大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月08日 | 写詩・写歌・写俳

<463>太平洋戦争開戦の日に思う

       時は過ぎ 時は来て また師走なり

  今日は日本が米英に対し宣戦布告をして太平洋戦争に突入した日である。昭和十六年十二月八日、日本軍はハワイオアフ島の真珠湾を奇襲攻撃し、米海軍の太平洋艦隊と基地に壊滅的打撃を与え、華々しい戦果をあげて第二次世界大戦の泥沼に入って行った。七十一年前のことである。この度、その開戦当時の新聞各紙の綴じ込みを見る機会があり、忘れてはならないという気持ちから、少し私の考えというものを述べてみたく、ここにその一部をとり上げてみた次第である。

 ぼろぼろになった綴じ込みの各紙をめくりながら戦況一色の紙面に感じたのは、「行け行けどんどん」の気分が記事に反映されていることであった。見出しも「米太平洋艦隊全滅す」、「海戦史に空前の大戦果」、「萬歳 新嘉坡陥落す」、「嗚呼 盡忠報國の九軍神」、「敵主力艦を轟沈 散華」などとあり、華々しく高揚感の溢れる勇ましい気分がうかがえ、当時の状況というものが伝わって来た。当時の新聞記者たちはいかなる心持ちを抱いてこれらの記事を仕上げたのであろうか。「九軍神」の記事などは痛ましさに尽きるが、当時は美徳として読者に受け入れられたのであろう。今では考えも及ばないが、戦争とは勝つために方法を選ばない、要は殺し合いであり、命をかけることであり、このことにおいて今思えば、散華して命を落として逝った「九軍神」はいかに盡忠の美徳として崇められても、やはり、戦争の犠牲者にほかならないと思える。

  今、各紙が紙面展開している当時の状況をうかがうに、恐ろしさを通り越して、何か稚拙で、滑稽にも思えるほどであるが、これは時代の状況がそうさせたのであろう。この高揚して見える一つ一つの記事にはそのようにしか理解出来ないものがある。では、その開戦時の時代というのは日本にとってどのような時代だったのであろうか。それは一言で言って、狂気に染められた時代であった。各紙の開戦当時の綴じ込みの記事を見ているとそのようにしか思えない異様さが感じられる。 写真左は米英に宣戦布告した一面の記事。右は真珠湾攻撃の成果を報じる一面の記事。

                                 

 太平洋戦争は、敗戦という結末に至るわけであるが、その終戦については、「終戦記念日」なども定められ、それなりに語り継がれ、国民の関心も高い。しかし、開戦当時についてはあまり語られることがなく、新聞やテレビなども茶を濁す程度の関心事で、ほとんどとり上げられることがない。これは遺憾なことで、歴史におけるものごとを検証する場合、事の結末について検証することも大切であるけれども、事の開始時点の検証も大切で、忘れてはならないと言える。この意味で言えば、開戦時の各紙の綴じ込みが保管され残っていることは意義のあることだと思われる。

 なぜ、日本は米英に対し宣戦布告に及んだのか。そこには何らかの理由があり、勝てるという見込みの認識があったからであろうが、それは当面の話であって、戦後どのように世界の情勢が展開するか、当事者にはそこにまで考えが及んでいなかったのではないか。仮に日本が勝利を収めていたとしても、その覇権主義は世界の秩序において通用するものではなく、秩序の理に叶わなければ、最終的には負けることになる道理であるのははっきりしている。であるが、「行け行けどんどん」の状況下では、ものが見えず、当然のこと、相手のことなども見えようはずもなく、思考の中に相手の立場や心理状況などを観察し分析することなどもなく、戦争に突入して行ったことが想像される。

 これはまことに愚かで、遺憾なことであるが、誰もその愚かさに言及することが出来ず、戦争に突入して行ったのである。もし、このとき、戦争に踏み出さない辛抱が勝っていたならどのように日本は展開したろうか。広島や長崎の原爆はなかったろうし、沖縄の悲惨な状況も生じなかったことが思われる。日本はこの戦争で、ほぼ全土が空襲によって焦土と化し、沖縄では地上戦の末に多くの民間人が犠牲になった。究極は広島と長崎の原爆の事態であったことは誰もが知るところである。何故このようになったのか。「もっと早くに白旗をあげていればよかった」という終戦の始末を問題視する声もあるけれど、それよりも、何よりも、何故この戦争に突き進んで行ったかを検証する方が先決で、将来的に意義あることだと言える。

 ここで思われるのであるが、最近、尖閣諸島をはじめとする国境の問題がエスカレートするなかで、自衛隊を軍にするとか、もっと武力を拡充させて、核兵器を持つことも是認してよいのではないかというような意見も出始め、憲法をいじくる話などにも及んで、時勢が右傾化し始めている。この右傾化の傾向と、この十二月八日の「行け行けどんどん」の開戦時の記事の背景に何か重なるものがあるようで、私には気になるのである。で、このことからも、この太平洋戦争の開戦時の考察は必要であろうと思われる次第で、太平洋戦争を始めた時代を鏡に、最近の状況ということを考えることも意義のあることに思われ、ここにとり上げた次第である。次回は私なりに、外交における現況を分析して、そこに触れてみたいと思う。