山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第11日)その1

2008-11-24 04:08:55 | くるま旅くらしの話

第11日 <11月23日()

道の駅:多々羅しまなみ公園→島内ウロウロ→マーレグラッシァ(塩湯温泉)→道の駅:しまなみの駅御島(今治市・大三島)(泊)19km

り空の朝だったが、お天気は良くなる気配は殆ど見られなかった。おまけに風が強くて、これではとても釣は出来ない。今日はこの地で釣りに再挑戦してみようと思っていたのだが、それは無理のようだ。このような天気のときは、ここの道の駅よりも、大三島町にあるもう一つの道の駅「しまなみの駅御島」の方が風の影響が少なくていいかもしれない。

今日はさて、何をしようかと少し迷ったが、雨は降っていないので、思い切って目前に聳(そび)える多々羅大橋を渡って瀬戸田PAまで歩いて往復してみようと考えた。風が強いので、あの巨大な橋を渡るには相当の勇気が必要だが、それをどれだけ出せるかを試してみようというわけである。邦子どのも好奇心半分でチャレンジOKということである。

前回初めてこの地に来た時は、瀬戸田PAに車を停めて橋の1/3くらいの所までおっかなびっくり往復した経験がある。今日はフルに往復しようというわけである。道の駅から遊歩道が出来ているので、それを辿って、15分ほど歩くと橋の入口に到着した。多々羅大橋は世界一の斜張橋だという。斜張橋というのは、支点となる高塔から斜めに張ったケーブルで橋桁を吊るもので、安定性に優れた特徴を持つらしい。しまなみ海道の中では最も美しい橋の様に思う。

  

大三島から見た多々羅大橋全景。左手が大三島側、右手正面の島は瀬戸田町のある生口島。世界一の斜張橋は文句無く美しい。

さて、この橋は全長1,480mあり、車ではあっという間の通過になるが、歩いて渡るとそうはゆかない。風が吹いていれば揺れを感ずるのは当たり前だし、恐る恐る下を覗けば、巨大な橋桁の側に海流が渦を巻いているのが見える。鳴門の渦潮は有名だが、鳴門までとはゆかなくてもここの渦潮もかなりのものだ。もし、歩いている途中に巨大地震でも起きて橋が倒れたりしたら、一たまりも無いだろう。今日は生憎強風が吹いている。おっかなびっくり歩かざるを得ないが、邦子どのの歩くスピードは、普段のそれの倍近くになっていた。とにかく早く通り抜けたいという気持ちが、その歩きに出ている。

1/3くらい行った所にある橋桁のところに「多々羅泣き龍」というのがあって、その地点で両手を合わせてポンと叩くと、ビビビーンと反響が返ってくる。側に拍子木が置いてあって、これを叩くとその音は一層はっきり跳ね返ってくる。日光の鳴き龍などとは比べられないほどの壮大な規模の音の反響現象だ。以前に来たときもこれを知って驚いたが、今回は十二分にこの人工の音の反響現象を楽しんだ。

 

左は多々羅鳴き龍地点でのお邦。右はその地点から巨大な橋桁を見上げた様子。この橋桁同士の空間に音が反響して鳴き龍の声となる。

20分ほどかけて渡りきり、瀬戸田PAのある生口島に着く。恐怖心と好奇心が入り交ざって、かなり緊張した時間だった

   

ミカン畑の向うには、瀬戸内の海が拡がっていた。如何にものどかな島の段々畑の風景である。

生口島の瀬戸田PAまでの道は、ミカン畑が広がっていて、高速道と橋のことを忘れれば、のんびりとした果実の島以外の何ものでもない景観が広がっている。畑の隅を行く道の脇には、無人のミカン売り場があり、100円を入れると数個のミカンをゲットできる。ミカンは昨日買ってしまったので、今日は帰りにレモンを買うことにして、瀬戸田のPAに向う。振り返ると、たわわに実った金色のミカンの向こうに、今通って来た多々良大橋が人びとの壮大な夢を実現してどっしりと構えていた。   

