弁理士の日々

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ローマ皇帝トライアヌス

2006-11-12 11:52:04 | 趣味・読書
塩野七生著「ローマ人の物語」文庫24巻は、皇帝トライアヌスについてです。
ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社

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紀元2世紀、ローマ帝国の5賢帝の2人目に位置するのがトライアヌス(在位98~117)です。学校ではトラヤヌスと習ったように記憶しています。
「ローマ人の物語」文庫24巻の扉には以下のように書かれています。
「初の属州出身皇帝となったトライアヌスは、防衛線の再編、社会基盤の整備、福祉の拡充等、次々と大事業を成し遂げ、さらにはアラビアとダキアを併合。治世中に帝国の版図は最大となる。」

現在のローマ市から発してイタリア半島を統一したローマは、地中海全域及びガリアを属州として支配します。

カエサルによるガリアの制覇と属州化が成功したのは、勝者カエサルが敗者であるガリア人の存続を認め、部族の有力者階級には世襲権でもあるローマ市民権を与え、部族長には元老員の議席を提供する、という政治を実践したためです。
トライアヌスと同時代のギリシャ人であるプルタルコス(プルターク)は、「ローマの興隆の要因は、敗者でさえも自分たちと同化する彼らの生き方にあった」と記述しています。

このような基本政策と反し、勝者ローマが敗者を徹底的に抹殺した事例がいくつかあります。
第3次ポエニ戦争でカルタゴを抹殺した例と、もうひとつがトライアヌスによるダキア征伐です。

ドナウ川の北側はゲルマン人が部族割拠していた地域ですが、今のルーマニアのあたりにはダキア人が住んでいました。この時代、ダキア族を束ねるダキア王が登場します。ダキア王は自分の支配地を広げようとしてローマと確執します。トライアヌス帝の前時代には、ローマ側が負けたこともありました。これに対してトライアヌス帝は、第1次ダキア戦役でダキアを破り、講和を結びます。しかし紀元105年、ダキアは再度攻勢に出て、第2次ダキア戦役が勃発します。
今回もローマが勝利しますが、トライアヌス帝はダキア人を地上から抹殺することにします。戦死せずに残ったダキア人のうち、5万人を捕虜ないし奴隷として故国から引き離し、それ以外のダキア人をカルパチア山脈の北に追放します。戦役初期に降伏したダキア人のみの居留が認められました。
空っぽになったダキアには、周辺の諸地方から住民を移住させます。それも、一地方からではなく、多くの地方から。ダキアの住民の総入れ替えが実現します。風習も言語も異なる人々の混合体となったダキアには、共通語としてローマ人の言語であるラテン語が浸透していきます。

「ルーマニア語はイタリア語と似ている」という話を以前から聞いていました。イタリアとルーマニアとの間にはハンガリーやオーストリアが配置されており、ルーマニア語がイタリア語に似ている理由がわからなかったのですが、やっとわかりました。現代のルーマニアは、かつてのダキアであったのです。

トライアヌスによるダキア政策が、なぜダキア抹殺という方向に至ったのか。ガリア政策のような同化政策がなぜとれなかったのか、という点については、いろいろ説明はありますが十分には納得できません。しかし、トライアヌスのこの政策を非難した歴史家はいないようであり、プルタルコスもタキトゥスも、トライアヌスの政治全般に関して好意的であるようです。

いずれにしろダキア戦役の完了により、ヨーロッパには平和が訪れたようです。
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