弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

足利事件の裁判経緯

2009-06-14 10:26:10 | 歴史・社会
足利事件のDNA鑑定について、このブログで2回にわたって話題にしました()。
その後、私のブログを閲覧されるリンク元を調べてみると(こちらこちら)、「警察が当初行ったDNA鑑定は、“当時の鑑定は分離精度が低かったから別人が同一人物と鑑定されたのであって鑑定自身は正しかった”のでははなく、鑑定が間違っていたのだ」という事実について、私のブログ記事ではじめて知った方が多いということに気付きました。
このような誤解を一般に生じさせている点については、マスコミの報道に問題があると思います。

ところで、足利事件で控訴審以降の菅家さんの弁護を担当した佐藤博史弁護士へのインタビュー記事を読むと、DNA鑑定の問題以外にも、裁判がらみの問題が浮かび上がってきます。
「足利事件とは、1990年5月12日(土)に栃木県足利市内のパチンコ店で4歳の幼女(松田真実ちゃん)が行方不明になり、翌13日、近くの渡良瀬川の河川敷で死体となって発見されたわいせつ目的誘拐、殺人、死体遺棄事件である。
 捜査は難航したが、DNA鑑定が決め手となって、およそ1年半後の91年12月1日、菅家利和氏(当時45歳)が任意同行され、その日のうちに自白して、翌2日未明に逮捕された。
 菅家氏は、以後捜査段階だけでなく、公判段階でも自白を維持し、途中公判で否認に転じたものの、すぐに再び自白して結審し、結審後再び否認に転じたが、2週間後の93年7月7日に、宇都宮地裁で無期懲役の判決を受けた。」

第一審の地裁を担当した国選弁護人は、菅家さんが犯人であると信じていたそうですから、地裁段階では関係者全員が“菅家さんが犯人”で固まっていたようです。
地裁で有罪判決が出た頃、佐藤弁護士はDNA鑑定に関する論文を法律雑誌に投稿していました。菅家さんの支援者がこの論文を見て、菅家さんに弁護を依頼してきました。そのころ国選弁護人は、控訴期限が迫っているのに菅家さんと接見して事情を聞くことさえしていません。佐藤弁護士は即座に弁護人になることを決意しました。
「菅家さんと初めて東京拘置所で接見しましたが、拘置所に向かうときの不安な気持ちと、拘置所を後にしたときの晴れやかな気持ちを今でも覚えています。接見して間もなく、私は無実を確信しました。私の刑事弁護人としての感性が試された瞬間だったと今思います。以来、100回近く接見していますが、無実の確信が揺らいだことは一度もありません。(佐藤弁護士)」

佐藤弁護士が把握した“菅家さんが真犯人でない証拠”は多々あります。
真犯人が小児性愛者であることは疑う余地がなく、また佐藤弁護士はそれまでの経験から小児性愛者であるかどうかを判断する知識を有していました。小児性愛者は普段の行動を見ていれば小児に対して必ず特異な行動を取りますが、幼稚園バス運転手だった菅家さんはそのような行動を取っていません。警察は、事件発生から菅家さん逮捕まで1年以上、菅家さんを尾行していたのですから、その点を警察は把握していたはずです。

足利市周辺ではこの事件以外にも幼児誘拐殺人事件が3件相次いで発生していました。警察で菅家さんは、このうちの2件についても「自分がやった」と自白しているのです。しかし、検察官は、その自白は信用性に疑問があるとして起訴できなかったのです。
それなのになぜこの事件だけは自白の信憑性を信じたのか。「まさに「DNA鑑定神話」が支配していたからです。」

最初の自白では、真美ちゃんを殺した後、午後8時頃にスーパーで買い物をしたことになっていましたが、警察はそのレシートをスーパーで見つけることができませんでした。その後菅家さんは自供を覆し、スーパーに寄ったのは午後3時としました。佐藤弁護士はスーパーでレシートを調べ、菅家さんが供述する買い物に付合するレシートを見つけ出しました。警察も見つけていたはずです。

事件当日、犯人と真美ちゃんが歩いて事件現場へ向かう姿を目撃した人がいました。ところが、菅家さんが「自転車に真美ちゃんを乗せて現場へ行った」と自供したので、この目撃証言は無視されることになりました。

真実ちゃんの死体の鼻と口からは白い細かな泡が出て来ましたが、これは溺死の所見で、真実ちゃんの首を絞めて殺したという菅家さんの自白と矛盾します。

「菅家さんは真犯人ではない」というこれだけの証拠が揃っていながら、控訴審では有罪を維持する判決がなされました。
「私は1996年5月9日に東京高裁の判決が言い渡されるとき、菅家さんは無罪とされるものと信じて疑いませんでした。しかし結果は「控訴棄却」。菅家さんも落胆しましたが、私もそうでした。その日、帰宅する道すがら、泣きながら「菅家さん、ごめんなさい」と言い続けたことを思い出します。(佐藤弁護士)」

