大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年12月10日 | 写詩・写歌・写俳

<465> 続・太平洋戦争開戦の日に思う

        過去に学ぶべし 歴史に学ぶべし 経験に学ぶべし

       そして それを 想像力に生かし 英知に資するべし

 この項は<463>に続く。 最近、我が国の政治に右傾化の傾向が尖鋭化しつつあるが、これは韓国大統領が竹島に上陸し、竹島が韓国の領有だとアピールしたことに端を発している。もちろん、それまでも国境に関わる問題はいろいろとせめぎ合いの様相が見られ、トラブルになって来たが、大統領の上陸という行動に煽られ、これを端緒として尖閣諸島に飛火する形で、香港の活動家による魚釣島への上陸騒動が起き、この尖鋭化に拍車をかけることになった。八月十五日の終戦の日のことで、このタイミングのよさが何とも気になるところである。

 韓国大統領の竹島上陸を安っぽいパフォーマンスだと見て、私は尖閣の騒動にリンクしているのではないかと述べたが、香港の活動家のいかがわしい点がインターネットの情報サイトで問題視されるのをうかがい知るに至って私の見方もまんざら間違ってはいなかったという風に思われて来たのであった。この一連の国境騒動の後、東京都が魚釣島を買い取るという話が出て来た。この都知事の宣言に今度は政府が反応し、魚釣島を国が買い取るという話になって、結局、国が買い取ったのであった。ここに至って尖閣諸島の領有の問題は新たな局面としてクローズアップされ、世論の盛り上がりを受け、これに後押しされる形で、右傾化の傾向がいよいよ尖鋭化して来た。

 尖閣諸島が日本の領有たることは国民の誰もが認めるところで、個人が所有しようが、国が所有しようが、日本の国内においてはさほど問題にならない。だが、領有権を主張している中国や台湾から見れば、所有者が個人と国では大きな違いがあるわけで、日本の対処に対しては放置出来ない問題となるわけで、その対抗手段として、日本バッシングがなされ、これが旋風になって中国国内で吹き荒れることになった。

 東京都が寄付金を基に魚釣島を買うということは実に突拍子もなく胡散臭いということが言えるが、多額の寄付金が東京都に寄せられたという点も疑問の生じて来るところである。高額の寄付は何処からあったのか。目的を指定してその寄付はあったのだろうか。指定があってもなかってもその寄付金を何に用いるかは議会に諮るとか、都民に納得してもらうとかがなくてはならないはずである。だが、その手続きなしに突然知事の口から魚釣島の買い取りの話が出て来た。で、私は、この件について、以前、一政治家の独断先行を批判して「おかしい」と言ったのであるが、今思えば、これは知事のパフォーマンスであったと言える。これに政府が思慮なく乗じたのである。

 寄付金が知事個人へのものであることはあり得ないが、建て前と本音がここには見え隠れする。知事個人への献金であれば、知事本人が買うと言えばいい話で、個人でもって灯台でも船溜りでも造ればいいわけである。しかし、東京都が買うと言い出したのである。やはり、ここは都への寄付ということになるから、その手続きに従わなくてはならないことになる。ここで思われるのは、献金が首長の一存で使用可能であるにしても、多額の献金を知事が独断で用いることは都政の私物化に等しく、批判は当然起こり得る。しかし、誰もこの都知事の宣言行動に疑問を投げかけなかった。これは都知事の都政における奢りの何ものでもないと言ってよい。

 この話を聞くに及んで、東京都というのは余程財政に余裕があるのだろうと思うと同時に、何たる傲慢かと思った。大借金をしている国や余裕のない他の都道府県と違い、余裕のある行政をしているゆえに違いない。多額の寄付があれば、都のために有効利用すればいい話であるはずだが、沖縄県に属する尖閣に及ぶ。これに疑問を抱かない者はいないだろう。で、思うに、この寄付金自体が胡散臭いと言わざるを得ないのである。

                             

 この都知事の宣言行動に乗ずる形で、政府は魚釣島を買い上げることを決め、国有化したのであるが、これを思い巡らすに、一つのシミュレーションが成り立って、政府の想像力のなさと稚拙さが感じられ、何とも情けなく、国民としては、ここのところをどうしても問わなくてはならないところで、このブログの記事にも及んだ次第である。 写真は真珠湾攻撃当時の記事。

 要は、この尖閣諸島における国境問題がいつの時点で尖鋭化したのかである。これは太平洋戦争に突入して行った日本の国内事情と世界における日本という国の立ち位置というか、そこのところが当時の政府に想像の欠如があったことと重なるところがある。多分、このとき、中国において日本バッシングの暴動が起きるなど想像していなかった。閣僚から「想定外」という言葉が聞かれたことでもそれがわかる。つまり、現状を如何に把握し、想像力を働かせるかということである。ここに、所謂、歴史を学ぶ必要があることを太平洋戦争の開始時に照らして思うわけである。

 私が、太平洋戦争を検証する場合、終戦時をもって検証することも大切であるが、開始時にスポットを当てて検証し、考察する方が今後に役立つ旨を述べたのもこの点にあると言ってよい。つまりは、事の発するときの状況分析とこれに加える想像力及び英知の発揮されることこそが、よりよい将来への道を開くのに役立つということが言いたいのである。

 私には、この国境騒動に米国側が何らかの形で関わっていることが思われるのであるが、この尖閣の騒動には沖縄の米軍基地の問題やTPP(環太平洋パートナーシップ)の問題にも繋がるものがあるように思われる。これについては、また、機会があれば述べてみたいと思うが、ここでは中国国内において巻き起った日本バッシングに関わる一連の事態における、まだ、尾を引いている点にスポットを当てて考察してみたいと思う。結論的に言えば、為政者は世論に流されることなく、ここのところはよくよく想像力を働かせ、対処してもらいたいということである。  次回に続く。