前報でも紹介したように、私は1990年頃、山口県でコールサインJJ4MGJでアマチュア無線局を開局し、CW(モールス)通信を楽しんでいました。そのときのことを思い出してみます。
私がアマチュア無線資格試験に挑戦したのは1990年頃です。大部分のアマチュア無線従事者は、4級の資格を取得しています。しかし、4級では、小学生でも取れるとあっておもしろくありません。そこで3級にトライすることにしました。3級は何が違うかというと、モールス符号の実技があるのです。スピーカーから流れるモールス信号(アルファベット、1分間25文字)を聞き、書き取るのです。
3級はモールスのスピードも遅いので、何とか合格することができました。
当時の3級アマの試験では毎分25文字の聞き取りテストがありましたが、この速度で聞き取りができれば、同じ速度での打鍵は間違いなくできるでしょう。
前報で紹介したように、ミズホ通信 ピコ21Sという2ワットのトランシーバー(左下写真)を使用することとしました。周波数21MHzです。アンテナとしては、2階の軒先を支点として逆V型にワイヤーを張る逆Vアンテナにしました。さらに右下写真に示す電鍵を購入し、準備は完了しました。
ピコ21S 電鍵
ここで電波の伝搬について説明しましょう。
電波は直進し、一方で地球は丸いですから、遠方の地には電波が届きません。
一方、地球の上空には電離層が存在します。電波は電離層で吸収されたり反射したり透過したりします。低周波の電波は吸収され、高周波の電波は透過し、その中間の周波数の電波が反射します。短波といわれる周波数領域の電波は電離層で反射し、地表でも反射し、これを繰り返して地球の裏側まで電波が届くことがあるのです。
私が採用した周波数21MHzというのが短波で、3級アマに許可されている周波数としては最も遠距離通信に適しています。
電離層というのは、太陽から降り注ぐX線などによって大気が電離してできるので、昼間や夏は強く、夜や冬は弱くなるという変化をします。また、太陽の活動は11年周期で強弱を繰り返し、太陽の活動が強い時期には電離層が強力です。このようなもろもろの要因で電離層状態が変化するので、時期毎、時間毎に、交信できる地域が変動します。
総合的には、夏は電離層が強すぎ、冬は弱すぎ、短波通信には適しません。春秋が遠距離通信の季節であり、かつ11年周期の太陽活動の最盛期が好適です。私がアマチュア無線を開始した時期は、ちょうど太陽活動活発期の秋でした。
私が使った21MHzの短波が電離層で反射するといっても、電離層に入射する角度が大きすぎると電離層を透過してしまい、反射しません。ほとんど入射角ゼロ近くの場合にやっと反射する程度です。
私がいた中国地方と例えば関東との間で通信しようとすると、電離層入射角がやや大きすぎ、反射してくれません。一方、相手が北海道であると、入射角が小さくなるので、電波が反射し、地表に戻ってきます。
そのため、私のトランシーバーに入ってくる電波は、大部分が北海道からのものだったのです。
しかし聞こえてくるモールス通信は、私が送受信可能な速度(1分間に25文字)よりは当然速く、読取り不可能です。これではせっかく開局したものの仲間に入れません。
仕方がないので、読取り速度を向上するための訓練です。パソコンのフリーソフトで、自分の与えたアルファベット文字列を指定した速度でモールス符号としてスピーカーから音を出すソフトがありました。それを用いて1分間40文字を超える聞き取り能力に達しました。
アマチュア無線でモールス通信をする場合、こちらの技能の方が低ければ、相手はこちらが打つスピードに合わせて打ってくれます。ですから、こちらが、自分が聞き取れる速度で送信すれば、それに合わせて打ってくれた相手の通信を自分も聞き取れるというわけです。
ということで無事にモールス通信にデビューを果たし、主に北海道の相手と交信しました。
ある日、こちらがコールサインを打ってだれかの応答を待っていると、かすかに「・・--・・」という応答が聞こえます。「?」という意味です。
もう一度打ちます。また「?」。3回目でやっと相手は私の通信を了解したらしく、相手のコールサインが返ってきました。それが何とオーストラリアのブリスベーンからだったのです。
こうして、2ワットのトランシーバと逆Vアンテナという貧弱な設備で、遠い別の大陸と交信することができました。
こうなると欲が出てきます。「すべての大陸の相手と交信したい!」
ちょうど11年周期の太陽活動が最も活発な時期に入っており、全世界と交信するには絶好のシーズンです。
しかし2ワット+逆Vではこれ以上遠くの相手とは無理です。私は3アマ(3級アマチュア)ですから出力25ワットまでOKです。そこで、トランシーバの2ワットを25ワットに増幅する増幅アンプを自作することにしました。雑誌に自作記事が載っていたので、それを参考に秋葉原で部品を揃え、何とか完成しました。電源と出力測定器は完成品を購入せざるを得ません。出力を25ワットに調整し、免許も更新しました。出力を上げるとご近所のテレビや電話に障害が入るおそれがあるので、ご近所にご挨拶しました。
まずはモーリシャス(アフリカ)と交信でき、次いでフィンランド(ヨーロッパ)、アルゼンチン(南米)とも交信が完了しました。北米となかなか繋がらず、電離層の様子を見ながら早朝にトライしたりしてやっと交信に成功しました。
