<481> 万葉の花 (61) さ さ (佐左、小竹)=ササ (笹)
雪を積む 笹冷え冷えと 耐へて見ゆ
小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげどもわれは妹思ふ別れ来ぬれば 巻 二 (133) 柿本人麻呂
小竹の葉にはだれ零り覆ひ消(け)なばかも忘れむと云へばまして思ほゆ 巻 十 (2337) 詠人未詳
我がやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕(ゆふへ)かも 巻十九 (4291) 大伴家持
『万葉集』の原文表記によれば、小竹が三首、佐左が三首で、集中にササの見える歌は六首である。この六首を見ると、葉に関わって詠まれた歌ばかりで、その葉に添えられている景物との絡みで言えば、露霜があり、班雪(はだれ)があり、冷たく荒ぶ風があり、これらの歌は晩秋のころから冬の季節に詠まれているのがわかる。ただ、4291番の家持の歌だけは春の歌でこれについては、後で触れたいと思う。
私の実家の裏には、キリシマツツジの根方にハラン(葉蘭)が植えてあり、季節風の吹き来たる冬になると、常緑の大きな葉がその風に吹かれてかさかさと葉擦れの音を立てる。その音は硝子障子越しに納戸の部屋で聴かれた。子供のころその音を聴いて侘しい心持ちになったのを覚えているが、これはササにも言えることで、万葉人も冬にはササの鳴る音を聞いて心を動かされたのであろう。133番の人麻呂の歌にその情景がよく表わされている。
この133番の歌は、詞書に「石見国より妻に別れて上り来る時の歌」とある長歌の反歌二首中の一首で、前後の歌から察するに、初冬のころの歌であるのがわかる。妻に別れて来た人麻呂がササの生い茂った山路に差しかかって、冷たい風に吹かれて鳴り騒ぐようなササの音を聴くに及び、妻への思いが募って来たのである。この歌は、人麻呂の妻に寄せる心情が耳に障るほどのササの音とともに伝わって来る歌である。
次にあげた2337番の歌は、冬の相聞の項の中の「雪に寄す」と題して詠まれた歌で、「ササの葉を覆う斑な薄雪が消えるように死んでしまえば、あなたを忘れることも出来るでしょうと言えば、ますます恋しさがつのって、あなたのことが思われて来ます」というもので、それほど、私はあなたを恋い慕っていると、相手に寄せる思いを訴えている歌であるのがわかる。作者不詳の歌であるが、その内容から女性の歌と察せられる。
なお、タケとササは、幹(茎)が中空で節があり、これを稈と呼び、稈鞘(皮)が早くに稈から剥がれて離脱するものをタケ、離脱せずに残っていつまでも宿存しているものをササとして区別する。この区別はタケの研究で知られる室井綽によって提唱され、現在では、これを主にタケとササの見分けの基準にしているようである。
『万葉集』にはタケやササの類に関わる歌が、タケの二十首、シノ(篠)の十一首、ササの六首を数えるが、歌から察するに、このタケ、シノ、ササの区別にはっきりとした基準は見当たらない。ただ、マダケのように見かけの大きいものをタケ、オカメザサやネザサのように丈の低いものをシノとかササと呼んだのではないかと察せられる。
ところで、4291番の家持の歌の中で、二句目の「いささ群竹」は原文で「伊佐左村竹」となっており、この伊佐左(いささ)の解釈について、「いささかなる」の意に解す説と「い小竹(ささ)」と解する説とがあり、これが対立しているようである。そこで思われるのであるが、これはいささかの意味でも、小竹、つまり、現在でいうササ(笹)でもなく、竹の枝葉を表現したものと解釈したのがいいのではないかと思われる。
この歌は春の情景を詠んでいる歌であって、季節風(北西の風)の時期は過ぎ、南東の風の季節に詠まれた歌で、私の葉蘭の体験からしても、丈の低いササが葉擦れの音を立てるほどの季感にはないことが言え、ここは微かに吹くやわらかな春の風が思われる次第で、群がって生える竹の枝葉がわずかな風にさらさらと鳴るのを「いささ」と表現したのではないかということが想像されるのである。
この歌の場合、こう解するのが日本列島の風土(自然)に最も適った見方ではないかと思われる。よって、この「いささ」は竹の枝葉を指して詠んでいると見なせるわけである。竹の枝葉を「ささ」という例は、「商売繁盛でササ持って来い」で知られる恵比須さんのササも、「ササの葉さらさら軒場に揺れる」の七夕のササも、竹の枝葉を言うもので、これらの例でもわかる。言わば、ササは本来のササだけではなく、竹類の枝葉についてもササと認識され、これをして、家持のこの歌はあると思われる。ササの語源は葉が風によってさやさやと鳴る音から来ていると言われる。このように見て来ると、『万葉集』のササの意味も少し変わることになる。
なお、タケやササ類は花が数十年の間隔をもって咲くと言われ、一旦咲けば、根元から全部枯れてしまう一稔性の植物で、更新は花の後に出来る実に託される。ゆえに、その花はなかなか見ることが出来ないが、よく山歩きをする私には何度かササ類の花に出会う機会があった。『万葉集』の歌とは直接の関係はないが、ここにその花を紹介したいと思う。
写真は左から、雪に被われたコンゴウザサ(大阪奈良府県境の金剛山・一一二五メートルの山頂付近)、ミヤコザサの花(大台ヶ原山・一六〇〇メートルの山頂付近)、スズタケの花(大峰山脈の大普賢岳登山道・一三五〇メートル付近)。なお、大和におけるスズタケはブナ林下に多く見られるが、近年シカの食害により激減して、山中の様子を変えている。右端の写真はえべっさんの福ざさ(桜井市の三輪坐恵比須神社で)。