大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

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2016年08月26日 | 植物

<1701> 余聞・余話 「植物の葉に寄せて」

        日の恵み掬ふ葉といふ掌を広げて木々は旺盛に立つ

 人体と植物を同一視する考えがある。人体の部位と植物の部位に同じ言い方が用いられているのがよい例としてあげられる。例えば、身と実、鼻と花、目と芽、歯と葉といった具合である。言わば、人体と植物はまこと生命的に繋がり得て似るところがあると言えるわけである。これは太陽と地球の関わりにおいて生まれた地球生命が繋がりを持ち一体のものであることを意味するものにほかならない。

 顔の真ん中に付いている鼻は顔立ちの見映えに影響を及ぼし、花は一種のアピールで表象の意味合いを持っている。これに対し、歯は食べ物を咀嚼し、栄養吸収の働きをなし、葉も同じく光合成による栄養補給の役目を担う。これはともに生命体の成長、維持に欠かせない実質の意味合いが強いということになる。こういうところをまずは念頭に置いて、植物の葉について考えてみたいと思う。

                                             

 「発芽した植物は空気、水、太陽光および土の中に含まれているわずかな量の無機物質(窒素、燐、カリ、鉄など)さえあれば、ほかの栄養物質がなくても、どんどん成長することができる。これは植物が光合成によって有機物をつくることができるからである」(瀧本敦著『ヒマワリはなぜ東を向くか』)というがごとくで、太陽光のエネルギーを炭水化物や糖質などの有機物に変えて生命の保持、成長、即ち、活動に生かしているということになる。この光合成の役割を果たすのが葉緑素による葉緑体を形成している葉である。

  思えば、花が千差万別の彩りを持っているのに対し、濃い薄いはあるものながら、葉は概ね一様に緑であるのがわかる。これは花の役割が子孫繁栄にあり、その役目として雄しべと雌しべの花粉の授受を成就させなくてはならず、これを成し遂げるため、自分で動くことの出来ない花は昆虫などの第三者にその授受を委ねる。花はその昆虫たち第三者へのアピールが必要になり、花はこの目的のため、よりよい形や彩りの工夫をするということになる。

  これに対し、葉は葉緑素を有する葉緑体によって、光合成を行ない、太陽光のエネルギーを吸収して、植物の生命を維持、成長させる目的に向って日々頑張っている。言わば、植物の個体は花がなくても生きて行けるが、葉がなくては生きて行くことは出来ないということになる。で、花は表象、葉は実質という言葉で言い表した次第である。

                                              

  よく晴れた夏の日に常緑樹や落葉樹の混淆林を訪れ、その林下を歩いてみると、緑の葉が降り注ぐ太陽光を浴びながら生き生きと輝くように見える場面に出くわす。何とも清しく美しい眺めであるが、まさにそこに見られる群がる葉は光合成の真っ最中なのである。私は山歩きをしていてよく思う。何故に木々や草々は緑に被われているのだろうかと。で、それは前述の通り光合成の働きをする葉緑素の持ち主である葉緑体の葉の群がりによると理解されるのであるが、これは葉緑素自体が緑を発しているというのではなく、光の三原色(赤、青、緑)で言えば、葉緑素は太陽光の白光の中から赤と青を吸収して植物体に取り込み、緑と合体して太陽光の白光のエネルギーを得ることになる。

  吸収されない余分な緑は反射して、私たちの目に入るということになる。こうして葉は太陽光のエネルギーを取り込んでいる理屈が成り立つ。私は光合成をこのように理解するのであるが、間違いだろうか。とにかく、山野の草木の緑という色は生命に深く関わりを持つ色ということが出来る。

  動物である人間はそうして成長した植物を直接乃至は間接に摂取することによって生命の維持を図っている。つまり、人間にとって植物は生命を維持する上に必要欠くべからざるものであると言えるわけである。花だけでなく、葉が有する緑も快く私たちの目に映るのは私たちの辿って来た生命の根源に植物が存在し、意識、無意識を問わず、この存在に触れることになるからではないか。これは地球誕生から植物の起源、動物の起源を経て私たち人間にも及んでいる地球生命を含む宇宙的メカニズムより成り立っていることが言えるように思われる。

  葉をよく観察してみると、大方の葉は広げた枝に満遍なくつき、太陽光を十分に受けるべく掌を広げたように平たくついている。広葉樹は殊にこの傾向が強く、光合成の働きを担っているのがよくわかる。太陽光の弱い北国に多い針葉樹は太陽光の当たり具合に関わらず光合成が出来るような並びの仕組みになっている。太陽光を吸収するのに、一見広葉樹の方が針葉樹よりも有効に思えるが、針葉樹の全体を見ると、針葉の侮れないところが見て取れる。果たして、植物の葉の働きがそこにも見えると言える。

 この間、よく晴れた日に大台ヶ原の樹林下を歩き、普段は花にばかり目がゆくのであるが、この日は花が少なかった所為にもより葉の美しさを見上げながら以上のようなことを思い巡らせた次第である。 写真の上段は左から、太陽光に透けて見えるヤシャブシ、オオイタヤメイゲツ、ブナの葉群。下段は左からツタウルシ、ウラジロモミ、ミズナラの葉群。

 


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