結局、「犯人と菅家さんのDNA型が同一」というDNA鑑定にすべてが引きずられたのです。

佐藤弁護士は、菅家さんのDNA型を再鑑定することを思いつき、菅家さんの毛髪を用いて鑑定を行い、真犯人の型と異なることを立証しました(押田鑑定書)。しかしこの立証は控訴審判決の後、最高裁の段階でした。

佐藤弁護士は最高裁に対して、押田鑑定書を添付して、1997年10月28日、菅家さんのDNA型と犯人のDNA型は異なる可能性があるので、DNA鑑定の再鑑定を命じてほしいと申し立てました。
「しかし、最高裁は最終的にこれを無視しました。この事件の調査官だったG裁判官との何回かの面接で、「最高裁は事実審ではありませんので…」と言われたのがわずかに聞けた理由らしきものです。私たちは「最高裁が事実を取調べる必要はない。最高裁がなすべきことは、DNA再鑑定を命じることだけで、鑑定するのは鑑定人です」と訴えましたが、無駄でした。(佐藤弁護士)」
2000年7月、上告棄却決定が出されます。

残されたのは再審請求のみです。押田鑑定書を添えて、2002年12月に宇都宮地裁に再審請求しました。しかし宇都宮地裁はDNA再鑑定を命じることなく、2008年2月に再審請求に棄却決定します。
「裁判長の池本寿美子裁判官に聞いてみないと分かりませんが、本件のDNA鑑定が正しい型判定をしたものではないことを認めながら、「一致」することに変わりはないとした東京高裁判決があったこと、最高裁が押田鑑定が提出されたにもかかわらず、再鑑定を命じないで上告を棄却したことが重くのし掛かっていたのではないかと思います。
 ほかに、DNA鑑定の再鑑定を命じるということは、当時のDNA鑑定に問題があると裁判所が考えたことを意味しますので、科警研の権威を傷付けたくないという配慮もあったのかも知れません。しかし、所詮、権威をとるのか、真実に忠実であるべきかという問題です。(佐藤弁護士)」
全く、酷い話です。

宇都宮地裁の棄却決定に対する即時抗告が東京高裁に係属します。佐藤弁護士は、そこでも苦しい戦いを予想しますが、事態は急転直下、高裁が再鑑定を命じる決定書を出しました。昨年12月24日です。佐藤弁護士は、マスコミの影響も大きかったのではないかと推定しています。
そして今年5月8日、検察側、弁護側双方から鑑定書が提出され、いずれも、犯人と菅家さんはDNA型が異なるとの鑑定結果がなされました。

佐藤弁護士が担当するようになった以降、控訴審を含め、最高裁、地裁での再審請求のいずれの審理でも、有罪判決を覆すことは可能であったと思われますが、それがなされず、菅家さんが服役して17年の歳月が流れることとなりました。

今年から始まった裁判員制度については、賛否両論がありますが、今回のような事件でこそ、裁判員制度のもつ特性を発揮することが期待されるでしょう。ただし裁判員がつくのは地裁のみですが。
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2 コメント

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記事の一部訂正 (星海風太)
2009-06-14 19:51:27
すみません!引用書籍タイトル名は、『宗教は妄想である』は間違いで、正しくは、『神は妄想である』(原題 THE GOD DELUSION)でした。翻訳は垂水雄二。早川書房刊。ナイロビ生まれの英国人、著者リチャード・ドーキンス RICHARD DAWKINSは、現在、オックスフォード大学レクチャラー。私見ですが、人類のタブーに、科学的論旨で果敢に挑んでいく、非常に勇気ある科学者です。一読の価値はあります。宣伝するつもりはありませんがw。
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DNA型鑑定の公正さ (星海風太)
2009-06-14 18:25:02
こんばんは!この事件は幼児が絡む殺人事件として、非常に痛ましく、解決できていないこと自体がつらい状況にあります。私は、司法権力の容疑者逮捕の発表姿勢、新聞の3面記事やTV報道の取り上げ方が、興味本位のパパラッチ的大衆を増やすだけの、恐るべきマインド・コントロールに陥る可能性への危惧を感じます。ピューリツァ賞を獲得した、天文科学者の故カール・セーガン博士は、科学とは、絶対に証拠が必要であり、その証拠は万人に理解されなければならないが、証拠が100%正しいとは言えない。科学とは、証拠をひっくり返す運命にある、人類が最も信頼すべき、『方法論』なのだと著作で述べています。私は、科学を無視する俗物政治や俗物宗教には、一切影響を受けない人間でありたいです。何も政治と宗教を完璧に否定するつもりはありません。世界的な生物学者、リチャード・ドーキンスの全米ベストセラー『宗教は妄想である』を最近読みましたが、彼ほど宗教に対して、ラジカルにはなれません。ただ私は、なぜDNA型鑑定を、犯人の特定に決定的な証拠にするのなら、検事側・弁護側、及び第3者の科学者立ち会いの基に、証拠採取と鑑定が出来ないのだろうと、現在の司法制度に怒りを感じのです!
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