<3344> 余聞 余話 「東日本大震災十年目に際して」
十年の歳月なれど今もなほ果たせぬ帰還遅々たる復興
東日本大震災の巨大津波に襲われ、甚大な被害を被った東北の太平洋沿岸地帯。最高地点で40メートルに達する潮位の津波が一瞬にして町を飲み込み、家も車も街並みも全てを玩具でも壊すかのようにぐちゃぐちゃにして破壊した。この凄まじい光景をリアルタイムで報じたテレビ映像に見入ったことを今でもはっきり覚えている。
あれから十年、歳月はそれなりに復興の姿を見せているが、未だに手が付けられないところがある。福島第一原発の被災による高濃度放射能汚染に侵された帰還困難区域に指定された一帯で、立入禁止の指示がなされ、強制閉鎖された市町村(大熊町、双葉町、浪江町の大半、富岡町、南相馬市、葛尾村、飯館村の一部)である。故郷を追われた人たちは如何に過ごしているのだろうか。
汚染源の福島第一原発自身、事故処理に悪戦苦闘の体で、処理は予定通りに進んでいない。溜まりに溜まった汚染水も限界に近く、何とかしなければならないが、その方策は見通せないでいる。十年一昔と言われるまさに十年であるが、解決にはほど遠く、住民の帰還はいつになるのか。時は過ぎてゆくばかり。この福島第一原発の事後処理がきっちりとなされず、そのままの状況では何とも覚束なく、復興の掛け声も虚しく響く。
この間、NHKの歌番組で、岩手県陸前高田出身の千昌夫が、春に向かう今の時期にピッタリの持ち歌『北国の春』を熱唱し、東北へエールのメッセージを送ったが、歌詞に見えるリフレインの「あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな」に、帰るところを奪われてしまった帰還困難区域の人たちが思われたことではあった。
「帰ろかな」の思案は、自由に帰ることの出来る人の幸せな悩みである。その自由が奪われてしまい帰ることの出来ない絶望。その絶望の辛さは如何にして埋め得るのか。答えがないまま十年が過ぎた。そして、今もそれが見通せないでいる。見通せない限り、希望ははかなく、東日本大震災の殊に半分は人災と思われる福島第一原発の放射能をまき散らした事故は解決したとは言えない。
遅々として進まない事後処理の事態はいつまで続くのか。思うに復興にも格差が見え隠れする。帰還困難区域の人たちに『北国の春』が違和なく聞けるようになるのはいつのことか。震災の日に際して思われることではある。 写真は『北国の春』の歌詞。
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