山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

06年 北陸・中四国晩秋の旅(第15日)

2008-11-28 00:17:59 | くるま旅くらしの話

第15日 <11月27日()

道の駅:ひろた→砥部焼産業会館(砥部町)→砥部焼彩陶窯→砥部温泉ゆとり館(砥部町)→(R33R11経由)→Tさん宅(松山市) →(松山市からR11R56経由)→道の駅:内子フレッシュパークからり(愛媛県内子町)(泊)<85km

今日は松山市内に住む昔の拓の職場の仲間の一人であるTさん宅を訪問する予定である。午後2時頃にお邪魔したい旨のアポイントを取っておいた。従って午前中は時間が空くので、未だ行ったことがない砥部焼きの里を訪ねたいと思っている。朝起きて見ると、直ぐ傍を渓流が流れており、道の駅は静かな山里の中にあった。この辺は未だ紅葉の真っ最中らしく、周辺の山は赤や黄色に染まっていた。天気が良ければこれらの紅葉も青空に映えるはずだが、残念ながら今日も天気は機嫌が悪そうである。

9時頃出発。30分弱走って砥部焼伝統産業会館という所に到着。先ずは砥部焼が展示されている所に行き、この町の焼き物についての知識を得ようというわけである。

   

砥部焼伝統産業会館の玄関。砥部焼の歴史や諸作品などが展示されており、砥部焼の知識を得るにはここを訪ねるのが一番。

拓は焼き物のことはよく分からないが、邦子どのは何だか知らないけど結構うるさい。建物の中には大小さまざまな作品が展示されていたが、一通りそれらしい顔をして眺めて廻った。2Fで最近の作品の展示会が開かれていて、邦子どのはその内の一つが気に入ったようで売って貰えるのかを訊いていたが、ここでは売らないという。それで何という窯で作られているのかを訊いたら、陶彩窯だということだった。それならば、後でそこへ行ってみようということにして、先ずは残っている作品などを見て廻った。

外に出ると、たくさんの窯の所在地の案内板があり、それを見て陶彩窯という所へ訪ねることにした。歩いてもそれほど時間がかかる距離ではなさそうだった。10分ほど歩いて陶彩窯を発見。

   

陶彩窯のショールーム。この奥の方に制作場があるようだった。

留守のようだったが、奥のほうへ行って声をかけると奥さんが出て来られた。そこから先は邦子どのの一人舞台で、あれこれ言いながら気に入ったものを手に入れた様である。主な目的は妹へのお礼にということなのだが、ついでに自分の家のものも求めたらしい。このようにしてムダ遣い()をするのだ。満足した邦子どのを促して、さて車に戻ろうと外へ出ると、とんでもない土砂降りの状態となっていた。どうしようと思っていたら、その奥さんがSUN号の所まで送るといってくださった。ありがたい。軽自動車に乗って直ぐに到着。助かった。

砥部焼きのエリアから少し離れた所に町役場などがあり、その先に「砥部温泉」という案内板を見つけたので、ちょっと行って見ることにした。坂道を登ってゆくとドン詰まりに駐車場があり、その上にそれらしき建物が建てられていた。雨が降っているので、邦子どのを置いて坂道を登って行って見ると、間違いなくそこは砥部温泉ゆとり館だった。料金は350円とのこと。リーズナブルである。今日は入らないけど、今度来たときは是非利用させて貰おうと思った。いい発見をした。

久しぶりにお昼は外食にしようと、うどん屋を探す。四国はやはり蕎麦よりうどんという考えがどこかにある。山の中ならば蕎麦だろうけど、この辺りではうどんが正解のように思った。店を見つけてジャコ天うどんのハーフをオーダー。拓は旅の間も減量中なのでうっかり食欲に任せてうどんを食べてしまうと後で問題を起こすことになるので、控えめにすることにしている。久しぶりのうどんは、文句なく美味かった。

松山市内に入り、R11を通ってTさんの家がある方面へ向う頃は、大変な土砂降り状態となった。何ということだ。本当に久しぶりに訪問する日だというのに、こんな降りになるとは! 郊外の本屋でそろそろ発行される筈の「キャンピングカーライフ」という雑誌を買おうと寄ったのだが、この店には置いていないということだった。実は今号に、拓の書いた本の紹介を載せて頂くことになっているので、それを見たいと思っている。確かもう店頭に並んでいる筈なのだ。仕方がない、別の店を見てみようと思いながら外へ出ると、Tさんからの電話が鳴った。近くにいるという話をしたら、予定よりも早くてもいいから来たらどうかというご案内だった。それではということで雨の中を向う。

