弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

安田(ヤスダ)のサッカーシューズ

2007-10-02 21:57:51 | サッカー
私がサッカーをちょっとだけやっていたのは高校時代、40年ほど前です。ちょうど東京オリンピックの頃ですね。

サッカーといえばスパイクシューズです。
私の通っていた高校から歩いていける距離に、サッカーシューズを専門とする小さな店がありました。たしか「安田」といいました。今の東京都文京区小石川4~5丁目のあたりにありました。
革靴で、既成靴はなく、足の寸法を測り、足型を記録してのあつらえです。3~4千円したと思います。
当時のサッカーシューズというと、革底で、革でできた円盤を何枚か重ねて釘で打ち付けたスパイクが6個ほど取り付けられているものが古典的でした。
私が選んだのは、ゴム製底でゴムスパイクがたくさん付いているやつ、あるいは革底で、アルミ製のスパイクを6個ほど打ち付けたやつ、などでした。

安田は小さな店で、社長の親父と従業員がやっていましたが、他にサッカーシューズを作っているところがなかったようで、関東の高校サッカー選手はみな安田の靴を使っていました。なぜ安田の靴とわかったかというと、その店オリジナルの空色の袋があり、試合にその袋を持ってくるので、安田と判別できるのです。

その後、自分ではサッカーをやらなくなったので、世の中のサッカーシューズがどうなっているのか、あの安田がどうなったのか、まったく知りませんでした。


それが9月29日の日経新聞朝刊で、40年ぶりに安田(ヤスダ)の消息を目にしました。
「ソニー・ミュージック・エンターテインメント(SME)は日本のサッカーシューズの草分けとして知られる「ヤスダ」ブランドの衣料品や靴の販売を始める。「ヤスダ」は製造会社が2002年に自己破産したが、SMEの社内ベンチャーが商標権の使用許可を受けて商品化する。学生時代に「ヤスダ」を愛用した30~40代男性らの需要を見込む。」

そうだったのですか。
あの小さな商店だった安田は、一度は全国区のヤスダとなり、消えていったのですか。そして今回、ブランド名として復活するのですね。

早速ネットで探してみました。YASUSAのサイトがありました。
HISTORYを覗いてみます。そうそう。このページの右上に見えるシューズが、革底と革製スパイクを持った「古典」シューズです。私はこの靴は使いませんでしたが。
HISTORYを追ってみると・・・
「1932年(昭和7年) 東京・小石川にて安田靴店として創業
修行中、ほとんどをサッカーシューズばかり作っていた安田重春は21歳で独立し開業。
顧客は近隣の東京大学や早稲田大学。更に慶応・明治、師範学校(現:筑波大学)などの東京の大学サッカー部の選手たちだった。
丹精込めて職人が作ったスパイクや各校のグランドを回ってのマメな修理など噂は広まり、サッカーシューズと言えば「神戸の佐藤」「長野の大松」「東京の安田」と称されるようになる。」
「1964年(昭和39年) 東京オリンピック
1960年に日本初のゴム底のサッカーシューズを出すなど業績を順調に伸ばし、靴ではサッカーの安田、陸上のオニツカタイガーだけが大会中にサービスステーションの出店を許されるなど、サッカー・スパイク・メーカーとしての地位を不動のものとする。
また、この時期代表コーチとして来日中だった「日本サッカーの父」デッドマール・クラマー氏から、本場ドイツのことなど様々なアドバイスを受ける。」

私の相手をしてくれた社長は、創業社長のようですね。
そして上記1964年が私の現役時代です。「日本初のゴム底のサッカーシューズ」というやつが、私の愛用シューズでした。
「クラマーの指摘を受け、シューズのデザインを変更した」という話も当時聞いた覚えがあります。

MUSEUMはまだ工事中のようですが、私が使った靴が展示されるのか、楽しみです。
さらにプロローグには、安田(ヤスダ)の歴史が熱く語られています。

さらにネット上で見つけた安田の思い出です。
コメント (6)
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