弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

「バーナンキは正しかったか?」

2010-11-21 13:23:35 | 歴史・社会
バーナンキは正しかったか? FRBの真相
デイビッド・ウェッセル
朝日新聞出版

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新聞で書評を見たのはもう何ヶ月も前です。単行本なので例によって図書館で借りることにしたのですが、予約待ちが何人もあり、やっと順番が回ってきました。
やっと読み終わったのですが、それが返却日の前日でした。読み返してブログ記事を書く暇がありません。予約が多いので、貸し出しの延長ができないのです。

取り敢えず忘れないように覚えているところをメモしておきます。

サブプライムローン問題とリーマンショックを頂点とする今回の米国初世界金融危機を、この本は「グレートパニック」と呼びます。そのグレートパニックを大恐慌に進展させないために、FRBを中心とする米国の中枢部は何をやったのか、そのストーリーを、バーナンキFRB議長を中心に据えて描いたのがこの本です。相当綿密に取材をしたと見えて、その時々に中枢メンバーがどのように考え、どのように行動したのかが克明に描かれています。

私はリーマンブラザーズが破産した後、それは当時のポールソン米国財務長官の大失敗ではないかと思っていました。彼がリーマンを救済しなかったせいで、世界金融危機が到来してしまったではないかと。
しかしこの本を読んでいくと、もちろんポールソンの判断と行動が最適だったとは言えませんが、しかし状況が読めない中、短時間での判断を迫られ、そんな中での判断のブレを非難するのは酷かもしれない、と現在は思い直しています。

《アジアが開く前に》
今回の一連の金融危機で、決断を下さなければならない瞬間の多くが日曜の夜でした。その日曜の夜(米国時間)、翌月曜の市場がアジアで開くまでに決着をつけないと世界の金融が大ダメージを受ける、という瞬間が数多くありました。
○ 2008年3月の日曜:ベアスターンズ救済 FRB自身が監督権限を持つわけではない投資銀行であるベアスターンズの救済のため、FRBはJPモルガン・チェースに300億ドルを融資しました。
○ 2008年8月の日曜:ファニーメイとフレディーマックという2社の住宅金融大手を政府の管理下に置きました。
○ 2008年9月14日(日):リーマンショックの日です。買収先を探す必死の努力も空しくリーマンが倒産するのをバーナンキとポールソンは容認しました。
○ さらに2008年9月下旬の日曜:ワコビアを支援する決定をします。

《リーマン倒産》
2008年3月にベアスターンズを救済した後、ポールソンもバーナンキも批判されました。ポールソンはリーマン倒産直前、「私はミスター救済と呼ばれているんだ。もう救済はできない」と発言しています。バーナンキらも財務長官の反対を無視してまでリーマン救済に資金を投じる気はありませんでした。
リーマン倒産直前の木曜の夜、ポールソンの側近2名が先走って、リーマンに納税者のカネは使わないというポールソンの言葉をマスコミに伝えました。当時のニューヨーク連銀総裁のガイトナーに言わせれば、金融危機の最中に公然と限界ラインを示すのは狂気の沙汰です。ポールソンは、常々はったりを利かせた発言をするクセがあり、それがこのときはネガティブに働いてしまったのです。
最後の週末、リーマンをイギリスのバークレイズ銀行が買収する方向で話が進んでいました。ところが日曜の朝、バークレイズによる買収が頓挫します。残る手はFRBの資金でリーマンを買い取ることしかありませんでしたが、高官たちの間ではだれも言い出しませんでした。9月14日日曜、リーマンは倒産書類にサインしました。
9月14日という1日のうちに状況が激変していく中、「FRBがリーマンを救済しよう」というアイデアを誰も言い出さなかったことが、その後の経済危機を招来したと言えますが、この判断についてかれらを責めることは酷であるように思います。

この本では、米国FRBの成り立ち、バーナンキの人となり、そして今回の“グレートパニック”の詳細な顛末について語っています。

《FRBの成り立ち》
1907年に米国で金融危機が発生したのですが、そのときにはFRBが存在していませんでした。J・ピアモント・モルガンという一人の民間人(といっても銀行家ですが)の力によって危機が収斂したのだそうです。
その反省から連邦準備法が成立しましたが、米国は中央集権を嫌うのか、不思議な組織です。財務長官を議長とする理事会と、最高12箇所の連邦準備銀行(地区連銀)からなります。日本の日本銀行のような、“ひとつのアメリカ中央銀行”というのは存在していないのです。
1930年頃の大恐慌は、金融システムが崩壊する中で政府が傍観していたために発生したようです。現在のバーナンキFRB議長は、経済学教授のときに大恐慌を研究しました。そのため、今回の金融危機ではバーナンキ議長は“できることは何でもやる”というスタンスで取り組んできたのです。

そのFRBについてこの本には『アメリカ大統領はミサイル攻撃には本物の砲弾で即座に対応できるが、金融パニックには、議会の事前承認がないかぎり、本物のおカネで即座に対応することができない。だがバーナンキはそうすることができ、実際にそうしたのだ』と記されています。

(ここから後は、文庫本が発行されたときに購入し読み直して記録することとします)

こうしてあの金融パニックの渦中にあった米国高官たちの行動を追ってみると、もちろん齟齬は多々あったものの、適材が適所に配置され、各人が全力を尽くしている様子を読み取ることができます。
ふり返って日本はどうなのだろうかと考えると、ちょっと憂鬱になります。
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