大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年10月05日 | 万葉の花

<399> 万葉の花 (42) はぎ (波疑、波義、芽子、芽)=ハギ (萩)

        万葉の 故地を彩る 萩の花

    高円の野辺の秋はぎ徒らに咲きか散るらむ見る人なしに                    巻 二 (231)  笠金村 歌集

   明日香河行きみる丘の秋萩はけふ零る雨に散りか過ぎなむ                 巻 八 (1557) 丹比眞人国人

 『万葉集』にハギの登場する歌は百四十一首。詞書にハギと断りのある巻八の1548番の大伴坂上郎女の歌、「咲く花もをそろは飽きぬおくてなる長き心になほしかずけり」がハギを詠んだ歌に違いないから、この一首を加えると百四十二首ということになる。どちらにしても、たへ・たく・ゆふのコウゾの百三十九首やウメの百十九首よりも多く、植物の中で集中最多の登場を誇る。

 『万葉集』のハギは波疑、波義、芽子、芽の表記がなされ、芽子が圧倒的に多い。波疑と波義は万葉仮名で、漢字の音を借りた当て字である。で、『万葉集』に萩の字は見えない。萩の字が最初に現われるのは『倭名類聚鈔』で『万葉集』よりも百数十年後のことで、萩を「一名波疑」と言っている。ハギの語源については生え芽(き)という意で、古い株から芽を出すことに由来するという。所謂、刈り込んでも翌年にはその株からよく芽を出し、枝を繁らせ、花を咲かせるからである。

 つまり、『万葉集』の芽子、芽はこの生え芽を意味するものと言われ、ともに「はぎ」と読む。また、ハギは脛(はぎ)のように枝がすらりと細長く伸びるからとか葉が子供の歯のようにかわいらしいからという説などもある。昔の人は人体と植物とを同一視して見ていたきらいがあるので、この説にもうなずけるところがある。例えば、身=実、花=鼻、目=芽、歯=葉といった具合である。

                                                

 また、ハギに当てられる萩という字は日本でつくられた字で、秋に花をつける草という意味であることは萩の字体を見ればわかる。で、中国でいう萩は別の植物であるという。これは椿と同じ例である。ハギはマメ科ハギ属ヤマハギ亜属の総称で、単にハギという種名は存在しない。これはツツジと同じである。写真は左からヤマハギ、ヤマハギの黄葉、マルバハギ、キハギ、ヌスビトハギ属のアレチヌスビトハギ。アレチヌスビトハギは最近よく見られ、遠くから見るとヤマハギに似るが、北米原産の帰化植物である。

 ハギの仲間は世界に十三種ほどあり、我が国にはこのうち十種が見られるようであるが、大和でよく野生として見られるのは落葉低木のヤマハギ、マルバハギ、キハギ、ツクシハギなどで、ヤマハギとマルバハギは近隣でもよく見ることが出来、『万葉集』に登場するハギは、歌から類推するに、花の咲き散る風情などからヤマハギがもっともふさわしいと言えそうである。因みに社寺などの庭に見られる枝の枝垂れるハギはミヤギノハギの園芸品種とみてよいのではないかと思われる。大和に自生する話は聞かない。

 ヤマハギは我が国に極めて多く、中国から朝鮮半島、ウスリー一帯にも分布する。大和では各地に見られ、花は紅紫色の蝶形花で、秋の訪れを告げて咲く。『万葉集』には、ハギを詠んだ歌の中に地名を詠み込んだ歌がかなりあり、大和に関係するところでは、高円(奈良市)を筆頭に、春日野、佐紀野、宇陀の野(宇陀市)、阿太の大野(五條市東部)、秋津野(吉野宮滝付近)、明日香川、佐保、三諸(三輪山付近)、百済野(北葛城郡広陵町)などのハギが見える。これを地図上に見れば、大和のほぼ全域が対象として詠まれているのがわかる。

 では、なぜ、『万葉集』にはこれほどハギが詠まれているのかということになるが、地名の登場でわかるように、ハギがどこにも生え、誰もが接触し知るところの親しみのある花だったからで、これが第一にあげられる。これに加え、かわいらしい花とともに秋の訪れをいち早く私たちに感じさせる花であることが加えて言える。山上憶良の巻八1538番の秋の七草の歌で七草の一番にあげられていることがこれをよく示している。

 そして、散る花にも風情を感じたからと言えようか。咲き散る花を詠んだ歌も多い。また、落葉低木で、その名の語源にもなっているように刈り込んでも株元から芽を出し、容易に管理出来るので、庭木として愛好されたことにもよると思われる。とにかく、万葉人には人気抜群の低木だった。

 ところで、ハギは『古今和歌集』(平安時代)に十五首。『新古今和歌集』(鎌倉時代)に至ってはわずか六首に見られる少なさである。もちろん、全体の歌数が少ないので、割合からすれば、この数字もわからなくはないが、『新古今和歌集』の少なさには時代を反映したものか、微妙な文化における変遷が思われる。文化の中心である都が大和(奈良)から山代(京都)に遷ったことに影響を受けているかも知れない。

 というのは、前述の万葉歌におけるハギの歌に見える地名でもわかるように、大和がハギの多い土地柄だったと言えるからである。万葉歌の中に、ハギとシカの組み合わせが結構多いのも、大和という土地柄を示していることが言える。では、冒頭にあげた地名を詠み込んだハギの歌を見てみよう。

 231番の金村の歌は、天智天皇の皇子志貴親王が亡くなったとき、その死を悼んで詠んだ長歌の反歌で「美しく咲いた萩も皇子が亡くなられ、甲斐なくいたずらに咲き散っていることであろう」というほどの意である。ただ、この歌の中の「見る人」について、どのように解釈するかが問われるところである。私は皇子自身を指すように思われるが、皇子の薨去を悲しむ人々を指すとする解釈も出来る。果たしてどちらの意に解するのがよいのだろうか。

 1557番の国人の歌は「故郷の豊浦寺の尼の私房に宴する歌三首」の詞書をもってある中の一首で、「明日香川の流れが廻っている丘の萩は今日の雨で散ってしまうのだろうか」というほどの意であり、宴のあったのが雨模様のしみじみとした日であったことを彷彿させる歌であるのがわかる。因みに豊浦寺は地名の豊浦から来ている名で、豊浦は甘樫の丘の麓にあり、すぐ近くを明日香川が流れている。