大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年03月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1909> 余聞・余話 「 初 燕 」

        初燕疲れを知らぬ飛翔かな

  この間、3月16日に馬見丘陵公園の下池の上空高く10羽ほどのツバメが勢いよく飛び回っているのが見えた。ときに低空飛翔を見せることもあったが、ほとんどが高くを飛び回っていた。私には今年初めてのツバメで、所謂、俳句では春の季語である初燕であった。多分、到来して間のないツバメたちに違いない。その飛翔の勢いには新天地への長い旅の目的を果たした達成感に浮き立っているような感じがあった。

                         

  池にはまだ大半のカモが残って三三五五水面を陣取っているのが見られたが、冬鳥のカモたちには近々姿を消すことになる。思うに、ツバメは暖かな季節の使者である。飛び回るツバメを見ていると、ツバメほど飛翔を誇る鳥はいないと気づく。距離にしても、スピードにしても、自在な動きにしても、どれをとってもツバメの動体の能力は一級である。

  夏の渡り鳥であるこのツバメの今一つの印象は人家に巣を作って棲みつき、田畑の害虫を捕ってくれる益鳥としてあること。ということで、私にとってツバメは郷愁の存在と言ってもよい鳥である。子供のころ、夏になると、家には必ずツバメがやって来て土間の梁に田の泥土をもって巣を作り、その巣を棲みかにして子育てをした。玄関は引き戸であったが、把手の部分をくり抜いて留守のときでもツバメが出入り出来る穴を開けていた。土間には糞が落ちるが、下には新聞紙を敷いたりしていたのを覚えている。言わば、家の中にツバメが巣を作ることに何ら不潔感や違和感はなく、家族同然のようにツバメを迎え入れていたのが思い出される。

                          

  母の臨終に際して山形の郷里に帰り、母に寄り添って詠んだ斎藤茂吉の『赤光』の中の「死にたまふ母」一連の絶唱はよく知られ、その中の一首に「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳ねの母は死にたまふなり」とツバメに寄せて詠んだ心情の歌があるが、この歌の光景が私には子供のころのツバメに重なってよく理解出来る。所謂、ツバメというのは農耕民族である日本人には親しみのある夏の渡り鳥たる確固たる存在としてある。では、初燕を記念して以下に我がツバメの句を披露したいと思う。 写真は大空を飛び回るツバメたちの姿。

    燕とは自在な飛翔の名士なり

    燕とは郷愁そして父母の家

    空を斬る燕の翼みごとなり

    最善を尽くし通せよ初燕

    暖かさ運びて来たる燕かな


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