大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年02月03日 | 写詩・写歌・写俳

<1862> 余聞・余話 「節分に寄せて」

         節分や果して鬼の登場す

 二月三日の今日は節分。各地で「鬼は外福は内」の豆まきや鬼やらいの追儺式が行なわれ、大和地方でもそこここで見られた。東大寺二月堂の節分星祭の豆まきと法隆寺西円堂の追儺式の火祭りを見に出かけた。二月堂では午後二時から豆まきが行なわれ、儀式に則って初めに二月堂の舞台で行なわれ、その後、場所を四月堂前の仮設の舞台に移し、本番の豆まきに当たった。近年参加者が増え、危険なため一昨年から仮設の舞台に移ったという。今日も約三千人が集まり、広場はいっぱいになった(写真上段)。

                               

 一方、法隆寺西円堂の追儺式の鬼追いは午後八時から行なわれ、松明を掲げて暴れる親子の赤、青、黒の三匹の鬼を毘沙門天が追い払った(写真下段)。今年はトランプという鬼(?)が大暴れの体で、世界を混乱に巻き込んでいるが、鬼追いのある節分を知ってか知らでか、トランプ鬼はこの節分の日に国防長官を特使として日本に送り込んで来た。どうなることやら、日本の年神さまを侮ってもらっては困る。鬼は果してどう出るか。立春が明るい気分になればよいのだが。

                  

                             *                                    *                                        *

 なお、立春は一年を二十四等分した二十四節気の初めの日で、元日に当たり、この日から五月五日の立夏の前日までが春季、立夏の日から八月七日の立秋の前日までが夏季、立秋の日から十一月七日の立冬の前日までが秋季、立冬から翌年の二月四日の前日までが冬季ということで旧暦(太陰太陽暦)の暦は運用されていた。この旧暦が今に残って行事などに用いられ、私たち日本人の精神や文化にも影響しているわけである。一年は三百六十五日であるから春夏秋冬の四季の四ではきっちり割り切れないので調節が必要で、このため、多少のずれが生じて来ることになるが、旧暦による暦の上の春夏秋冬は凡そこのようになっている次第である。

  また、旧暦では立春が一月一日で、所謂、一年の始まりの日になっているので、新暦(太陽暦)の現在の暦からすれば約一ヶ月遅れで一年のスタートの日があったことになる。立春の前日は節分で、旧暦にあっては立春が元旦に等しく、節分は大晦日ということになる。つまり、旧暦では一年の初めと春の初めが同時進行の気分によって迎えられた。もちろん、この時期はまだ寒さの中にあって、「名のみの春」とも言われるが、風などはまだ冷たいものの、陽光は春の明るさを宿しているのが感じられたりする。

  言わば、大晦日と元日がセットになっているのと同じく、節分と立春はセットになっていて、このセットはイコールであるため、年が改まる節分から立春においては年の神が入れ替わることになり、節分においては古い年の神はすでに去り、新しい年の神はまだ来ていない空白が生じる。という次第で、この年の神がいない隙を狙って災いをもたらす鬼が現われて悪さをすることになる。

  そこで節分にはこの鬼を追い払うため、いろいろな風習が見られるわけで、その代表的な行事が豆まきであり、鬼やらいの追儺式で、主に社寺で行なわれ、そこではよく鬼の登場を見る。一般の家でも玄関口に鋭い棘のあるヒイラギの枝に臭い鰯の頭を刺して鬼避けにし、「鬼は外 福は内」と呼び合って、豆まきをし鬼の退散を願う。そして、新年の春を迎えるわけである。また、節分には恵方巻きという巻寿司を食べる風習が関西を主に見られる。これは年神(歳神)が回座する方角に向かってこの恵方巻きを食べると縁起がよいとされることによって、この日はこぞってこの恵方(今年北北西)に向かって恵方巻きにかぶりつくということをする。という次第で、節分には恵方巻きが大いに売れる。

 

 


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