弁理士の日々

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高橋洋一「さらば財務省!」(3)

2009-08-29 22:15:43 | 歴史・社会
前回に続き、高橋洋一著「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」の3回目です。

2003年7月、高橋氏は関東財務局の理財部長に異動になります。この頃になると高橋氏が竹中大臣の背後で手伝っていることは周知の事実で、財務省は目障りな高橋氏を地方部局に追いやったのだという噂がもっぱらでした。

2003年8月、高橋氏に「経済財政諮問会議特命室」の辞令がおり、正式に竹中さん直属のスタッフを兼務することになりました。

経済財政諮問会議で高橋氏が初めて本格的に担当したのは郵政民営化でした。
ここで高橋氏は、郵政民営化の青写真作りに関与します。
一方、2004年4月、郵政民営化にあたって、各省庁から役人が集められて「郵政民営化準備室」が発足します。ここには総務省をはじめとして、各省庁から民営化反対派が送り込まれてくるのは目に見えています。
竹中氏は、霞が関が反対派の拠点と考えていたこの郵政民営化準備室に対し、一切無視する方針を採りました。全体の方針は諮問会議で行い、諮問会議が基本方針を作るまで準備室は仕事がありません。そして諮問会議の基本方針作りは高橋氏ら特命室のメンバーを核にして着々と進んでいました。この中で、高橋氏の提案もあり、郵政の4分社化が決められていきます。
諮問会議で、唯一、反対したのは、当時の麻生太郎総務大臣でした。麻生さんの後ろには郵政を管轄する総務省がついています。かたや竹中チームは、高橋氏と竹中大臣の秘書官、岸さんら数名のみ。しかし結果的には常に、竹中さんに軍配が上がりました。

ところが、諮問会議が基本方針を打ち出した直後、反対派が阻止を狙って持ち出してきたのは、「民営化というが、システム構築が間に合わない」でした。
とりあえず、短期でのシステム構築が可能かどうか判断するため、専門家を集めることにします。そしてその事務局に、高橋氏が指名されるのです。
座長に加藤寛氏をあて、その他システムの専門家を招聘して検討を開始しました。
そして郵政公社に乗り込み、システムベンダーのシステムエンジニア(80人)と対峙します。彼らは全員「できない」と反論しますが、最低限必要な部分のみを先行して構築することとし、検討し直すと、1年半で基本的なシステムを構築できるとの結論が得られました。技術屋同士が話をすると、ロジックで出た答えには技術者は従うので、最後は彼らも「できますね」と納得するのです。
こうしてシステム構築を開始しましたが、マスコミまでもが組織だって一斉に名指しで高橋氏を非難しました。「たった1年半でできるはずがない。絶対失敗する」
ありとあらゆる雑誌で同じように叩かれる中、「日経BIZ」のIT担当記者だけは、「役所の文書で、このようなものは見たことがない。これは日本で初のプロジェクト・マネジメントの例ではないか。今までは、システムの話は経営トップもほとんどわかっていないので、業者のいいなりで大金をはたいてたいそうなシステムを作っていた。これでは費用も時間もシステムも無駄である。」と評価してくれました。
2007年10月1日、郵政民営化とともにシステムがスタートし、トラブルなくシステムは稼働しました。

ところで、2004年、郵政民営化の法案づくりにおいて、民営化の手順に細工がこらされます。
普通民営化する場合、まず特殊会社にして、最後に民間会社に移行します。国鉄民営化もこの手順を踏みました。しかし特殊会社から民間会社に移管するまでの間に、見直し法案が提出されると公社に戻されてしまう恐れがあります。
そこで高橋氏は竹中さんに提案し、郵貯と簡保は郵政公社廃止後、ただちに商法会社にするという措置を講ずるべきだと主張します。商法会社にしてしまえば、新たに国有化法でも通さない限り、後戻りはできません。恐らく反対派は「やられた」と地団駄踏んだはずです。

さて、今年の衆議院選挙で民主党が政権を取ったら、郵政をどのように見直すのでしょうか。

以下次号。
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