大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月11日 | 写詩・写歌・写俳

<466> 続々・太平洋戦争開戦の日に思う

        敵対して 得るものは 何もない

    敵対は生の調和を壊すだけだ

  まず、想像力を働かせて考えなくてはならないことは、この尖閣を国有化することによって起こった一連の騒動においてどこの国が得をし、どこの国が損をしたかということである。多分、損をしたのは日本だけではないかと思われるが、異論があるだろうか。騒動の起きた時点からこれまでの関係各国の貿易収支等の数字を見る限り、日本が一番損失を被っている。これは誰が見ても明らかで、この点で言えば、前政権の失政は否めないと言わざるを得ない。この状況は日中間の敵対状況によるもので、その影響が民間レベルにまで達し、経済にも波及していることは数字がよく物語っている。

  中国もこの点では当事国で、問題は生じているはずであるが、その貿易乃至は経済への影響に対する穴埋めが出来ているのであろう。数字を見る限り、問題を最小限に止めている。その穴埋めを想像するに、これには米国が関わり、韓国が関わっていることが言えるが、穿った見方であろうか。私の想像が的を得ているとすれば、日本における国境問題に仕掛けを放った国が優位にことを運んでいるということになる。

  言わば、膨大な中国市場をこの国境問題一つによって米国や韓国にしてやられたという風にも考えられるのである。しかし、この状況を中国政府はよくわかっていると思う。それは日中の結びつきというものが深いからである。このことをあのバッシングによる事情のみで判断し、両国の溝を深めるようなことは愚かなことだと言わざるを得ない。新聞、テレビは中国の監視船が尖閣周辺に何隻現われたとか、連日のように報じているが、この中国の監視船の状況を見て思うに、これは日本の動向を監視するだけでなく、中国の民間船の監視も行なっていると見た方がよい。

  それは、この騒動のきっかけがいかがわしい香港の活動家によるところが大きかったからである。インターネットの情報サイトはこれを米政府及び日本政府の絡んだ事件であることをにおわせているが、もちろん、ここのところは不明である。しかし、そのように疑われても仕方のない点が、今の日本の外交を取り巻く状況の中では浮かんで来るのも確かなことと言える。敵対関係に陥っても、冷静に事は観察して行かなくてはならない。相手側の良心も慮るべきである。

  で、なお、思うのであるが、最近、不思議な現象が起きている。日本車が米国市場でよく売れているというのである。あのバッシング以来、中国で日本車が売れなくなってからの話である。これをどのように見るかであるが、中国は買わなくなった日本車の穴埋めをどこに求めているのだろうか。このことも日本は把握して分析しなくてはならないだろう。米国であれほどバッシング対象にされていた日本車がよく売れているという。なぜなのだろうか。これはやはり日中の政治的敵対事情に関わりを持つものではなかろうか。そして、ここに思い浮かぶのがTPPの問題である。中国の日本に対するバッシング騒動にかこつけて「中国のようなややこしい国と深く関わるよりも、環太平洋の米国側と関わりを深めて行けば、車だってよく売れる」というメッセージを送っているような事範と私の目には映ってしまうのである。

  国境の問題は大切で、主張は通し、曲げることはないが、そこに刺激を与えないのが一つの知恵であろう。互いに主張が変わらない時点でいくら行動に出ても解決のしようはない。もし、軍をつくって、武力でもって、守るとか攻めるとかという話は尖閣だけではなく、竹島もあれば、北方の問題もあることで、尖閣だけに当てはめることは整合性において収まりがつかず、隣国すべてと敵対関係に及ぶことを宣言するに等しく、これは決して日本の在るべき姿としてはよくないと言える。

                                                                                  

  仮に、尖閣において中国との武力衝突に至ったとして、いくら日本が軍をつくって武器を拡充しても、十三億人の中国と戦火を交えるなどは滑稽な話で、これは太平洋戦争の内実に等しいことが言える。戦火になれば、同盟国の米国が応援してくれるというのは幻想でしかない。それは第二次世界大戦以後の歴史と米国の採って来た戦略とを見れば一目瞭然のことである。米国という国は大国と対峙はしても戦火を交えたことはない。それは自国に戦火の及ぶことを徹底して嫌う一つの前提があるからである。それに、経済的関係の深まりとともに、十三億人の国と戦うことに理念が見えなければ、合理主義的大義の国である米国は動かない。

  故に、いくら同盟国と言えども、米国が中国とやり合うなどは幻想の何ものでもないことを私たちは心得て置く必要がある。戦火を交えるとすれば、精々北朝鮮くらいかと私などには思える。しかし、米軍というのは抑止には働くから、同盟が無意味であるとは言えない。日本の防衛上の観点からすればそのくらいに考えて事に当たる方がよいのではなかろうか。これら一連のことを思うに、中国研究もさることながら、同盟国の米国ももっと研究して然るべきだと思われる。我が国にそのような戦略的な研究をするシンクタンクはないのであろうか。政治家は何かと言えば、同盟国、同盟国と言い、一方では戦略的互恵関係というような言葉を持ち出すが、軽さが耳に障る。とにかく、敵対することはどの国であっても好ましくない。何故にもっと仲良く出来ないのかと思われて来る。