<3375> 野鳥百態(10) 揚げヒバリ
揚げ雲雀平城京の宮の跡
揚げ雲雀大天空を欲しいまま
揚げ雲雀囀るは聞くもののため
あがるなり競ふべくして揚げ雲雀
ひばりひばりむかしもいまもひばりなり
野鳥もいろいろだが、空高く上がって空中に留まり、長く囀るヒバリは、この点おいて特異な存在と言えよう。なぜ、空高く上がり懸命に囀るのだろう。奈良の平城宮跡に出かけてみた。
平城宮跡は宮の復元を目指し、次々に建物が建ち始めているが、まだ、広々とした草地や葦原が残され、草原が住処のヒバリが多く、春のこの時期は揚げヒバリが見られる。出かけた日は好天で、気持のいいほど晴渡り、風は少し強かったが、揚げヒバリがよく見られた。写真を撮りながら観察したところ気づくことがあった。
ヒバリは時を置いて次々に上がり囀るのであるが、同じヒバリが上がることはなく、また、一斉に上がって囀ることもなかった。それはNHKののど自慢を思わせるごとく、一羽一羽が次々に上がって囀る。
そして、上がり方は、一様でなく、見失うほど高く上がって囀るものがあるかと思えば、低い位置で囀るもの、また、飛び回りながら囀るものなどさまざまである。個性と言えば、個性であるが、聞くものがいるから空に上がって囀るのだろう。囀るのは他の野鳥にも言えるが、オスである。
これは間違いなかろう。言わば、囀りは聞くものへのアピールに違いない。ほかのオスに対するテリトリーの主張とも言えるが、一番の目的はメスへの求愛。次々に上って囀るヒバリを見上げていると、順番にアピールしている感がある。地上にいるメスは空に上がって囀るオスを観察しているのに違いない。
高く上がった方がよいのか、囀る声が大きい方がよいのか、わからない。囀る声に違いがあるようにも思えるが、その違いを聞き分けるのは難しく、人間の言葉で言い表すことはまず出来ない。とにかく、揚げヒバリのほかの鳥に見られない春のこの時期の囀りは特異である。
なお、ヒバリは、晴れの日のイメージにより日晴(ひはれ)から来ている名だと言われ、万葉の昔からヒバリである。大伴家持に「うらうらに照れる春日にひばりあがりこころ悲しもひとりし思へば」(『万葉集』巻19-4292)という揚げヒバリを詠んだ名高い歌があるが、春になると、万葉人も揚げヒバリの囀る声を聞いて心を動かされた。写真は空高く上がって囀るヒバリのオスたち。