弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

ニッポンの教育

2007-02-13 22:46:41 | 歴史・社会
日経新聞の朝刊1面で、「ニッポンの教育」シリーズが掲載されています。2月11日朝刊は、第2部「学び」とは何か④として、「揺れる『22歳の決断』」です。

中堅製薬会社を二年で辞め、フリーター生活5年目に入る29歳の男性が登場します。
東大の文科二類に現役で合格しますが、「そこで人生の目標を達成してしまった」ということで、大学時代を無為に過ごし、製薬会社の営業部で成績が上がらず、嫌になって退職したというのです。
「高度成長期からバブル期まで、名の通った会社に入社すれば終身雇用で守られていた。大学卒業後、十分な知識がなく会社に入っても大抵は会社が丸抱えで育ててくれた。
 が、バブル崩壊とグローバル競争の激化に伴う雇用の流動化が進んだ今、大学4年で迫られる『22歳の決断』が揺れる。自ら社員を育てる余裕を失った会社に決別する若手。新卒採用社員が就職後3年以内に離職する率は4割に迫る。」


同じ日経新聞朝刊の最終面、「私の履歴書」は、ダイキン工業会長の井上礼之氏です。
2月11日の記事
大学を卒業して、勧められるままにダイキン工業に入社したものの、特別な新人教育もないまま淀川製作所勤務を命じられ、工場の総務課庶務係に配属になります。採用面接で希望したのは花形部門の化学の営業でした。
仕事らしい仕事はなく、ただ一つ、任されたのはガリ版刷りです。
「不満がたまったからだろうか、入社して1年あまりたったある朝、突然『行くのをやめた』と思い、無断欠勤した。」
無断欠勤8日目に、同じ職場に勤務する大学の一年先輩が家までやって来ます。『お前はぼんぼんや。どこに行っても同じやで。』先輩訪問の3日後、会社に出ます。

2月12日の記事
10日間の無断欠勤のあと職場に復帰すると、今まで毛嫌いしていた係長はニヤッと笑っただけ、その上の課長も平然とした態度で、職場の人たちの優しさと人の弱さを包み込む寛容さを肌で感じ、会社の景色が全く違って見えてきます。

井上氏は、結局はダキイン工業の会長にまで上り詰めることになります。

上の記事に出てきた29歳フリーター氏の話と、ダイキン会長の井上氏の話の対比から何を感じ取るのか。
まずは、新入社員がしっかりと教育されないという同じようなシチュエーションでも、人によって対応はまちまちであり、一般論を導くことは難しいということです。

つぎに、最近は新人教育がおろそかにされているとの論調があるものの、今も昔も新人がほったらかしにされる状況は存在したということです。
ただし、高度成長期からバブル期に至るまでは、新人教育が充実しているという幸せな時代だったかもしれません。しかし長い日本の近代史の中で眺めると、結局は短期間の特異なできごとであったと認識すべきでしょう。

会社が手取り足取り新人を教育するのが当たり前で、そうでなかったら辞める、との態度であったら、新人離職率が増えるのは当然ということになります。離職が本人の幸せにつながるのなら良いのですが、そうでない場合の方が多いでしょう。

人間、一人で何から何まで手がけていくより、組織として、各人が得意技を出し合って分担して仕事をした方が大きな仕事ができます。そのために会社という組織があります。しかし組織である以上、各人の自由は束縛されます。また人間の集合体である以上、全体の中の各部分にはうまく機能していない部分もあるでしょうが、「そういうものだ」と理解した上で本人が対応すれば、いつか途は開けていくと思います。


教育と就職の問題を眺めるとき、まだまだいくつもの問題が見えてきます。
大学全入の時代を迎え、大卒者全員が大卒らしい仕事に就けないのは目に見えています。求人と求職のミスマッチです。「大卒らしい仕事」というのは、全就労者数のせいぜい2~3割程度しか存在しないように思います。
「大学には専門教育を期待しない」という企業側の要望に甘え、大学教育が職業というものを見据えてこなかったことは間違いないでしょう。企業が即戦力を求めるようになり、今になって大学があわてています。
学生も大学も、大学さえ卒業すればあとは社会が何とかしてくれるはずだ、という甘えを捨て、社会の荒波を自分で乗りきっていく覚悟を持つことも大事でしょう。
コメント (2)
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