こうして6大陸と交信を完了し、世界アマチュア無線連盟からWAC(Worked All Continents)という賞状を獲得しました。1992年のことです。
WACの賞状
当時の私のシャックを写した銀塩写真がありましたので、デジカメで撮り直しました(下写真)。自作の棚のなかにピコ21Sトランシーバーを収納し、ピコ21Sの右隣はCWセミブレークイン・サイドトーン装置CW-2S、最上部の黒いケースは自作の回路(CWフィルター)です。リニアアンプ(増幅アンプ)はデスクの向こう側にちょっとだけ見えているアルミ箱です。リニアアンプ用の安定化電源は机の下に置いてあります。
上写真、右下にパソコンが見えます。わが家で最初に購入したパソコンで、NECのPC-9801RA2です。ウィキによると、
『PC-9801RA/RX前期 1988年7月(RA)/9月(RX)5インチFDD搭載、大型筐体、FM音源なし。CPUはRA2/5が80386DX/16MHz+V30/8MHz、RXが80286/12MHz+V30/8MHzを搭載。RA5は固定ディスクドライブ(SASI HDD、容量40MB)を、RX4は固定ディスクドライブ(SASI HDD、容量20MB)を搭載。』
とあります。もちろん、当時ですからMS-DOS(16ビット)です。このマシンはCPUが80386で、内部アーキテクチャが32ビットであったため、MS-DOS(16ビット)を超える32ビットの機能を実現できました。メモリープロ386でさんざん遊んだものです。
パソコンの上、自作棚に乗っているのは、ドットインパクトプリンターです。
パソコンのモニターに表示されているのは、アマチュア無線のログ管理ソフトであるTurbo HAMLOGの入力画面ですね。
当時、Turbo HAMLOGをNifty-serveのデータライブラリで見つけてパソコンにインストールし、ソフトの作者の方に連絡を取りました。作者の方は、「誰かが勝手にNifty-serveにアップロードしたのでしょう。私はNifty-serveに加入していません」と最初は乗り気でありませんでした。しかし、そのうちNifty-serveに参加され、ついにはNifty-serveを舞台としてTurbo HAMLOGが大進化を遂げたのでした。ひょっとすると、私がTurbo HAMLOGのNifty-serveにおける大進化の陰の仕掛け人だったかもしれません。
それから、上写真に写っているパソコンのキーボードは、MS-DOSマシン用に私が使っていた親指シフトキーボード(確か親指君)です。
私がアマチュア無線資格試験に挑戦したのは1990年頃です。大部分のアマチュア無線従事者は、4級の資格を取得しています。しかし、4級では、小学生でも取れるとあっておもしろくありません。そこで3級にトライすることにしました。3級は何が違うかというと、モールス符号の実技があるのです。スピーカーから流れるモールス信号(アルファベット、1分間25文字)を聞き、書き取るのです。
3級はモールスのスピードも遅いので、何とか合格することができました。
当時の3級アマの試験では毎分25文字の聞き取りテストがありましたが、この速度で聞き取りができれば、同じ速度での打鍵は間違いなくできるでしょう。
前報で紹介したように、ミズホ通信 ピコ21Sという2ワットのトランシーバー(左下写真)を使用することとしました。周波数21MHzです。アンテナとしては、2階の軒先を支点として逆V型にワイヤーを張る逆Vアンテナにしました。さらに右下写真に示す電鍵を購入し、準備は完了しました。
ピコ21S 電鍵
ここで電波の伝搬について説明しましょう。
電波は直進し、一方で地球は丸いですから、遠方の地には電波が届きません。
一方、地球の上空には電離層が存在します。電波は電離層で吸収されたり反射したり透過したりします。低周波の電波は吸収され、高周波の電波は透過し、その中間の周波数の電波が反射します。短波といわれる周波数領域の電波は電離層で反射し、地表でも反射し、これを繰り返して地球の裏側まで電波が届くことがあるのです。
私が採用した周波数21MHzというのが短波で、3級アマに許可されている周波数としては最も遠距離通信に適しています。
電離層というのは、太陽から降り注ぐX線などによって大気が電離してできるので、昼間や夏は強く、夜や冬は弱くなるという変化をします。また、太陽の活動は11年周期で強弱を繰り返し、太陽の活動が強い時期には電離層が強力です。このようなもろもろの要因で電離層状態が変化するので、時期毎、時間毎に、交信できる地域が変動します。
総合的には、夏は電離層が強すぎ、冬は弱すぎ、短波通信には適しません。春秋が遠距離通信の季節であり、かつ11年周期の太陽活動の最盛期が好適です。私がアマチュア無線を開始した時期は、ちょうど太陽活動活発期の秋でした。
私が使った21MHzの短波が電離層で反射するといっても、電離層に入射する角度が大きすぎると電離層を透過してしまい、反射しません。ほとんど入射角ゼロ近くの場合にやっと反射する程度です。
