弁理士の日々

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小川和久氏と普天間移設問題

2014-04-06 20:01:36 | 歴史・社会
だいぶ前、1月26日過ぎのことですが、このブログにキーワード「小川和久」で検索して訪問される方が増えたことがあります。調べたところ、1月26日の「報道ステーション SUNDAY」で、鳩山由紀夫政権の2010年5月ころに、普天間移設先について秘密裏に行われていた日米交渉について放送されていたことがわかりました。

『普天間移設問題の舞台裏を鳩山由紀夫氏に聞く。オバマ大統領は移設先には柔軟な姿勢を持っており、軍事アナリスト・小川和久氏が直命を受けて新たな移設先についての交渉を行った。キャンプハンセンに移設する案は米軍が2日で実現可能とし、民主党・藤田幸久氏が渡米し交渉に臨んだ。米国からは好意的に受け取られ、現行の辺野古移設案への否定的な意見も聞かれたという。

普天間移設問題について、米国も指摘したという辺野古移設案の問題を紹介。有事の際に大量の海兵隊や物資などを扱うスペースがなく、滑走路の短さから海兵隊の軍用機が着陸できないという問題もあった。米国側も海兵隊の不満を抑えこんでいたという。日本側が提示した「キャンプハンセン」への移設案は沖縄戦当時の「チム飛行場」を復活させ滑走路を確保する案で、ルース大使も費用が大幅に削減できると興味を示した。

普天間移設問題についての当時の国会でのやりとりを紹介。移設案は民主党外には公開されず、野党だった自民党の谷垣総裁らが腹案を追及した。鳩山由紀夫氏は交渉中の小川和久氏に首相補佐官就任を要請、小川氏は動きにくくなるとしてこれを固辞した。その後日本側が米国高官8人と交渉したが、首相補佐官でない立場があだとなり米国が実務者協議を要求するなど交渉が進まなくなった。

普天間移設問題では密使がキャンプハンセンへの移設で米国と合意に至るが、鳩山由紀夫氏が沖縄を訪問して発言を迷走させ、交渉が辺野古案に傾いた。東京では日米の官僚が辺野古案の協議を進めてしまう。鳩山由紀夫氏が当時の発言について、官僚からの抵抗が大きかったなどと指摘した。辞任1か月前に辺野古移設を決断、不本意な決断ではあったがオバマ大統領からは感謝状も贈られた。小川和久氏は水面下の交渉をのちに論文にまとめ、日本には外交と安全保障に関する能力が欠如していると警鐘を鳴らした。』

私は2010年7月にこのブログで、「小川和久著「普天間問題」」と題してブログ記事を書きました。小川氏の「この1冊ですべてがわかる 普天間問題」についてです。
この本は2010年4月1日に発行されたものです。
96年6月までに、小川氏は普天間飛行場の移設構想をまとめ上げました。その案とは、普天間と同じ規模の海兵隊専用飛行場をキャンプ・ハンセンの陸上部分に建設し、キャンプ・シュワブの陸上部分に軍民共用空港を建設、嘉手納基地のアジアのハブ空港化などの振興策によって沖縄を経済的に自立させるという構想でした。
自民党総務会長だった塩川正十郎氏に構想を話したところ、塩川氏は賛同してくれたのですが、梶山静六官房長官は小川氏の話を聞こうともしませんでした。
3年後の1999年に小川氏の構想を沖縄県北部の自治体首長たちの賛同を得ることになりますが、実現にはいたりませんでした。
自民党のある有力政治家は、「北部の首長たちは小川さんの構想に心酔しているが、それを進めると自分たちの立場がなくなると、官僚が抵抗したんです」と、小川氏の案で進めなかった理由を説明しました。しかし別の防衛官僚によると、そもそも“官僚の抵抗”など存在せず、この有力政治家が、普天間の利害がからむ別の政治家から頼まれて、それ以上、沖縄側と接触しないように小川氏にストップをかけ、事実を曲げて説明していたのです。

小川和久氏は、以上のように96年時点から普天間移設問題に深く関わっていました。そして、2010年4月に上記の本を出版したわけです。そこまでは私も知っていました。
出版の直後、2010年5月に一体何があったのでしょうか。

