大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年10月19日 | 写詩・写歌・写俳

<413> 「帰る」 ということについて (1)

        帰るとは 踝を返しゆくにあり あるはこころの 道を辿りて

 本棚の抽斗を整理していたら中学卒業時のサイン帖が出て来た。平成九年に母が亡くなったとき、実家から私に関するアルバムや卒業証書などとともに持ち帰っていた一品である。このサイン帖は卒業の門出に先生や学友に書いてもらった言葉が見られるものであるが、その中に「かえろう」という言葉があって、妙に記憶している。で、そのとき「かえろう」という言葉に思いが巡り、「帰る」ということについて一文を認めたのであった。その一文をまたサイン帖を目にして思い出した。

 で、再び「帰る」ということについて考えるところとなり、このブログのテーマにした次第である。ブログ一回では長すぎるので、三回ほどに分けて、この「帰る」ということに触れてみたいと思うが、まずは、母が亡くなった時に認めた一文を紹介し、その上で、今思うところの「帰る」ということについて述べてみたいと思う。以下、ゴシックの色違いのところが以前に記した文面である。

                                                  

 父が亡くなって十年。母は田舎を離れたくないという強い意志によって、思うように外出出来なくなってからも、独り田舎の家を守って来た。その母が亡くなって、仏壇の抽斗を整理していたら、アルバムや卒業証書に混じって、中学卒業時に先生や級友が門出の励ましに書いてくれたサイン帖が出て来た。サイン帖には一つの記憶があって、ときには思い出すこともあった。

 その記憶というのは、Y先生に書いてもらったページにある。校舎に日の丸の旗が掲げられ、みんなが「かえろー かえろー 元気で ○○さん」と呼んでいるペン書きの絵で、その絵の中の「かえろー かえろー」という言葉に感じられるものがあって、記憶されたのである。

  気負ひつつ書かれし「希望」といふ文字を黄昏色に染めし日月

 何十年ぶりか、少し茶色に変色し、染みなども出来たサイン帖をめくってみると、ほかの先生や級友たちの言葉とともに、記憶に違わずY先生のページはあった。なぜ、先生のページを記憶しているかというと、寄せ書きのほとんどが、「祝卒業」に始まって、「努力」、「前進」、「希望」などと将来に思いを馳せた紋切り形の言葉で綴られている中でY先生の言葉だけが何か違って見え、考えさせられたからである。これから門出をしようとする子になぜ「かえろー」なのか、当時はよく理解出来ず、妙に思えた。しかし、ペン書きの絵とともに、何か「かえろー かえろー」が肩を張らない気持ちのよさをもって心の中に入って来たのであった。

 それから、遥かな年月を経て、また、その「かえろー」に出会ったわけであるが、確かに、言葉の違いは明瞭で、Y先生のさりげない言葉に込められた気持ちがわかる気がして来た。ほかの人の言葉が、サイン帖に書き込みをする時点、つまり、卒業時の視点で書かれているのに対し、Y先生の言葉は寄せ書きを時が経って見るものであるという視点で書かれている。で、「かえろー かえろー 元気で ○○さん」という言葉を何度か繰り返しているうち、「かえろー」という言葉には含蓄があると思えて来た。「帰る」とは、今ここに来ていることの証であり、無事を意味する言葉でもある。無事であるゆえに「かえろー」という言葉は発することが出来、意味あるものとなる。Y先生の言葉は、長い人生を送るに当たって「みんな無事で、いつかまた元気に帰っておいで」と暗には言っていると知れる。    (以下は次回に続く)