一橋を出た開銀の人ということで完全に格下に見て相手にしないのですが、高橋氏は入省したての若造で理系出身だったので竹中さんと仲良くなりました。

2001年7月、プリンストン大学から帰国して竹中大臣室を訪れると、「誰も手伝ってくれないから大変だよ。役所はすごいとこだなあ。高橋君、ちょっと手伝ってよ」「いいですよ」
高橋氏はプリンストンにはわがままを言って3年も滞在していたので、帰ってきたら国交省の課長ポストに飛ばされました。その頃は、諮問会議の細かな単発の案件の相談に乗ったり、猪瀬直樹さんに頼まれて道路公団の民営化にもタッチしました。

道路公団に関し、学者を含めて関係者は「6兆円から7兆円の債務超過だ」と主張していました。民営化は大変だ、民営化するなら税金を投入する必要がある、との方向付けです。これに対し高橋氏は「道路公団は債務超過でない」と証明し、資産査定の理論武装をして猪瀬氏を助けます。
また、国交省が錦の御旗にしていた五千本もある路線ごとの需要予測の方程式の誤りを指摘し、「どうして猪瀬さんがそんなこと知っているの?」と不思議がらせたみたいです。

道路公団の次は、日本政策投資銀行、国際協力銀行、国民生活金融公庫、住宅金融公庫など、政策金融機関の改革です。高橋氏が政策金融にくわしいことを竹中氏が知っていて、「政策金融改革準備室のアドバイザーをやってくれ」と言われて引き受けました。
当時は民間金融機関の不良債権問題が大変で、この政策金融改革は尻切れトンボに終わるのですが、閣議決定用の後始末の文書に「今はやめるけど次にやります」のような文言をちょこちょこと書き込んでおいたので、郵政選挙後にふたたび政策金融改革に手をつけたときに効きました。

その後(2003年8月)、関東理財局の理財部長に異動になります。高橋氏が竹中さんの裏側で手伝っていることを財務省も知っていたので、閑職に就けたということです。このときは同時に「経済財政諮問会議特命室」の辞令をもらって正式に竹中さんの直属となりました。ここでは主に郵政民営化と金融政策、社会保障や予算の話を受け持っていました。

郵政民営化は、まず方向を決めるのが大変で、竹中さんが専門家といわれる人にインタビューしたのですが、郵便局や簡保といった各分野の専門家はいても郵政事業全体に詳しい人がいませんでした。高橋氏は大蔵省理財局にいた96~98年に財投改革を担当して郵政分野に通じていたので、竹中氏から「ぜひやってくれ」と頼まれます。2003年秋のことです。
90年代後半の財投改革で、郵便貯金は国から離されてすでに自主運用になっていました。自主運用といいながら、郵政公社のままでは、原則として金利が一番安い国債しか運用できません。公社ではリスクを取れないからです。しかし、国債以外の運用手段を与えて、リスクを多少採らせないと経営は成り立たないわけで、自主運用となると民営化するしか道がなかったのです。
それまでの郵便貯金は、財投が郵貯から借り入れするときに通常よりも高い金利を払っていました。財投の融資先の特殊法人は高い金利を支払い、財投は特殊法人から吸い上げたお金を郵便貯金に補給するという仕組みです。特殊法人には多額の税金を投入するから、そのシステムは成り立っていました。

2004年の夏に郵政民営化の基本方針を作った時、竹中さんは麻生太郎総務大臣と真っ向から対立します。麻生さんには総務省が付いていますが、竹中チームの方は高橋氏と岸博幸秘書官(現・慶応大学準教授)らの数名だけです。結果的には諮問会議で竹中さんの完勝に終わります。
郵政民営化準備室には百人ぐらいの人を集めましたが、その中で竹中さんについたのは2人(高橋氏と高木祥吉氏)プラスアルファのみです。高木さんはもと財務官僚ですが、きちんとした公務員で、誰であろうと上司には従うという姿勢、それから金融庁長官を辞めてもう役所には戻らないという立場がそうさせたのでした。

郵政民営化の最初の難関はコンピュータシステムの問題です。「民営化というが、システム構築が間に合わない」と反対派が言い出し、公社総裁の生田正治さんもそれに乗ってしまいます。
高橋氏はシステム専門家に頼み、全部のシステムを見直し、当面いらないものを取り除いたら、1年半で構築できる見通しが出ました。その後、高橋氏と専門家2、3人で郵政公社に乗り込み、システムベンダーのSE80人ぐらいを相手に議論します。2004年11月頃です。多くの人はシステムは間に合うはずはないといっていましたが、今年10月に郵政民営化がうまくスタートできたことで高橋氏の意見が間違っていなかったと証明されました。

郵政民営化の4分社化のアイデアも高橋氏によるものです。4分社化の方針はロジカルに考えた末に出てきた結論です。郵便、郵貯、簡保と業務別にまず分けます。金融の場合、地域分割するとスケールデメリットが生じるので採用しません。「特に郵貯は資産運用能力のない『不完全金融機関』ですから、ほんの少しでも制約があると、経営が危うくなります。」
一方、全国に25000もある郵便局については、「スコープメリット」という考え方を応用しました。これは、小売部門はまとめた方がメリットがあるという経済分析です。これによると、郵便、保険、郵貯の窓口業務は一つの会社にまとめ、郵便局会社を作った方が良いということになります。その結果、4分社化という結論が出ました。

さらに、郵政公社の廃止後、郵貯と簡保を直ちに商法会社にするという措置を講じておきました。ふつう民営化する場合、国鉄のように、特殊法人にしてから民間会社に移行するのが普通のやり方です。しかしこの方法では、揺り戻しの動きが出た時に見直し法案を出されたら、公社に戻されてしまいます。でも商法会社にしてしまえば、新たに国有化法でも出さない限り元に戻れません。これは役人でないと気付かない部分で、反対派は「やられた」と思ったはずです。

郵政民営化の後、特別会計から12兆円を一般会計に拠出させたり、政策金融機関を民営化したり、という成果を出しますが、これらについては次回に譲ります。
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