テレビ放送の紹介では、「小川和久氏は水面下の交渉をのちに論文にまとめ」とあります。そこで、その論文を探してみました。
その結果、「普天間漂流――軍事的リアリティを踏まえた効果的な交渉の不在 」を見つけました。
投稿日: 2014年02月02日 09時28分
『1月27日に掲載したハフィントンポスト編集主幹・長野智子のブログ「普天間基地『腹案だった?幻の移設案』」の関連記事として、軍事アナリスト・小川和久氏の論文「普天間漂流――軍事的リアリティを踏まえた効果的な交渉の不在」を紹介する。
※この論文は、『沖縄クエスチョン  普天間と日米同盟と地域の安全保障』(2013年12月10日、ジョージ・ワシントン大学シグールセンターと沖縄の南西地域産業活性化センターにより英文で出版)に収録されています。
鳩山内閣時代の普天間飛行場移設問題の迷走は、ひとり鳩山内閣の問題にとどまらず、外務省、防衛省に代表される日本の官僚機構の能カレベルを余すところなく浮き彫りにすることになった。ここでは、私自身が当事者となった米国政府との協議の一端から、交渉失敗の現実を明らかにし、将来への教訓を導き出す材料としたい。』
『■ 背景
2010年3月20日、私は首相公邸において鳩山由紀夫首相から内閣総理大臣補佐官への就任を要請され、移設案の新規策定作業を開始した(同席者:藤田幸久民主党国際局長、佐野忠克首相秘書官)。(脚注1)
4月16日、移設案を米国政府に提示。即日、「政府を含む日本側からの初めての具体的な提案」との回答あり。私が当時接触していた、普天間飛行場移設問題をよく知る複数の米軍高級将校からも同じ回答あり。しかし、4月16日の段階で、首相を支える佐野秘書官らは普天間飛行場の部隊を無理やり徳之島に移駐させる案、あるいは普天間の部隊の半分を徳之島に移駐させる案を抱え込んでいた。米国との下交渉が終わるまで、私は首相補佐官ではなく、民間の専門家として行動することにした。メディアに捕捉されるのを避けるためだ。米国側は、私が行動するにあたって日本政府の人間が同行する、という条件を示した。
■ 移設の提案(2010年)
【2010年の移設案】
私は最終的な移設先として、2500m滑走路を含む、普天間と同規模の飛行場を建設することを提案していた。飛行場に最も適した場所は、キャンプ・ハンセンのチム飛行場跡地。チム飛行場は米海軍が1945年に建設し、跡地には海兵隊の建物が建っている。この移設先飛行場は、米軍の作戦所要を満たすことができるだけでなく、演習場内に滑走路を建設する計画ではないので、海兵隊の訓練に支障が出ることもない。墜落事故の危険、騒音、海岸の環境への影響も少ない。
ヘリ部隊の仮移駐先は、沖縄の他の米軍基地内に、段階的に整備することを提案した。仮移駐先の用地は2日間で更地にして、基本的な航空施設を1カ月以内に整備するというものだった。この2段階は、自衛隊が日米共同訓練の枠組みのもとで実施できる。仮移駐先には1年半以内に2000m滑走路を建設するか、仮移駐先によっては、それより前に既存の滑走路を2000mに延長する。もともと私は、仮移駐先をキャンプ・シュワブに建設する考えだったが、2010年春には民主党の沖縄選出議員の求めもあり、伊江島に仮移駐先を建設しても構わないと判断し、提案に盛り込んだのだった。
■ 交渉過程の管理に関する日本側の問題
米国政府側と私の折衝は藤崎一郎駐米大使と情報共有され、藤田民主党国際局長(参院議員)と日本大使館員が同席、折衝の模様は外交公電に記録されている。
以上のような経緯ののち、普天間飛行場移設問題は2010年5月はじめの段階で決着しかけていたが、残念ながら、日本側のコミュニケーション不足から問題が生じた。米政府側は私の提案を肯定したうえで「色々な政治家が『首相の使者』と名乗ってやってくるが、小川案に一本化してもらえないだろうか」と求めたが、藤田議員からの連絡に対しても鳩山首相も佐野秘書官も応答しなかったのだ。米国側が辺野古案に戻すことにしたのは、ひとえに日本側の責任である。』
(英訳と日本語訳・西 恭之、聞き手と構成・坂本 衛)
(2014年1月23日発行『NEWSを疑え!』第270号より転載)

この1冊ですべてがわかる 普天間問題」の出版(10年4月10日)直前に、鳩山政権に参画して行動を開始していたのですね。そして、米国に示した普天間移設先は、本の主張と同じ、「キャンプ・ハンセン移設案」でした。米国からは好意的に受け入れられたようですが、結局、日本側の事情でこの案は実現しなかったということです。
結局は、元の木阿弥で辺野古移転案に戻ってしまいました。

このあたりのいきさつは、小川氏が論文発表しているにもかかわらず、全くといって良いほど報道されません。報道管制が敷かれているとしか考えられません。

1996年頃、小川氏のキャンプ・ハンセン移転案は、自民党代議士と地元利権によって葬り去られました。
2010年における小川氏のキャンプ・ハンセン移転案も、辺野古埋め立てを求める地元土建業者の利権を背景に迫る官僚に、鳩山総理が負けてしまったのでしょう。

ところで、小川氏が推したキャンプ・ハンセンとはどのあたりでしょうか。下の地図の[+]位置に、現在のキャンプ・ハンセンがあります。

この位置が、米軍の旧チム飛行場の位置なのでしょう。航空写真で見ると現在は米軍の建物が建っているようですが。「チム」とは、地名の「金武町」から来ているようです。

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1 コメント

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Unknown (nn)
2015-05-14 00:05:05
久々にコメントさせてもらいます。

溜息が出てきますよね…。
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