何しろ30年以上も経っているので、昔1度だけ訪ね、一晩だけ家族ぐるみでお世話になったお宅も、今は何処だったかその場所の記憶は全く消えている。予めネットの地図で所在を調べて来てはいるが自信はない。一応電話でも教えて貰ったので、まあ大丈夫でしょう。拓はナビを敬遠する、地図主義なのだが、意外と一発で初めてのお宅を訪ねることに成功している。よしんば迷ったとしても、この頃は迷うことを楽しみにしている。何故かといえば、迷うことによって、多くのことを知ることが出来るからである。ナビなどに頼って何時も迷いなく目的地についている人は、その頼るものがなくなったり壊れたりした場合は、困惑するだろう。何事も一発で成功するというやり方は、人生をお粗末なものとし兼ねない。人間は、順境ばかりで、逆境の体験をクリアしなかった人は魅力に乏しい人である。今の世の中、逆境の大切さを忘れて順境にある人を僻(ひが)むような人間が多い。「艱難(かんなん)汝を玉にす」というのは、本物の箴言(しんげん)だと思う。余計なことを書いたが、Tさん宅には一発で到着することが出来た。

Tさん宅を初めてお邪魔したのは、拓が初めて関東を離れて四国に転勤で来た三十年以上も昔のことである。その頃のTさんは、松山エリアの責任者として日夜仕事に走り廻っておられた。拓は事務屋で、現場のことはよく知らなかったので、とにかく四国の事業所の置かれている場所の責任者の方にはしっかり挨拶に廻ろうと考えていた。それで、どういうわけだったのかTさんの所へは家族ぐるみでお邪魔してしまったのだが、その時奥さんから現場の苦労話を聞かされ、事務屋としてはしみじみ申し訳ないと思ったのを覚えている。というのも拓の勤務していた会社は、技術サービスを業としていたので、機械の調子が悪いと、日夜を問わずお客さんから電話がかかってくるのである。ご主人が出払っている時には、どうしても奥さんが電話に出なければならなくなる。お客様からの電話の多くは、緊急の出動要請か或いはクレームなので、奥さんとしては謂(いわ)れもなく、お客様にお叱りを受けたりするのである。そのようなご苦労を毎日されている内に、ある種の故障内容は奥さんでも状況の想定が出来るようになってしまい、その対応策もある程度回答できるようになったというお話だった。しかし、会社のルールでは奥さんに何らかの手当てを支給するわけでもなく、責任者のご主人に対してもそれを含めた手当てが出るわけでもない。それは仕方がないとしても、せめてその当事者としての苦労を知っておいて欲しいということだったと思う。その時のお話は、今でも心の奥にしっかりと受け止めているつもりである。

ま、そのような思い出があり、奥さんのご尊顔を拝するのはその時以来なので、さてどのようなお顔だったかと思い起こそうとしてもなかなか浮かんで来なかった。しかし車を停めて、お宅にお邪魔すると直ぐに思い出すことが出来た。ご主人の方は忘れるわけがないが、いざとなれば奥さんの顔だって思い起こすことが出来るのだなと、改めて思った。家に上がり込んで、それから3時間ほど楽しい歓談の時が続いた。昔のこと、今頃のこと、旅のことなどなど話はあちこち入り乱れて、とり止めもない感じだったけど、30年の空白を埋めるのには相当有効だったと思う。空白を埋めるというよりも、お互いが知人として新しい友情を育てて行けるような気がして、嬉しく思った。昔のことを忘れることはできないが、これから先は昔のことよりも、お互い新しい関係を作り上げてゆくことが大切なのではないかと思う。お互い加齢の道を歩みながら、それなりの新しい関係が育ってゆけば、こんなに嬉しいことはない。同じ会社で職場を同じくした者であっても、職場関係を引きずったままのお付き合いはあまりしたくないというのが拓の考えである。

奥さんの作られたケーキも美味かった。お土産に頂戴した手づくりのリンゴジャムは絶品の風味があり、その後の朝の食卓を楽しませてくれた。又宇和島のミカンも美味かった。すっかりご馳走になっている内に雨も上がったようで、我々に対しては、天も少しは気を使ってくれたのかもしれない。Tさんご夫妻、本当にありがとうございました。

Tさん宅を出た後は、内子町にある道の駅「内子フレッシュパークからり」に泊ることにして、R56を内子に向う。昨夜、持ってきた小型インバーターが故障してしまったので、途中カー用品の店に立ち寄り、やむなく新しいものを購入した。17時半頃道の駅に到着。もうすっかり暗くなっている。今夜はこのまま早めに寝て、明日は内子の町並みをじっくり散策してみようと思っている。

大阪のTさんとメールで連絡を取り、18日にさぬき市の道の駅「津田の松原」で会うことに決めた。

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