大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年10月12日 | 万葉の花

<406> 万葉の花 (45) あ し (葦、蘆、葭、安之、安志、阿之)=ア シ (葦、蘆、葭)

       あしと言ひ よしと言ひ また 葦(ゐ)、蘆(ろ)、葭(か)とも

  若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る                          巻 六  (919) 山 部 赤 人

   葦原の 瑞穂の國は 神ながら 言擧せぬ國 然れども 言擧ぞ吾がする 言幸(さき)く 眞幸くませと 恙(つつみ)なく  幸く坐さば 荒磯波 ありても見む と 百重浪 千重浪しきに 言擧す吾 言擧す吾                                                                                                                                                                巻十三 (3253) 柿本人麻呂歌集

  葦垣の外にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢に見えけれ                     巻十七  (3977)  大伴家持

 『万葉集』にあしの登場する歌は長短歌合わせて五十二首に及ぶ。『古事記』には「上つ巻」の天地の初めの条に「國稚く浮きし脂の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦芽(あしかび)の如く萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)」とあしの登場を見るが、この「葦芽」のあしは抽水植物のアシで、アシは我が国の文献上最初に見える植物ということになる。

 『万葉集』にも「葦原の瑞穂の國」という表現を用いている長歌が幾つかあるが、『古事記』や『日本書紀』にも「豊葦原の中國」などの表現が見られ、アシは豊かな国の象徴として用いられているのがわかる。アシは水辺に群生するイネ科の多年草で、日本列島の浜辺や川沿いに隈なく群落をつくって生え、人々の生活に密接に関わっていたことを示し、当時の人々が葦原の風景に親しみをもって接していたことを物語るもので、国学者の本居宣長などもこのアシの植生状況に触れている。

 アシは『万葉集』の原文で見ると、葦が最も多く用いられ二十六首。次いで安之の十四首、蘆の八首、阿之の二首、葭、安志の各一首である。また、用いられている意味においては、葦辺が十四首で最も多く、葦原、葦垣、葦鶴、葦鴨、葦の根、葦火、葦荷、葦末葉、葦刈る、葦別け、葦芽、湖葦、葦散るなどが見え、賀歌をはじめ、叙景、相聞、生活歌などに登場し、これほどいろんな角度から捉えられて詠まれている植物はほかになく、アシが当時どれほど身近にあって暮らしに役立てられ、親しまれていたかということがわかる。

 オギの項でも触れたが、アシは成長によって若芽のころを葭(か)、成長半ばのものを蘆(ろ)、成長し切ったものを葦(い)と呼ぶ。これは中国明時代の本草書、李時珍の『本草綱目』に見えるが、『万葉集』ではその区別ははっきりとは見られない。また、アシは「悪し」に通じ、縁起がよくないということで、時代が下るとともに「善し」のヨシと呼ばれることが多くなった。葦簾(よしず)がその例であるが、正式和名はアシである。

 冒頭にあげた三首を見ると、919番の歌は聖武天皇の紀の国への行幸に際して詠んだ赤人の長歌の反歌二首中の一首で、「和歌の浦に潮が満ち来ると、干潟がなくなり、葦の生える辺りを指して鶴が鳴きながら飛んで行く」と行幸地の風光の素晴らしさを詠んでいると知れる。

 3253番の人麻呂歌集に見える長歌は「葦原の瑞穂の国は神の国の特徴として言葉に出して言いたてることをしない国であるけれど、私は敢えて言葉を尽くして言い立てましょう。お幸せにご無事にと。これからも障りなくいられるのであれば、またお目にかかりたいものと。私は重ねて言挙げしたいと思います」というほどの意に解せる。

 3977番の家持の歌は「葦で作った垣根の外にあなたが寄り立って私を恋い慕われたからこそあなたは私の夢に現われたのだろう」という意になる。赤人の歌には風光に寄与しているアシが見え、人麻呂歌集の長歌の葦原には豊かさの意味が込められ、家持の歌にはアシを垣根にした実用のアシが見える。歌は相聞歌であるが、この歌のアシには暮らしの姿が見て取れる。

 島国で海に囲まれた水辺の多い我が国においてアシは豊かさの指標のようなものであったのだろう。時代がずっと下り、近代になって第二次産業に力が入れられるようになると、豊かさの価値は変質し、葦の繁る海辺は埋め立てが進み、港やコンビナートが出来、海岸線はコンクリートで固められ、豊かさの象徴であったアシは姿を消して行く羽目に陥って行った。今では葦原が残されているところはまれであると言ってよい。海に面しない大和でも川や池などにアシは見られるが、河川改修や池の埋め立てなどで、その群落は少なくなりつつある。

                                           

 写真左はアシ。平城宮跡で撮影したもので、十年ほど前はツバメが南に帰る集結場所になり、秋の夕方にはアシの群落にその姿が見られたが、この一帯も埋め立てが進み、アシもすっかり少なくなった。写真中はセイタカヨシ(セイコノヨシ)。大和川の中流域で撮影したもので、砂地の川原に多く、アシより一段と高く、三、四メートルほどになるのでこの名がある。中国にも見られるが、帰化植物ではない。概して葉が垂れずしっかりしているのが特徴である。写真右はツルヨシ。川の上流域の水際でよく見かける。アシより草丈が低く、葉が小さいので判別出来る。