大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年09月20日 | 植物

<1726> 余聞・余話 「草本植物の習性」 (勉強ノートより)

 植物には概して草木がある。草木の区別についての定義づけは難しいが、茎(幹)の部分が木化するかしないかが判断材料になるようで、木化しないものが草、木化するものが木とされる。この概念からする顕花植物の中の草本植物(草花)について、その生育の仕方、即ち、習性の違いについて知っておきたいと思う。項目をあげてみると、次のようになる。

 1年草―――1年生草本。地下部を含め、全草が発芽後1年以内に開花結実し枯死する草花をいう。四季がある地方では発芽時期が春か夏かによって夏型1年草冬型1年草に分けられる。冬型1年草の場合は年をまたぎ越年することになるので、越冬1年草あるいは単に越年草(越年生草本)と呼ばれる。

 夏型1年草はイヌタデ、ヤブツルアズキ、イヌホオズキ、コゴメグサのように春に発芽し、冬までに開花結実して枯れるもの。冬型1年草はコハコベ、ハルリンドウ、ヒメオドリコソウ、ヤエムグラのように秋に発芽して越冬し、夏までに開花結実して枯れる草花で、前述の通り越年草とも言われる。また、ハコベやナズナは両方の性質を有するので1越年草という呼称で呼ばれる。因みに、冬型1年草については2年にまたがるので二年草に含む考えもあり、この場合、越年草も2年草と見なされる。

                        

 2年草―――2年生草本。秋または春に発芽し、1年目の夏にはもっぱら栄養器官の成長をおこない、成熟した2年目に開花結実し、生存期間が1年以上、2年未満の草花をいう。しかし、2年草の大部分は必ずしも2年目に開花せず、環境条件によっては開花が3年目、4年目になることも珍しくない。このような2年草は可変性2年草と呼ばれる。オオマツヨイグサ、コウゾリナ、ヒメジョオン、ヒメムカシヨモギなどが該当する。これに対し、きっちり2年目に開花結実する真正2年草はマツムシソウなどわずかに見られる程度である。

 多年草―――多年生草本。または宿根草。少なくとも地下部(根)は2年以上生存し、成長後は普通2回以上、原則として毎年開花結実する草本をいう。更に多年草は、葉が1年以内に枯死する落葉性多年草、葉が越冬し、展開後1年以内に枯死する越冬性多年草、葉が1年以上生存する常緑性多年草に分けられる。

  また、多年草の中には、開花結実が1回限りで、開花結実すると全草(個体全体)が枯死するものがあり、これを1稔草と呼ぶ。1稔草には1、2年草も含まれるが、1稔草という場合は多年草を意味する。更に地下匐枝の芽が分離して母体(母根)が枯死し、分離した子根によって個体を維持して行く草本があり、これを分離型地中植物と呼ぶ。

 落葉性多年草は冬に枯れ色になり、春に若芽を出すものが多く、例えば、ヨメナ、キキョウ、カワラナデシコなどがあげられる。越冬性多年草はワサビ、シャガ、カモガヤなどが見られ、常緑性多年草はイチヤクソウ、ツルアリドオシ、セッコクなどをあげることが出来る。1稔草にはシシウド、シラネセンキュウ、ノダケ、ツメレンゲなどが見られ、分離型地中植物はモミジガサ、ミズタマソウ、トリカブトの仲間のカワチブシなどがあげられる。(以上は清水建美著『植物用語事典』参照)。

 写真は左から夏型1年草のイヌタデ、冬型1年草のヒメオドリコソウ、可変性2年草のコウゾリナ、真正2年草のマツムシソウ、落葉性多年草のカワラナデシコ、越冬性多年草のシャガ、常緑多年草のイチヤクソウ、1稔草のシシウド、分離型地中植物のカワチブシ。

       それぞれにあるものながら似るゆゑは命を継いであればなるなり

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年09月13日 | 植物

<1719> 大和の花 (36) リュウノウギク (竜脳菊)                                            キク科 キク属

                                                                        

 秋の山野、海岸などを彩る野菊の風情は四季の国日本の草花を代表する眺めであるが、野菊には大きく三つに分けられる。観賞用に育てられているイエギク(家菊)の系統に当たるキク属の仲間、シオン(紫苑)やヨメナ(嫁菜)のようなシオン属に含まれる仲間、それにハマギク(浜菊)やミコシギク(神輿菊)などその他の属に当てはまる野菊がある。この中で大和地方における代表的で一般によく知られる野菊はキク属とシオン属のキクで、花は舌状花と筒状花からなり、みな雰囲気がよく似ている。キク属とシオン属では葉の形が異なる。キク属は大方が葉に大きな切れ込みがあるのに対し、シオン属は鋸歯があっても切れ込みがないか、あっても浅い特徴が見られ、判別出来る。

