大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月20日 | 写詩・写歌・写俳

<475> 食生活について

 

日々に欠かせないもの それは食事である その食事は 如何にして成るか 私たちの食事は 鳥獣虫魚のそれとは違い 殆どが加工され 調理されて成る ゆえに 加工が必要であり 調理が必要になる そして それを叶えるには それに当たる人が必要になるわけで この いつも必要な人こそ あなたには必要な人 それは 果して 誰か

 

 私たちが生きて行くうえで食生活は欠かせない重要なもので、適量に食することをよしとするが、現代人の食生活はその点過剰で、運動量に比してカロリーも栄養も過多になっている。結果、生活習慣病と言われる糖尿病などが蔓延し、死因でも、癌、脳卒中、心筋梗塞などの成人病が上位を占めている。これは、食べ物に窮している後進国に感染症の多いのと対比され、食物の豊富な先進国の特徴としてあげられるもので、我が国は後者の方に属している。

 

 そういう私も、心筋梗塞に陥り、手術によって救われた後者を代表するような人間で、偉そうなことは言えないが、成人病の経験者として、反省も含めて言えば、いろいろと語ることが出来るように思われる。現代病の主因はストレス(過労、睡眠不足、神経症等を含む)と運動不足と食生活の乱れ(偏る食習慣)とによると言えるが、ここでは食生活について述べてみたいと思う。

 

 私は手術を終えて退院するとき、病院から食生活についての指導を受けた。この指導はどこの病院でも行なわれているようであるが、成人病の場合は食に影響されるところが大きいので必ず行なわれる。もちろん、指導で言われたことを守るかどうかは本人次第であることは言うまでもない。ところで、食欲というのは厄介で、負けずにいるには相当な意志の強さが必要で、難しいところがある。病院で言われたような食生活はなかなか出来ないもので、月日が経てば、指導されたこともすっかり忘れて、また、同じような道を辿り、病状のぶり返すこともある。

 

 これは、欲望に勝てない生きものたる人間の弱さであるが、その弱さを克服するには本人一人でなく、協力者のあるのがよいように思われる。協力があれば、案外克服することが出来る。で、病院は患者への指導に当たって、本人のみならず、食事を作る人も加わえて指導に当たる。つまり、食の改善には本人はもちろんのこと、協力者の役割が大きいわけである。私も妻とともに指導を受けた。私の場合は、妻が極めて食に厳しいところがあって、徹底しているので、食にいい加減な私も彼女の管理下にあって、病院で指導された条件に合った食生活を送ることが出来ている。

 

 そういうことで、私には食に対する安心があると言えるが、ときには体の内側から食欲という奴が湧き起こって来て誘惑することがある。そのとき、この誘惑に対し、我慢出来るか出来ないか、ここが肝心なところで、この一時を凌いで我慢すれば次に繋げることが出来る。それが、一人ではなかなかこの食欲という奴に対抗することが出来ないのである。しかし、すぐ傍に目を光らせる厳しい管理人がいれば、その欲望も抑え込むことが出来るということになる。

 

                        

 

 もちろん、厳しい管理人は自分の健康も考慮に入れ、健康食の献立を立てているわけで、同じベースの食事を摂る。妻の場合は、塩分とカロリーを控え目にし、脂肪分と肉類の過多に注意を払っている。かなりの勉強家で、メモ魔的なところがあって、献立ノートも、最近、整理して見やすいようにまとめている。料理の情報は雑誌、新聞、料理本、テレビ等で、材料さえあれば三百六十五日いつでも作れる体制にあるので、困ることはないようである。写真はその献立ノートの一部である。

 

 私は、退院から三ヶ月に一回の間隔で血液検査をしてもらっているが、ほぼ、基準内に数値が収まっている。検査の状況によって、一ヶ月に一回ほどは、この食欲という厄介な、しかし、大切な同居者兼困らせ屋に対し、妻は辛抱の「御褒美」という言い方をして、豪華でもないけれど、少しカロリーオーバーの食事をすることがある。そのときは、食欲も満足するわけであるが、これは、たまに旅行して気分が高揚するのに似ていると言ってよかろうかと思う。そして、そこには何か言い知れないありがたさのようなものも湧いて来るという次第である。 ~次回に続く~