大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年07月14日 | 万葉の花

<2388> 万葉の花 (137) ごとう (梧桐)= アオギリ (青桐)

        青桐の広葉に風の五月かな

  巻五の雑歌に太宰帥大伴旅人が、対馬結石(つしまゆひし)産の梧桐で作った日本琴(やまとこと)を都の藤原房前に贈った際の書状に認めた二首とその琴を受け取った房前が返した一首が見える。三首とも歌に梧桐の文字は見えないが、序文である書状の内容によって明らかに梧桐の日本琴を詠んだものとわかるので、この一連三首は梧桐に関わる歌として取り上げた。つまり、集中、梧桐に関わる歌は三首ということになる。

  では、旅人の書状から見て見たいと思う。まず、この話は、日本琴の化身琴娘子(ことをとめ)が旅人の夢に現れ、一首を添えて自分の行く末を旅人に哀訴した。夢の中でこの話に心を動かされた旅人がこれに答える一首を詠んで書状に認め、日本琴に添えて房前に送った。その書状は次のようにある。書状冒頭の大伴淡等は大伴旅人のことで、中国風の表記を用いたもの。少し長いが、その全文をあげてみたいと思う。

    大伴淡等(たびと)謹状 

  梧桐の日本琴一面 対馬の結石の山の孫枝(ひこえ)なり         

  この琴、夢に娘子に化(な)りて曰はく、余(われ)根を遥島の崇き巒(みね)に託(つ)け、幹(から)を九陽の休(よ)き光に晞(ほ)す。長く煙霞を帯びて、山川の阿(くま)に逍遥し、遠く風波を望みて、雁木(がんぼく)の間に出入す。唯恐る、百年の後に、空しく溝壑(こうがく)に朽ちなむことのみを。たまさかに良匠に遭ひ、削りて小琴と為る。質あらく、音少なきことを顧みず、つねに君子の左琴を希ふといへり。すなはち歌ひて曰はく

    いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上(へ)我が枕かむ                            巻五(810)  琴 娘 子

   僕(われ・旅人)詩詠に報(こた)へて曰はく

    言問はぬ樹にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし                            巻五(811)  大伴旅人

   琴娘子、答へて曰はく

 敬(つつし)みて徳音を奉(うけたま)はりぬ。幸甚幸甚といへり。片時にして覚(おどろ)き、すなはち夢の言に感じ、概然として止黙(もだ)あることを得ず。故に公使に附けて、聊(いささ)かに進御(たてまつ)る。

   天平元年十月七日 使に附けて進上(たてまつ)る

   謹通 中衛高明閣下 謹空

 「謹空」は謹んで余白を残すという意で、書状の最後に記す言葉である。以上、旅人が梧桐の日本琴に添えて送った書状の内容である。つまり、旅人の夢に現れた梧桐で作られた日本琴の化身琴娘子は「自分は遥かな島の高い山に根をおろし、幹を大空の陽の光にさらしていました。久しく霞を帯びて、山川の間に遊び、遠く風波を望んで、物の役に立てるかどうかわからない心持ちでいました。唯一案じていましたのは、寿命を終えて空しく谷底に朽ち果てることでありましたが、図らずもよい匠に出会い、削られて小さい琴になりました。音色も悪く、音量も乏しいことを顧みず、君子の傍の愛琴となりたいと、いつも願っています」とその身の上を語り、810番の歌を詠んで旅人に訴えた。

  その歌の意は、「どのような日のどういう時になったら私の声(音色)を聞き分けてくださる人の膝の上を枕にすることが出来るのでしょうか」というもので、これに答えて旅人は「僕(われ)詩詠に報(こた)へて曰はく」と、811番の歌を詠んで書状に認め、化身の琴娘子の日本琴と房前の間を取り持った。

 その歌の意は「ものを言わない木ではあっても、立派なお方がいつも膝に置く琴にきっとなることができると思う」というもので、歌をもって琴娘子を励ました。これを聞いた琴娘子は大いに喜んだという次第である。ここで旅人は夢から覚め、そのままじっとしていることが出来ず、公用に託して夢に現れた琴娘子の梧桐の日本琴を房前に贈ったという次第である。書状の内容は以上であるが、これは『文選』の「琴賦」や遊仙窟を参考にした旅人のフィクションによると言われる。

 日本琴とともにこの書状を受け取った都の房前は、次のような歌を認めて大宰府の旅人に返礼したのであった。

  言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴(みこと)土に置かめやも              巻五(812)  藤原房前

 歌の意は「物を言わない木であっても、あなた(旅人)のお気に入りの琴を私の膝から離し、土の上に置くようなことは致しません」というもの。即ち、以上の三首に梧桐が登場しているので、梧桐を万葉植物に加え、ここにあげた次第である。

            

 梧桐は漢名で、梧桐の「梧」は青い意。即ち、梧桐は現在言われる和名アオギリ(青桐)のことで、アオギリは中国南部原産のアオギリ科(後にアオイ科に変更)の落葉高木として知られる。日本には古くに渡来し、本州の伊豆半島から紀伊半島、四国、九州、沖縄等に野生化していると言われ、現在は公園樹や街路樹としても見られる。高さは十五㍍以上に及び、若い木の樹皮はその名の通り灰緑色で、葉は大きく、掌状に三、五裂し、互生する。

 花期は五月から六月ごろで、枝先に大きい円錐花序を出し、帯黄色の小花を多数つける。雌雄同株で、一つの花序に雄花と雌花が混在する。雌雄とも花弁はなく、花弁状の萼片が五個見える。実は袋果で、熟す前に裂開する特徴を有する。

 材は黄褐色で軟らかく、家具、楽器、下駄などに用いられるが、耐久性は低いとされる。「梧桐の日本琴」はゴマノハグサ科の一般によく知られる桐製で、梧桐もキリ(桐)の意に用いるのが習いと言われるから、この話を聞くに、実際は桐の琴であったが、話を中国風にアレンジするため、敢えて梧桐の表記を用いたのかも知れないと思えたり、梧桐の琴は珍しく、そのため贈り物にしたのかも知れないとも思えたりするところがある。

 写真は左二枚がアオギリの花と実。右二枚はキリの花と実。梧桐のアオギリ(青桐)と普通のキリ(桐)はその質において似るところはあるものの全く別種の樹木で、混同されて来たところがうかがえる。 なお、中国の伝説上の霊鳥鳳凰がとまると言われる木はこのアオギリの梧桐である。