日経新聞夕刊のシリーズ「人間発見」、8月15~18日の週は、情報通信研究機構上席研究員 笠井康子さんの特集です。
『最先端電磁波の研究者であり異能人材育成の政策を進める行政官、宇宙に挑む起業家と多彩な顔を持つ。一貫するのは常に新しい世界に挑み、科学で社会をよくしたいという思いだ。』科学でE・マスクに挑め(1) 2022年8月15日
『東京・渋谷に生まれ、同町田市に転居した。幼いころから負けず嫌いで好奇心が旺盛だった。』科学でE・マスクに挑め(2) 2022年8月16日
『進学した東京工業大学では化学を専攻、大学院では電波望遠鏡で宇宙を探った。』科学でE・マスクに挑め(3) 2022年8月17日
『抵抗していた総務省への出向だが、行ってみると行政の面白さに目覚めた。』科学でE・マスクに挑め(4) 2022年8月18日
『研究や行政の経験からデータサイエンスの重要性を説く。』科学でE・マスクに挑め(5) 2022年8月19日
まずは経歴をたどってみます。
1965 東京・渋谷に生まれる。町田に転居。
小学校から高校まで自宅に近い玉川学園に通った。
東京工業大学に進学
1995 東京工業大学理工学研究科博士課程修了
東京大、理化学研究所を経てNICT(情報通信研究機構)入所
2016 現職
他、内閣府上席政策調査員、東京大学や筑波大学の客員教授、等
笠井さんは私の17年後輩に当たります。
『何でも試してみないと気がすまない性格です。
目の前を塞がれたり邪魔されたりするのが大嫌い。』
『電柱に登っても「すごいね」と褒めてくれた母でしたが「男の子じゃないか」と悩んだことがあったそうです。』
『玉川学園は個性を尊重する校風で、授業は先生が教えるのではなく生徒が分からないことを先生に聞くスタイルでした。』
運動が得意、また読書が大好きで1年に読んだ本は100冊以上。
勉強に興味がわかず落第しそうになったことがありますが、「勉強もちゃんとやる」という約束で進級し、翌年はほとんどの科目で最高評価の「5」をとりました。それまで手を抜いていたことがばれてしまいました。(2回目)
『小学生のときに地球儀を眺めていて、南北アメリカと欧州・アフリカなど海を挟んだ大陸の形が似ていることに気づき、パズルのようだなと思いました。昔は小さかった地球が膨らんで大陸がバラバラになったというストーリーをひとりで考えていました。』(2回目)
今では大陸移動説で説明される現象(南北アメリカと欧州・アフリカの大西洋側海岸が同じ形をしている)を、小学生の当時に気づいていた、ということですね。
私が小学生時代、「なぜだろうなぜかしら」という小学生向けの科学の本の中に、大陸移動説が載っていました。ですから私は、この現象(南北アメリカと欧州・アフリカの大西洋側海岸が同じ形をしている)を、自分で気づく前に本で知らされてしまいました。それも大陸移動説の証拠として。
私が小学生の当時、大陸移動説は学界では忘れ去られていました。プレートテクトニクスの発見で大陸移動説が復活したのはその後ですが(ウェゲナーの大陸移動説 2008-03-29 )、笠井さんの小学生時代がちょうどその頃だったような気がします。
『東工大は単科大学でマニアックなところが子どものころから何となく好きでした。ただ進学すると女性がほとんどおらず、広い本館に一つしか女子トイレがありません。
学生のときに専攻した量子化学は実験も解析も面白かったのですが、伝統のある分野です。前例のあることをやるのは嫌で、大学院博士課程では誕生して間もない電波天文学の研究を始めました。長野県野辺山にある電波望遠鏡まで通って、宇宙にある生命のもとになる分子などを観測。鉄と一酸化炭素の化合物が特殊な結び付き方をしていることを明らかにして、国際学会で注目されました。』
私は、東工大修士卒で笠井さんの18年先輩に当たります。(笠井さんの東工大学部卒は確認できませんでした。)
私が東工大に進んだ理由も何となくで、笠井さんと似ているかもしれません。
私の頃は、学部入学が約800人で、そのうちに女子が1~2名しかいませんでした。
女子トイレの数は記憶にありませんでしたが、笠井さんの時代にも本館に1箇所しかなかったのですね。
その後、笠井さんはSMILESプロジェクトに出会いました。
『SMILESは国際宇宙ステーション(ISS)に観測装置を設置。それまで不可能だった大気中のごくわずかな分子の動きを詳しく調べ、気候変動の研究などに役立てる目的だった。』4Kの極低温を用いる超電導受信機を宇宙船に乗せるもので、そのための冷凍機も開発しました。
SMILES(宇宙からのテラヘルツ大気観測)には、
