<2804> 作歌ノート 見聞の記 見聞の記
この身ここいま刻々と過ぎゆくに生まれんとする身の丈の歌
斎藤茂吉の歌集『赤光』の「死にたまふ母」の絶唱一連中の一首に次のような歌がある。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
この歌について、塚本邦雄は『茂吉秀歌「赤光」百首』の中で、「遠田のかはづ天に聞こゆる」の本歌の話に到って、この本歌とされる明治三十八年の三井甲之の作「道おほふ細竹(しぬ)の葉そよぎ風起り遠田の蛙天(あめ)に聞ゆも」について、「紛れもない本歌とする説などもあるが、このやうな本歌こそ取られたことを光栄とすべきだし、蛙の声の天に谺する様などあへて倣はねば歌へぬものでもあるまい。母の死の近きを天に告げてゐるやうな、切切たる蛙の声を詠んだか詠まなかったかが問題なのだ」と述べている。
この鑑賞譚は、「天に聞こゆる」かはづの声が他の歌に倣ったものとしても、母の臨終の床に寄り添いながら聞く茂吉の感性が掬い得た実感ゆえこの歌を高らしめ、絶唱たらしめていると言っている。つまり、これは茂吉の感性が捉え得たものであり、茂吉でなければ表現し得なかったという点で、茂吉の個性が発揮された歌と言え、塚本はこの歌に本歌の論議など無用なことだと言っているのである。
この歌の一連にはほかにも「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり」や「ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり」というような小さな生き物に触発されて、そのときの心情を詠んでいる。これらの歌は他の歌に倣って詠んだものではなく、茂吉の個性の顕現にほかならず、いつまでも瑞々しく、読む者に感動を与えるということを塚本は敢て言っているのである。とともに、感性が短歌の機軸にあることをも暗には言っていると知れる。
という次第で、「見聞の記」の歌に立ち帰れば、感性は父母より授かった血筋である天与の気息と生まれてこの方の環境によって育まれてある心の有り様からなるものであると確信される。言わば、私の歌は、私の気息と私を取り巻く環境に育まれた感性の働きに負うということが言える。では、続いて「見聞の歌」二十首。 写真はイメージで、夕闇に騒ぐ鴉の群。
誘はれて出で来しものら見上げゐる八面玲瓏梅の花咲く
恋歌五首解けど解けざる三月の今宵誰かの高鳴るピアノ
かたはらに咥へ煙草の男ありビルの峡にはうすべにの月
街に降る雨にも春の兆しあり夢か現か汝が思ひ
出雲路のポスター駅の雑踏に顕ち魂の旅を誘ふ
蒼穹を斜めに過りゆきし鷹何を望める若さか鷹は
水槽の金魚も壁の絵の中の少女も黙しゐるなり真昼
踏切に通過電車を待つもののそれぞれの背に葉桜の影
百合一茎花粉を零しつつ匂ふダ・ヴイ ンチ論を聞きし六月
雑魚寝する若者たちの犇めく身慮れば英雄の眉
赤々と誰が放ちし野火か燃ゆ判らぬゆゑは疑念となりぬ
千の声いや万の声灯火を得て一本の輝くツリー
夕闇に輝くツリーひもじさを温めてゐる心もあるよ
枯色の街を映せるウインドーポストモダンのごとく立つ犬
誘導灯点綴するは誰がためか夢夢夢のその先へ夢
何をもて不吉となすや常ながら鴉は野辺の夕空の中
びしょ濡れの自転車あまた人類の延命嘆願駅裏通り
起重機の動くあたりに人二人天地の間(はざま)思はしめつつ
大鴉ふわりと飛びし識閾の一景にして冬の夕空
これやこのたとへば書店一つにも人の思ひが犇いてゐる ~ 続 き ~