弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

月寒平和公園の忠魂納骨堂

2023-07-29 18:08:13 | 歴史・社会
旧日本帝国陸軍の第七師団第25連隊に関連する記事の三部作3回目です。1回目、2回目は以下のように記事にしてきました。
つきさっぷ郷土資料館 2023-07-21
日露戦争旅順攻略と第七師団第25連隊 2023-07-23

札幌市豊平区月寒2条7丁目にある平和公園を訪問しました。最寄り駅は地下鉄月寒中央駅です。
月寒中央駅から歩くと、公園の正面入り口に到着します。左右の門柱はレンガ造りですが、門柱のてっぺんにブルーシートがかかっていたことから、写真を撮影しませんでした。あとで知ったところでは、「北部軍司令部正門門柱」だそうです。別の場所の北部軍司令部に建っていた正門門柱を、平和公園に移設したようです。
門柱の横に下写真の碑が建っています。「月寒忠霊塔 参道」と書かれています。

門柱横の碑

正面門柱を通って公園内に入ると、正面奥に大きな碑が見えます。

正面門柱から入る

近くに達しました。「忠魂納骨堂」と書かれています。

忠魂納骨堂


忠魂納骨堂

忠魂納骨堂の裏に碑文が彫られています。
『忠魂納骨塔由来
惟フニ我カ聯隊ハ創設以来既二三十有四年ノ星霜ヲ経タリ 此ノ間精忠雄節ノ将兵ニシテ身ヲ以テ国難二赴キ戦傷病没セシモノ其ノ芳骨今ヤ實二一千余體ノ多キニ上ル 是レ皆生キテハ国家ノ干城死シテハ護国ノ神霊トシテ軍旗ノ光彩卜共二永ク後人ノ敬仰スルトコロナリ 是レヲ以テ其ノ偉績ヲ偲ヒ其ノ神霊ヲ慰メンカ為二忠魂納骨塔ノ建設ヲ企テ廣ク官庶二計ルニ賛ヲ得ルコト十数萬二達シ国民銃後ノ赤誠溢レテ茲二其ノ実現ヲ見ルニ至レリ
嗚呼忠勇ナル我カ先輩将兵ノ義烈ハ是レ即チ千軍人精神ノ亀鑑ナリ 其ノ勲績ヲ敬慕スルノ士ハ須ラク塔前二頓キテ先人偉功ヲ壮トシ禮ヲ以テ忠勵ノ誠ヲ誓フベシ
 昭和九年二月二十七日
  歩兵第二十五聯隊長 永見 俊徳』

納骨堂の裏に、下写真の佛石塚が建っています。

佛石塚
塚の裏面に以下の文が彫られています。
『この地は明治三十年以来陸軍墓地として この塚の北側五十米附近に二列に陸軍歩兵少佐鈴木重行外十九柱の墓を建て その霊を祀って今日に至ったが 此度戦病歿将兵の霊地としての公園化に伴ひ其英霊は納骨塔に合祀し佛石はこの塚の下に収めたものである
  昭和三十六年八月十三日
   月寒忠霊塔奉讃会』

以上より、この地の由来としては、明治30年以来陸軍墓地であり、昭和9年に忠魂納骨堂が建設され、昭和30年に陸軍歩兵少佐鈴木重行外十九柱を納骨堂に合祀し、現在に至っていることがわかりました。
下写真より、平和公園の広い敷地が、忠魂納骨堂(月寒忠霊塔)のために用意されていることがわかります。

平和公園の全景

ところで、平和公園の存在を知ったのは、月寒公園内の月寒忠魂碑を見たときです。

月寒忠魂碑
以下のような説明書きがありました
『この碑は、明治37~38年の日露戦争で戦死した旧豊平町出身の兵士の勲功をたたえ、その霊を慰めるために大正4年8月、在郷軍人会豊平分会の有志により建てられました。
・・・
第7師団の各部隊は、(日露戦争で)もっとも激烈を極めた旅順要塞の攻防戦に参加したこともあり、多数の犠牲者を出す結果となりました。
・・・
昭和初期までは毎年盛大に慰霊祭が行われていましたが、平和公園(月寒西2条7丁目)に月寒忠魂納骨塔ができてからは参列者も少なくなったといわれています。』

さて、平和公園の忠魂納骨堂については、以下のサイトに詳しく掲載されていました。
忠魂納骨塔(月寒忠霊塔) (北海道札幌市)
『塔内には、遺骨箱2,115柱、日露戦争戦死者銘板877柱、歩兵第25聯隊樺太真岡戦霊璽簿222桂、歩兵第125聯隊樺太国境戦霊璽簿644柱、合3858柱が安置されている。』と紹介されています。

忠魂納骨堂慰霊供養の様子はこちら

忠霊塔盆おどりによると、『8月13日14日15日に月寒忠霊塔の扉が開いて参拝することができます。英霊に尊崇の念を表する慰霊顕彰の盆踊りを開催します。』とあります。

この忠魂納骨堂は、老朽化して解体の危機があったようです。こちらで紹介されているように、国が全国の軍用墓地を調査、一斉点検を実施し、月寒忠霊塔も補修が必要と判断され、補修されて現在に至っているようです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白石こころーど(札幌) | トップ | 北海道大学散策 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史・社会」カテゴリの最新記事