                      *                       *

  ではまず、キク属の中からキク節のリュウノウギク(竜脳菊)を紹介したいと思う。リュウノウギクは茎や葉にリュウノウ(竜脳)のような芳香があるのでこの名がつけられたと言われる多年草で、葉をちぎって嗅いでみるとわかる。本州の福島県以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、日当たりのよい林縁や崖地のようなところに生え、大和(奈良県)でもよく見かける。高さは大きいもので80センチほどになるが、倒れ伏すように枝を分け花を咲かせるものが多い。葉は卵形乃至広卵形で、おもに三中裂し、裏面は軟毛が密生して白っぽく見える。10月から11月ごろ分けた枝の先に黄色い筒状花の周りを白い舌状花が取り囲む頭花を群がり咲かせる。

 今、一般に出回っている観賞用のイエギクは中国から伝来したキクの原種にリュウノウギクを交配させたものと一説にある。とすれば、リュウノウギクの実績は大きいということになる。また、リュウノウギクはその花や芳香だけでなく、乾燥したものを風呂に入れて用いれば、冷え症、リュウマチ、神経痛などに効能があるとされる薬用植物としても知られる。なお、リュウノウは熱帯アジアに産するリュウノウジュ(竜脳樹)から採った白色の結晶で、クスノキのショウノウ(樟脳)に似て、香料や防虫剤に用いられて来た。

  菊の香や仏に見ゆる奈良大和

 

<1720> 大和の花 (37) アワコガネギク (泡黄金菊)                                      キク科 キク属

                                         

  大和(奈良県)ではこのアワコガネギクも代表的なキク属キク節の野菊である。日当たりのよい山足の斜面などに生える多年草で、本州では東北地方(岩手県)から近畿地方までと四国、九州の一部に分布し、国外では中国東北部、朝鮮半島に見られるという。大和(奈良県)では金剛山の麓に当たる五條市の山足でよく見かける。高さは1.5メートルほどになるが、茎葉がしなやかで倒れるように花を咲かせるものが多く、その黄一色の花はよく似るシマカンギク(島寒菊)よりも一回り小さく、集まり咲く姿に泡の印象があるのでこの名が生まれたという。

  江戸時代に長崎で油漬けにして切り傷ややけどなどの外傷に用いられていたシマカンギクと混同され、アワコガネギクも油漬けしてシマカンギクと同じくアブラギク(油菊)の名で薬用野菊として広まるに至った。また、京都市北山の自生地菊渓に因み、キクタニギク(菊渓菊)とも呼ばれて来た。花期は10月から11月ごろであるが、年が明けてもなお花を咲かせているものが見られ、年間で言えば、最も早く、最も遅い野生の花と言えるところがある。大和(奈良県)では減少傾向にあり、レッドリストの希少種

 写真は群がって咲く黄色い花が辺りを明るく彩るアワコガネギク(五條市久留野町で)と花のアップ(スジボソヤマキチョウが来て細く長い管の口を入れていた。御杖村で)。 野菊咲く古道ゆかしき大和かな

<1721> 大和の花 (38) シマカンギク (島寒菊)                                                  キク科  キク属

                   

  アワコガネギクとよく似るシマカンギク(島寒菊)は高さが80センチほど、黄色い花は直径2.5センチほどで、アワコガネギクの約1.5センチよりも大きく、一つ一つの花がしっかりして見えるキク節の多年草である。だが、アワコガネギクの項でも触れたが、先人はこれを混同して、花を油漬けにして切り傷や火傷などの治療に用いた。つまり、両者とも同じ薬用の効能によりアブラギクの名で広まったという次第。これは江戸時代のことである。また、島と浜の共通点によりハマカンギク(浜寒菊)の名でも知られる。

 その名にシマ(島)やハマ(浜)が用いられているので、海沿いに多く見られるのかと思いきや、本州の近畿地方以西、四国、九州に分布し、国外では中国、朝鮮半島、台湾に見られ、海辺のない大和(奈良県)でも日当たりのよい山足などで見かける。花期が10月から12月とアワコガネギクとほぼ重なるので、紛らわしいく、混同されやすいため、実際、混同されたこともあるという。カンギク(寒菊)とは秋から冬に向うころ花が咲き始めることによる。