『「超伝導サブミリ波リム放射サウンダ」(SMILES: Superconducting Submillimeter-Wave Limb-Emission Sounder) は、 625 GHz と 650 GHz のテラヘルツ波を使って、成層圏などの大気中の、 オゾンを始めとする微量な分子の量を測定する装置です。 2009年9月に HTV (「こうのとり」1号機) に載せて打ち上げ、 国際宇宙ステーションの日本実験棟 (「きぼう」)に取りつけて観測を、 2010年4月まで行いました。』
と紹介されています。
観測は装置が故障するまでの7カ月間のみでしたが、『とれたデータは涙が出るくらい美しかった』とのことです。『このときのデータから10年たった今も新発見が生まれています。』
2016年の笠井さんの論文
笠井さんらは、テラヘルツ波を使った観測の推進に尽力し、欧州が中心になった木星とその衛星の探査計画「JUICE」に採用になりました。ところが、NICT内において予算が認められません。辛抱強く応募を続け、周囲を説得しました。
2014年、NICTを管轄する総務省に出向しました。総務省の研究開発のとりまとめなどをする技術企画調整官の仕事です。
2014年、独創的な人材を発掘、支援する「異能vation」を作りました。
内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)において、文科省から内閣府に出向していた迫田健吉さん、国交省から出向していた広瀬昌由さんらとの出会いが、今でも笠井さんの宝になっています。
2021年から始めた月探査プロジェクト「TSUKIMI(ツキミ)」は、超小型衛星を使って月のどこにどれだけ水があるかを調べます。月の表面に水がある可能性は少なく、資源として期待できるのは表面から数十cmくらいの浅い地下です。探索にはテラヘルツ波が威力を発揮します。
この7月にギリシャで開かれた科学者団体の会合に出席、コミッションの議長を務めたところ、若い研究者が笠井さんのことを知らなかったのです。これには衝撃を受けました。この8年、官庁の仕事が主で学界には参加しなかったのがその原因です。
研究をリードし、その後は行政をリードしてきた笠井さんです。『私もこれから人生の新しいフェーズを作っていく時期に入ったのだと思います。』
『だれも見つけられない宝物をこれからも探し続けたいと考えています。』
また1人、異能の日本人女性科学者を知ることができました。これからも、笠井さんのご活躍を心から応援しています。
『最先端電磁波の研究者であり異能人材育成の政策を進める行政官、宇宙に挑む起業家と多彩な顔を持つ。一貫するのは常に新しい世界に挑み、科学で社会をよくしたいという思いだ。』科学でE・マスクに挑め(1) 2022年8月15日
『東京・渋谷に生まれ、同町田市に転居した。幼いころから負けず嫌いで好奇心が旺盛だった。』科学でE・マスクに挑め(2) 2022年8月16日
『進学した東京工業大学では化学を専攻、大学院では電波望遠鏡で宇宙を探った。』科学でE・マスクに挑め(3) 2022年8月17日
『抵抗していた総務省への出向だが、行ってみると行政の面白さに目覚めた。』科学でE・マスクに挑め(4) 2022年8月18日
『研究や行政の経験からデータサイエンスの重要性を説く。』科学でE・マスクに挑め(5) 2022年8月19日
まずは経歴をたどってみます。
1965 東京・渋谷に生まれる。町田に転居。
小学校から高校まで自宅に近い玉川学園に通った。
東京工業大学に進学
1995 東京工業大学理工学研究科博士課程修了
東京大、理化学研究所を経てNICT(情報通信研究機構)入所
2016 現職
他、内閣府上席政策調査員、東京大学や筑波大学の客員教授、等
笠井さんは私の17年後輩に当たります。
『何でも試してみないと気がすまない性格です。
目の前を塞がれたり邪魔されたりするのが大嫌い。』
『電柱に登っても「すごいね」と褒めてくれた母でしたが「男の子じゃないか」と悩んだことがあったそうです。』
『玉川学園は個性を尊重する校風で、授業は先生が教えるのではなく生徒が分からないことを先生に聞くスタイルでした。』
運動が得意、また読書が大好きで1年に読んだ本は100冊以上。
勉強に興味がわかず落第しそうになったことがありますが、「勉強もちゃんとやる」という約束で進級し、翌年はほとんどの科目で最高評価の「5」をとりました。それまで手を抜いていたことがばれてしまいました。(2回目)
『小学生のときに地球儀を眺めていて、南北アメリカと欧州・アフリカなど海を挟んだ大陸の形が似ていることに気づき、パズルのようだなと思いました。昔は小さかった地球が膨らんで大陸がバラバラになったというストーリーをひとりで考えていました。』(2回目)
今では大陸移動説で説明される現象(南北アメリカと欧州・アフリカの大西洋側海岸が同じ形をしている)を、小学生の当時に気づいていた、ということですね。
