大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月11日 | 写詩・写歌・写俳

<2235> 余聞、余話 「御田植え祭り」

     如月や大和に多き御田祭(おんださい)

 稲作を主にした農耕民族の歴史を有する日本では五穀豊穣を願って行なわれる御田植え祭りや御田祭りが各地で行なわれ、今も続いているところがある。この祭りは稔りに感謝する収穫祭の秋祭りとは異なり、豊作を予祝して行なわれる祈願祭の趣が見て取れる。

 この祭りは西日本に多く見られるが、大和地方に極めて多く、その特徴は、神前において田仕事の所作をもって祈願するというもので、この予祝の所作に神が応えてくれるということにある。この御田植え祭りは田植えの時期に行なわれるケースは少なく、それより前の寒い時期、殊に二月に多く、この時期が農閑期に当たるからだと思われる。

         

  大和地方では三十箇所を越える神社でこの豊作を祈願する予祝の祭りは行なわれているが、二月の中でも、殊に建国記念日の十一日に集中し、十箇所近くの神社で行なわれている。今日がその日であるが、昔の紀元節に当たり、国家発祥時、農耕が立国の柱であったことによってこの日に祭りが選ばれたと思われる。つまり、御田植え祭りが今日のこの日に多く集中的に行なわれているのは、この祭りが始まった当時、稲作に対するこの認識が国民の間に広く共有されていたからということになる。

  大和地方の御田植え祭りについては、ここ数年の間、相当数見て来たが、その特徴は、神事も所作事も古式に則り、その古式が引き継がれて今にあり、その昔を偲ばせるところが見られる点にある。その特徴の一つは所作の中に多く牛の登場が見て取れるということである。私が子供のころ、昭和三十年代ころまでは田仕事の労役に牛が使われ、牛が田に入って田ごしらえをする光景が見られた。牛からトラクターに変わって久しく、今に至っているが、この祭りは牛を農耕に用いていたころに遡ることがわかる。

  稲作における田仕事の労働は厳しいものがあり、気象に大きく左右されていたことを合せ、豊作を願い祈る人々の姿がそこには見て取れる。所作の牛がよく暴れる年は豊作になるとされるが、それは牛が元気に働くことが稲の育ちに影響するからで、牛の所作役には元気よく暴れることが求められたりする。

            

  また、祭りでは砂をかけあう光景が見られ、廣瀬神社の御田植え祭りである砂かけ祭りがよい例であるが、砂を雨に見立てたもので、砂が多く降り注ぐ年は豊作になるとされ、参加者は競って砂をかけ合うという次第である。これは水稲栽培である稲作にとって日照りによる旱魃が一番の悩みにあったことを物語る。

  こうした牛や砂の例は予祝の意味をもってあると言えるが、傘で雨を表現する祭りもある。この所作の今一つの特徴は、その田仕事の辛い仕事に笑いをともなうユーモアをもって当たるということがこの祭りには見られ、殊に口上をもって行なわれる祭りにその傾向が見て取れる。また、この祭りには子孫繁栄を表現する妊婦の登場する所作も見られ、祭りのクライマックスに子供が生まれるという御田植え祭りも見られる。

  これらもみな豊作を願う予祝に通じる。そして、五穀豊穣が子孫繁栄につながり、強いては国家安泰を叶えることが出来るということになるという意味を含んでいることがわかる。で、二月十一日が御田植え祭りの日に選ばれたと考えられるわけである。

  で、十一日の今日、大和では各地でこの御田植え祭りが行なわれた。という次第で、大和郡山市小泉町の小泉神社の御田植え祭と磯城郡田原本町の村屋神社の御田祭に出かけてみた。 写真上段は小泉神社の御田植え祭の模様。左は田を均す牛に雨に見立てた砂を浴びせる人たち。右は早乙女役の少女による田植えの所作。写真下段は村屋神社の御田祭の模様。左は元気よく暴れる牛役。中は鈴と松苗を手に舞いを披露する巫女役の少女。右は神官による田植えの所作。