 なお、剣山(徳島県)の石灰岩地に生えるひと回り小さい黄花のツルギカンギク(剣漢菊)タイプのシマカンギクを天川村の標高1300メートル付近の石灰岩地で見かけたことがある。 写真は日当たりのよい棚田の斜面の雑草の中で多くの黄色い花を咲かせるシマカンギク(左)と天川村の石灰岩地の岩場で黄色い花を咲かせるシマカンギクのツルギカンギクタイプの花。

   野菊咲く一群落の花の色

 

<1722> 大和の花 (39) ヤマジノギク (山路野菊)                                         キク科 シオン属

                                               

  春のスミレ(菫)と同じく秋の野菊は種類が多く、その花は山野の歩きを楽しくさせてくれる。これは天地に関わる四季の国日本の多様な自然環境の一つの現れによるもので、花はその恵みの賜物、象徴であるが、スミレや野菊にはそれがまさによく現れているということにほかならない。だが、ときにはよく似たものがあって、花のフォトライブラリーに当たっている私のような身には間違いが起きないようにする努力が求められ、迷いを生じたりするようなこともある。けれども、この状況は環境の多様性を物語るものであってみれば歓迎されて然るべきと思える。

  今回はシオン属イソノギク節のヤマジノギク(山路野菊)を見てみよう。日当たりのよい草原に生える2年草で、アレノノギク(荒野野菊)とも呼ばれる。本州の静岡県以西、四国、九州から朝鮮半島、中国、アムールに広く分布し、規模の大きいススキ原が広がる草地などでよく見られる。大和(奈良県)では曽爾高原が自生地として知られるが、この高原でしか私は出会っていない。その曽爾高原でも年を追って減少している観があり、奈良県では絶滅危惧種にあげられ、大切にしたい植物として呼びかけられている。

  茎は真っ直ぐに伸びて、よく枝を分け、大きいものでは高さが1メートルほど、大人の腰くらいに及ぶが、曽爾高原に見られる個体は2~30センチと丈の低い貧弱な個体がほとんどである。これはシカの食害、もしくは強風域のためかと考えられるが、繁殖を種子に託す2年草、或いは1稔性の性質がこのような自然の中で微妙な変異に影響しているのかも知れない。

  葉は倒披針形で、上部は線形、茎や葉の縁にかたい毛が生え、見た目でも判別が出来る。頭花は直径5センチほどと他の野菊よりも少し大きく、淡青紫色の舌状花も色濃く見えるものが多い。花期は10月から11月で、秋の深まりとともに見られるようになる。このころになると、ススキの群落も銀白色の穂を靡かせ始め、高原は最も人出でにぎわう。  写真左は草原の中で花を咲かせるヤマジノギク。中は花のアップ。右はヤマジノギクの特徴を示す赤褐色の冠毛が目につく花群(いずれも曽爾高原で)。

   野菊にもさまざまありて目に楽し

 

<1723> 大和の花 (40) ヨメナ (嫁菜)                                               キク科 シオン属

                 

  シオン属ヨメナ節の代表種で、昔から野菊として最も親しまれて来た多年草である。本州の中部地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、関東地方以北にはカントウヨメナが分布する。ヨメナは古文献等により『万葉集』の2首に登場するウハギ(宇波疑・菟芽子)に当てられる万葉植物としても知られる。

  草丈が大きいもので1メートルほどになり、上部でよく分枝する。下部や中部の葉は披針形で、縁に粗い鋸歯がある。花期は7月から10月ごろで、枝先に淡青紫色の舌状花と黄色い筒状花の花を一個ずつつける。冠毛が極めて短いのが特徴で、よく似るノコンギク(野紺菊)との判別点になる。また、ノコンギクのように茎や葉に毛がないので手で触ってみるとざらつかない。

  『万葉集』の2首はともに花を詠んだものではなく、春の摘み草を詠んだ歌である。因みに巻10の1879番の詠人未詳の歌では「春日野に煙立つ見ゆをとめらし春野のうはぎつみて煮らしも」とある。これは春の若葉を採取して食用にしたことをうかがわせるもので、その名に「芽子(はぎ)」とあるのは若芽のことを意味し、ウハギは美味しい良質の若芽を出す草ということになる。この名からしても、ウハギのヨメナは秋の花よりも春の摘み草としてあったことを物語る。『万葉集』の2首は当時の庶民の暮らしの一端がよく見て取れる情景描写の歌であるのがわかる。