私が小学生時代、「なぜだろうなぜかしら」という小学生向けの科学の本の中に、大陸移動説が載っていました。ですから私は、この現象(南北アメリカと欧州・アフリカの大西洋側海岸が同じ形をしている)を、自分で気づく前に本で知らされてしまいました。それも大陸移動説の証拠として。
私が小学生の当時、大陸移動説は学界では忘れ去られていました。プレートテクトニクスの発見で大陸移動説が復活したのはその後ですが(ウェゲナーの大陸移動説 2008-03-29 )、笠井さんの小学生時代がちょうどその頃だったような気がします。
『東工大は単科大学でマニアックなところが子どものころから何となく好きでした。ただ進学すると女性がほとんどおらず、広い本館に一つしか女子トイレがありません。
学生のときに専攻した量子化学は実験も解析も面白かったのですが、伝統のある分野です。前例のあることをやるのは嫌で、大学院博士課程では誕生して間もない電波天文学の研究を始めました。長野県野辺山にある電波望遠鏡まで通って、宇宙にある生命のもとになる分子などを観測。鉄と一酸化炭素の化合物が特殊な結び付き方をしていることを明らかにして、国際学会で注目されました。』
私は、東工大修士卒で笠井さんの18年先輩に当たります。(笠井さんの東工大学部卒は確認できませんでした。)
私が東工大に進んだ理由も何となくで、笠井さんと似ているかもしれません。
私の頃は、学部入学が約800人で、そのうちに女子が1~2名しかいませんでした。
女子トイレの数は記憶にありませんでしたが、笠井さんの時代にも本館に1箇所しかなかったのですね。
その後、笠井さんはSMILESプロジェクトに出会いました。
『SMILESは国際宇宙ステーション(ISS)に観測装置を設置。それまで不可能だった大気中のごくわずかな分子の動きを詳しく調べ、気候変動の研究などに役立てる目的だった。』4Kの極低温を用いる超電導受信機を宇宙船に乗せるもので、そのための冷凍機も開発しました。
SMILES(宇宙からのテラヘルツ大気観測)には、
『「超伝導サブミリ波リム放射サウンダ」(SMILES: Superconducting Submillimeter-Wave Limb-Emission Sounder) は、 625 GHz と 650 GHz のテラヘルツ波を使って、成層圏などの大気中の、 オゾンを始めとする微量な分子の量を測定する装置です。 2009年9月に HTV (「こうのとり」1号機) に載せて打ち上げ、 国際宇宙ステーションの日本実験棟 (「きぼう」)に取りつけて観測を、 2010年4月まで行いました。』
と紹介されています。
観測は装置が故障するまでの7カ月間のみでしたが、『とれたデータは涙が出るくらい美しかった』とのことです。『このときのデータから10年たった今も新発見が生まれています。』
2016年の笠井さんの論文
笠井さんらは、テラヘルツ波を使った観測の推進に尽力し、欧州が中心になった木星とその衛星の探査計画「JUICE」に採用になりました。ところが、NICT内において予算が認められません。辛抱強く応募を続け、周囲を説得しました。
2014年、NICTを管轄する総務省に出向しました。総務省の研究開発のとりまとめなどをする技術企画調整官の仕事です。
2014年、独創的な人材を発掘、支援する「異能vation」を作りました。
内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)において、文科省から内閣府に出向していた迫田健吉さん、国交省から出向していた広瀬昌由さんらとの出会いが、今でも笠井さんの宝になっています。
2021年から始めた月探査プロジェクト「TSUKIMI(ツキミ)」は、超小型衛星を使って月のどこにどれだけ水があるかを調べます。月の表面に水がある可能性は少なく、資源として期待できるのは表面から数十cmくらいの浅い地下です。探索にはテラヘルツ波が威力を発揮します。
この7月にギリシャで開かれた科学者団体の会合に出席、コミッションの議長を務めたところ、若い研究者が笠井さんのことを知らなかったのです。これには衝撃を受けました。この8年、官庁の仕事が主で学界には参加しなかったのがその原因です。
研究をリードし、その後は行政をリードしてきた笠井さんです。『私もこれから人生の新しいフェーズを作っていく時期に入ったのだと思います。』
『だれも見つけられない宝物をこれからも探し続けたいと考えています。』
また1人、異能の日本人女性科学者を知ることができました。これからも、笠井さんのご活躍を心から応援しています。
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