私がいた中国地方と例えば関東との間で通信しようとすると、電離層入射角がやや大きすぎ、反射してくれません。一方、相手が北海道であると、入射角が小さくなるので、電波が反射し、地表に戻ってきます。
そのため、私のトランシーバーに入ってくる電波は、大部分が北海道からのものだったのです。
しかし聞こえてくるモールス通信は、私が送受信可能な速度(1分間に25文字)よりは当然速く、読取り不可能です。これではせっかく開局したものの仲間に入れません。
仕方がないので、読取り速度を向上するための訓練です。パソコンのフリーソフトで、自分の与えたアルファベット文字列を指定した速度でモールス符号としてスピーカーから音を出すソフトがありました。それを用いて1分間40文字を超える聞き取り能力に達しました。
アマチュア無線でモールス通信をする場合、こちらの技能の方が低ければ、相手はこちらが打つスピードに合わせて打ってくれます。ですから、こちらが、自分が聞き取れる速度で送信すれば、それに合わせて打ってくれた相手の通信を自分も聞き取れるというわけです。
ということで無事にモールス通信にデビューを果たし、主に北海道の相手と交信しました。
ある日、こちらがコールサインを打ってだれかの応答を待っていると、かすかに「・・--・・」という応答が聞こえます。「?」という意味です。
もう一度打ちます。また「?」。3回目でやっと相手は私の通信を了解したらしく、相手のコールサインが返ってきました。それが何とオーストラリアのブリスベーンからだったのです。
こうして、2ワットのトランシーバと逆Vアンテナという貧弱な設備で、遠い別の大陸と交信することができました。
こうなると欲が出てきます。「すべての大陸の相手と交信したい!」
ちょうど11年周期の太陽活動が最も活発な時期に入っており、全世界と交信するには絶好のシーズンです。
しかし2ワット+逆Vではこれ以上遠くの相手とは無理です。私は3アマ(3級アマチュア)ですから出力25ワットまでOKです。そこで、トランシーバの2ワットを25ワットに増幅する増幅アンプを自作することにしました。雑誌に自作記事が載っていたので、それを参考に秋葉原で部品を揃え、何とか完成しました。電源と出力測定器は完成品を購入せざるを得ません。出力を25ワットに調整し、免許も更新しました。出力を上げるとご近所のテレビや電話に障害が入るおそれがあるので、ご近所にご挨拶しました。
まずはモーリシャス(アフリカ)と交信でき、次いでフィンランド(ヨーロッパ)、アルゼンチン(南米)とも交信が完了しました。北米となかなか繋がらず、電離層の様子を見ながら早朝にトライしたりしてやっと交信に成功しました。
こうして6大陸と交信を完了し、世界アマチュア無線連盟からWAC(Worked All Continents)という賞状を獲得しました。1992年のことです。
WACの賞状
当時の私のシャックを写した銀塩写真がありましたので、デジカメで撮り直しました(下写真)。自作の棚のなかにピコ21Sトランシーバーを収納し、ピコ21Sの右隣はCWセミブレークイン・サイドトーン装置CW-2S、最上部の黒いケースは自作の回路(CWフィルター)です。リニアアンプ(増幅アンプ)はデスクの向こう側にちょっとだけ見えているアルミ箱です。リニアアンプ用の安定化電源は机の下に置いてあります。
上写真、右下にパソコンが見えます。わが家で最初に購入したパソコンで、NECのPC-9801RA2です。ウィキによると、
『PC-9801RA/RX前期 1988年7月(RA)/9月(RX)5インチFDD搭載、大型筐体、FM音源なし。CPUはRA2/5が80386DX/16MHz+V30/8MHz、RXが80286/12MHz+V30/8MHzを搭載。RA5は固定ディスクドライブ(SASI HDD、容量40MB)を、RX4は固定ディスクドライブ(SASI HDD、容量20MB)を搭載。』
とあります。もちろん、当時ですからMS-DOS(16ビット)です。このマシンはCPUが80386で、内部アーキテクチャが32ビットであったため、MS-DOS(16ビット)を超える32ビットの機能を実現できました。メモリープロ386でさんざん遊んだものです。
パソコンの上、自作棚に乗っているのは、ドットインパクトプリンターです。
パソコンのモニターに表示されているのは、アマチュア無線のログ管理ソフトであるTurbo HAMLOGの入力画面ですね。
当時、Turbo HAMLOGをNifty-serveのデータライブラリで見つけてパソコンにインストールし、ソフトの作者の方に連絡を取りました。作者の方は、「誰かが勝手にNifty-serveにアップロードしたのでしょう。私はNifty-serveに加入していません」と最初は乗り気でありませんでした。しかし、そのうちNifty-serveに参加され、ついにはNifty-serveを舞台としてTurbo HAMLOGが大進化を遂げたのでした。ひょっとすると、私がTurbo HAMLOGのNifty-serveにおける大進化の陰の仕掛け人だったかもしれません。
それから、上写真に写っているパソコンのキーボードは、MS-DOSマシン用に私が使っていた親指シフトキーボード(確か親指君)です。
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