  ヨメナ(嫁菜)の「菜」は食べられる葉を有する植物に用いられ、菜の花のアブラナ(油菜)が典型例であるが、落葉樹のズイナ(瑞菜・髄菜)も若葉が食用にされたことで「菜」の字が用いられている。また、民間では薬用にもされ、全草を乾燥し煎じて飲めば、解熱、利尿に効くという。なお、ヨメナ(嫁菜)はシラヤマギク(白山菊)のムコナ(婿菜)に対する名である。 写真はヨメナの花群(左)と花のアップ(ヒョウモンチョウが来ていた)。ノコンギクほど花が密集しないのが特徴。  一句成る野菊の野菊たる姿

<1724> 大和の花 (41) シラヤマギク (白山菊)                                         キク科  シオン属

                                

 ヨメナ(嫁菜)に対するムコナ(婿菜)の別名を持つシオン属シラヤマギク節に属する多年草で、日本列島の沖縄を除く各地と中国、朝鮮半島、ウスリー、アムールに広く分布する。草丈は1メートル前後、葉は柄のある心形で、花はほかの野菊に比べて小さく、直径2センチ前後、白い舌状花は数が少なくまばらで、7月から10月にかけて咲く一つ一つの花は貧弱であるが、高原や山地の草原でススキやオミナエシなどに混じって咲く風情は秋の訪れを感じさせるところがある。

 大和地方では山足の草地などで見られるが、葛城山や曽爾高原ではススキが穂を出し始めるころになるとこのシラヤマギクがほかの草花を先導するようにススキの原にその白い花を見せる。野菊のいいところはこのシラヤマギクにも言えるように出しゃばらず、それかといって、控えめ過ぎず、ほかの秋草の中でアクセントになって咲く風情が感じられることである。なお、シオン属シオン節のイナカギク(田舎菊)という野菊があり、別名をヤマシロギク(山白菊)という。シラヤマギクと実に紛らわしいが、これは野菊が如何に多いかに通じる。 写真はススキと混生して花を見せるシラヤマギク(曽爾高原で)と花のアップ。  秋晴れや天高くあり子らの声

<1725> 大和の花 (42) ノコンギク (野紺菊)                                              キク科 シオン属

                 

 ノコンギクはシオン属シオン節の野菊で、本州、四国、九州に分布する日本の固有種である。スミレで言えば、タチツボスミレと同様、大和(奈良県)においては平地から山間地まで生育範囲が広く、ヨメナ(嫁菜)とともに最も親しまれている日本を代表する野菊と言ってよい。殊に山間地でよく見られ、群生することが多いので、8月から11月の花期に山間地を訪ねれば必ず出会える。それほどポピュラーな野菊であるが、生育環境によって葉や花の質を異にする変異が見られ、厳密には他種との混同が気になる野菊である。

 高さは1メートルほど、葉は卵形から広披針形まで、花は淡青紫色が主であるが、ときに赤味を帯びるものや、白色に近い舌状花を有するものも見られる。よく、ヨメナと混同されるが、葉の比較ではヨメナが滑らかな感触であるのに対し、ノコンギクは葉の両面に短毛が密生しざらつく。花で言えば、まばらに花をつけるヨメナに対し、ノコンギクは枝先に多くつくのでにぎやかに感じられる。また、冠毛の短いヨメナに対し、ノコンギクの冠毛は筆先を思わせるほど長い特徴があり、これらの点を比較すれば判別出来る。 写真は山足の草地で群生し、花を咲かせるノコンギク(左・東吉野村)と棚田の畦に咲くノコンギク(右・奈良市東部の大和高原)。

  静かなる里の棚田の野菊かな

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2016年09月12日 | 植物

<1718> 余聞・余話 「小さなものたち」

         生きるとは如何なることかあるは虫 小さな虫の小さな命

 花に虫たちはつきもので、山野に花を求めて歩いていると、花に虫たちが来ている光景によく出会う。よく見かけるのはチョウやハチの類であるが、花によってはもっと小さなミリ単位のアリとかクモとか、また、アブとガガンボといった虫たちも来ている。チョウやハチに比べ、これらの小さな虫たちは歩いている私の目には止まらないことがほとんどで、花にカメラを近づけ、ファインダーを覗いてピントを合わせて初めて目に入って来るといったところがある。そして、小さいは小さいながらに一つの領域(世界)で生を営んでいることが知れ、自然の姿というものが改めて感じられたりする。こうした花と虫たちの光景は大概が持ちつ持たれつの関係にあって成り立っているのがわかる。

