<1002> 病院の日に思う
旺盛に 夏草繁る 身の丈に
大和は今日も真夏日。昨日よりも湿度が高かったか、蒸し暑い一日だった。今日は三ヶ月に一度の病院の日。平成二十年(二〇〇八年)二月に心筋梗塞のため冠動脈のバイパス手術を受けた。以後、定期的に検査を受けている。術後一年半ほどは毎月通ったが、現在は三ヶ月に一度になって、主に尿と血液の検査をしてもらっている。薬を服用していることにもよるが、検査の結果はまずまずといったところ、落ち着いている。
生命が肉体と精神の総体であることは以前にも触れたが、そのことを今日は今一度考えてみた。「精神は肉体に宿る」と言ったのは誰だったか。肉体を主体的に考えれば、肉体が精神を支えているということになる。だが、「病は気から」という言葉もある。精神は脳にあり、精神を患う者は脳を患うことで、このことをして言えば、病は肉体のものと言え、気は精神のことであるから、「病は気から」は、精神が肉体に及ぶことを言っていると知れる。
つまり、私が医師に告げられている私の疾患は精神の支えになっている肉体のものであるが、検査の数値が前回よりも改善してよくなっていると医師に言われたことは、肉体の改善を認識するところとなったわけで、結果、自分の中に安心を生み、気分のよさを広げることになったのである。言わば、この安心は肉体の安心より来たって、精神にも及んだということが出来るわけである。
病院に出かける前は、昨日と同じような暑さの中、湿度も高く、道端の草叢も旺盛に繁り、そういうのを目にしていると、気分は勝れなかった。だが、検査の結果が改善を示していると聞かされ、途端に気分が一新されたという次第である。言わば、このように、生命というのは肉体と精神の総体で、助け合い、慰め合い、忍び合い、喜び合いであって、そのような持ちつ持たれつの間柄にあることが思われて来る。 写真は私の血液検査の結果と生い茂る夏草。 時を経てありけるところのこの一躯 うむ生きざまの愛しくはある
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