<4> セ ミ
法話聞き 帰る道々 蝉の声
お経の『般若心経』に「色即是空 空即是色」という有名な句がある。色のあるものは色のない空に異ならず、色のない空は色のあるものに異ならずという。これは実に矛盾めいて解し難い言葉であるが、太陽光のメカニズムに当てはめて考えてみると理解することができる。
私たちの住むこの世は太陽光に彩られた世界だが、太陽光はすべての色を含んでいる白光、即ち、空と見なすことが出来る。私たちが見ている個々の色はその太陽光の一部の色で、白光、つまり、空に内在し、その内在より生じている色ということが出来、ここに「色即是空 空即是色」の言葉がそのメカニズムにおいて理解出来る。
この世を空蝉(うつせみ)というが、「うつ」は「鬱」の意も有し、鬱は空ということで、これは「色即是空 空即是色」の色が空に等しいということに繋がる。色と鬱とは現実を指すものであるが、もとをただせば空であるということになる。空蝉は蝉の抜け殻のことで、掌に載せてみるとよくわかるが、実に軽いものである。大宇宙から考えると私たちが住んでいるこの世などは小さく軽いものであると言える。このことを念頭におくと、鬱々とした重い気分も軽ろやかになる。これは色のあるものが色のない空に異ならずあるという『般若心経』の説く精神に通うもので、心の効用になると言ってよかろう。 写真はセミとセミの脱け殻。
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