 人間から見れば、これら小さな虫たちは極めて微粒な存在で、取るに足らない、なくてもよいようなところがあるが、そこに咲く花には重要なパートナーとしてなくてはならないことがその光景の中には読み取れる。そして、それは人間の世界と同じく、自然の法則の中で生きているということが思い巡らされる。『パンセ』の中でパスカルが言う「宇宙は私を包み、一つの点のようにのみこむ」ことからして言えば、人間がこれらの虫を見れば、虫は微粒であるが、広大な宇宙からすれば、人間も虫たちもあまり変わらない五十歩百歩の存在であることが思われたりもする。

       

 同じ地球上にあって太陽の恵みを受けて生きている生命体であれば、人間の喜怒哀楽のようなものがこれらの小さな虫たちの個々にも、また、これらの虫たちをパートナーとする草木の花たちにも似たような感覚があるのではないかということが想像されたりする。花の下でランデブーに勤しむ小さなクモには喜びの時に違いないというふうに見て取れたりする。私たちに今があるように、この小さな取るに足らないようなクモにも今があり、命を張る今をもって明日が待ち受けている存在であると思われたりする。そして、花にやって来る小さな虫たちは自分たちの世界で今を懸命に生きている。その懸命が花たちの生きている力に貢献しているということがカメラの目からは察せられる。

 草木にとって花は未来への希望である。その希望を叶えるのに幾ら小さくてもそこに虫たちの存在と活動がなければならない。これが自然の仕組みの中で、展開する営みの様相である。小さな虫たちが来ている花を撮影しながら蜜で花のもてなしを受けている虫の持ちつ持たれつの立場が自然の中に組み入れられていることに私はいつもながら気にいった光景としてカメラを向けている。こうした光景に出会うと、「生きとし生けるものに万歳を」と言いたい気分になる。

 写真は左からイヌツゲの花に来ているアリ、コアジサイの花の下で恋を育むクモ、コミヤマカタバミの花に纏わりつくクモ、アケボノソウの星の花の蜜腺から蜜をもらうアブ。肢が雄しべや雌しべに触れている。これらの小さな虫たちはみな花粉を運ぶ役目を負っている。所謂、持ちつ持たれつの関係を花との間に交わしている。


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2016年09月08日 | 植物

<1714> 大和の花 (32) ヒガンバナ (彼岸花)                                        ヒガンバナ科 ヒガンバナ属

      

 田の畔や土手などに群生する多年草で、秋の彼岸のころ花を咲かせるのでこの名がある。最近は、8月の末に花を見せるものもあり、昔と様子が変わって来たので一概には言えないところもあるが。艶のある濃緑色の線形の葉は花が終わった後の晩秋のころより生え出し、冬の間繁って春になると枯れて行き、夏の間地中の鱗茎に養分を保持した状態で休眠し、その後、秋を迎えると土の中から高さ50センチほどの花茎を立て、鮮やかな赤色の花を数個輪状つける。花は6個の花被片からなり、細い花被片は反り返るため花はガラス細工の大きな簪のように見える。

 別名のマンジュシャゲ(曼珠沙華)は法華経の「摩訶 曼陀羅華 曼珠沙華」によるもので、曼珠沙華は天上に咲く赤い花の仏花を指すと言われ、はじめ墓地などに植えられたのだろう。日本では墓場の花の印象によって数百に及ぶ地方名には死者を連想させるマイナスイメージが持たれ、シビトバナ(死人花)、ジゴクバナ(地獄花)、ユウレイバナ(幽霊花)といった不吉な名が多く見受けられる。これは仏教を葬りの宗教として来た日本人の習俗に重なると見てよかろう。

  ヒガンバナ(彼岸花)の名は近代に至ってからの登場で、江戸時代のころには別名のマンジュシャゲや地方ごとにその地方特有の名で呼ばれていたものと思われる。葉のあるときには花がなく、花があるときには葉が見られないというので、ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)というような呼び名もある。私の母は備前(岡山)の人だが、キツネオウギ(狐扇)と呼んでいた。