生口島側から見た多々羅大橋の景観。大三島からは見上げる風景が多いが、瀬戸田側からは橋を見下ろす風景が多い。

瀬戸田PAは広島県側行きと愛媛県側との双方に作られているが、ここで名物の蛸飯や蛸天などを食べようと思うなら広島県側行きでなければその願望か叶わない。前に来たとき食べた蛸飯の味が忘れられなくて、今日は是非それをもう一度味わいたいと思っている。急な坂道を登ってPAの売店に到着。さっそく蛸飯と蛸天うどんを食す。美味なり。二人で半分こしながら食べたが、やっぱり蛸飯の方がベターだった。

しばらくPAからの景観を楽しんだ後、復路へ。少し馴れた所為か、緊張感はかなりほぐれたようだ。幸い雨は降らないが、風だけが強めに吹いている。橋からの景観を楽しむ余裕も少しは出てきた。それにしてもこのような巨大な橋を造ることが出来る人間という生き物は、地球の歴史の中で特異な存在にちがいない。地球を壊すだけの力を持っているというのは、恐ろしいことだなと、改めて思った。人間の心の持ち方こそが地球の未来を決める鍵となることは間違いない。

   

瀬戸田PAにある多々羅大橋の表示石。この瀬戸田町出身の平山郁夫画伯の書によるものである。

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06年 北陸・中四国晩秋の旅(第11日)その2

2008-11-24 04:08:03 | くるま旅くらしの話

車に戻って一息入れていると雨が降り出した。少し島の様子も見てみようと、大三島橋の方へ行って見ることにした。御滴(みたらし)の水という井戸があるというので、そこを覗いてみたが、浜の波打ち際にある横堀の井戸で、珍しい。しかし今は歴史の残骸を留めるだけだった。その昔は、島での水は貴重なものだったろうから、この井戸は多くの人を救ったに違いない。

   

みたらしの水。丸い鉄製の蓋が置いてあったが、中を覗いても水は見当たらなかった。横堀の井戸というからこれは入口に過ぎないのかも知れない。

しばらくするとかなりの雨降りになって、あわよくば釣りをしようと考えていた願望は完全に打ち砕かれた。やむなく今夜の夜の夕食のおかずの、おでんの下準備をする。といってもこれは邦子どのの仕事で、拓の方は、寝床の中で午睡を貪(むさぼ)る。

目覚めて、今日は島の反対側にある大三島町の道の駅「しまなみの駅御島」に泊ることにして、その近くにある塩湯温泉、「マーレグラッシア」というのに行くことにする。雨はかなりの本降りで、こんな時は温泉に浸ってゆっくりするのが一番だ。途中道の駅に寄ってみたが、駐車場には殆ど車は見られなかった。塩湯温泉というのは、よく分からないけど、伯方(はかた)の塩を作っている会社が関係しているらしい。伯方の塩といえば自然と隣の伯方島で作られていると考えるのだが、そうではなくてどうやらこの大三島で作られているらしい。塩が身体にどの様にいいのかはさっぱり分からないが、この温泉施設は人気があるようで、かなりの人が入りに来ていた。1時間半ほど温泉を楽しんだ後は、道の駅に戻る。この道の駅の直ぐそばには大山祇(おおやまずみ)神社がある。明日はそこに参拝することにしよう。

      

 塩湯温泉の案内板。思ったほど塩辛いというものではなかった。程よく温まって、いい湯だった。

久しぶりにおでんをつつきながら、一杯やって、夕食の時を過ごす。相棒が一杯やれるというのはありがたいことだ。時には邦子どののほうが先に一杯やりだす時があるが、もし酒に無縁の相棒だったらこのような旅くらしは無理かも知れないなと思った。(しかし、あまりこれを強調すると、相棒が付け上がるので危険でもある)

   

旅の食卓。右上は、今日の歩きで瀬戸田PAの売店でてに入れたデンファレのランの花。食事の方はこの後おでん鍋をつついで一杯やる。

雨がかなり強くなり出したようで、天井を叩く音がうるさい。今日は何だか中途半端な一日となった感じがするが、それでも多々羅大橋往復はよかった。明日天気が良ければもう一度チャレンジして見たい。

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