大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年08月20日 | 写詩・写歌・写俳

<2424> 余聞、余話 「 夢 」

      夢を見る夢とは如何にあるものか現の意識がそこには絡む

 夢には大別するところ二つある。一つは睡眠時に見る夢。今一つはあこがれとして将来に向かって見る夢。ともに現実ではなく、夢は幻の存在である。だが、夢は現実と関わっている自分によっているものであるからは現実との関りなくしてはあり得ないとも思われる。言わば、夢というのはそんなに荒唐無稽なものではない。ここで取り上げる夢は前者の夢であるが、以上の観点を踏まえ、夢と現実との関りについて見てみたいと思う。

  このところ朝晩が涼しく、クーラーなしでも寝られるようになった。ということでもなかろうが、夜明け前、久しぶりに夢を見た。妙な夢で、何故、そんな夢を見たのか、とんと見当がつかない。随分昔のことで、私が四十歳代、仕事に関する夢ではなく、日常生活の一コマと言っていい夢だった。

                                   

 詳細については忘れてしまって記憶にないが、家族四人、何故か妻の母も同道して外出し、食事をした。そこがどこだか、はっきりしないが、かなり広いスペースの大衆食堂を思わせるレストランで、入口の反対側に広い庭があって、そこでも食事が出来るようにパラソルと円形のテーブルが置かれ、それが庭の半分ほどに点在して見えた。

 市街でもないのに、人出が多く、入口の辺りには人だかりが出来ていた。私たちはその人だかりを分けてレストランに入った。昼食時とあってレストランも満員の盛況で、庭のテーブル席も埋まっていた。だが、これが夢である。私たちが店内に入って間もなく席を立つ客があって、案内もなく空いたその席に座ることが出来た。だが、席は三人分しかなく、私一人座れず、席の空くのを待つという仕儀になった。

 何故、このような昔の夢を見たのか、場所も前後の経緯もわからず、理屈にも合わない夢であるが、見た。三人には大きいエビフライつきのランチが運ばれて来て、美味しく食べ始めた。妻が私を気にして「店の人に言って椅子を借りたら」と言ったが、引っ込み思案の私はひたすら席の空くのを待った。それからどうなったかというと、結局、食事をすることなく目が覚めて夢は中断した。

 日ごろそんなことはないのであるが、この妙な夢を見た今朝はやけに腹が減っているように思え、夢か現かという言葉を思い出した。幻想の夢に実際の食欲が触発されたか、それとも、腹が減っていたのでこのような夢を見たのか、夢と現実はどこかで繋がっているという感じになった。言わば、幻の夢も現実の生があって見ることが出来るということになるのだろうと、そのように思えたのであった。このような夢を見るのも朝晩が涼しくなり、身体的に食欲の増す状況になったからかも知れない。 写真はイメージで、外食。

 


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