 ヒガンバナはもともと日本には自生せず、古い時代に中国から渡来した有史前帰化植物と見られ、『万葉集』に登場する壹師(いちし)に当てる説があり、万葉の花にあげられている。その歌は巻11の2480番の柿本人麻呂歌集の歌で、「路の辺の壹師の花のいちしろく人皆知りぬわが恋妻を」と詠まれている。「いちしろく」は白いという意ではなく、著しいという意で、「道端のヒガンバナではないが、(知られたくない)艶やかで美しいわが愛しい妻のことを世間の人はみなよく知っている」ということになる。

 日本のヒガンバナは結実しないので、種子による繁殖はないと言われ、専ら地中の鱗茎によって殖え、群生する。全体にアルカロイド系の物質を含む有毒植物であるが、鱗茎は石蒜(せきさん)と呼ばれ、嘗てはこれを摺り下ろしたものを肩こりや乳腺炎に塗布した。また、鱗茎は上質のデンプンを含み、水に晒せば食べることが出来るので、救荒植物として、もしくは、畦に穴を開けるモグラ避けに用いられて来たと考えられている。

  ヒガンバナは深山などでは見かけない人との関係性によって繁殖している人里植物で、東北地方南部から沖縄に分布し、大和(奈良県)では各地で見られるが、棚田の多い明日香の里や葛城古道周辺が名所として知られる。現在は観光資源として活用され、ヒガンバナは村おこしや町おこしに役立てられている。明日香村の彼岸花祭りはよく知られるところである。 写真は田の畦を赤く染めて咲くヒガンバナとヒガンバナのアップ(ともに明日香村)。  花は時花は所のものにしてたとへば明日香路の彼岸花

<1715> 大和の花 (33) ナツズイセン (夏水仙)                                ヒガンバナ科 ヒガンバナ属

                                                       

  中国原産の多年草で、スイセン(水仙)に似た細長い葉を有し、花が夏に咲くのでこの名がある。古い時代に入って来たようで、本州、四国、九州まで、植えられたものから野生化したものまで見られる。春先に地中の鱗茎から芽を出し、葉は夏までに成長して枯れる。葉が枯れてなくなると花期を迎え、8月から9月ごろにかけてヒガンバナのような70センチほどの花茎を立て、茎頂に淡紅紫色の花を数個横向き加減に開く。ヒガンバナより一回り大きく、花被片の先端は少し反り返り、花のつき方は同科のクンシュラン(君主蘭)やアマリリスに似るところがある。 写真は両方とも植栽起源で、野生化したものと思われる。

                            *

 宇陀市榛原赤埴の仏隆寺周辺に群生していたヒガンバナが消え失せニュースになったことがあった。そのときナツズイセンの花も見られる場所なので、ナツズイセンも消え失せたのだろうと思われた。シカとイノシシの食害が原因と記事にあったからである。自生のヤマユリも多く見られたところで、ヤマユリはヒガンバナ以前に消え失せていた。ヤマユリの鱗茎は美味でイノシシの好物と聞くからイノシシの食害と言われても納得だが、ヒガンバナはアルカロイド系の物質を含む有毒植物で、モグラ避けなどにされて来た経緯から、この食害は何を意味しているのかということが、ニュースに触れて思われたことではあった。

 そこで考えさせられたのは、シカやイノシシには今まで口にして来なかった有毒植物までも食わねばならないほど逼迫した環境、即ち、食事情がこの辺り一帯には生じていることだった。シカやイノシシが原因ならそう考えるほかない。ほかにも原因が考えられなくもないが、食害の痕跡があるのだから間違いはないのだろう。こういう一帯の事情であれば、ナツズイセンの花も見られなくなっているのだろうと想像されたことではあった。そして、このヒガンバナの騒動は人間と野生動物乃至は植物の関係性に生じた問題だということを改めて思ったことではあった。 

    小さな変化は大きな変化の

    小さな異変は大きな異変の

    前触れかも知れない

    小さな罅割れは大きな罅割れの

    小さな諍いは大きな戦争の

    もとになるかも知れない

    私たちはそういう大小数多の

    諸現象が起こり得る世界の

    まさにただ中に暮している

    当然ながら当面する私たちには

    細心の注意と心がけが求められる

<1716> 大和の花 (34)キツネノカミソリ(狐剃刀)と オオキツネノカミソリ(大狐剃刀) ヒガンバナ科 ヒガンバナ属

                

  キツネノカミソリ(狐剃刀)は山野の草地に生えるヒガンバナの仲間の多年草で、本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、北海道で見られるものは植栽起源により自生ではないという。春に地中の鱗茎から柔らかな緑白色の葉を出し、この仲間の特徴で、この葉が夏になると枯れ失せ、葉が無くなった後、8月から9月ごろにかけて50センチほどの花茎を地中から出し、その先端に黄赤色の花を3個から5個横向き加減に咲かせる。

  関東地方以西と九州では雄しべが花冠よりも長く伸び出す特徴を有する変種のオオキツネノカミソリも見られ、これも日本の固有種で、大和(奈良県)では両方が見受けられる。キツネノカミソリとは妙な名であるが、葉が剃刀に似て、キツネが出て来そうな林縁の草むらなどに生えるからと1説にある。今では想像するしかないが、キツネノカミソリが生える辺りにはキツネの出没があったのかも知れない。アルカイド系の物質を含む有毒植物で、昔は鱗茎を磨り下ろし腫れものに塗布した。 写真は左がキツネノカミソリ、右は雄しべが花被片よりも長く伸び出したオオキツネノカミソリ(ともに宇陀地方で)。 情念の狐剃刀燃え盛る

<1717> 大和の花 (35) スイセン (水仙)                                   ヒガンバナ科 スイセン属

                  

  スイセン(水仙)はユリの仲間ではなく、ヒガンバナの仲間である。子房(雌しべの元にある種子をつくる果実になるところ)の位置がユリと異なり、ヒガンバナと同じく、子房下位の特徴を有している。スイセン属は世界に20種ばかりあるとされ、紀元前から知られる花であるが、ほぼすべてが欧州から地中海沿岸地方を原生地とする主に鱗茎の球根によって繁殖する多年草である。

  日本で広くスイセンと言われているのは、セッチュウカ(雪中花)の別名を持つニホンスイセン(日本水仙)で、フサザキスイセン(房咲き水仙)とかエダザキスイセン(枝咲き水仙)と言われる種類である。冬の真っただ中で白い花冠に杯状の黄色い副花冠が印象的な花を茎の先端部に数個つける。ニホンスイセンと言われるものの、このスイセンも元を辿れば地中海沿岸地方が原産地である。

  どのようにして日本へ渡来し、野生化したのか。中国を経て渡来したという説のほか、日本列島の西南の海岸地方に野生の群生地が集中していることから、球根が暖流によってはるばると運ばれ来たって漂着したという説もある。この説は島崎藤村の「椰子の実」の歌詞を彷彿させる。近畿圏で知られるスイセンの群生地は福井県の越前海岸、淡路島の灘黒岩水仙郷、立川水仙郷、和歌山県串本町樫野崎などがある。すべて暖流域の外洋に面した海の眺望がよいところである。

  スイセンの球根を乗せた船が難破して球根が海に漂いながら海流に乗って運ばれて来たとも考えられ、それが何らかの方法によって陸上に上がって定着したのではという。あながち荒唐無稽な説ではないように思われる。どちらかと言えば、この暖流による漂着説の方がロマン的で、私にはこちらの説に軍配を上げたくなる。大和地方で野生化しているものはみな植栽起源か逸出したものである。

  だが、中国からの渡来説にはスイセンの名が漢名の水仙の音読によることからして強みがある。それに、中国では昔からスイセンの花に高い評価が与えられ、瑞祥・嘉祥植物にも組み入れられ、三君(ウメ、スイセン、ボケ)、三友(ウメ、タケ、スイセン)、三香(カツラ、キク、スイセン)といった具合に尊ばれて来た。

  なお、スイセンの学名Narcissus TazettaのNarcissusはギリシャ神話に出て来る美青年ナルキソスのことで、彼は狩に出かけた森の中の泉に自分の姿が映るのを見て、その美しさに恋をした。その恋は当然ながら成就せず、恋焦がれて死んだ。その亡きがらがスイセンの花に変わったのでこの花にナルキソスの名に因みNarcissusと名づけた。Tazettaは杯のことで、スイセンの副花冠の形による。この神話によって、自己賛美・自己心酔主義をナルシシズム(Narcissism)というようになった。

  スイセンには一茎一花のラッパズイセン(喇叭水仙)や黄色い花のキズイセン(黄水仙)などほかにも見られ、園芸種には八重咲きなどの花も見られる。また、スイセンはヒガンバナ科らしく有毒植物であるが、ほかの仲間と同じく、球根を磨り下ろして腫れものに塗布すれば効能があると言われる。 写真は野生化したスイセンと黄色い副花冠が特徴の花。

       旅の途にあるもの我ら流れゆく雲に等しく時を抱いて

 

 

 

 

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年09月07日 | 植物

<1713> 余聞・余話 「植物の根に寄せて」

         誰もみな心の根っこで自らの生きとし生きる身を支へゐる

 植物の葉に触れたので、根にも触れないでは不十分だろう。という次第で、今回は植物、即ち、草木の根に触れてみたいと思う。『国語辞典』で植物の「根(ね)」の語意を探ってみると、「葉・茎(幹)と共に、高等植物の基本器官をなすもの。その植物を支え、水分・養分を吸収する(普通は地下にある)部分」とあり、この意を基にして「事物のもと(の部分)」をもあげている。

 例えば、根本、根底、根幹、根源、根拠、根性等々、これらの言葉は植物の根の意より発して生まれたことが見て取れる。「根も葉もない」というのは植物から来ている言葉で、実体がないという意味である。言わば、植物の根というのは植物自体を支え、水分や養分を吸収して植物本体の維持、成長を果す重要な役割を担っているということになる。

 鉢植えの、例えば、サルビアが花を終え、植え換えをする段になって鉢の土を取り出してみると根が鉢の内側に沿ってびっしりとついているのに驚かされることがある。全ての根を合せるとどのくらいの長さになるのだろう。それは人体の毛細血管と同様、想像以上に長いのだろうと思ったりする。そして、土はと言えば、水分も養分も根に吸い取られ、かすかすになっていてこれに向い合うということになる。この現象こそがまさに根の働きを物語るものと言える。

              

 夏場になると鉢植えの植物は水分不足で枝や葉が萎れることがよくある。こういうときは水遣りが欠かせないが、水を遣るとものの十数分も経たない間に葉がしっかりし、植物は元気を取り戻す。これは根が水分を吸収して植物本体に供給した結果の現れにほかならない。水や肥料をあまり遣り過ぎると、水分や養分が過多になり、根腐れを起こして逆に枯れてしまうことがある。つまり、植物の根というのは、目立たないけれどもそういう自分の命の根幹のところを担って働いているわけである。

 樹木の根は樹木の本体を支えるため樹木の大きさによって根の張り方も変わるのが山歩きをしていると見られるが、幹の太さや高さもさることながら、枝の張り具合によって違いが生じると言われる。スギやヒノキのような高さを誇る針葉樹よりも枝を張るブナやクスノキのような広葉樹の方が根も広がり伸びる。これは風雪に関わることで、この風雪に耐える樹木の仕組みの現れと言ってよかろう。

 草花には花が咲いて実が出来ると、後はその実に全てを托し、枯れてしまう1年草や2年草がある。これに対し、花が咲き、実が出来ても、本体は枯れずに残る多年草がある。地上部が枯れるにしても根によって冬の寒い時期を凌ぎ、春になるとその根の部分から新芽を出し、また、成長して花を咲かせ実を生らせる。多年草はこれを何年も繰り返す。多年草は根に栄養分を蓄えて休眠するので宿根草とも呼ばれるわけである。

 とにかく、根は植物の本体を支え、水分や養分を吸収する土台をなす植物の基礎部分に当たる。人体に擬えれば、下半身か。花は表象、葉は実質ということで言えば、根は何だろうと考えるに、基盤という言葉が思われて来る。植物の根というのは縁の下の力持ちである。

  紀伊山地の山々を歩いていると、ときおりブナ帯で林床を被うスズタケやミヤコザサが失われ、地表があらわになっているところに出くわすことがある。これはシカの食害が起因していると言われるが、こういうところでは露岩も見られ、集中豪雨などが起きると、スズタケやミヤコザサによる保水や地表の保護がなく、雨水は一気呵成に流れ、直接山肌をえぐったりして大災害の因になる。これは植物の(殊に根の)効用を失った山で起きる現象と言える。根というものは大地をしっかり掴んでいるので、水の災害を防ぐ働きもしている。この点も忘れてはならないところである。

  写真は左から大地にしっかりと根を下ろすナギ、ツクバネガシの根の部分に守られながら花を咲かせるタチツボスミレ(ともに奈良市の春日山で)。根こそぎ倒れた風衝地の樹木。台風に見舞われた被害木の一つである (十津川村の釈迦ヶ岳登山道の尾根筋で)。